あらすじ
「毎日会社に行くたびに思うんです、わあ、なんだ、このおっさん地獄は、って」。
会社に追いつめられ、無職になった三十女が、女性アイドルに恋して日本の絶望を粉砕!? 新米ママや会社員も連帯し、「地獄」を変える賭けに挑む。世界幻想文学大賞受賞の著者がおくる、最強レジスタンス小説。
〈解説〉松尾亜紀子
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Posted by ブクログ
一気に読めた。
そもそも男性社会な仕事をしているせいか、女性の権利など声高に訴えているものや、フェミニズム系の話は好みでなかった。(この本で言うところの、“女性にも「おじさん」は存在する”が私のことだと自覚した)
だから、最初は「なんて大袈裟な…」という気持ちで読んでいたのに、次第に自分の中に埋めていたモヤモヤが出てきて吹っ飛んだ感じ。爽快。 女の敵は女、という言葉も男性が生み出したのでは…と思ったりして。
Posted by ブクログ
すがすがしいディストピア小説。
「おじさん」による「おじさん」に都合のいい社会。
※この場合の「おじさん」は「家父長制・男尊女卑」を維持しようとする生物のことであり、年長の男性を指して言う言葉ではない
こんな日本に誰がした!という答えにいやいやそんな、と思いながらもそうでもなければこんな風なことがまかり通るのおかしいよねとも変に納得してしまう。
どんな革命が起こり、どんな畳まれ方をしたのか具体的には描かれていないが「きれいに畳まれた」のは確かでそれはほっとする。
家父長文化、ミソジニーが色々書かれ、その象徴としてアイドル文化が出てくる。
アイドル文化を批判しながらそのアイドルに救われるジレンマ。だってそもそも芸能界を牛耳ってるのは「おじさん」たちなわけで。
K-POPの女性アイドルとの比較もアイドルに詳しくないけどわかる。
「アイドルとは愛でるもの」に完全にシフトしたのはいつなのか「アイドルとは憧れるもの」であったはずなのに。ハロプロとK-POP贔屓の友人がいて彼女にとってアイドルは年下であっても「憧れるもの」だったことを思い出す。
男性アイドルも「愛でる」対象として見ている女性も多いがまだやはり「憧れ」成分も女性アイドルに比べれば多い。
作中元アイドルの女性にとどめを刺したのが「ファンとの夢小説(R18)」を送り付けられたことというのがオタクとしては冷や汗ものだが、その後彼女自身二次小説を趣味とするのが二次小説を全部アウトとしているのではなく、一方的な性ファンタジーを『子ども』に受け入れてもらえると思いこんでいるのがやばい。
相手を「愛でる」ために「無垢」「健気」「幼稚さ」を求めるのに「ケア」「許容」は大人としてのものを当然として要求する「おじさん」が作った女のあるべき姿。そりゃ畳むしかないこの世界。
彼女たちが起こす革命、スタンガン、デモ、タメ口は現実の私たちにも手が届きそうだがなかなか難しい。でもどこかで始まりかけているというのがこういう小説の出現がその証拠だと思う
Posted by ブクログ
備忘録:
P124: もしこの場所がもっと違ったらもっと対策がちゃんと取られていたら、今のように耐えたり諦めたり声を出したり出せなかったり、抗ったり闘ったりしている時間を日本の女性はどう過ごしていたのだろう。すとれっすや悲しみや怒りや諦念の代わりに何を感じていたのだろう。それが本当に想像できない。
魂は減る。敬子がそう気づいたのはいつの頃だったか。魂は疲れるし魂は減る。魂は永遠にチャージされているものじゃない。理不尽なことやうまくいかない事があるたびに魂は減る。魂は生きていると減る。だから私たちは魂を持続させて長持ちさせて生きていかなくてはならない。そのために趣味や押しを創るのだ。30年以上生きてきてどれだけ万単位チャージしても100%ではない。
P197: 今の十代二十代ぐらいになると違うのかもしれないがこれまで自分はこうゆうシーンに何百回も同遇しているしされたことも場をしのぐためにしたこともある。相手が自分よりも低い存在だと暗に示す行為、マウントは女同士のそれが一時期話題になり女は怖いという文脈でかたあっれたが自分に言わせると息を吐くようにそれをやるのは、むしろ一般的な男の文化だ。自分たちがマウントをしているということに気付かずに男がこわいという切り取られることもないまま無邪気にやり続けている。いじりといじめ、束縛と友情を取り違えたまま、男の文化は何十年も、もしかしたら何百年も膠着している。
Posted by ブクログ
非常に面白かった。
最初に、「おじさん」から少女が見えなくなった世界であることが示される。
現実ではない、仮想世界の物語かと思って読んでいくと―
現代の女性たちが直面するさまざまな理不尽なことが、これでもか、と挙がっていく。
セクハラを訴えて職を失った30代の女性、敬子を軸に、何人もの女性の生活が、次々と提示される。
・非正規社員の女性へのセクハラとそれをもみ消す会社
・女性が楽しむことを非難する雰囲気
・女性の自己主張へのタブー視
・女性の外見を問題にする文化、特にアイドルへの圧力
・女性の身体の自己決定への侵害
・女性の体への性的なまなざし
・ワンオペ育児
これが、地球環境を保全するため、国家を仕舞うためのくじに当たった日本の、緻密で効果的な施策の結果だった―というあたり、非常にシニカルだ。
そして日本は何もない、緑なす土地になり、ここに魂となった女性たちが浮遊するという結末。
なんとなく、井上ひさしの『吉里吉里人』が思い出された。
どちらも地縛霊とか、魂だけが滅んでいく国について語っていたという構図が、最後に明かされる点で似ていると思ったから。
でも、吉里吉里人は、日本に接収されて終わった。
本書では、日本ごと滅びる。
「女性ならではの観点で、日本を立て直す」などという、おじさん世界のおとぎ話に収斂することも避けたのだな、と感じた。
Posted by ブクログ
◾️record memo
敬子は、信じられないような気持ちで、彼女たちのことを見た。衝撃、としか形容できないショックを敬子は受けていた。
日本の女の子たちは、とても頼りなく見えた。
それまではそんな風に一度も思ったことがなかったのに、日本とは違う国で一ヶ月間過ごし、外から帰ってきた敬子の目に、それは明らかに異質なものとして映った。
まず、声が小さかった。
日本の女の子たちは、かわいらしい、誰も傷つけることができないような声をしていた。
最弱。
突然、その言葉が降ってきて、敬子は驚いた。
そう、敬子には、日本の女の子たちが最弱に見えた。とても弱々しい生き物に。その事実に、敬子は脅威を覚えた。
一ヶ月間、敬子が目にすることのなかった格好をした女の子。日本の女の子。
日本で生まれ育った敬子は、そのときはじめて「日本の女の子」という生き物に出会った気がした。
面白いのは、ダボダボの厚手の服を着てキャップをかぶったボーイッシュな女の子も、核の部分は同じに見えることだった。つまり、突き詰めると、服装が理由ではない。
これでは負けてしまう。
敬子の頭の中になぜだかそう浮かんだ。
何に?
誰に?
行き交う人たちの、イヤフォン率の高さ。なにしろプレイボタンを押すだけで、好きな歌が聴いている人それぞれの日常を救いにくるのだ。
片っ端からイヤフォンをしている人たちの肩を叩いてまわり、わかるよ、と敬子は声をかけたい気持ちになった。
どんな情報にも容易にアクセスできる今なら、アイドルを搾取し消費する構造などとっくにわかっているのに、それでも、彼女たちに惹きつけられてしまう。社会という搾取と消費の構造の中で生きている敬子たち市民だからこそ、惹きつけられるのかもしれなかった。その構造の中で生き抜くことが、どれだけ大変で、難しいことかわかっているからこそ。
あの瞬間、前に働いていた会社の会議室で、敬子の主張などはなから信じる気もなかった数人の「おじさん」から見下したような目で睨めつけられた瞬間、敬子は覚醒した。この目を知っている、この目が私はずっと大嫌いだった。私のことを物のように見る、人間扱いしないこの「おじさん」の目が。大嫌いだった。大嫌いだ。
魂は減る。
敬子がそう気づいたのはいつの頃だったか。
魂は疲れるし、魂は減る。
魂は永遠にチャージされているものじゃない。理不尽なことや、うまくいかないことがあるたびに、魂は減る。魂は生きていると減る。だから私たちは、魂を持続させて、長持ちさせて生きていかなくてはいけない。そのために趣味や推しをつくるのだ。
身長一四九センチの香川歩は、もともとナメられやすい外見をしていた。この日本社会でナメられやすい外見をしているとどうなるか、歩は身を以て学んだ。学校の制服を着ていなかったとしても、今度は、会社勤めの女性らしい服装という制服を着ることになった歩は、相変わらず混雑した電車に乗ると警戒したし、夜道は彼女の味方ではなかった。それに、どうしたって、女性という制服は脱げない。
一見、御しやすそうに見えるせいか、歩は男たちから勝手な好意を寄せられることも少なくなかったが、寄ってきたと察知するやいなや、彼女はあらゆる言葉と行動で、相手のファンタジーを粉砕することに努めた。どの年齢の彼らも、おしゃべりで、声が大きくて、対等に話そうとしてくる女をなぜか忌み嫌っていたので、ある意味簡単ではあった。寄ってきた男たちが引き潮のように引いていく瞬間は、今、何時何分です、とはっきりデータに取れるほど明白で、歩はそのたびに確かな手応えを感じた。
それでも、歩は非力だった。
私も少なくとも、柔道や合気道を習っておくべきだったのではないか。わりと本気で歩は後悔していた。なぜ幼い頃の私は、近所のピアノ教室にふわふわと通って、バイエルをやっていたのか。学びたかったのは、殺しのバイエルだったのに。あまりにも非力なまま、私は社会に放り込まれてしまった。誰も守ってくれない世界に。
注文後、すぐに届いたピンク色のスタンガンは、それ以来、歩と行動をともにしている。本当に使うときが来るとは、彼女自身も想像していなかった。それはお守りのようなものだった、日常を生きていくための。
「は、おまえ、マジ何言ってんの?」
考えてみれば、敬語とか丁寧語とかって、自分が尊敬している相手に使うものじゃないのか。
歩は、目の前の男を尊敬どころか、心底軽蔑していた。軽蔑しているやつに、歳が上だから、男だからって敬語を使わなければこっちが失礼だなんて、言葉の設計がおかしくないか。
話はずれますが、「男性を立てる」という表現は、とても不思議だとわたしたちは思いました。まるで、男性は一人では立っていられない、自立ができない、骨と筋肉がぐにゃぐにゃの、めずらしい生き物のようです。あまりにも女性のケアを必要としていたようなので、もしかしたら、実際にそうだったのかもしれません。写真が記録に残っていないのが残念です。
こんな常に防衛するのが当たり前の、「毎日がレジスタンス」な日々のために、敬子の元同僚の香川歩は、ピンクのスタンガンを常に持ち歩いている。お気に入りのなにかが、友だちのように寄り添い守ってくれるあの感じは、私もよく知っている。敬子にとってのピンクのスタンガンは、あるときから猛烈に夢中になったアイドルグループの一員である××の存在だ。