あらすじ
余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をした。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日の最後の原稿、最後の行に夫は書いた──「また一緒に暮らしましょう」。妻のために書かれた1778篇から19篇を選び、妻の闘病生活と夫婦の長かった結婚生活を振り返るエッセイを合わせたちょっと変わった愛妻物語。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
眉村卓氏が、癌で弱っていく妻に毎日一話のお話を書くことに決めて、5年(?)くらい書き続けた。
そのお話自体は、新聞で紹介されたり、抜粋して書籍になったりすでにしているらしいが、この新書はその経緯を著者自身が書き記し、どんな心もちでお話を書いていたのか、自分の書くお話がどのように変化していったのか、などの当時の心境や奥様の様子も少々紹介している。そしてこれまで他の媒体では紹介されていない「お話」を中心に、何篇かも収録されている。
最愛の伴侶が、余命わずかと知った時、人にできることは限られているとは思うが、作家ならではの「一日一話書く」という行為。私はとても共感できる。あえて闘病とは関係なく、物語を紡いでいく。紡ぎながら、著者自身も戦っている。
最後の一行で号泣する…と、ウワサに聞いていたので、最後のページを開かないように気を付けながら読み進めた。そして、最後の一行というか、最後の一編に号泣です。世の中の多くの夫婦は、その原稿用紙の1枚のような、他の誰にも理解できない絆(良いことも悪いことも)を共にしているのではないかな。私もそんな夫婦関係を築いていきたいと思った。
泣けました。
淡々とした中に、愛はあって、
それは一人一人の心が、見つける旅をしているんだろうと、感じさせて頂きました。
また一緒になりましょうと言われて死にたいです。
Posted by ブクログ
眉村卓は、子どものころからおなじみの作家。「ねらわれた学園」や「なぞの転校生」「まぼろしのペンフレンド」など、ドラマ化されてワクワクしながら読んだ記憶がある。
この本は、ガンに侵された妻のために眉村が1日1話の創作を書き、読んでもらったものをまとめたもの。
数年前、「アメトーク」の読書芸人でカズレーザーが紹介して即重版になったはず。カズレーザーは、ラストがとてもいいと語ったように記憶している。そのページを光浦靖子に示すと、一瞬にして彼女の目に涙が浮かんだ。
そして昨年2019年、眉村自身も亡くなっている。
ラストは本当に悲しい。
本当の読み方ではないけれど、「死に向かっていく妻に向けて書いている物語」として受け止めていて、ひとつひとつの出来については忘れてしまいがちだった。
P117
妻の闘病生活が始まってから、私は毎日短い話を書いたけれども、それは、何度も繰り返すがエッセイではなくお話でなければならない。私自身の投影の要素が入ってくるとしても、私自身の気持ちをナマで出すのは許されない。そんなことをしては、妻が辛いだろうからだ。
~
しかも、商品として通用するレベルを保持するように努めて、だ。
~
それが私の仕事だ。
p167「土産物店の人形」の自己注釈
一読して、なーんだと言われても仕方のないような話であろう。
だが、ものものしい予兆があり、それなりに覚悟をしていたにもかかわらず、少なくとも今のところは何も起こっていない、あるいは先になると何か起こるかもしれないが、、現在は無事--ということは、多くの人が体験しているのではあるまいか。
P180
毎日短い話を書くにあたって、私が自分に課した制約のひとつに、どんな話であろうともどこかで必ず日常とつながっていること--というのがあった。この作業に対する私のスタンスを示すためであったが……その日常と言うものがこんな具合になって来ると、よりどころが少しずつ変質して行かざるを得ない。私自身、そのことを感知していたけれども、だからといって、どうしようもない。
P193 1777 けさも書く
だが、たしかに声は聞こえたのだ。
彼はわれに返った。
幻聴だろう。
でも、幻聴でもいいではないか。自分にとっては、本物の妻の声だったのだ。自分にとっては本物の声だったのだ。
↑
幻聴でも錯覚でも思い違いでも言い間違いでも。それが自分にとって「そう」であるのなら、「そう」でしかない。そして、「そう」だと思って生きていく。生きていけばいい。そう思った体験と重なった。
Posted by ブクログ
アメトーークでカズレーザーが15年ぶりに泣いたと言っていたため手に取った本。
最近母が亡き婦人と同じく大腸癌になったため、
最初は他人事だと思えずとても重い気持ちで読んだ。
亡くなるまで、1778話。毎日毎日よく書いたと思う。
小説家という立場だからこそ、できることがあり
それをやり遂げた眉村卓さんはすごいと思った。
しかし小説家という立場だからこそ、妻だけではなく世の中へ向けて書いてほしいという妻の願いから、眉村卓という小説家の妻であることへの誇りを感じた。
またお葬式での看板も同様である。
あまりSFは読まないけれど、SFを構成するまでの著者の意図も書いていただきなるほど。と興味深く読ませていただいた。
最後に近づくにつれて、よりナマの感情を出そうとせずとも伝わってきて心が締め付けられたかのように苦しくなった。
いい作品であったと思う。
また最後の人と人がともに生きていくための眉村卓さんの考えが、沁みた。「また一緒に暮らしましょう。」という締めの言葉に愛を感じた。
こんなふうに思える人と人生を共にしたいと思った。