あらすじ
問読者(トイヨミ)――それが未名子の仕事だ。沖縄の古びた郷土資料館で資料整理を手伝う傍ら、世界の果ての孤独な業務従事者に向けてオンラインで問題を読み上げる。未名子は、この仕事が好きだった。台風の夜に、迷い込んだ宮古馬(ナークー)。ひとりきりの宇宙ステーション、極地の深海、紛争地のシェルター……孤独な人々の記憶と、この島の記録が、クイズを通してつながってゆく。第163回芥川賞受賞作。(解説・大森望)
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Posted by ブクログ
解説で芥川賞受賞の際のコメントで審査員の方々も仰っていましたがこの作品では孤独について感じる作品だったと思います。孤独な場所にいる人(深海や宇宙、紛争地のシェルター内等)の為にクイズを出す職業の傍ら資料館のボランティアをしている主人公が台風明けの日、馬(琉球馬)を拾うという変わった設定です。この3つを組み合わせ一つの作品にまとめるのは困難だと感じますが作者の奇跡的なバランスによりそれが為されているのが面白いと感じます。クイズ解答者のそれぞれ孤独な場所にいる人が辿り着いた人生哲学の様な或いはこれまでの自分の生い立ちによる自身への向き合い方・考え方には考えさせられるものがあります。
短くて電車の待ち時間や寝る前の読書でも空いた時間で気軽に読めます。是非おすすめです。
Posted by ブクログ
〈あの建物に詰まっていた資料が正確なものかどうかなんて、未名子だけでなく世の中にいるだれにもわからない。ただ、あの建物にいた未名子は、それぞれ瞬間の事実に誠実だった。真実はその瞬間から過去のものになる。ただそれであっても、ある時点でだけ真実だとされている事柄が、情報として必要になる日が来ないとだれがいい切れるんだろう〉
沖縄にある小さな郷土資料館『沖縄及島嶼資料館』。島の資料館とされてはいるが、その実態は持ち主である民俗学者の順さんの私的資料が保管された建物になっている。その資料館の整理を中学生の頃から手伝う未名子は、オンライン上で世界中の孤独な業務従事者と一対一のクイズを使ったコミュニケーションを取る仕事を行っている。この奇妙な仕事は通称、問読者(トイヨミ)。正式には、『孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケアと知性の共有』と呼ばれている。
ということで本書は、クイズを使って、世界のあらゆる場所(宇宙だったり、戦場だったり)で孤独に過ごすひとたちと対話をしていく姿が描かれていく中で、未名子自身の人生にも変化が訪れ、巡り続ける思考の末に、記憶と記憶、集積された世界の情報を抱えて、颯爽と駆け抜けていくラストがとても気持ちの良い作品でした。
Posted by ブクログ
芥川賞受賞作品ということで、難解なイメージで読み進めた。 前半は物語の世界観が掴めなくて、あまりページが進まなかったけど、読み進めていくうちに段々この作品が好きになっていった。 沖縄独特の風土であったり、郷土史と近代的なネット技術の対比等、何とも言い難い切なさを感じた。 主人公自身が社会とのズレを感じている部分や、世間から乖離、取り残されていると感じる部分は誰にでも感じ得るところではないだろうか。 後半のクイズのにくじゃが〜は、わからなかったな。 とにかく、不思議で一度読みでは理解できないので再読したい。
Posted by ブクログ
⚫︎受け取ったメッセージ
すべてはつながっている
本当の孤独はない
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
問読者(トイヨミ)――それが未名子の仕事だ。沖縄の古びた郷土資料館で資料整理を手伝う傍ら、世界の果ての孤独な業務従事者に向けてオンラインで問題を読み上げる。未名子は、この仕事が好きだった。台風の夜に、迷い込んだ宮古馬(ナークー)。ひとりきりの宇宙ステーション、極地の深海、紛争地のシェルター……孤独な人々の記憶と、この島の記録が、クイズを通してつながってゆく。第163回芥川賞受賞作。
⚫︎感想
孤独と聞けば、寂しさをすぐに連想してしまう。しかし、この作品は、ほんとうの孤独はないということ、記録や記憶が孤独感から救ってくれること、たとえ浅くても、自分につながりのあるあらゆる人、物が愛おしく思えること、そしてそれは自分の受け止め方次第であることを教えてくれる。
この物語は、孤独感を抱き締めて生きている人がたくさん出てくる。そんな彼らは、遠く離れ、それぞれ一人でいるけれど、クイズで未名子と繋がっているし、また、未名子を介して未名子の中で、ひとつにつながったりしている。繋がりは果てしなく続いて、時も場所も飛び越え、全てが繋がっているように感じられる。それが沖縄の歴史資料(しかもこれが未名子が素人なのがよい)、クイズ(知の蓄積)、宮古馬という3つのキーワードで物語られる。読み進めるワクワク感もあり、本当によく練られた素敵な作品。高山さんの他の作品もぜひ読みたいとおもった。
Posted by ブクログ
このお話の映像化を望みたい。
島の出来事や闘争の関係やらモニター越しのやり取りやら。
ラストはヒコーキにのった景色
興行的には厳しそうだけど…
Posted by ブクログ
2020年芥川賞(上半期①)受賞作
2015年から順に芥川賞を読んできたけど、一番面白かったかも…
理由はぶっ飛んでいるというか、SF的な壮大さがあるというか、現実から脱線してるからか(*_*)
問読者(トイヨミ)という怪しい仕事に就いた未名子は順(ヨリ)途(ミチ)親子と中学生の頃から関わって生きてきた20代女性が主人公。
メッセージとしては現時点で誰も興味を示さないであろう情報も記録さえしていれば、いつか陽の目を浴びる事があるから収集と管理に意味があると云う事だろうと思う。
問読者の仕事はクイズの出題者なんだが、それ以外にもクライアントとの雑談は許されている。その中で思う事はやはり孤独はツライ…
どんな些細な事であれ、人との繋がりは正気を保つためにも必要で、自分の主張を抑えて傾聴できる人は才能だなと改めて思った。
Posted by ブクログ
序盤は説明が懇切丁寧で、少し歴史の教科書を読んでいるような気持ちになった。しかし、未名子が問読者を辞めると決めた辺りから、全てが繋がり、視界が広がっていくような感覚があった。
順さんの資料館と問読者の仕事に共通する膨大な知識の海であったり、クイズ回答者が居る場所への途方もない距離がそう感じさせたのかもしれない。
ヒコーキは未名子を新たな場所へ連れて行ってくれる存在として現れ、ラストシーンも彼(?)に跨り、世の理不尽からも去っていくような姿に胸がすくような気がした。
未名子が自らの意思ではじめた記録の動機が、思い出としてではなく、後世の人々の助けになるかもしれない、という考え方は、最早長年研究と向き合った学者の域に達していて貴いと思った。
Posted by ブクログ
タイトルから沖縄の抱えてきた様々な重荷に関する物語を予想したが、主人公はそこから(それどころか人間世界からと言ってもいい)少し距離を置いた人物で、誰しもが何処かに抱えている孤独を共有し、また、共有せずに、誠実に生きている。そのあり方を私はすごく好ましく思うし、人によっては不気味に思うんだろう。命のつながりと記録のつながりを重ねて、その上で運び手になることを覚悟した姿に暖かいものを感じた。
Posted by ブクログ
不思議な感じ。
人のつながりはぶつ切り。
でも、皮一枚で繋がっている感じ。
読み始めて、既視感のあるこのもやっとした中にナイフが仕込まれているような文章の感覚⋯⋯を辿って、思い至る。芥川賞っぽい感じだ。すごく惹かれて読むけれど、霧の中に迷い込んだような。
芥川賞受賞作です。
Posted by ブクログ
「いい科学者は、いい問いができる人のこと」ー
昔こんな言葉を聞いたことがある。よい研究者になりたいと思うなら、ぼんやりと思い浮かんだ疑問を本質の近くまで鋭くしていき、水辺に石を投げ入れるがごとく、人や考えを動かしながら、本質を映し出せる人、というのが今のところの解釈だ。そんな問いを出せる人世の中に何人いるかもわからないし、それがどれだけ人に共感されるか孤独なのかわからないけれど。
本作品は、その問いを答えるべく、あるいは答えるつもりもなく、導かれた言葉や事象を裏打ちした数多の人の歩みを集めた資料館ではじまり、終わる。
禅問答より古くから、それは神との対話や自然との交信といったような形で、問い答えるというスタイルは連綿と続いてきた。私たちは問うことで、あるいは答える、答えようとすることで自分自身が明らかになっていく。知らなかった自分が映し出されたり、相手の中に己を見出すことさえある。本作品の根底はこうした、見えなかったものが映し出されることだったりすることなのかもしれない。
問いに答える人たちもまたユニークだ。主人公にとってはもしかしたら御伽話のような世界、現実味のない世界の住人だが、彼らは実際多くを知っている。そんな彼らでも、全てを解決できたわけではなかったが。
主人公の未名子は、少なくとも、広く多くの人と関わるというより、限られた人と、あるいは事物と心を距離感よく交わす落ち着いた人だ。そんな彼女に訪れたクイズの問読み、宮古馬、そして資料館の存在。全ては今の彼女を構成する、大切な要素だ。ルーチンに生きる彼女が、動き出すのは、はじまりである資料館ゆえに、あるいはユニークな解答者たちとの交流がゆえに、あるいは宮古馬との出会いゆえに。
彼女の根底にあって、彼女が問われ答えようとしたものはなんだったのか。彼女自身の問いすら私はまだ答えを知らない。
資料館というものについては、今地方では少なからず資料館の管理は行き届かなくなっている。管理者も足りず、伝えたかったはずの地域のことさえ、伝える世代がいなくて、時間の経過と資料の劣化が進むばかりである。それでも「その時点であったということを保存すること」、それにどれだけ価値があるんだろう。お金を払う、ということでそれは推しはかれるものだろうか。
昔のことを知っている人も減ってしまった。GPSもカレンダーもない時代、どうやって人が種を蒔く季節に検討をつけ、夜の海から帰るために星を読んだのか、いま収集している人たちでさえ苦労していると聞く。だって教えてくれる人達のアーカイブもぽろぽろと失われてしまうのだ。
でも、それよりもまざまざと断絶を感じる場所がある。本作の舞台、沖縄だ。グスクの跡を訪ねても、資料館で戦前の写真を見ても、あるいは画家の絵だって、すべては失われたものだった。未名子の住む浦添市は、琉球王朝が栄える前、本島が三つに分かれ争っていた時代、津々浦々を見渡せる地として城が築かれた。王の墓があり、墓守がいた。けれど、沖縄戦で、グスクのある前田高地は、米軍と日本軍の激戦地となった。今では、公園になり、グスクも修復がすすむ。そして、海外の観光客は歴史を学びにやってくる一方でその横では親子で虫取りをしたり家族の時間を生きる人がいることの、不思議な世界の交わり。
何かにつけて、戦争でなくなったものが多すぎる地だ。県民の何割も戦争で失ったとも聞いたが、もしその人たちが今日まで生きていたらもっと琉球として雰囲気が残ったのだろうか。
記録する、とはある意味とても傲慢で残酷だ。本来残るはずのなかった言葉、景色が、残るから。けれど、それはレコンキスタで再発見されたかつて築かれた知識のように、私たちに想起させるものになる。たとえそれが感傷だったり、エゴによるものだったとしても、いつかは風化したり侵食して消えるのだとしても。
余談だが、かつ知識もなく憶測である私見を述べる。琉球王朝が、あるいは琉球が国として成り立った点では、やはり文字があったのは大きかったのかもしれない。アイヌ民族は口承で伝えてきた、明治以前からの圧政、明治以後からの差別の中でどれだけの口承が世から伝える術もなく消えたのか。沖縄も完璧ではないにしろ、それなりに残っていたはずで、でもなくなってしまった。京都と何が違ったんだろう、応仁の乱以降燃えていない都市と、小さな島の歴史は比べられるようなものだったのか、燃やされて然るべきものだったのか。諸行無常、盛者必衰の言葉で終わりたくはない。閑話休題。
資料館は、その性質から過去を絶え間なく保存する、いつ利用されるかもわからないアーカイブ達がいる。誰も知らなくていい、日々の物事かもしれないし恐ろしい知識かもしれない。それでも、知っている誰かがいるということ、あるいは私たちが知らずにないがしろにしたものを記録してくれていることが、人にとっては孤独を解する一つの営みなのかもしれない。
那覇空港近く、沖縄空手会館にあった言葉にこのようなことが書いてあったと思う。(正確ではないが)
「この技術は役に立たないことが良いことなのだ」と。
私たちの現代での尺度をあらためて考えたい。
Posted by ブクログ
主人公である未名子が自分の住む場所のとある資料館を通して、不思議な職業「間読者(といよみ)」を通して、宮古馬を通して、意味が一見ないと思われるような行為(記録)が世界と繋がっていくための一部なのかもしれないという感じで読みました。
心があたたまる場面も所々あるし、ストーリー的にも面白いし、いい小説だなと思った。
途中で出会う宮古馬に対し『この茶色の大きな生き物は、そのときいる場所がどんなふうでも、一匹だけで受け止めているような、ずうっとそういう態度だった』という描写は未名子自身の生き方そのもののような気がした。
加えて冒頭の方で中学生のころから資料集めについて『ずっと先に生きる新しい人たちの足もとのほんのひと欠片になることもあるのだと思えたら、自分は案外人間というものがすきかもしれないと考えることができた』ということからも孤独ではあるが、どこかでこの世界と繋がっていたいという気持ちも垣間見える。かな・・?
Posted by ブクログ
あなたは、こんな『クイズ』に答えることができるでしょうか?
『小さな男の子、太った男。ー そしてイワンは何に?』
(*˙ᵕ˙*)え?
『かつてラジオやテレビの放送が多くの人に楽しまれるようになった初めのころから、クイズという遊びのシステムはとても人気があ』りました。これは事実だと思います。視聴者参加型の『クイズ』番組がテレビを席巻していたとされる時代を経て、『クイズ』番組はこの国で隆盛を極めました。
このレビューを読んでくださっている方の年齢はマチマチです。『クイズ』と言って頭に思い浮かぶ光景は人それぞれでしょう。そんな中でも未だに伝説として語られる番組があります。
『ニューヨークの、パンナムビルの屋上にね、こう、ヘリコプター二台に乗ってスーッと来るんだよ、そこがクイズの会場』
そんな説明だけで、番組名をパッと当てられる方もいるでしょう。そうです。これは一時代を築き上げたとされる”アメリカ横断ウルトラクイズ”の決勝のステージです。この国には、『クイズ』番組の舞台とするだけのために、海外へ視聴者を連れていく時代があったのです。『クイズ』というものが如何に人気があったかがよくわかります。
さてここに、『遠くにいるだれかにクイズの問題を読む』ことを仕事とする一人の女性が主人公となる物語があります。『沖縄』を舞台に展開するこの作品。そんな仕事の中に『孤独』という言葉が浮かび上がるこの作品。そしてそれは、そんな女性の『家の狭い庭に突然現れた』ある存在によって、『孤独』な女性に変化が生まれていく様を見る物語です。
『港川と呼ばれている一帯、かつての外人住宅』の一端に、『まだここが米国領だったころに』建てられた『一軒のコンクリート建築』があります。『現在の持ち主は順(より)さんという年老いた女性』というその建物の入り口には『「沖縄及島嶼(とうしょ)資料館」と書かれた』看板がかかっており、『この建物はひとまず、この島の資料館ということになってい』ます。そんな『資料館で午前中からずっと、資料に対応したインデックスカードの整理と確認作業をしている』のは主人公の未名子(みなこ)。『カードの束を項目ごとに取り出して、テーブルの面でトン、とそろえてからさばき、一枚一枚確認していく』未名子。『資料館は未名子の職場で』はないものの、『時間さえあれば一日中』、『この資料館で資料の整理を続けてい』ます。そんな時、『電話と呼ばれる通信端末』が『細かく震えつづけているのに気がついた』未名子は、『液晶画面に「カンベ主任」の文字』を目にします。『未名子の電話にカンベ主任から電話が入るなんて、めったにない』ことであり、『二、三のよそよそしい言葉を交わしたのち』、未名子は、順さんに『今日は、仕事ができてしまったので、帰ります』と伝え『資料館を出』ました。『今の職場における責任者で上司』という『カンベ主任』とは『面接で会った』きりという未名子。そして、『旭橋と名づけられた駅』近くの『雑居ビルの中のひとつ』に入ると三階へと上がります。『面接でカンベ主任』が『「スタジオ」と呼んでいた』その場所は、『なにも考えずに見渡せば、ここは標準的な事務所に見え』ますが、『ふつうにありそうなもの』はここにはありません。『ここはゲーム画面の背景としてCGで再現されたり、あまり人間のことを知らない知性体が、地球の人間が働いている場所というのはこんなものだろうと見よう見まねで作り上げたりしたオフィスみたいだと未名子は感じ』ます。そして、『ヘッドセットをつけ』『パスワードを三回入力』すると、画面に『ポップアップウィンドウ』が表示されました。『人名の表示される場所』というそのウィンドウには、『ヴァンダ』と表示されています。そして『あまりクリアではないものの確実に実写だということがわかる映像に切り替わ』り、『顔の下半分ほどに短めの髯を生やしたコーカソイド系男性の顔』が映ると、『こんにちは』と『よどみない日本語』を発しました。『音声レベルのチェックを』した未名子は『問題』といい、『文章を読み上げ』ます。『小さな男の子、太った男。ー そしてイワンは何に?』すると『読み終わったあとほとんど間を置かずに』、『皇帝(ツァーリ)』と『ヴァンダの明瞭な声が響』きます。それに、『表情だけで笑って、「正解」』『というとキーボードを打』つ未名子は、『ヴァンダのアカウントにひとつ、この問題に正解したという情報を入力し』ます。『定められた時間、遠方にいる登録された解答者にクイズを読み、答えさせること』が仕事だという未名子。そんな未名子のどこか不思議なお仕事とその生活が描かれていきます。
第163回芥川賞を受賞したこの作品。『台風があきれるほどしょっちゅうやって来るせいで、このあたりに建っている家はたいてい低くて平たかった』という冒頭の一文、そして、「首里の馬」という書名が表す通り、『沖縄』が舞台となって展開していきます。そんな物語には、”沖縄・港川外人住宅街の一角に佇む、古びた小さな私設郷土資料館で、数多の記録の整理を手伝う傍ら、世界の果ての遠く隔った場所にいる人たちに、オンラインで問題を読み上げる。未名子は、この仕事が好きだった”と内容紹介にうたわれています。一見、分かるようで、それでいて”オンラインで問題を読み上げる”という意味不明な記述が気にもなります。
そんなこの作品を読み終えて感じるのは、なんとも難解だった…という感想です。私は今までに女性作家さんの小説ばかり700冊以上を読んできましたが、その中にはさまざまな理由から途中で投げ出したくなった作品もあります。しかし、この作品は投げ出したいというのではなく、ただただ難しかったという感想が残りました。そのためレビューを書くのがとても難しいと感じていますが、逃げるわけにもいかないので頑張って書いていきたいと思います。それでもとっかかりがないと辛いので読後この作品から浮かび上がった三つの言葉にこだわってまとめてみたいと思います。『沖縄』、『記録』、そして『孤独』です。
まずは『沖縄』です。上記もした通り、この作品は『沖縄』が舞台となって展開していきます。『沖縄』を舞台にした作品は多々あります。私が読んできた作品でも、沖縄だったらこういうミラクルが起こってもいいんじゃないかという先に奇跡を見る有川ひろさん「アンマーとぼくら」、沖縄の美しい離島の自然を背景に恋愛に焦点を当てる原田マハさん「カフーを待ちわびて」、そして異色な組み合わせ感が強い印象を残す桜木紫乃さん「光まで5分」というようにそれぞれの作家さんの代表作、話題作の一つと言って良い作品が思い浮かびます。そして、この高山さんの作品は芥川賞受賞作ですから間違いなく高山さんの代表作と言えます。『沖縄』という地は小説の舞台にしやすいという側面もあるのかもしれませんが、そこに傑作が生まれやすい、そんな風にも言えるのだと思います。そんなこの作品に描かれる『沖縄』で外せないのは書名にも登場する『馬』だと思います。ある日、主人公・未名子の『家の狭い庭に突然現れた』のが、『サラブレッドに比べてずいぶん小柄なこの沖縄在来の馬』とされる『宮古馬(ナークー)』です。『あまり速く走るようにはできていない』というそんな『馬』が『そもそもこの馬は、どこからなんの理由があって、台風のさなか家の庭に入ってきたんだろう。どこからはぐれてきて、だれの持ち物だったのだろう』と不思議がる未名子は『馬』を『ヒコーキ』と名づけて、その背中に『乗ってあらゆる場所』へと訪れます。この展開がこの作品の一つの軸にあると思います。そして、そんな『馬』に関して『琉球独自の文化だったとされ』る『琉球競馬』についても語られていきます。『速さではなく美しさを競っていた』という『琉球競馬』は、『世の中の祭りを全部集めたような賑わい』で栄えるも『太平洋戦争の末期、沖縄戦を境にして途絶え』たという歴史が語られてもいきます。極めてディープな世界を描く高山さんの『沖縄』を舞台にした物語。『琉球競馬』は、2013年に70年ぶりに競技が復活したようですが、『沖縄』の新たな側面を垣間見るような作品だと思います。
次に、『記録』です。この作品の主人公・未名子は、そんな『未名子が暮らす場所の周辺にある、現在に至るまでのあらゆる記録が詰まっている』という『資料館』に出入りしています。『仕事でもな』いのに、『時間さえあれば一日中』『この資料館で資料の整理を続けている』という未名子の『記録』に対する思いがさまざまな方向から語られていきます。
『事実として記録し続けていれば、やがてどこかで補助線が引かれ、関係ない要素同士であっても思いがけぬふうにつながっていったのかもしれない』。
『だから、守られなくちゃいけない』という未名子の『記録』への思い。
『自分ができるのは、事実を記録したものをアーカイブして保存することだけだ』。
そんな風に、『記録』について自分ができることを考えてもいく未名子。
『記録がなければ記憶に頼るしかない』。
『記憶』というあやふやなものと比較することで『記録』ということの意義をスパッと言い切るこの表現。なかなかに分かりづらい表現の中に、それでも『記録』ということにこだわり続ける未名子という主人公を登場させる高山さんの思い。そして、その舞台として『沖縄』を選んだ高山さんのこだわりを物語の表現の中に強く感じました。また、『沖縄』という土地自体が、『記録』という言葉に親和性がある、そんな風にも感じました。
そして、最後は『孤独』です。『現在、未名子はいっしょに暮らす家族がいなくて、孤独だった』という未名子の仕事。それが、『定められた時間、遠方にいる登録された解答者にクイズを読み、答えさせること』というなんとも摩訶不思議な仕事です。『一度の通信で、たいてい二十五問ほどの出題と解答を行う』という場で、最終的に『通信を切って、今までやりとりしていたという情報をすべて廃棄するまで』が『一連の業務』と聞いてもなかなかそんな架空の仕事をイメージするのは難しいところです。しかし、そんな仕事をしていく中で未名子はこんなことを考えます。
『孤独であるということは、この仕事をするためにとても重要な要素なのだ』
そう、現在、自分が『孤独』であるという認識のある未名子がそんな仕事に就くのはとても合っていると思います。そんな仕事の場で相手となる『ヴァンダ』、『ポーラ』、そして『ギバノ』という通信の向こうの人物たちと話をしていく中にこんな思いが湧き上がります。
『彼らの話に漂う孤独なるものは、多くの人の心に同情や脅威を生むものというより、未名子の送る毎日の生活に絶えず漂っているのとほとんど同じものに思え、未名子はこの会話によって、すぐ近所に暮らしている人と悩みを分かち合っているような気持ちになっていた』。
相手の話の中に『孤独なるもの』の存在を感じていく未名子。それは自身が『孤独』であるという自覚があるからこそ感じる未名子の自然な思いなのだと思います。『孤独』ということにこだわる高山さん、そこには『記録』ということにどこまでもこだわり続ける未名子。そんな未名子が『宮古馬』のヒコーキとの出会いによって変化していく様が描かれるこの作品。そこには、一人の人間が独特な世界観の物語の中にゆったりと変わっていく姿が描かれていたのだと思いました。
『あなたはこの仕事にとっても向いていると思っています』と言われ、『孤独だからですか』と返す主人公の未名子。
この作品では、主人公・未名子が『沖縄』の港川の地にある『資料館』で『資料の整理』をし、『記録』としていく一方で、『孤独』という言葉の先に『解答者にクイズを読み、答えさせる』仕事をする日々が描かれていました。これは随筆か何かか?と感じる一見小説らしからぬ記述の頻出に戸惑いを隠せなかったこの作品。そんな中に読ませる魅力を感じさせてもくれたこの作品。
一筋縄ではいかない芥川賞受賞作の中に、戸惑いを感じながらも新しい世界を見つけた、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
p.134のポーラの語る言葉の最後に勇気づけられた。私たち人間は、それぞれ違うからわかりあえなくて問題はない。私の今いる場所も名前が与えられてて、未名子や解答者たちがいる同じ地球上にあって繋がってるんだよなあって思った。記録することの大切さも、私がしてる仕事内容とリンクしてるように感じて感慨深くなった。
Posted by ブクログ
誰にも知られないけれど確かにあったいつかの誰かの記憶の記録を、いつかだれかのためになったらという祈りを込めて、世界の“どこか”に置いた未名子。
マスに共有されることのない経験や記憶の尊さを筆者は伝えたかったのかな〜
Posted by ブクログ
沖縄で地元の歴史を紡ぐボランティア活動をする女性は、オンライン上で海外の人々へクイズを出す謎の仕事もしている。
歴史をきれいな箱に収めずとも、地中深くだろうと何だろうと関係ない。忘れないことが大事であって、物質的な保存は2次的なのだ。
Posted by ブクログ
例えば電車の窓から流れていく住宅街を眺めるとき、あるいは巨大な集合住宅を横目にとぼとぼと歩いている時に、この幾多もの住宅の中に様々な家族であったり独り者であったりが暮らしていて、よくよく聞けば面白いかもしれない話を秘めていて、もしかしたら見ただけで興味を引かれるような人間がいるかも知れず、といった空想をすることがある。
この話は多分、普段は通りすぎるだけの、意識しなければ顔のない存在にすら、無限に詰まっているかもしれない情報たちについてのお話だ。
そうしてまた、つい最近、お話をする鳥たちがリモートで交流するというニュースを見たが、まるでおとぎ話のような不思議な交流から芽生える新しい感情に期待する、という物語かもしれない。
なぜならば話の中で、主人公も含む孤独な人たちが、ネットで交流して、お互いに好ましさを抱いて、心になにがしかの温かさをいだいているからだ。
さらにまた、恐ろしいほどの量の情報という名の知識たちが、実際には名もなく活用もされず、時には疎まれすらしており、しかし逆に、それらがクイズの出題に化けたときには意味を持ったりもするのだけれども、省みることもされぬ大事なことどもが、常に形をかえて世界に増殖していくこと、なども。
私の数少ない読書体験の中でしかない、小さな情報から考えたことでしかないが、割合と「文学」というものは、異常であること、世の中からはみ出していることは、その人間がその状況を反省していようと、その世界が異世界的に描かれていようと、普通よりも価値があるような印象を強く受ける。
しかしこの話で世の中は、異常であることや人と違うことを忌み嫌い、目にしたら見なかったことにしようとしている。
気味の悪いものと一線を画して、美しいものだけ目にして生きようとする人々だらけの様子である。それは主人公の周りだけではなく、遠く離れた場所で孤独を感じる人の家族たちも、そうなのだ。
持てるものは常に楽しくしなくてはならぬという、持たざるものたちのやっかみを素直に受け入れて、それを美しい暮らしだとして生きる家族を、孤独な人は受け入れ難い。持たざるものたちもまた、彼らの正しさのものさしだけで生きている。
いや、最終的にはみ出すことの賛歌ともいえるのだけれども、なにかとても、はみ出すことの否定を、そんなにも世の中はしてくるのだろうか、というほど疎まれている空気がある。だからこそ、主人公が最後に選びとる選択への肯定的な気持ちが、生きるのかもしれないけれども。
その一方で、まだバブルなどという言葉のなかった「金余り」の時代に流行ったクイズ番組に対して、普通の人らしさを持つ人が、否定的に語る場面もある。
これはまあ、主人公は確実にバブルのはじけた世の中に生まれた人で、キラキラに見せて昭和の根性論も多く持ったクイズ番組を知らないのだから、知る世代が語ったのかもしれないが、あの時代の世の中は、ニューヨークを目指してアメリカ横断に行く、さらに勝ってパリに行く、知力体力時の運で勝ち抜いて行く、ということを、肯定的にとらえたのだろうし、だからこそ人気番組だったのではないのか?
安っぽいブラスバンド、ということを、子供だった私はつゆほども思わなかった。休みに海外に行く子供は少なくとも周りにおらず、四国の父の田舎にすら、金がかかるのでほとんど行かないような家に暮らしていた私は、ニューヨークに自分の力と運で行く人々を憧れる気持ちで観たものだった。
しかし、情報すなわち知識をパンパンに頭に積めて戦う人々は------ウルトラクイズはもちろん、頭の良さだけでは最初の段階では落とされることもあるのだが------この世界ではアンタッチャブルな人々ではあるのだ。
私の認識が間違っているのかもしれないが、沖縄県外からやってきた特に学芸員であるわけでもないとはいえ、民俗学を在野の研究者として行う老婆、という、なにやら立派に感じなくもない人のことも、主人公以外の近所の人の目からは、気味の悪い存在として描かれる。
島の記録は、その昔自分達を同朋と言いながら一番ひどい目に合わせた人たちの子孫に、特に発信していく気持ちになるものではないのだろうか?
そのような復讐的な気持ちではなくとも、平和を常に選びとろうと主張するためにも、外から来た人へ話すことを、良しとするのではないのか?
人の嫌な記憶をえぐる気味の悪い婆さんと感じる人々の群れがむしろ気味悪いが、まるでその人たちが正しいかのように、主人公は暮らす。
話は逸れるが、私の叔父は沖縄のかたと結婚をして、東京出身でありながら、島の記憶、島の受けた仕打ちに大いに感銘を受けた。今、終の住みかとして沖縄県に暮らしている。そのほど、影響のある情報の山を、市井の人から集める老婆に対して、この物語の世の中はなんとも冷たい。
老婆が声高に暴力的になにかをしたわけでもなく、あるいは人に強要して島のことを伝えないといけないとヒステリックになったわけでもないのに、いくら何回も歴史的に壊されたところだとはいえ、関心が無さすぎるのではないのか。
老婆に発信の力がなくとも、資料は山のように集まっている。誰かが発信すればいいだけの状態で、あまり他人には分からないやり方で分類されながらも、待っている。だが誰にも省みられることはない。老婆が年老いたので島にやってきた歯科医の娘さんもまた、老婆に対して、好きとははっきりと言えないのだ。
娘さんの話だと、老婆は在野の研究者というよりは、今時耳にすることもなくなったが、コミューンを形成するヒッピーの一員であったか、あるいは、その事件がなにを指すのか良く分からないものの、もう30年近く昔に起こった宗教に絡んだ、というか、勝手に宗教の名において行われた殺人及びテロであるとか、それよりももっとずっと大昔に起こった、革命という名の爆破テロを起こした人々と、普通の人の目には同じに映るなにかであった様子でもある。
老婆の周りに寄る辺ない若者がたむろしていた時期もあった様子だ。だから娘さんは、十年ほど前から中学にあまり行けないでいたことをきっかけに老婆の手伝いをしていた主人公のことを、その若者たちに重ねてもいる。
だからなのか、彼女自身は未だに感情に整理がつかぬ母という存在の一部、遺骨の欠片を未名子に渡してもいる。
未名子は、世界の果てどころか、宇宙や深海にも暮らす、孤独な場所で孤独に過ごさざるを得ない人々へスリーヒントゲームのようなクイズを出題して、ほんの少し交流する仕事をし、中学生の頃から引きこもりがちで、上にかいた老婆の手伝いを無報酬で行っていた。
やはりだから、老婆が世の中から向けられている視線と同じところにいるような人で、しかし一見するとそこに大きな悩みもなさそうだ。不思議なことに、彼女を理解し得るであろう上司の名前を、なぜか漢字ではなく片仮名で携帯に登録している。
そういえばこの上司も、この仕事についてを、一目を憚るようなものとして語るが、人に理解されがたいだけで、そんな風に感じる必要のある仕事というよりも、ある意味革新的な、自慢すら出来る仕事のようにすら感じる。
人の気がふれてしまわぬように、クイズという余り深くない交流で孤独を紛らわしていく仕事など、需要はともかく画期的だ。まあ、客層からして隠さなければならぬものなのだろうが、別段、未名子のもとへ人が出入りするわけでもなく、たまに事務所を開けて仕事するだけでも生きられる人、程度にしか感じないのではないか。
宇宙や深海、戦場のシェルターが通信場所と知っているのであろう電気屋の親父は、スパイ的な仕事かもしれぬと疑うかもしれないが、それは中途半端に知るがゆえに仕方がないのではないか。
なんにしろ、未名子自身がつかみどころのない人であり、外れものではあっても、そこ自体に悲劇がある様子もない。ふいに、仲間に近い場所にいた人間から向けられた敵意に強く傷つくという、割合と普通の反応も示すことの出来る人だ。急にキレて事件を起こすわけでもないし、酒に溺れるわけでもなく、この世界を啓蒙して回ろうとするわけでもない。普通の反応をする。
まるで妖精のように現れ、誰も所有権を主張しない、美しいことを愛でるための宮古馬という種類らしい小さな馬を、一度手放しながらも盗んで、世界の果てに暮らす仲間から聞いたやり方で飼育することにした未名子は、歴史的に意味ある場所を、その馬屋に選んだ。歴史的に意味のある名前を付ける。
しかし彼女は、世界的に意味のある歴史かもしれぬものも、ただの町の風景も、全部同じ視点でひたすらに集め、保存し、それだけだ。
未名子は物語の最初の方で、在野の研究者でしかない老婆にも自身にも、情報のを調べるとか、更なる研究をする資格はなく、ひたすらに集めていくだけ、といったことを言っているが、馬と共に集めていくことにする情報も、勿論、ひたすらに集めるだけなのだ。意味のある様子で現れた、意味のある名前のついた、意味のある場所に暮らす馬と一緒に、であるのにも関わらず。
老婆が集め、その手伝いをした情報は、ぼんやりとしかその居場所も分からない孤独な人たちにデータとして送っているが、日々更新される情報を、会社を辞めた未名子には知らせる術もない。でも、ひたすらに集める。妖精かなにかのようだが、虫にたかられ、変な匂いのする、ほんのりと温かな馬と一緒に。
この話の中で、孤独な人々や膨大な情報は、なにやら不穏なものとして強く扱われ、孤独な人たちの交流すらネットで行われたり、情報を一緒に集めるだけの年のうんと離れた関係だったりする。
膨大な島の歴史をどこに住むとも知れぬ人たちに送る未名子は、しかし自身の亡くなった父親が所有する大きな台車がなぜ家にあるのかすら、把握できていない。
世界は不確かな情報に溢れていて、しかし確実に情報は増殖していく。
この話の舞台はなぜ、沖縄だったのか?
冒頭にもあったように、自然災害や、時にひどく暴力的な強制で、何度も何度も死に近い状況と再生を繰り返した歴史があったから、ではあるのだろう。
それは広島や長崎、あるいは神戸や福島ではなく、海外であったはずが日本とされ、日本が負けて今度はアメリカということにされて、また日本に戻された、という歴史以外にも、食べ物が豊富ではなかったとか、台風が多かったという歴史もある沖縄だから選ばれた、のではあったのだろう。
しかし、集められたという情報は,物語のなかでは大変にフラットなものに見える。確かに、ただ集めた情報だからこそ、重要、というラベルの付く際立った情報はなく、歴史的な骨も、老婆の遺骨も同列に語られる。
しかし大きな大きな世界の長いながい歴史の中では、偉い人の骨も、昨日亡くなった人の骨も、大きな違いもないのかもしれない。
なぜ、沖縄であったのか?
そこを私はうまく汲み取れていないのだと思う。とにかくこの悲しい歴史を見よ、という声高な主張もなければ、悲劇に視点を当てることにシニカルなわけでもなく、情報だけがつみかさなり、ひっそりと本当に少人数だけの知る秘密のやり取りで、島に縁もゆかりもないであろう場所、なにがしかの紛争という歴史が背景にある国にまつわるどこかに保管された、ということへ、大きく意味を見いだす方もいるのかもしれないが、それは読まれぬままに本棚に並ぶ百科事典とおなじものではないのか?
しかし不思議と、無職で、自分が拾ったものだとは言っても一度は警察に持っていった馬を泥棒して飼う、今や一目など気にもせずに好きなことに邁進する主人公が、馬の背に温かさを感じながら笑い、自身の集めた情報など役に立たぬままひっそりと消えてなくなればそれもまたいいのだと感じることへ、さっぱりとした気持ちにもなる。
彼女が、島の歴史をどこかで役に立てなければと思っていないところに、ではなぜ、沖縄であったのか、という問いの答えは隠されているのかもしれない。
彼女はもう、電気屋の親父が気味の悪いヤツめと視線を送ったってへっちゃらなのだ。
読み終えてふと、未名子が職を辞するにあたって、孤独な人々に送ったスリーヒントゲームの答えはなんだったのかと、気になったが、解説のかたが、話に出てきた、世界を細かな升目に区切り三つの言葉を振り分けることで、誰もがそこを認識できるシステム、というものが、アプリとして存在していると書かれていたので、そのアプリ、What3Wordsなるものを入れてみた。
「にくじゃが。まよう。からし」
首里城公園が出てきた。ほんの少し四角をずらすだけで三つの言葉が変わるから、かなり細かくピンポイントだ。
火事で焼失した時には、まさかテロなのだろうかと感じさせるものがその地名にはあるが、結局、全国どこででも起こり得る原因で焼失したという。
今、地図を見るに、かなり復元されているようであるが、これもまた、情報の更新だろう。いつまでもその土地は、「にくじゃが。まよう。からし」ではあるが、その場所では様々なことが起こり、動いている。情報は常に、動いているのだ。
私が子供の頃と、大化の改新は他の年号になっているそうだし、歴史は集められた情報からさらに検証され、新たに更新されても行く。
たいてい、作者がなにが言いたいのかなんてことは小説を読むにあたって、そこまで大切だとは思わないが、なぜ沖縄であったのか、ということは、なんとなく気になり続ける話ではある。そうして、膨大な情報について想いを馳せる話でもあった。
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この小説の主な構成要素は、沖縄、クイズ、宮古馬。
この3つの奇妙な要素が、本書のテーマである、孤独なもののつながり、記録を残すことの意味を示すこととなる。
舞台は沖縄であり民俗学的な部分もある中、国際宇宙ステーション、深海、紛争地のシェルターといった場所にまで物語は及び、スケールの小ささと大きさのダイナミズムに心が揺さぶられた。
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SF的な設定ですが、帯にあるような面白い・感動するという激しい印象はあまりなくて、穏やかに染みる感じでした。記録すること、保存すること、知識を記憶として蓄えること、記憶から解答すること。これらの行為って、人間にとって、もしくは私にとって、どんな価値があるものなんだろう、とぼんやり思いを巡らせたくなった作品です。
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表紙に惹かれて購入。
どのくらいの素養があると、この物語を楽しめるのだろうか。
よく呑み込めない状況が、よく呑み込めないまま終わってしまった。
テーマは分かる。だが何を目的にと考えた時、彼女は何をしているだろうと思った。
エンタメではなく、記録を読んでいるような作品。
記録は全て利用されるものではない。日の目を浴びないものが大半。
しかし、そこに存在したという事実は記録がないと全てなかったことになる。
ネットアーカイブで残すのも時代に合わせた記録だろうと受け取った。
別に役に立たなくてもいい。その事実があったという記録を残せればいい。
ただあの3つのキーワードは結局何だったんだろう、そこがもやもやする。
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再読します!
現実とファンタジーを行ったり来たりしていると読み切って気付いたのですが、私が沖縄に暮らしていたこともあり、現実と違うところにばかり目に留まってたなと振り返って感じます。改めて心持ちを変えて読みたいと思います。
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独特な世界観の中静かに話が進んでいく
クイズ相手からもらった知識を得て、ここまで行動的になれる主人公、なかなかです
ばらまいた資料が必要になるときが来ないのもさみしいし、必要なときが来たら島は崩壊してるわけだしで、とても複雑ですね
とりあえず知識だけでひとりで馬を乗りこなすのがすごい
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久しぶりに芥川賞作品を読んだ。
沖縄が絡む本はやっぱり読みたくなってしまう。
200ページ程の薄めの本だからすぐ読めるんだけど、あんまり進まなかったな。
個人的に芥川賞よりも直木賞が好きで、続きが気になって仕方がないみたいなストーリー性ではなく文章の美しさや雰囲気を読むような芥川賞は、やっぱり今の私にはあまりグッとこず…いつか芥川賞も楽しめる大人になれるのか…!
でもつまらないとかではなく、好きな雰囲気ではあった。
孤独がテーマなのだろうけど、暗かったり重かったりせずさらりとしていた。
馬に乗る主人公はなんだか微笑ましかった。
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主人公の仕事は、諸事情で閉鎖された空間に取り残されている人相手にネット経由で3語連想クイズ問題を出すこと。主人公の趣味は住んでいる沖縄の雑多な資料館の各種記録整理し写メ撮って保存すること。主人公の孤独な人生にある日馬が現れること。
純文学(芥川賞受賞らしい)だからこその難解な設定、主張の込め方も純文学っぽい、いわば苦手なジャンルなのだが、読み進むのは比較的ラクだったような。
読んでいて、ずっとある作家のことが脳裏に浮かんでいた。「これ、津村記久子っぽいなぁ」と
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ちょっと不穏な雰囲気で、面白そうな気配の序盤、、、がずっとつづいたような小説だった。
謎の資料館、謎の仕事、謎の回答者、謎の馬、、、と、これからどう面白く料理するの!?ってワクワクしながら読み進めたら、そのまま BBQ にするだけでした、、。みたいな結末。
期待感が高まりすぎちゃったから、読後感はちょっと残念ではあった。
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未名子の仕事は『孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケアと知性の共有』、通称問読者(トイヨミ)。
冒頭から沖縄の歴史や文化についての記述があり、最初、何を読んでいるのか分からなくなりそうだった。
淡々と粛々と進んでいた物語が、宮古馬の登場をきっかけに少しずつ変化する。それまでの未名子では想像できないような大胆な行動を起こす。
未名子は自分は孤独だと感じているようだけれど、人の心が分かる、人と心を通わせられる人だと思う。
そこがトイヨミの仕事に向いているところだと思うし、資料の価値をちゃんと見いだせたのだと思う。
どんなに孤独だと感じていても、人は必ずどこかで誰かと繋がっている。気づいて意識をするかしないか、意識しようとするかしないかの違いなのか。
物理的に孤独でなくても、気づくことができなければ、気づこうとしなければ、その方が孤独なのではと、考えさせられた。
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不思議なお話。
沖縄に住み未名子は、小学生の頃から登校拒否なのかな。
それで、近くにある私設の郷土資料館?の整理を手伝っていた。館主は、順(より)さんという女性。順さんの娘の途(みち)さんも、順さんと暮らすようになる。
未名子の仕事は、不思議。一日に、2~3回、ネット通信で外国人に25問ほどクイズを出して答えてもらう。少し雑談も。後は、資料館の整理を手伝う。
自宅は、何年か前の父が亡くなり、一人暮らし。
ある双子台風の時に、自宅に馬が迷い込んできた。
警察に届けたが、ネット通信している外国人に話すと、馬との接し方などを教わる。
順さんの死期が近いことを感じて、未名子は、資料館の資料を画像データ?として残すことを計画。
馬も預け先から保護して、仕事もやめることにして、
ネット通信している外国人に、データを保管してもらう。
最後の通信の時には、外国人の身の上話を聞く。
そして、順さんの死が知らされ、お葬式の手伝いをして、途さんの身の上話も聞く。
順さんの資料館は解体される。
中の資料は、未名子のSDカードと、ネット通信していた外国人の元に残る。
これは、何を伝えたいのでしょう?