【感想・ネタバレ】世界はなぜ地獄になるのか(小学館新書)のレビュー

あらすじ

社会正義はめんどくさい。

人種や性別、性的指向などによらず、誰もが「自分らしく」生きられる社会は素晴らしい。だが、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。「誰もが自分らしく生きられる社会」の実現を目指す「社会正義(ソーシャルジャスティス)」の運動は、キャンセルカルチャーという異形のものへと変貌していき、今日もSNSでは終わりのない罵詈雑言の応酬が続いている──。わたしたちは天国(ユートピア)と地獄(ディストピア)が一体となったこの「ユーディストピア」をどう生き延びればよいのか。ベストセラー作家の書き下ろし最新作。

(底本 2023年8月配信作品)

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

おーこれは久々に面白かったです。(最近、著者の新しい本て前の奴と中身いっしょじゃなない?みたいのが多かった気がするのでいうと。)

2025.2.6追記
松ちゃん・中居くん、フジテレビの件など、本当に世界が地獄になってきましたねえ。また、トランプがLGBTをぶったぎったことで、これまでの数年がいかにおかしなリベラルが広がっていたかも露呈しまった気がします


P6
私は”リベラル”を「自分らしく生きたい」という価値観と定義している。そんなのは 当たり前だと思うかもしれないが、人類史の大半において「自由に生きる」ことなど想像 すらできず、生まれたときに身分や職業、結婚相手までが決まっているのがふつうだった。 「自分らしさ」を追求できるようになったのは近代の成立以降、それも第二次世界大戦が終わり、「とてつもなくゆたかで平和な時代」が到来した1960年代末からのことだ。

P7
その影響は現代まで続いているだけでなく、ますます強まってお り、もはや誰も(右翼・保守派ですら) 「自分らしく生きる」ことを否定できないだろう。 「自分らしく生きたい」という価値観が社会をリベラル化させる理由は、自由の相互性から説明できる。
わたしが自分らしく生きるのなら、あなたにも同じ権利が保障されなくてはならない。そうでなければ、わたしとあなたは人間として対等でなくなってしまう。それで構わないと主張するのは、奴隷制や身分制を擁護する者だけだろう。
このようにして、人種や民族、性別や性的指向など、本人には選べない「しるし」に基づいて他者(マイノリティ)を差別することはものすごく嫌われるようになった。わたしと同じ自由をあなたがもっていないのなら、あなたにはそれを要求する正当な権利がある し、先行して自由を手にした者(マジョリティ)は、マイノリティが自由を獲得する運動 を支援する道徳的な責務を負っている。
「社会正義(ソーシャルジャスティス)」をあえてひと言で表わすなら、「誰もが自分らし く生きられる社会をつくろう」という運動のことだ。そしてこれは、疑問の余地なくよいことである。誰だって、自分らしく生きることを許されない社会(たとえば北朝鮮)で暮 らしたいとは思わないだろう。
ここまではきわめてわかりやすいし、自分を「差別主義者」だと公言するごく少数を除けば、異論はほとんどないはずだ。世界も日本も、このリベラル化の巨大な潮流のなかにある。誰もが「自分らしく生きたい」と願う社会では、「自分らしく生きられない」ひと たちの存在はものすごく居心地が悪いのだ。
光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。社会がますますリベラルになるのはよいことだが、これによってすべての問題が解決するわけではない。

P9
1) リベラル化によって格差が拡大する
行動遺伝学の多くの研究によって、社会がリベラルになるにしたがって遺伝の影響が強 まり、男女の性差が大きくなることが一貫して示されている。

これは考えてみれば当たり前で、「自分らしく生きられる」社会では、もって生まれた才能を誰もが開花させられるようになるが、知識社会に適応する能力にはかなりの個人差がある。その結果、社会がゆたかで公平になればなるほど、環境(子育てなど)の影響が 減って遺伝による影響が大きくなるのだ。
リベラル化で男女の性差が拡大するのは、男と女で好きなこと・得意なことに生得的な ちがいが(一定程度)あるからだ。男女の知能の平均は同じだが、男は論理・数学的知能 が高く、女は言語的知能が高い。その結果、経済的に発展した国の方が共通テストの平均 点が高くなると同時に、男は数学の成績が、女は国語の成績がよいという傾向が見られ、 男女の性差は拡大している。
性差だけでなく個人のレベルでも、知能や性格、才能など、わたしたちはかなりの遺伝 的多様性をもって生まれてきて、そのちがいは自由でゆたかな環境によって増幅される。
P10
誰もが自分の才能を活かすことができるリベラルな社会でこそ、経済格差は拡大するのだ。 逆に、独裁者が国民の職業を決めるような専制国家では、(一部の特権層以外の)経済格差は縮小するだろう。

(2) リベラル化によって社会がより複雑になる
前近代的な社会では、個人はイエやムラ、同業組合などの共同体に所属していたから、 社会を統制するには何人かの有力者に話をつければよかった。だが「自分らしく生きられ る」社会では、個人はこうした中間共同体のくびきから解放され、一人ひとりが固有の利 害をもつようになる。その結果、従来の仕組みで利害調整することが困難になり、政治は 機能不全を起こすだろう。

(3) リベラル化によってわたしたちは孤独になる
自由は無条件でよいものではないし、共同体の拘束は無条件に悪ではない。あることを 自由意志で選択すれば、当然、その結果に責任を負うことになる。逆にいえば、自分で選択したわけではないことに責任をもつ必要はない。

(4) リベラル化によって自分らしさが衝突する

P12
リベラルを自称するひとたちは多くの基本的なことを間違えているが、そのなかでもも っとも大きな勘ちがいは、「リベラルな政策によって格差や生きづらさを解消できる」だろう。なぜなら、そのリベラル化によって格差が拡大し、社会が複雑化して生きづらくなっているのだから。

P55
キャンセルカルチャーの特徴は、キャンセルされるような地位についた者が攻撃の対象になる一方で、同じことをしていても、キャンセルできる地位になければ無視されることだ


P78
日本語の複雑な尊敬語や謙譲語は、お互いの身分をつねに気にしていなければならなかった時代の産物だ。それが身分のちがいのない現代まで残ってしまったため、命令形は全 人格を否定する。上から目線になってしまった。日本語は、フラットな人間関係には向異常に丁寧な言葉づかいが氾濫する理由は、日本人が日本語に混乱しているからだ。

P145
毎日、殴るけるの暴力にさらされていたら、とうてい健康に過ごすことはできないだろう。周囲から批判されたり、仲間外れにされたりして、ステイタスが低いことを意識させられ宇のは、脳のレベルではこれと同じ体験なのだ。
人類が進化の大半を過ごした旧石器時代では、ステイタスが下がる(共同体から排除さ れる)ことは文字通り死を意味した。こうして脳は、ステイタスが下がると「このままでは死んでしまう」という警報を全力で鳴らすようになった。
その結果わたしたちは、ささいな批判や噂を過剰に意識して動揺し、ストレスホルモン を大量に分泌させ、交感神経がつねに亢進している状態になってしまう。現代社会では、 この不都合な仕組みが、身体的・精神的なさまざまな不調を引き起こしているのだ。

P161
わたしたちはステイタスの高い者に憧れながら、ステイタスの高い者を引きずり下ろそ うとし、他者からの批判を過剰に気にして身を守りながら、ライバルの足を引っ張って自分のステイタスをすこしでも高めようとあがいているのだ。
ところがステイタスゲームでは、理由もわからないままソシオメーターに振り回されるだけで、どこまでいってもゴールは見えない。この残酷なゲームを、ものごころついてから死ぬまでプレイし続けなくてはならないのだ(高齢者施設では、入居者同士のステイタ ス争いを調停するのが大きな負担になっているという)。

P165
地方の平凡な高卒の女の子は、スーパーなどで非正規の仕事に就き、同級生の男の子と 結婚して子どもをつくるという退屈な未来しか想像できないかもしれない。だがそんな女の子でも、エロス資本を活用することで、数万人や数十万人のフォロワーを獲得できる。 AV会社が「フォロワー100万人でAVデビュー」などのプロモーションを盛んに行なって いるからで、ハッシュタグをつけて写真や動画を投稿するだけで、多くのフォロワー(AVファン)が集まってくる。 それ以外の方法で彼女が同じ数のフォロワーを集めようとすれば、アイドルや歌手、あるいはYouTuberとして有名になるなど、かなりの才能と幸運が必要だろう。そう考えれば、これは評判を獲得する魔法の薬(劇薬)のようなもので、“夢”を目指す女の子が次々と 現われるのも不思議ではない。いまや若い女性にとって、AV女優は「汚れ仕事」ではな く芸能活動と見なされているという。

P168
自分のステイタスが低いと感じたとき、劣等感を覚え自己肯定感が下がる。その意味でわたしたちはみな、ある状況では自尊心が高く、別の状況では自尊心が低い。
自尊心が危機に瀕したとき、どのような対応をとるかは、個人によって異なるだろう。 あるひとは、劣等感を感じさせる集団から離れ、高いステイタスを確保できる(マウンテ イングできる)集団に移るかもしれない。一方、その集団にとどまり、ステイタスを上げようと努力するひともいるだろう。

これは、どちらが正しいとはいえない。

自己肯定感をもてる環境に移れば精神的には楽になるが(主観的なステイタスが健康に 及ぼす影響を考えればこれはきわめて重要だ)、競争を放棄して低い社会的地位に甘んじ ることになりかねない。その一方で、自分を高める努力をすることは成功への条件だが、無理矢理ステイタスを高めようとすると、燃え尽きてしまうかもしれない。ステイタスゲームはきわめて複雑で、唯一の攻略法はないのだ。

P217 地雷原に近づくな
これが、キャンセルカルチャーへのもっとも現実的な対処法になる。そして多くの場合、評判を守り、社会的な信頼を失わないための(ほぼ)唯一の方法でもある。

0
2024年08月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

リベラルが格差を広げ、ポリコレが自由を奪う。
前半はキャンセルカルチャーの台頭(小山田圭吾)やポリコレ(会田誠)の実例。またLGBTQなどがいかに少数派の権利から多数派の多大な責務になったかが詳説されている。
インターネットの台頭により、人間は常に世界中の不特定多数との競争を強いられるようになった。その中で成功ゲーム、支配ゲームに勝てない人達が美徳ゲームで報酬を得るために不道徳を攻撃することがSNSを通じて過激化される。他方で推しとはアイデンティティ融合により集団としてゲームに参加しステイタスを上げることである。そのような過程で人々はSNS上で集団を形成し時に互いを攻撃するが、心の痛みは体の痛みと同じダメージを脳に与えるということを考えればこれは実質的には集団同士で暴力の応酬をしているのと実質的に変わらない。

第二次世界大戦後の平和な時間が長く続き、世界は極端にリベラルになった。そこでは各個人の個性が尊重されるべきで、その個性に対する意見は場合によっては社会悪とみなされる。しかも物理的な暴力や脅迫などのわかりやすい悪と比べてこのような社会悪は法律ではなく被害者の感情にのみによって判断されるので、不用意な発言を切り取られSNSなどで集団罵倒などを受けることがあり、これは現代における超法規的な私刑であると捉えると、このような社会はある意味で法治国家以前の相互監視による社会システムにも取ってしまったとも考えられ、特にSNS上での有名人達にとって非常に生きづらい世の中になった。このような世界でダメージを最低限避けて生きていくためには目立たず主義主張を表明せず生活するというのが残念ながら一つの解決策となっている。

0
2024年08月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

世界はなぜ地獄になるのか ─ キャンセルカルチャーと「構造との付き合い方」をめぐる読書メモ

この本を通して浮かび上がってきたのは、「悪」を設定して世界を単純化しようとする人間の認知の省エネ本能と、それがネット空間で野生化したときに社会全体を地獄化させるメカニズムだと感じた。小山田圭吾や会田誠、イェール大学のハロウィン騒動、ドッグパーク論文、woke文化やナイス・レイシズムといった具体例は、すべて「悪を確定し、文脈を捨て、二元論に還元する」という同じパターンをなぞっているように見える。

自分自身の経験と重ね合わせると、この本は単なる「現代社会批判」ではなく、「いま自分が立っている足場の説明書」に近い。エールのつもりでかけた言葉が「冒涜」と受け取られ、構造を変えようとした動きが「パワハラ」とラベリングされる。こちらの意図や文脈と、相手のソシオメーター不安とが食い違うところに、キャンセルまでいかないまでもミニ・キャンセル的な出来事が起きる。この本に出てくる登場人物たちと、自分の状況が妙に重なって見えた。

印象的だったのは、橘が「炎上する世界」を、進化心理学とステイタスゲームの観点から描き直している点だ。人はソシオメーターによって他者からの評価を常時モニタしており、拒絶や失墜への恐怖を抱える。その不安を和らげる一つの方法が、「他人を陥れて、自分が攻撃される位置から少しでも遠ざかること」だという説明は、自分が考えていた「恐れ起点のいじめメカニズム」ともぴたりと噛み合う。正義や社会正義を掲げた攻撃が、実はソシオメーターの自己防衛として機能しているという視点は、心地よいほど腹に落ちた。

マイクロアグレッションやインターセクショナリティといった概念が、なぜここまで強く支持されるのかも、この文脈で理解できる。有色人種やマイノリティの学生にとって、イェールのような大学は「外の世界よりは安全であってほしい場所」であり、そこすらも抽象的な自由の名のもとに放任されると感じたとき、「ここだけは守ってくれ」と強く主張したくなる。その背景には、「イェール以外には本当に守ってくれる場がほとんどない」という生きづらさがある。そう考えると、彼らの被害者意識は単なる甘えではなく、希少な安全基地への期待の大きさの裏返しと見える。

一方で、この本が描く地獄は、当事者にとってはかなり身近な話でもある。会社内での自分の立場、かつての査読経験、相手部署へのエールが「冒涜」と読まれるエピソードなど、自分がこの数年で味わってきたことの多くが、「構造を知らないまま、正しさだけで踏み込んだ結果」として読み替えられる。自分の言動の動機は「エントロピーに抗う」「構造をよくする」側にあるつもりでも、相手から見れば「批判」「攻撃」「上から目線」として処理される。その落差を、橘の枠組みはかなり冷徹に説明してくれる。

この本を読んだことで、一つ大きく変わったのは、「100点を取りに行くことをやめる」という決心に近い感覚だ。状況を変えたい、構造をよくしたいという欲求に突き動かされると、「すべての場で常に最適解を選び続けねばならない」というインナーペアレントが顔を出す。だが、そうやって全方位で本気を出すと、ソシオメーターと評判リスクの板挟みになり、燃え尽きるだけだということも、体感として分かってきた。今の「歴史的・構造的な背景がある問題としていったんラベリングし、自分は整理役・アイデア提供者に徹する」というやり方は、まさにこの本が示す“地獄を生き延びる”スタイルと重なっていると感じる。

もう一つ、この本と対話する中で強く浮かび上がってきたのが、「バンド」と「トライブ」の構想だ。人類学的なバンド/クラン/トライブの話や、橘川幸夫の「世界を変えるのはバンドだ」という感覚と、自分のバンド構想がリンクしてきた。すべての人がバンドに属し、その中で自己実現と他者貢献をする。そのバンドを束ねるトライブには、コーチングやファシリテーションを担う人を置く。全員がエグゼクティブ・コーチングを個別に受けられなくても、バンドとトライブを通じて“構造への気づき”が循環する社会。これは、この本が描く「炎上とキャンセルで地獄化した世界」とは真逆の設計思想として、かなりしっくりきている。

結局のところ、『世界はなぜ地獄になるのか』は、「世界がなぜこんなに面倒くさく、生きづらくなったのか」を他人事として眺める本ではなく、「今ここで自分がどんなゲームの盤上にいるのか」を理解するための地図だと感じた。そのうえで、「全部を救おうとしない」「C調で、でも世界は変えられるという楽観を手放さない」「バンドと小さな場に賭ける」という自分なりのスタンスを少しずつ言語化できたことが、この本を読んだ一番の収穫だと思う。

0
2025年12月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 「はじめに」でほぼ言い尽くされている。"リベラル"を「自分らしく生きたい」という価値観と定義すれば、「リベラルな政策によって格差や生きづらさを解消できる」は「大きな勘違い」で、「そのリベラル化によって格差が拡大し、社会が複雑化して生きづらくなっているのだから」という。そして「「反知性主義」「排外主義」「右傾化」で、一般的にポピュリズムと呼ばれるが、これはリベラリズムと敵対しているのではなく、リベラル化の必然的な帰結であり、その一部なのだ。--したがって、リベラルな勢力がポピュリズム(右傾化)といくら戦っても、打ち倒すことはできない。」「誰もが自分らしく生きられる社会」の帰結がキャンセルカルチャーの到来を招き、世界を地獄にする。

ということが、具体的に、そして論理的に書かれている。なるほど、そんな感じがする。

地獄を生き抜くための結論は「エビデンスを呈示できる専門分野では積極的に発言してフォローワーを集め、それ以外の領域では炎上リスクのない投稿(ネコの写真など)にとどめるのがいいかもしれない」「キャンセルの標的にされたときの甚大な(取り返しのつかない)損失を考えれば、これがほとんどのひとにとってもっとも合理的な選択になるのではないか。」

0
2024年05月06日

「社会・政治」ランキング