あらすじ
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」東北の大金持ちの息子であり、廃人同様のモルヒネ中毒患者だった大庭葉蔵の手記を借りて、自己の生涯を極限まで作品に昇華させた太宰文学の代表作品。「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」ほかに、家族の幸福を願いながら、自らの手で崩壊させる苦悩を描いた「桜桃」も収録。(C)KAMAWANU CO.,LTD.All Rights Reserved
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Posted by ブクログ
断るということをずっとしてこなかった、できなかった葉蔵。モルヒネ中毒の前後不覚の中で、自分を信じて疑わないヨシ子が再びモルヒネを差し出した時に初めて「いや、もう要らない」と、生涯で初めて人から差し出されたものを断った。自分を信じてくれる人の前に初めて毅然とした行動を取れたところが感動したなー。
Posted by ブクログ
期待していたほど憂鬱な気持ちにはならなかった。
自分のした小さな事が周りにどのように影響するのかとても不安になる気持ちに共感した。
主人公はとても生きづらそうだと思った。
Posted by ブクログ
大庭葉蔵という男が人間失格に至るまでの過程を、彼自身の視点から手記にまとめたお話。手記は三葉に分かれており、幼年期・青年期・成人期の出来事と彼の心情が記されている。
このお話を初めて読んだ時は、葉蔵が抱える苦しみに同情し、彼の身に起こる出来事を不運に思っていた。
しかし、改めて読んでみて、どこか遠回しに相手を馬鹿にするような葉蔵のクズさに、不快感を持った。彼がヒラメから学業復帰の話を持ちかけられた時、ヒラメに助けを求めず家出してしまう。
この一人で何とかしようとして、結局他人に迷惑をかけてしまうようなことが、お話の中で多々あり、葉蔵の幼さを感じた。
お話の中で印象的だったのは、物語終盤で堀木と葉蔵が対義語・類義語の言葉遊びをするところ。直接的ではないものの、どこか葉蔵が堀木に対してイライラしているように感じる、そんな文章のヒリつく表現にドキドキした。
人と上手くやっていくことの難しさへの解像度が高く、「葉蔵のようになってはいけない」という反面教師に良いお話だった。
Posted by ブクログ
葉ちゃんは道化を演じており本当の自分を見せない。自分は彼に共感はしなかったが、偽ることでしか生きられない人間もいるのだと悟った。今でこそ多様性という言葉で許されるような言動、思えば彼は何かしら精神疾患を抱えているのかと察するほどの社会不適合感があった。現代社会でも彼のように偽りの皮を被って苦しむ人が大勢いるのかも知れないと感じた。
Posted by ブクログ
人間くささを捨てたから人間失格なのか。語彙力。幾人かの現代人でも心の奥底で思っているだろうことがスラスラ言語化されている。見ず知らずの他人でも自分が注目されているかもと思う瞬間は私にもあってしまう。皿が空くのを待っている人や現金を出すまで待ってくれる店員など。それに怯えるような、酷く非難されているような気がしてしまう時もある。どの時代にも変わらない心が見れた気がして不思議な気持ちになった。やはり文字というのは素敵だ。ただ、知っていて考えないようにする人、そもそも気づいてない人がいる中、この闇と向き合っていた太宰治の苦悩は計り知れない。