あらすじ
「ごめんなさい。やっぱり私はあいつと戦います」平凡な高校生・山本陽介の前に現れたセーラー服の美少女・雪崎絵理。彼女が夜な夜な戦うのは、チェーンソーを振り回す不死身の男。何のために戦っているのかわからない。が、とにかく奴を倒さなければ世界に希望はない。目的のない青春の日々を“チェーンソー男”との戦いに消費していく陽介と絵理。日常と非日常の狭間の中、次第に距離が近づきつつあった二人に迫る、別れ、そして最終決戦。次世代文学の旗手・滝本竜彦のデビュー作。
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根性なし
ラジオドラマ、漫画、映画と様々なメディアミックスがなされましたが、ラジオドラマ版の出来は秀逸。渡辺の曲のシーンとか。映画版の挿入歌もあれはあれで好き。
少し不思議で後ろ向きな青春。
とにかく私はこの小説を推します。
Posted by ブクログ
燃えるだけが戦いじゃない。
『NHKにようこそ!』で有名な小説家、滝本竜彦のデビュー作。
非常に面白かった。滝本竜彦はエッセイのみを読んだことはあるが、随分と破滅的な駄目人間という印象だった。この小説を読み終わった後もその印象は変わらなかったが、小説家としての手腕に関しては舌を巻いた。こういう小説は若い時にしか書けない。若い時にしか書けないものを、ありのままに書いている。その真っ直ぐな素直さと透明感のある世界観が非常に優れていた。荒唐無稽なことは問題なのではない。あまりにも素直な小説であることが、重要なのだ。
あらすじ
山本陽介は下宿で一人暮らしをしている高校生である。ある日、気紛れで万引きをするが、その帰り道で謎の美少女、雪崎絵理と出会う。降り積もった雪の中で絵理が待っていたのは、チェーンソーを持った不気味な不死身の男だった。
陽介は絵理からチェーンソー男と戦っていること、相手が不死身であることなどを聞く。何もない日々に嫌気が差していた陽介は、単純に「女の子を助けたい」というヒーロー願望から絵理と共にチェーンソー男打倒に奮闘することとなる。だが実際には陽介は戦闘の役には立たず、チェーンソー男が出現する地点への自転車漕ぎとして働くこととなる。やがて陽介は日々続く深夜の死闘故、成績を落とし始める。絵理と二人きりの勉強会を画策するも失敗に終わる。陽介は追試に怯えながら、親友である渡辺の作曲の手伝いなど、日常を過ごしていく。日常の中、バイク事故で亡くなった親友能登弘一のことを偶に思い出したりもする。だがある日、陽介は東京にいる両親から、引っ越して来ることを命じられる。転校を絵理に告げたその日から、チェーンソー男は威勢を増す。絵理の敗北と死を危惧した陽介は、絵理に戦いをやめるよう幾度も説得を試みる。話し合いの最中、絵理が語ったのは家族の死とチェーンソー男の因果関係であった。チェーンソー男とは、この世の悪の具現なのだと。チェーンソー男を葬らない限り、不幸はなくならないと。しかし、不幸とは初めからこの世にあるものだという洋介の言い分に、絵理は結局納得し戦いをやめることを約束する。転校前々日、陽介は渡辺が初めて作った曲を聴き、生前の能登が書いたという詩を読む。その感傷と酒の勢いから、陽介は転校をやめることを親に告げる。
転校を取りやめたことを絵理に伝えようとするが、陽介は絵里がたった一人でチェーンソー男に戦いを挑むと書いた置手紙を発見してしまう。バイクを盗み、絵理の元に駆けつける陽介。バイクでチェーンソー男を轢き殺し、能登に対し叫ぶ。「生きている俺が羨ましいだろう!」
『ノルウェイの森』といい、『世界の中心で愛を叫ぶ』といい、青春恋愛小説には主人公とヒロイン以外の何者かの死が序盤で語られることが多い気がする。そこに象徴的な意味や技術的な意味があるのかは分からないが、この小説はその何者かの死を最大限に尊重していた。少なくとも男女が出会うためだけの道具にはしていなかった。主人公、山本陽介とヒロイン、雪崎絵理は共にそこまで個性的ではない。絵理にはナイフを投げて戦う戦闘美少女という設定があるが、設定に過ぎず、本人に個性がある訳ではない。他の友人や教師などのキャラクターも含め、どこかにいそうな普通の人間ばかり出てくるが、中でも最も尖っているのはバイクで亡くなった陽介の親友能登弘一である。何かに怒っていて、何かと戦っていた弘一はその結果バイク事故で命を落としてしまう。飽き飽きとする日常や保身に対する怒りと不信感、世界の悪しき面への憎悪などを募らせ、暴走させた結果であった。能登は主人公の憧れの存在であり、同じくして対比される影の存在でもあった。全く同じ感情を根っ子で抱きながらも、憤る能登とへらへらと笑う陽介は親友でありながらも全く対照的な存在であった。能登の戦いをバイク事故としてバックストーリーとして描き、陽介の戦いをチェンソー男との死闘として本編で描いているが、二つの根底にあるのは誰もが一度は抱き得る、「非日常への衝動」である。どこにでもいそうな等身大の登場人物を描きながら、能登と陽介のスタンスを対比させることによって、「非日常への衝動」への決着の着け方を描いている。
ストーリーはセカイ系に属するジャンルだが、非常に小規模な形に収まっている。戦闘美少女が主役で、チェーンソー男が実在しながら、警察組織などの社会的要素は一切省かれている。だが小規模故に、セカイ系特有の荒唐無稽さは控え目である。町の中で起こる神出鬼没のチェーンソーを持つ不死身の怪人との戦い。荒唐無稽なのは怪人が出てくるからに過ぎず、二人の関係の進捗は現実的だ。二人しかいない、何らかの小規模な部活で、二人で目標を立てて地道に頑張る物語があったとしよう。その部活と目的を荒唐無稽な暴力的な何かに摩り替えたものが、セカイ系なのである。部活やバイトではなく、暴力的な何かで青春を描くのがセカイ系の肝だ。また暴力的な何かである必然性とは、少年少女が戦う相手が実体の存在しない恐ろしい何か、端的に言えば「日常・現実」といった類のものだからである。「日常・現実」という実体のない相手と戦うためには、仮想敵が必要になる。その仮想敵がこの小説の場合、チェーンソー男なのである。戦争などで国民の士気を高めるために仮想敵を作り、レッテルを張り差別的な物言いで罵るのは常套手段である。日本で有名なのは「鬼畜米兵」、「アカ」などだろう。だが戦争が他国の打倒を目的にしているのに対し、セカイ系は実体のある何かの打倒を目的としていない。故に実体さえも作り上げねばならず、暴力的かつ荒唐無稽な怪人などが生まれるのである。だが逆に、仮想敵を生み出せなかった能登の戦いは、ガードレールに無闇に突っ込むという非生産的かつ衝動的な、「犬死に」と言われても仕方のない不透明な戦いとなったのだ。「敵」という緩衝材のない戦いに挑み死亡した能登に対し、「チェーンソー男」という緩衝材のある戦いに挑んだ洋介は綱渡りはするものの一命は取り留める。逆説的ではあるが、敵がいたからこそ戦いに勝利し生存することができたのである。敵のいない戦いに勝利も敗北も存在し得ないからだ。そこに死が伴うならば、無意味な死となるしかない。だが仮想敵を作り上げたのは、主人公ではなくヒロインの方である。主人公は乗っかったに過ぎない。二人はそういう意味では共犯者であり、チェンソー男に対し絵理は「現実への憎しみ」を、陽介は「日常への憤り」をそれぞれぶつけている。だがこの戦いの勝敗は歪で、現実を認め、日常を受け入れることこそが真の勝利条件であり、チェーンソー男はいないという敗北を認めることこそが勝利であり、チェーンソー男はいると敵対し続けることが敗北なのである。結局、二人の戦いは勝ち得ない「セカイ」に対する蟷螂の斧に過ぎない。だが戦わねば勝ち得たものの価値に気づけないのも事実なのだ。「現実・日常」の価値を知ること。それが此度の戦いの目的だったのである。
世界観はセカイ系の想像力に由来するが、何より優れているのは青春時代への真摯な視線である。理想化し過ぎず、現実的にし過ぎない。非常に程好い塩梅で等身大の青春を描くことに成功している。ヒロインの挙動や主人公の思想は作者の好みに大きく由来しているが、二人やその他の人物を取り巻く空気は、果てしなく現実の日常に近い。誰もがずば抜けて善人でもなく、悪人でもない。どいつもこいつもどこにでもいる。そのありのままを描けていることに非常に感心した。美化も卑下もされていない青春が素直に心に入ってくるのは、青春の普遍的な部分を上手に切り取ることに成功しているからに他ならない。この小説では、この青春の描写が最も優れている。
テーマは「現実・日常」への反抗期を題材にしているが、世界観との親和性が非常に高い。自転車に乗って美少女運び、深夜にチェーンソー男との戦いを応援し、帰宅し目覚めて学校へ。そしてまた自転車に、というサイクルがあまりに自然で、違和感がなくなってくる。こういう不思議な日々があっても良いんじゃないか、という気に自然になる。
文章は大槻ケンヂの影響が多々見られる。特に理想の少女像はほとんど大槻ケンヂの理想に依拠しているようだ。現代的ではないが、滑稽で面白味がある。また文章に凝ったところは少なく、無理なく読むことができる。解説の西尾維新の文章と比べると、読み易さが段違いで驚く。逆にここまでくどい文章を書いておきながら成功した西尾維新の意外性に気づく。
台詞はヒロインの飾らない感じや、主人公の無理している感じが非常に良い。周りを取り巻く人物も渡辺は変に気取らないし、教師や下宿のお姉さんも変に大人ぶってカッコつけたりはしない。ただ能登だけが浮世離れした物言いをする。
総合的に見て非常に面白い小説だった。若い頃に読めなかったのが悔やまれる。だが若い頃にはこの小説の巧みさや素晴らしさに気づけなかったかも知れない。先の読めないストーリーや意外などんでん返しなどは存在しないが、等身大の登場人物や世界観、物語を取り巻く空気の素晴らしさだけで一読の価値がある小説である。
キャラクター:☆☆☆☆☆
ストーリー :☆☆☆☆☆
世界観 :☆☆☆☆☆
テーマ :☆☆☆☆☆
文章 :☆☆☆☆☆
台詞 :☆☆☆☆☆
Posted by ブクログ
平凡な高校生、山本陽介の前に現れたセーラー服の美少女、雪崎絵理。
彼女は夜になると、謎のチェーンソー男と戦う。
絵理と一緒に陽介も戦いに時間を費やすことにするのだが…。
『NHKにようこそ!』というコミックの原作もされている作家さん。
最近コミックの方は最終巻が出ていたようですが、面白かったのかな。
1巻を読んで、「私には無理かも…」と諦めた作品だったのですが、2巻以降どういう展開になったんでしょう。
1巻で“合わなかった”私には続巻も楽しめないだろうか。
少年がいて、少女がいて、敵がいる。
何のために戦うのかは分からないまま、絵理は何故かチェーンソーを持つ、何故か不死身らしき、とにかく謎の男と戦う。
他にわらわら敵は出てこない。
サシの勝負(途中から絵理にはおまけ程度に陽介がついてきますが)。
男の出現場所を絵理は直感で知り、戦いの腕も上がる日々。
平凡な生活から出るチャンスとばかりに絵理についていく陽介。
ちょっぴりラブが絡みつつ、物語は進む。
泣きじゃくりながら事故で死んでしまった友達へ向けて、叫ぶ陽介に胸がぎゅっとしました。
青春の、もどかしい、やるせない気持ちをいくつかの場面で感じることができました。
何かがあるようでないようで、何かを得たようで分からないままのようで、そんな不思議な読み応えの作品です。
「面白かった?」と聞かれれば、きっと「まあまあ」と答えます。
熱狂的に面白いとほめるわけでも、けっちょんけちょんに面白くない!とけなすこともない、ちょーど真ん中。
でも、不確定で不安定で、危ういものを描いている小説ではないかと思うので、こういう感想を抱くこともアリなのかもしれないと思う。
滝本さんは「こんなのダメだよ」と皆に否定されても、「この小説を愛してやまない」らしい。
「青春」という思い入れがあるそうです。
うん、これは「青春小説」だ。
Posted by ブクログ
陽介はつまらない日常から逃避するためにずっとチェーンソー男(=能登)との戦い(遊び)を続けていたいと思っていたし、絵理は哀しいことを起こすチェーンソー男を倒そうと思っていた。この話は主人公・陽介にとってはハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか。『それでも、方法は、ある。』