あらすじ
島だけが、すべてを見ていた。
1840年、気仙沼から出航した五百石船・観音丸は荒天の果てに、ある島に漂着する。そこには、青い目をした先住者たちがいた。彼らは、その地を「ボニン・アイランド」と告げた。
時を隔てた現在。すべてを失った中年男は、幼少期、祖父が大切にしていた木製の置物をふとしたことで手に入れた。それを契機に記憶が蘇る。
彼は、小笠原行きのフェリーに足を向けた。その船には、チェロケースを抱えた曰くありげな少年も同乗していた。
物語は、ゆっくりと自転を始める。
※この作品は単行本版『ボニン浄土』として配信されていた作品の文庫本版です。
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Posted by ブクログ
宇佐美まこと氏といえば、土着的なホラーのイメージが個人的に強かったが、それを見事に覆す、まるで壮大な時代小説が始まるかのような導入。
そして、さらにその予想を裏切り、ページ僅かしか進まぬうちに舞台は時空を飛んで現代へ。
実に巧い。
卓越した手腕は全編を通して発揮され、途中までは"余白、遊びの部分が結構多い作品だな"などと思っていたが、あれよあれよという間にそれらすべてのパーツがするすると破綻なく連綿と繋がり、数々のエピソードが集積した一個の大きな物語として閉じるパッケージには、様式美という言葉がふさわしいとすら感じる。
一方で、その超絶技巧を活かすことを第一義として緻密に組み上げられた構成…という印象を持ったことも事実で、ではそれを以てこの作品は読者に何を伝えたいのか、という根幹を成す"背骨"については、そこまで強烈な感銘を受けなかった…充分面白いのだけれど。
見せ場となる重要な場面は多いが、特に私の心に残ったのは、賢人が鯨の歌に呼応しチェロの音色を取り戻すシーン。
まさしく1つのクライマックスであった。
賢人が島を去る前に皆の前で演奏するシーンも然り、音の出ない紙媒体の小説でありながら、音楽の持つ力を感じた。
また、恒一郎が長い時を経た後に生まれた島へ帰郷するくだりには、ケンシロウが修羅の国に戻った時のそれに通じるものがあるではないか。
いくら言葉に尽くせぬ恨みつらみがあろうとも、母が何にも代え難き幼い我が子を残して逝くだろうか…? という疑問は決して拭いきれないが。
蛇足ながら、もう10年前になるが小笠原に旅行した際、真っ青な海でイルカと泳いだことやダイヴィング中にユウゼンを見たこと、ウミガメの煮込みを食べたこと、そして兄島瀬戸の珊瑚礁でスノーケリングしたこと等を懐かしく思い出した。
「出ていく者を見送り、来る者を受け入れた。それは島そのもののあり方だった。」