あらすじ
出産を間近に控えた姉に、毒に染まっているだろうグレープフルーツのジャムを食べさせる妹……妊娠をきっかけとした心理と生理の繊細、微妙なゆらぎをみごとに描く、第104回芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」。住人が消えてゆく? 謎に包まれた寂しい学生寮の物語「ドミトリイ」、小学校の給食室に魅せられた男の告白「夕暮れの給食室と雨のプール」。透きとおった悪夢のようにあざやかな三篇は、すべて小川洋子の独特な静謐な世界を堪能できる珠玉の短篇集です。
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Posted by ブクログ
小川洋子さんの「博士の愛した数式」をあまり好きになれず、そこから疎遠になっていたけれども、これはとても良い!好き!妊娠カレンダー、姉に赤ちゃんができ、その母体の変化に翻弄される妹。悪阻という形で姉を捉えた赤ちゃん、でもその母体の変化ばかりでどこに赤ちゃんがいるのか不明、という妹から見た妊娠の不気味さ不思議さ。超おもしろすぎたー!あと新人っぽい、世の中に、は?を突きつけてやる!という気鋭さがある。
Posted by ブクログ
私は妊娠をしてみたいと思うことがある。
読みながら、白と緑しか思い浮かばなかった。
解説に完全自殺マニュアルのこと書いてた。あれそんな昔からあるんか
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姉の妊娠中の記録が、妹目線で描かれている。赤ん坊の染色体を破壊させるかもしれないグレープフルーツジャムを毎日のように作り、食べさせる描写には震えた。ものすごく怖いのに、頁を捲る手が止まらなかった。
Posted by ブクログ
2回読みました。1回じゃ正しく理解できなかった。
○妊娠カレンダー
単純に言ってしまえば復讐譚なのだけど、そんな単純な言葉で表現しきれないのがこの作品。
印象的だったのは、匂いに過敏になった悪阻中の姉に配慮して、主人公は庭で夕飯を作るのだが、食べられない姉をあざ笑うかのように、主人公は炊飯器の湯気が立ち上ってゆくさまを心安らかに眺め、大きな口を開けてシチューと一緒に「夜の闇」を飲み込むところだ。主人公は夜の闇とともに、心の闇を飲み込み自分のものとする。
かたや、悪阻が終わった姉は「彼女の存在そのものが、食欲に飲み込まれてしまったように」食べつくす。その姉のお腹には主人公がDNAを壊す(と信じ込んでいる)PWHにDNAを壊された(と信じ込んでいる)胎児が存在する。
どちらも体内に不気味なものを内包する姉妹。その外にいる義兄や姉が頼りにする精神科医の存在感・生命力の乏しさ。そして、この人たちが日陰なら、燦々と輝く日差しに照らされた明るい庭のような存在である義兄の両親。
こういった対比が複雑に絡み合った、すごい作品。この不気味さは小川氏ならではですね。
○ドミトリイ
2人の大学生が失踪した寮が主モチーフだが、副モチーフとして蜜蜂と巣がくる。
夫が外国に単身赴任中の主人公は、夫からすること・持ってくる物を指定されるものの、そちらはほったらかして、寮の先生のためにお菓子を片手に日参する。
初めて読んだときは、なぜ「蜜蜂の巣」が出てくるのか分からなかったが、読み返してみて、主人公も寮という巨大な巣に誘い込まれてしまった蜜蜂なのだと気づいた。彼女は“夫”という巣に花の蜜を持っていくべきなのに、働き蜂が花の蜜をせっせと巣に持ち帰るように、主人公は食べきれないだろうと思われる量のお菓子を寮の先生に毎日持っていく。それはそれは懸命に。
○夕暮れの給食室と雨のプール
子供の頃に雨のプールで泳がされたことと、一見非衛生的と見える方法で給食を作る様子を見てしまったことが強い記憶となって残っている宗教勧誘員の男。彼はそれを“集団の中に自分をうまく溶け込ませるための通過儀礼だった”と言う。通過儀礼=大人になるためのステップ。嫌なものを受け入れることが大人になること。
いくら手足をバタつかせても水の中に沈むしかなかったという男と、バツイチで年が離れていて司法試験に10年落ち続けているダメ男の婚約者が重なる。
Posted by ブクログ
風景や物の描写がとんでもなく丁寧。静謐で幻想的な情景を下地にして、嫌悪感と共感が入り混じる人間のグロテスクさが描かれていくのが、心地よい違和感というか、幻想的な世界に浸っているようでとても好きです。
Posted by ブクログ
幸福な人たちを見て、この人たちの幸福が、このまま一生続いてくれたらいいと、純粋に願ってあげられることは、度々ある。けれども、その幸福な人間が、自分の嫌いな人間だったら、早く不幸になってくれないかと内心思うこともある。その源泉にあるのは、その嫌いな相手に対する妬みかもしれないし、自分が幸せになれない劣等感かもしれない。ただ、「妊娠カレンダー」に描かれている「わたし」の姉に対する心情というのは、そういった普通に想像できる範囲の気持ちとは、一線を画している。にもかかわらず、妊娠した姉に作るグレープフルーツのジャムが、農薬に汚染されているかもしれないと想像するその心理は、どこかで自分も抱いたことがあるかもしれないと思わせられる、親近感をどこか持っているように感じる。
「わたし」が姉に対して抱く負の心情の源泉は、どこにあるのだろうか。それは、妊婦であるがゆえに許されていたわがままだったかもしれない。
つわりが始まった姉は、家の中に充満する匂いに敏感になり、毎朝起きるたび、内臓がかき回されるような感覚に苛まれる。「わたし」は、そんな姉のために家で料理をすることをやめて、どうしても必要なときは、庭に調理器具を持ち出して、地面に敷いたござの上で食事をする。
つわりが終わったら終わったらで、姉は、枇杷のシャーベットが食べたいと言い出す。そんなわがままを断りきれず、土砂降りの中、車を出すと言い出した義兄に対して「わたし」は呆れて止めに入る。すると姉は言うのだ。
「枇杷じゃなきゃ意味がないわ。枇杷の柔らかくてもろい皮とか、金色の産毛とか、淡い香りとかを求めてるの。しかも求めてるのはわたし自身じゃないのよ。わたしの中の『妊娠』が求めてるの。ニ・ン・シ・ンなのよ。だからどうにもできないの」(p54)
一度は買いに出ようとした義兄も、さすがに姉の気持ちを鎮める方へと切り替え、枇杷のシャーベットは諦めてもらうことになった。しかし、彼女を慰める義兄の様子は、「おどおどと」して、「怯えたように彼女をのぞき込むような目つき」であった。その様子がまた、「わたし」を苛立たせる。
おめでたいこととして祝われるはずの妊娠は、この物語の中で一切そのように扱われることはない。むしろ、妊娠によって変わる姉の体調と、それに振り回される家族の生活を描くことで、日常生活を支える周囲の人々が被る迷惑と、妊娠した姉の傲慢さを明らかにする。
そうした妊娠に対する不穏な気配は、次第に妊娠に至るまでの二人の関係にまで違和感を持たせるようになっていく。歯科技工士である義兄が姉と結婚する前に、「わたし」は患者として彼と会ったことがあった。金冠を被せる歯型をとるために、自分の口の中に触れる彼の指先の嫌な感触とともに、義兄と姉が結びつくことを「結婚」という言葉で表す違和感を、「わたし」は思い出した。
思い出したという表現は、もしかしたらおかしいかもしれない。「姉の妊娠と義兄の関係について、時々考えることがある」と語り出す直前には、例の枇杷のシャーベット事件が語られていた。義兄の態度に対する違和感の語りと、義兄と初めて出会ったときの違和感の記憶の語りは、語りの上では繋がっている。姉の妊娠を取り巻く違和感は、染み込んでいくように、その周囲の人に対する違和感となり、それは次第に、過去の記憶にまで浸潤していく。そうした違和感の浸潤が向かうもう一つの先が、姉のお腹の中にいる胎児であった。
「わたし」は、これから生まれてくるはずの赤ん坊について、具体的な思いを巡らすことができない。それは、「わたし」だけでなく、姉と義兄についても同じで、生活の中で、赤ん坊のことが話題にされることはなく、妊娠していることとお腹に赤ん坊がいることとは、まるで無関係のことであるかのように、家族はふるまうのだ。だからこそ、「わたし」には、赤ん坊というものの手触りがなく、代わりに思いうかぶのは、「双子の幼虫」のような「染色体」のイメージになってしまう。
これは、初めて胎児のエコー写真を見たときから、あるいは変わっていないと言えるかもしれない。写真を見たとき、最初に思ったのは「凍りついた夜空に降る雨のようだ」という感想だった。写り込んでいる赤ん坊に対しては、「そらまめ型の空洞」の「くびれた隅にひっかかっている」ものとしてしか認識できず、それは「もろい影の塊」だとしか思えない。そして、会話の話題は、写真の赤ん坊についてではなく、超音波の診断のやり方の話になってしまう。赤ん坊に対するイメージが、家族の会話の中で鮮明になることは、ないのである。姉は、写真について、一言、こう言う。「つわりの源泉がここにあるという訳」(p24)。そこにいるのは、あくまで一人の赤ん坊ではなく、「つわりの源泉」であって、それこそが、「わたし」の生活をかき乱す源泉でもあった。
こう考えてくると、毒薬に漬けられたアメリカ産グレープフルーツのジャムを食べさせるという、「わたし」の悪意のようなものの向かう先が、姉ではなくて、そのお腹の胎児であったことも頷けるように思う。普通の生活を壊したものは、姉のつわりであり、その「つわりの源泉」が、赤ん坊であった。アメリカ産グレープフルーツを犯す「防かび剤PWH」が破壊するのは、人間の染色体そのものであり、染色体とは、「わたし」にとって、お腹の赤ん坊のイメージそのものだった。
赤ん坊に対して、人間としての手触りを感じられない「わたし」にしてみれば、その悪意が赤ん坊に向かうということは、本来的にあり得ない。なぜなら、向かうべき対象に、具体的な形がないからだ。そう考えると、「わたし」の悪意が向かっている先は、姉が産もうとしている赤ん坊そのものではなくて、想像できない赤ん坊という存在に象徴されている「妊娠」という現象だったのではないかと思われる。
こうした「わたし」の内面を表す場として現れているのが、M病院という場所なのではないかと思う。幼い頃の「わたし」は、姉といっしょにM病院の一階を覗き込む。そこには、様々な医薬品のビンや医療器具など、魅力的なものが溢れていた。そんな神秘的とすら感じた一階の上には、窓から顔を出す女の人がいた。そのちっともうれしそうじゃない顔を見た「わたし」は、魅力的な物に溢れた診察室の真上に寝泊まりできるのにうれしそうでないことに疑問を覚える。
女の人がいた二階から上の階というのは、入院用の病室や赤ん坊の部屋、給食室のある階である。そこは、まさに「わたし」がリアリティを感じることができなかった赤ん坊のいる世界であるが、彼女は、その世界を見ることができない。幼い頃にM病院で見たもの記憶は、そのまま大人になった「わたし」の赤ん坊に対する感触を象徴している。そして、物語の最後、彼女は、再び姉が出産をしたM病院へとやってくる。彼女にとって未知の領域である二階、生まれた赤ん坊と対面することになるのである。
ちなみに、「わたし」は、「破壊された姉の赤ん坊」に出会うことを期待して新生児室に向かう。一見するとこの期待は残酷な期待のようにも見えるが、彼女にとっての赤ん坊が、一つの「妊娠」という現象だったと解釈するのであれば、この期待は、悪意とも言い切れないように思われてくる。「わたし」は、次のように言っている。
しかし、妊娠とは永遠のものではない。いつか終わるものだ。赤ん坊が生まれる時終わるのだ。
わたしと姉と義兄の三人の間に、赤ん坊がプラスされる状態について想像してみようと思うことがある。でもいつもうまくいかない。赤ん坊を抱き上げる義兄の目の表情とか、授乳する姉の胸の白さとかを思い浮かべることができない。浮かんでくるのはただ、科学雑誌で見た染色体の写真だけだ。(p70)
「破壊された赤ん坊」というのは、赤ん坊を染色体としてしか想像できない「わたし」にとって、「妊娠」の終わり以上の意味はないのではないだろうか。赤ん坊のいる生活というものを想像できず、想像できないからこその不安と、妊娠によって見出された生活を前にして、この生活が早く終わらないかと期待する気持ち。そうしたものが、現実の赤ん坊ではなくて、染色体としてしか形をもたない想像上の赤ん坊の破壊へと、彼女を掻き立てるのではないだろうか。
端的に感想を言うと、本当に嫌な感じのする小説だった。お腹のなかで育っている子どもに向けて毒を盛るというその想像が掻き立ててくるものが、本当に気持ちよくない。けれども、そうした決して気持ちのよくないものが、妊娠というものの周囲を取り巻いている現実なのだということが、子どもができたことをおめでたいとする雰囲気のなかで、不可視にされてきたものなのではないかと言っているように見える小説である。本来、幸福であるべきはずと思われている妊娠をめぐる不幸な出来事をもたらす不穏な気配は、そもそも何でもない普通の家庭のなかにもあることを暴いているのだと思う。
こう考えてくると、意義のある小説(?)だと思うが、それにしても、本当に読後感がよくない。
Posted by ブクログ
ほっこりしない、ほのぼのしない、じんわりしない、ほろりとしない、ぽかぽかしないこんな感じの文章が、私の陰に寄った感情にピッタリとくる。
無機質なのに美しい文章。
現実からほんの少しずれた世界。
感動を求めない静寂。
無理に明るい場所へ引っ張り出されない安心感。
この世界観に浸り過ぎると、抜け出せなくなる怖さもあるね。
Posted by ブクログ
話に出てくる人たちの行動が人間らしくなくて、ずっと不穏な空気が流れてるけど、すごく心に残る。
とくに妹が、妊娠した姉のためにグレープフルーツのジャムを煮るシーンが印象的。
とても従順にみえて、農薬が使われているかもしれないグレープフルーツを淡々と調理する妹の姿に寒気がしてくる。わたしには悪意とともに行為に及んでいるように見えて、それは自分の姿ともすこし重なるような気がした。
色んなことがはっきり書かれていないからこそ、いろいろな読み方ができそう。
わたしは面白かった。
Posted by ブクログ
一年ぶりくらいに小川洋子の本を読んだけれど、ほんとうに美しい文章を書く…。文章が澄み渡りすぎて、きれいすぎて、なんかちょっと官能的な、怖いような。うまく言えないけど、なんせうっとりしてしまう。透きとおった悪夢って表現がほんとうにぴったりな一冊だった。夢が現実かわからない、ほのぐらい境目をたゆたうような感覚。はあ。良い。ため息出るわ。表題作がいちばんわかりやすくてすきだったけど、三篇ともよかった。溢れ出る小川洋子感。特に理由もなく、小川洋子作品を読んでいなかったけれど、ひさしぶりに読んだらまじでよかった。これからいっぱい読も。
Posted by ブクログ
小川洋子さんは初読みだった。
なるほどこういう作家さんかと今さらながら知った。
本の後ろを読んで、買ってみたが表題作である妊娠カレンダーはほのぼのした、妊婦の日記ではなく、なんとも言えない鬱屈した気持ちというか、妊婦が全員朗らかな気持ちでいるわけではないとか、なかなか鋭い切れ味のお話で好みだった。
他の2作も良かったが、これは私の解釈が追い付かない部分もあった。これが小川洋子さんという作家という事が分かり、読んで良かったと思う。
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妊娠した姉への歪んだ愛情が毒入りジャムとなり胎児へ届く__不穏な空気を纏った短編集
美しい描写に引き込まれながら読み進めると、どろりとしたものが喉元を通るような不快感がやってくる。これは悪夢か現実か?曖昧で朧な結末が私たちを話の中に閉じ込めてしまうようだった。
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女性ならではの感性が、女性の私でも驚くほど鋭く反映されていて、もうそれだけで大変恐ろしく感じた。結婚して妊娠している姉と、姉の夫と、自分というなんとも居心地の悪い同居は行き場のない、名前のない悪意を生み出しているように見えた。『妊娠』という行為や母親という役割は時に女性の足枷となるが、本作や湊かなえの「蚤取り」においては独り身でいる身近な女性の劣等感を引き起こすものとして描かれる。女性としてこれまで求められてきた役割を、出来るけどやらない、と、出来ない、では大きな違いがある。そうした心の柔らかく弱い部分に触れる作品は、自分の隠してきた部分や見ないようにしてきた部分がそのまま映し出されるようで、決して読んでいて気持ちのいいものではないが、知らず知らずのうちに手にとっているものである。
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ラランドのニシダが紹介していたので読んでみた。
気味悪いのに描写の精巧さや文体が心地良い。比べるつもりはないけど、村上春樹を読んでいるみたいで、読書そのものの時間を楽しめた。
ストーリーというか、内容は不気味で懐かしくてよくわからない感じだったけれど、あとがきで急に現実に戻され、その感覚がエンタメとしてめっちゃ爽快で読み応えがあった。
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姉の妊娠に対する妹の日記。
あとがきにもあったけど、ヒトのお腹にヒトが入ってるってSFぽさがあるなぁと思った。
染色体異常を起こすと言われる防腐剤を含んだグレープフルーツのジャムを作り食べさせた妹。
喜んで食べていた神経質な姉。
きっと妹は、生まれてきた子がちょっと平均より身長が低いとか、そういう異常ではない事でも染色体異常だと思い、やっぱり効果はあったんだ…と思うだろう。
きっと姉は、妹が防腐剤を“妊婦”である自分に食べさせていたと知った時、心を病むだろう。
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夕暮れの給食室と雨のプールが1番好きだった
どの作品もはっきりしたラストは描かれず、文学的な表現で締めくくられる
私には難しくて、なぜそのようなことを表現したのか、はてな
ただ、1Q84のときのような不完全燃焼感、筆者への苛立ちはない
それは作品全体の雰囲気のためなのかな
柔らかく霧がかった、温かいようでどこかじめっぽさがある、雨の水彩画みたいな雰囲気だから、最後のもやもやも作品の一部として受け入れられた
結末をはっきり知りたい!という焦燥感がない
不思議と満足感がある
これが小川洋子の作品なのかな
角田光代のクリアな世界とは全然違う
最初は馴染めなかったけど、3作品読み終わった頃にはその世界観が心地よく感じた
小説の中で日常の風景が言語化され、自分の日常も言葉で表現したら特別なものなのではないかと感化されるのことが私は好きみたい
ただ流れていく日常も、改めて表現しようとする、捉えようとすると、特別なものに感じられる気がする
ふわっと心が浮遊するなだらかな高揚感に幸福を感じている気がする
だからSFとかじゃなくて、日常を描いた小説が好きだったんじゃないかな
そういうことに気づかせてくれたのも、この作品の雰囲気のおかげなのかな
Posted by ブクログ
紹介文にあるように、どれもうっすらと霞んで漂う悪夢のようだった。誰にも悪意は無いが、必然的に悪い方向へ傾いていっているかのようなバランスの取れない感覚に陥った。
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姉が妊娠した。つわりに苦しみ、家族に八つ当たりし、 母となる不安に苦しむ姉と接するうち、妹の心に芽生える不思議な感情。姉を苦しめるモノから姉を妹は守りたいという気持ちと裏腹に、妹はやがて、めまいのするような悪意の中へすべりこんで行く。出産を控えて苦しむ姉の傍らで、妹は鍋でジャムを混ぜる、その中には、ひそかな「毒」が。
家族の妊娠をきっかけとした心理と生理のゆらぎを、きらめく言葉で定着した芥川賞受賞作「妊娠カレンダー」。
謎に包まれた寂しい学生寮の物語「ジミトリイ」、小学校の給食室に魅せられた男の告白「夕暮れの給食室と雨のプール」。透きとおった悪夢のようにあざやかな三編の小説。
Posted by ブクログ
★★★ 読めてよかった
妊婦の妹、大学生の甥に古巣の寮を紹介する叔母など、主役ではない人々の短編集。彼らは物語の本筋に踏み込めないから、ストーリーの中で生じた出来事について、全てを説明する視座を持たないのがもどかしい。
しかし過去の回想の描写は懐かしさを感じさせ、こちらにもセピア色の景色が見えるようだった。
Posted by ブクログ
妊娠カレンダー
小川洋子さんの端正で美しい文体にひれ伏してしまう。姉の、妊娠によって心も体も本来の様子から変わっていく姿を妹の視点から語られている。冷めたような、しかし愛着と嫌な感情のどちらもがジャムのように煮えて渦巻いているような、妹の複雑な感情が描かれる。複雑な感情を、複雑な感情のままで主観的に見せられる。愛による生命の誕生の過程という尊く美しく描かれがちな妊娠と妊婦の、暴力性とグロテスクさが垣間見える。
Posted by ブクログ
薄らとした不快感のまとわりつく作品だった。村田沙耶香に近いものを感じたが、村田沙耶香はもっと乾いている。潰れた果実を眺めているような感覚になる三作、文章はきれい。
Posted by ブクログ
読むきっかけがある男性芸人さんがおすすめしていたこと。タイトルから男性が進んで読むものだとは思わなかったためどんなストーリーなのか気になりました。
「妊娠カレンダー」
もちろんフィクションとはわかっているのですが、どうも合いませんでした。登場人物全員、誰にも共感ができませんでした。妊婦検診の様子もちょっと違うのではと思いました。
「ドミトリィ」「夕暮れの給食室と雨のプール」
グッと引き込まれるストーリーでした。こちらの方を表題作としても良かったのではないかと思いました。
Posted by ブクログ
独特な視点から描写される世界。静かな嫉妬。妊娠=幸せという図式が必ずしも成り立つわけではない、幸せの裏側。他2篇も不思議な感覚の物語。キレイな文章。
Posted by ブクログ
妊娠カレンダーに関しては、生命の誕生って奇跡的で喜ばしい事なのに、誰も心から喜んでいないような気がして怖くなった。
全体的に暗い印象をもつ物語で作者さんが何を思って作品を書いたのか読み取れない。だけど、作中の表現、文章が綺麗で透き通ってるなって思いながら読んだ。
Posted by ブクログ
なんと感想を表現したら…と読み終わった後に考えたが
あとがきに書いてある「生命」がキーな話なのかなと思いました。
今でこそ子育ての大変さを訴える媒体が増えているので珍しいことではないが発行された1994年には「妊娠」という現象、
変わってゆく身体に対しての不快感でもない様な…なんとも言えない気持ちを表現ている。
当時からすると価値観に反した非常に斬新な作品なんだろうなと思いました。
人は生きてゆくと、身体は変わるし、歪に老いて行く。変わってほしくない今と、変わってほしくない過去に囚われた短編集なのかなと思いました。
Posted by ブクログ
小川洋子さんの作品は何冊も読んできたが芥川賞受賞作は読んでいなかったなと手に取った。表題作を含む3編を収録。いろいろな形で身体的な何かと不思議な感覚を描く作家さんだなと思っていて、「ドミトリイ」は特にその後の作品につながる片鱗を感じる初期作品という感じで良かった。表題作で扱われる「妊娠」もまさに身体の変性にまつわる不思議で不気味な体験そのものという感じなので、なるほどこれが小川洋子の芥川賞受賞作か、と納得の作品だった。
Posted by ブクログ
密に関わっている他者ではなく、自分からは遠い存在の他者を通して、自分というものを映し出す。そんな作家性を感じた作品たちだった。
台詞回しが独特で、描写は身体的なものが多いので、なんとなくなじめなさがある。
自分の心に秘めておく分にはちゃんとした背景のある悪意も、それを言葉にしたり公にしたら、途端にとてつもなく悪いことのように感じるかも。
他に選ぶ道がないと思っている時、自分の中に潜む黒い気持ちなんて誰かに言おうと思わないよなあ。
Posted by ブクログ
【妊娠カレンダー】
主人公は大学生の妹。姉夫婦と一緒に住んでいる。心が脆い姉が妊娠。
大きな病院ではなく,近くの産院で出産するという。そこは幼い頃姉と裏から中庭に入り込んで遊んでいた古い病院。窓から覗いた器具や、3階の病室の窓辺にいる女が記憶にある。
姉のつわりが酷くなってくると、色んな我儘を言い出す。食べるのも,家の中の匂いも。
姉がいる時にご飯を作れないし、食べれなくなる。
急にふっと長く続いたつわりが終わった。
途端にいろんなものをたくさん食べるようになってしまった。
仕事で大量に貰ったグレープフルーツを皮ごとジャムにすると,姉はパンにつけずジャムそのものもを食べてしまう。グレープフルーツの皮の表面にはアメリカて体に良くない農薬などが使われているだろう。でもそれを知らずに、姉はどんどん食べる。お腹の子にどんな影響があるんだろう?
【ドミトリイ】
旦那が海外に単身赴任中、年がうんと離れた従兄弟から15年ぶりに連絡があった。
大学生になるが、お金があまりなく下宿先がみつかならい。昔大学生の時に住んでいた学生寮(ドミトリィ)を紹介してほしい。
6年ぶりに学生寮に連絡する。そこは学校運営でなく、一般のアパートのような寮のようなところ。だがもう古くなり、住んでる学生もほぼおらず、シェフもいないし、大浴場も2日に1回しかお湯を張らなかなってしまったという。しかも、寮の管理人(オーナー)は両手と片足がない。それでもいとこはお金がないからと紹介して欲しいといって入寮。
何度かいとこに会いに行くけどいない。そしてほかの入寮生も見ない。
どうも、この寮に住んでいた学生がするっと行方不明になり、悪い噂が立って少なかった入寮生も去っていったらしい。
そして何度もいとこに会いにいくけど全然会えない。
そして、管理人はどんどん衰弱していく。鎖骨と顎でいろんなものを持ったりする不自然な姿勢を続けていたから、肋骨がいびつに歪んで心臓と肺を圧迫しているらしい。いつか骨が心臓や肺に刺さるかも?
【夕暮れの給食室と雨の日のプール】
古い家に引っ越した。司法試験に何度も落ちてる彼と結婚するのでお金がない。けど、犬のジュジュと生活できるのはこの家だった。
2人で式を挙げる数週間の間、ひとりで家を整える。お風呂の壁のペンキを塗ったり、花壇に花を植えたり。
ある日、男と小さな子がインターフォンを鳴らす。
何も持ってない二人。どうやら宗教の勧誘?
でも、パンフレットも持ってない。「難儀なことはないですか?」
ジュジュと散歩していたら、その親子?とまた出会う。
小学校の給食室の前の道路で、学校をじっと見ている。
どうやら子供が給食室が好きで、よく行きたがるらしい。
その小学校は千人ぐらいいて、その給食をそこでつくっているらしい。大がかりな設備で調理されているのをみたり、その器具が洗われていくのを見たりするのが面白いらしい。
だけど、男性は給食室での調理風景をみて気持ち悪くなってごはんが食べられなく案った時期があった。
なんて感じのお話が3編。
全部、すっごい湿度の高い薄暗い空気感がある話。
めっちゃ芥川賞っぽいな~て思った。
Posted by ブクログ
短編3篇。結構昔の芥川賞作品ですね。ラランドニシダが、本がボロボロになるまで読んだというので、興味を持ちました。
自分は小川さんの作品は「博士の愛した数式」以降しか読んでいないのですが、いつも優しく、ふわふわとして、不思議なイノセンスを感じる、エンタメとも純文学とも言えないイメージを持っているのですが、本作品は、かなり純文学よりかなといった印象でした。
それぞれの主人公たちは、社会性もあり、周囲ともうまくやっているはずなのに、孤独感がつきまとっている。
表題作品の最後、「破壊された」という言葉が気になって仕方がない。