【感想・ネタバレ】垂直の記憶 岩と雪の7章のレビュー

あらすじ

2002年秋、山野井泰史は、ヒマラヤの難峰ギャチュン・カンに単独登頂後、下降中嵐につかまり、妻・妙子とともに決死の脱出を試みて奇跡的に生還した。 この衝撃的な生還を機に、自らのクライミングの半生を振り返り、難ルートから挑んだ高峰への思いを綴る。 すさまじい登攀への思いと「日常」の生活も著わした、氏の再起への物語でもある。 2004年に刊行された書籍の文庫版を電子化しました。

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Posted by ブクログ

沢木耕太郎さんの『凍』を読んで山野井泰史さんのことをもっと知りたくなったので、彼自身の本を読んでみた。
専門用語が多すぎてその都度Google先生で調べながら読んだけど、「すごい」という言葉以外出てこない。
超人というより狂人。
ご本人も何かのインタビューで『僕って山のことを思うともう発狂しちゃうんだよね』みたいなことおっしゃってたけど、ほんと狂ってる。
山以外のことには無頓着で物欲もない。
奥さんの妙子さんは山と台所の人。
とにかく2人が人間として魅力的でした。
リアリティがある分、『凍』よりも心に深く響いた。

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2024年05月28日

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最後のギャチュン・カンは、まるで新田次郎さんの山岳小説を読んでいるような臨場感でした。これが自伝なのが凄いです。「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」人間は弱いが故に、山に登るのかもしれませんね。あまり知らなかった山野井さんを垣間見られた一冊でした。

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2022年08月20日

Posted by ブクログ

あたかも自分が世界の壁を挑戦して生きているような気分にさせられる。
人生全てを山にかけて生きる。結婚も生活すらも全て。山で過ごしたい、登っていないと生きていけないという価値観も自分ももちあわせている想いそのものだった。
ギャチュンカン北壁の生還記録。ただ運が良かった訳ではなく、凍傷になろうとも技術を駆使し、残った体力を絞り出しての生還。彼らだから生還したと思った

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2021年08月22日

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壮絶のひとこと。日本を代表する偉大なクライマーであり、数少ない真の冒険者。こんな人間が時代に一人くらいはいないと世の中つまらない。

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2020年09月09日

購入済み

極限のクライマー

ギャチュンカンの出来事は知っていたけど、改めて読むと壮絶すぎて、他のアルピニストが皆ただのハイキングに見えてくる。

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2020年03月30日

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書くことはあまり好きではない作業とのことですが、このような記録を残していただきありがとうございます。
挑戦を続ける方の、このような文章を読めることに感謝です。

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2018年05月03日

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やっぱりちょっとスゴすぎる。読みながら風が強まり、気温は下がり、酸素が薄くなる思いだった。最終章「生還」の後半はずっと鳥肌。まったく大げさでなく淡々と書いているのに、あまりにも恐ろしい状況がリアリティを伴って迫り、そこから生きて帰る信じられない精神力に胸を締め付けられる。こんな世界があって、こんな世界を自分と同じ人間が経験しているんだと。そして今もなお挑戦を続ける。奥さまも含めてまさに彼らこそが子どもたちや我々に夢を与えてくれ、尊敬に値する生き方をしている人だと思う。
高所恐怖症の私は、なだらかな丘からの絶景をのんびり楽しむことにします。

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2015年05月31日

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山野井泰史氏は、登山好きな人なら多くの人が知る日本というか世界を代表するクライマー。テレビの情熱大陸で紹介されたことがあり、動画検索してまずはどんな人かを知ってもいいかもしれない。妻の妙子氏も世界的なクライマーであり、夫婦2人で難所にアタックしている。

夫婦共に、手足の指の多く(妙子氏はほとんど全部)を凍傷で切断しているのだが、特にその原因になったのが、2002年ギャチュン・カン北壁へのアタック。その様子は、沢木耕太郎「凍」にも描かれていた。「凍」で私が印象に残っているのが、8000mに迫らんとする断崖絶壁でロープをブランコのようにして夫婦2人耐え忍んだ情景。

本書ではその、凍傷で指を失ったアタックの様子を本人、一部は妙子氏の記述を交えつつ知ることができる。

なんつーか、ギャチュン・カン北壁へのアタックも、妙子氏の調子が上がらず、「降りる」といっても泰史は普通に頂上までのアタックを続行するし、雪崩にあって妙子氏が落下したなかで、泰史は助けに向うわけだが、目も見えなくなるわ、厳寒の中で指先で岩肌を探るために既になるわ、ともう読んでいられないような記載が満載で、心臓に悪いったら。

絶壁を降りきった後も、仲間の居るキャンプまでは氷河上を延々と歩く必要があった。食事も殆ど出来ず、体力は限界な中、最後に泰史は歩みの遅い妙子氏を置いてキャンプまで先行することを決め、生きて再会できるかわからない妻の写真を撮る。2人とも生きていることを知って読んでいるはずなのに、本当に大丈夫なのかという気持ちが頭を離れない、そんなギャチュン・カンのアタックが最終章。

他の章でも泰史氏のほとんどがソロ(単独)で難所へのアタックをする中での氏の思考過程やら、名クライマーならではの技術的記載などがあって、時折読むのが辛くなりつつも夢中で読めるのが本書である。

泰史氏は、山で死ぬことが出来たら後悔しないようだが、頼むから死んでほしくないと、一読者として強く思う。

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2015年01月12日

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国内最強のクライマー山野井泰史。ギャチュンカンの単独登頂で両手両足合わせて10本の指を失う。その登山を「最高の登山だった」と言い切る彼は、自身の言うように、「山で死ぬことを許された」男だろう。ちなみに同行した奥さんはこの登山で18本の指を失っている。それでもいまだ山に登り続けている。

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2013年11月19日

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クライマー山野井康史さんのエッセイ

沢木耕太郎の「凍」のモデル。

名誉や名声ではなく、真摯に生きることをたんたんと続けている。パートーの妙子との関係も爽やかに描かれている。

山に登ることのヒリヒリするような感覚が誠実に書かれていて、感動した。とりわけ第七章 生還は、息詰まるような困難な下山の様子に改めて感動した。

心に残った言葉

下降するにつれて緊張感が緩みだし、同時に悲しさが湧いてきた。...,,.,.
はたして人は大きな夢を現実にした瞬間が最も幸せと言えるだろうか。僕は上に向かって前進しているときが、一番幸せのようなきがしてならない。

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2013年08月09日

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ネタバレ

沢木耕太郎氏の凍を呼んでから、本人の作へという流れで読みました。
本人にしか分からない、登攀中の心境などが良く分かり引き込まれました。
特に引き込まれるのは、やはりギャチュン・カンについての章だった。
極限の状態でおきた幻覚?のような現象は、山に命をささげるかのような生き方をしてきた山野井氏にしか起こりえないことのような気がした。

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2013年04月27日

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山野井夫妻の山への純粋な思いが詰まった一冊。私のような俄かクライマー登山好きには到底計り知れない極限世界での体験が凝縮されているが、著者の訥々とした語り口に「孤独と興奮と絶望と冷静さ」がにじみ出ていて読んでて震えが止まらなかった。最近読んだノンフィクションでは群を抜いている。ありがとう、山野井さん。「出来そこないの君たちに僕が正しい生き方を教えてあげよう」という横柄極まりない自己啓発本ではなく、こういう本が多くの人の手に届きますように。

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2013年04月09日

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世界的なクライマー、山野井泰史さんの山の記録。沢木耕太郎の『凍』を読み、非常に興味を持った。本人の手による文章は迫力があり、臨場感がある。8000m級の山の怖さ、生命の危機、苦難を味わっても、山の頂を目指す精神力には感服する。

七つの山の記録であるが、レディース・フィンガーの高度感には恐怖を感じた。『凍』でも取り上げられた最後のギャチュン・カンからの生還の記録は、凄まじい。

山岳小説、登山の記録、ドキュメントは、昔から好きで読んでいるが、その中でも、この記録は迫力と臨場感が群を抜いている。

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2012年12月11日

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「ソロ」「凍」のモデルになった山野井さんご本人の山記録です。この人の前世はもしかして山?と思ってしまうくらい、山以外の無駄を削ぎ落として生きてこられてます。「普通」に流されたりしない凄く強い人。
自分が思っていた贅沢、幸せ、価値観を考えさせられます。山野井さんの存在を知れて本当に良かった。

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2012年08月26日

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世界的なクライマー山野井さんの登攀歴の一部を紹介している本。
以下の下りが最も心震えた。
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いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない。仮に僕が山で、どんなに悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくない。登山家は山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでも良い人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。
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私も、山で死んでもよい人間になりたい。

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2012年07月02日

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文庫になっていたので、沢木耕太郎の「凍」とあわせて読みました。
壮絶な話だし、専門的な部分もあったりするのに、一気に読ませる文章。
山野井さんのやってることに共感できる訳ではないのに、この本を読み進めるにつけ、山野井さんという人間の魅力にどんどん引き込まれた。
この本をきっかけに、その後登山家ものを読み漁っています。

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2011年10月06日

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山野井泰史(1965年~)氏は、世界各地の大岩壁や未踏の山々に新たなルートを切り開き、南米パタゴニアのフィッツ・ロイ冬期単独初登攀(1990年)、世界第6位の高峰チョ・オユー南西壁新ルート単独無酸素初登攀(1994年)、世界第2位のK2南南東リブからの単独無酸素初登攀(2000年)等の実績を持つ世界のトップクライマーのひとり。2021年には、クライミング界のアカデミー賞とも称され、アルパイン・クライミング界で著しい業績を残し、次世代のクライマーたちに多大なる影響を与えた者に対して贈られる「ピオレドール・生涯功労賞」を、アジア人として初めて受賞した(過去の受賞者はラインホルト・メスナーなど僅か12人)。クライミングのスタイルは、単独(または少人数)、無酸素、未踏・難ルートを重視するものである。妻は同じく登山家の山野井(旧姓長尾)妙子。
私は、自らは山に登らない普通の会社員だが、登山や、いわゆる冒険を描いたノンフィクションは好きで、山野井氏に関しても、本書にも書かれている、世界第15位のギャチュン・カン北壁の登頂・生還(2002年、妙子と臨んだギャチュン・カン北壁の登攀において、登頂に成功したが(妙子は体調不良で断念)、下山中に嵐と雪崩に巻き込まれ、瀕死の状態で生還した。その際に負った重度の凍傷で、両手の薬指と小指、右足の全ての指ほか計10本を切断)を、沢木耕太郎が描き、講談社ノンフィクション賞を受賞した『凍』や、2作目の自著『アルピニズムと死』(2014年)を読んでいる。
本書は、ギャチュン・カン登攀後のリハビリ期間中に執筆された自著1作目で、それまで12年間に18度挑戦したヒマラヤの高峰登攀の中から、1991年のブロード・ピーク、1992年のメラ・ピーク西壁(敗退)とアマ・ダブラム西壁、1994年のチョ・オユー南西壁、1995年のレディーズ・フィンガー南壁、1996年のマカル―西壁(敗退)、1998年のマナスル北西壁(敗退)、2000年のK2南南東リブ、2002年のギャチュン・カン北壁のクライミングについて綴ったものである。
『アルピニズムと死』でも、山野井氏の過去のクライミングのことは多数描かれているのだが、同書では、通底するテーマが、若い頃に「あいつが一番死ぬ確率が高い」と言われながら、何故それまで死なずに山を登り続けてこられたのかに置かれているのに対し、その10年前に書かれている本書は、ある意味、本人の備忘と言えるくらいに、その時々の思いがピュアに綴られているような気がする。
なぜ、実力派クライマーと言われる人々の中で、山野井氏は生き残り、他の何人かは亡くなったのか。。。本書の中でも、氏は、自分は常に、冷静かつ慎重に自分の体調や状況を分析し、判断している、と書いているが、おそらく、その問い自体にあまり意味は無いのだろう。彼らが挑戦するようなレベルのクライミングにおいて、確かな実力と優れた分析・判断力を持つことは、生き残るための必要条件ではあっても、十分条件であるはずはない。
前著のレビューにも買いたが、一度限りの人生をどのように生きるかは、(他者に迷惑を掛けない限り)それぞれの自由であり、よって、山を選んだ人たちが、仮に山で死んだとしても、それが幸せであったか不幸であったかは当人以外にはわからないし、わかる必要もないだろう。
必ずしも起伏の大きくはない日常を送る私(たち)にとっては、そうした人たちの人生に触れて、生に対する刺激を分けてもらう、そういうことなのかも知れない。
(2024年5月了)

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2024年05月22日

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筆者の山野井泰史は有名な登山家(クライマー)だ。登山に親しみのない私がこの本を読もうと思ったきっかけは、沢木耕太郎の「凍」だ。「凍」は、山野井泰史と、その妻で同じく登山家である妙子を主人公としている。
2002年秋、山野井夫妻は、ヒマラヤのギャチュン・カンと呼ばれる難峰に挑み、泰史が単独登頂に成功する。しかし、下降中、嵐につかまる。夫妻は奇跡的に生還するが、泰史は手足の指のうち10本を凍傷で失ってしまう。また、妙子も凍傷で傷つく。
沢木耕太郎の「凍」を読んだのは、随分昔の話なので、細かいところは忘れているが、山野井夫妻を主人公とし、このギャチュン・カンからの奇跡の生還を題材にしたものだったと記憶している。
本書で山野井泰史は、登山家としての自分自身の経験(実際の登頂・登攀の成功と失敗の経験を含め)を語っている。そのうちの第七章が、そのものずばり「生還」という題で、この時の奇跡の生還について自ら語っている。それは、本当に奇跡的なものだと感じる。沢木耕太郎の「凍」も、とても面白く読んだ記憶があるが、本人が語る生還物語は迫力に満ちていた。
また、本書あとがきで、山野井泰史は、一種の「後日談」を語っている。
10本の指を失くした山野井泰史であったが、山への想い断ちがたく、2004年以降、再び登頂・登攀に挑戦を始める。指を失う前のようなパフォーマンスを示すことは出来ないが、それでも、素晴らしい実績をあげている。
登山経験がない、あるいは、あまり興味がない人にも面白く読める本だと思う。

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2023年06月08日

Posted by ブクログ

沢木耕太郎の書いた「凍」に比べるとクライマー自身が書いているので素人には少し分かりにくかったりするが

生きるか、死ぬかの壮絶な岩登りなのに本当に楽しそうな記述があり登った人にしかわからない気持ちなのだろうと思う

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2022年03月20日

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山野井泰史さんが登山家として名誉ある賞を受賞したと聞いたので手に取ってみたが・・・それは予想を遥かに超えた凄まじい挑戦記だった。雪崩の中での奇跡的な生還、意識朦朧となりながら、視力を一時的に失い、凍傷になりながら、下山していく。事実が淡々と語られていくだけにズシリと重く、沈痛に響く。それでも山に登るのか。信じられない気持ちで本を読み終えた。

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2022年01月15日

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凄まじかった。「凍」で描かれたギャチュンカンも本人の言葉で綴られると、また新たな迫力。「山は死のリスクがあり、まれにその意味に疑いを持つものの、山でこそ輝ける人がいる」という言葉は、とても共感できた。
また、「僕は山で死んでも許される人間」という衝撃の言葉は山で生き残るために全力を尽くし続けてきた著者だからこそ強い説得力を持つ。

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2020年10月28日

Posted by ブクログ

ブロード・ピーク、アマ・ダブラム、チョ・オユー、マカルー、K2など、ヒマラヤやカラコルムの名だたる嶺々への挑戦が語られているが、本書のハイライトはやはりギャチュン・カンだと感じた。沢木耕太郎の『凍』で描かれた凄絶なドラマ。

紙幅の違いもあって『凍』より簡潔に話が進み、筆致は淡々としていて、話を盛るような感じも一切ない。そして何よりスポンサーに頼らず、普段は清貧に徹して登山だけに集中する生き方が潔い。

文庫のあとがきには「最近は実力もないのに名前ばかりが先行しているようで、これで文庫として改めて出版されると、ますます恥ずかしさも倍増しそうです」と書かれている。世界的な登山家でありながら、どこまで謙虚なんだろう。

ちなみにネットを検索してみると本人のブログがあった。更新は少ないながら、今年も一つの記事がアップされている。また本書が出版されたのが2004年3月、『凍』は2005年9月なので、沢木も当然本書も読んで『凍』を書いたと思われる。

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2020年04月29日

Posted by ブクログ

(感想を書き忘れてたのに気づいたのでリアルタイムな感想ではないですが)クライマーの本を読むのは初めてでしたが、記録を元に脚色を極力抑えて人に伝えようとする姿勢、決意が伝わる文章で、とても静かでとても小さいけれども密度の濃い内容でした。こういう人が存在してるっていうのがわかるだけでも、めっけもんかなと思います。

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2020年01月24日

Posted by ブクログ

元々、山野井泰史氏のことは沢木耕太郎氏著『凍』でその存在を知ったが、沢木氏の描いた山野井氏とは別の凄さがこの本から伝わってくる。『凍』が緊張の本であったなら本書は「解」といえるかもしれない。凄まじい体験を圧倒的な生命力で包み込んでいる気がする。

題名は『垂直の記憶』だが、彼が登攀するのは垂直ではなく90度以上のオーバーハングした岸壁である。単独登攀に拘り10本の手足の指を失ってもなお挑戦する彼の姿は、人間の生き甲斐とは何かを考えさせられる。山野井氏が度々語る、限界に挑戦して乗り越えたときに感じる「生きている実感」とは登山含め限界へ挑戦する者たちの本質を突いた言葉である。

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2018年03月26日

Posted by ブクログ

単行本で読んだが、文庫版も登場。
日本が世界に誇るトップクライマー、山野井泰史の数々の挑戦の中から7つの山を取り上げたもの。

もっともっと全ての記録を知りたいが、7つの記録だけでも普通の人にはとてもできないものばかりだい。

山野井さんの山への思い、考え方、向かい合う姿勢が良くわかる一冊です。

いま、このようなクライマーはとても少なくなっている。
引き続き、頑張って欲しい。

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2015年11月15日

Posted by ブクログ

登攀への想い、自らの限界に挑む飽くなき向上心。
それもここまでいくともはや狂気。

感動の登頂も、決死の脱出劇も、
どれをとってもとにかく壮絶。
久しぶりの心揺り動かされる読書体験でした。

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2015年11月12日

Posted by ブクログ

自分の長所短所を冷静に語っている
過酷な体験を淡々と文章にしている

忙しい合間に読んでしまったので再読したい

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2013年11月06日

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ネタバレ

日本を代表する登山家山野井さんの自伝的な作品。

正直、こんなすごい人が日本にいたのか!?とまずビックリ。数々の難峰に挑む著者の姿がひたすらリアルに描かれる。

指を何本もなくし、眼球が凍るような死線をくぐり抜けてなお山に向かう姿は尊敬を通り越して鳥肌が立つ様な思いだ。

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2012年10月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

体力の無い私は山登りをしているとすぐに呼吸が浅くなる。
そんなとき、深呼吸をして、なんとかいつもの自分の呼吸を取り戻そうとするが、
とにかく歩かなくては、と足をつとめて前に出そうとするときには、
呼吸にまで気を回すことができなくなっている。
結果、少ない体力がさらに奪われることになる。
厳しい山に登っているわけではないのに、あのキツさ。
本書「垂直の記憶」に出てくる山の厳しさとは比べるべくも無いだろうが、
淡々と語られている山の厳しさに、まるで自分も近くに入るような気がして、時折呼吸を忘れた。
「早く、早く安全な場所まで降りてきて」
そう祈りつつ、最後のページを終えたときは、
安堵のため息がもれた。

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2011年07月18日

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ネタバレ

世界的クライマー、山野井泰史による自著伝。
山を登る上での臨場感、まさに死の淵と呼ぶにふさわしい場所に赴いた人間だからこそ語れる本著。
過度に装飾しないからこそリアルだね。特に第7章のギャチュン・カン北壁なんかは、当人からすればなんてことない難易度のはずが、自然の気まぐれでふるい落とされるという残酷さをはらんでいる。

何故山に登るのか?───そこに山にあるからだ。
というやり取りは有名だけど、山野井氏は「山で死んでも仕方がない」と別口で語る。いや、もしかしたら自分の往くべき道を見つけた人というのは、実際そういう心持ちなのかもしれないなあ。

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2025年03月31日

Posted by ブクログ

初めて読んだ本格的な登山家の本。感心し、この方の動画を漁ったが、それも素晴らしい。特に夫婦の関係性。

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2016年07月08日

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