あらすじ
全共闘に代表される若者たちの社会変革の運動が、国内のみならず世界で最高潮に達した「1968年」。
あれから現在に至るまで、国内ではいまだに当時を超える規模の若者の叛乱は出現していない。
そもそも、あの叛乱は何だったのか。
そして現在の日本に何をもたらしたのか。
メディアに流布される「1968年」の物語の外側から、その意義を洞察してきた笠井潔とスガ秀実。
同世代の批評家同士であり、かつ時に互いを批判し合ったこともある二人。
この論敵同士による、最初で最後の「対話」の行方は――。
聞き手は外山恒一。
◆目次◆
序章 対話の前に
第一章 1968
第二章 1968以後
終章 国家と運動のこれから
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Posted by ブクログ
その運動は壮大なものになり
世間を争乱の渦に巻き込むまでになった…
そんな時代を生きてきた2名の対談集。
正直言ってよくわからないものだったけどね。
おそらくここに哲学やら何かが
絡んでくるから、なお一層厄介なのだと思う。
だけれどもそれに興味を持った人
しかもさほど密接じゃない人までをも
死に至らしめた案件はかなり重大事でしょうよ。
ある種の落ち度だよなぁ…
で、私の嫌いとする人たち
というかX上でブロックした人たちは
あっけなくケチョンケチョンにやられていました。
そりゃあそうだよ、
一部の人たちのそれで
それ以外の人たちがすくわれない構図だもん。
それと排除という安直さ。
だからこの系統の人たちは
大嫌いなのですよ。
関係ないところ読み。
Posted by ブクログ
57〜 大衆蜂起⇔市民運動
66 自分探し 生きづらさ 主体性
『万延〜』から大江は単純な疎外論ではなくなる
78 太陽の塔=原発
縄文あるいは土着的なものの古層が天皇制に絡めとられることについてきちんと考えなかった。だから戦後天皇制の経済基盤である高度成長的な産業主義と結果的に一致した。
84 主体性の空洞化
90〜 60年 70年安保
99 68年ではなく60年安保をリベラル派の市民運動の源流に位置づけようとしている
108 大江健三郎 坂口安吾
『遅れてきた青年』『われらの時代』『日常生活の冒険』
140 ポリコレ
149 ポリコレ批判
160 川口事件
167 村上春樹
三部作
ぼく=反全共闘派シニカル 鼠=全共闘派 の対立
最後に鼠を殺してしまう
ノルウェイの森やダンスダンスダンス、鼠がいないのが80年代の高度消費社会のリアリティ(竹田青嗣、加藤典洋)
ノルウェイの森は革マル批判?
『村上春樹と小阪修平の1968年』
村上春樹は解放派の周辺にいた?