あらすじ
信一郎は乗合自動車で事故にあい、瀕死の青年から腕時計を託される。返すべきひとは、死に際に口走った「瑠璃子」という女性。帰京後探し当てた瑠璃子は真珠のように美しく、孔雀のように微笑み、自分のサロンに集う男たちを弄ぶ妖婦だった。かつて父の名誉を守るため、没落しかけた家を救うため、将来を誓った恋人・直也と別れて、新興成金の荘田勝平の妻となった瑠璃子には、運命に翻弄された過酷な過去があり──。TVドラマ化され、話題を呼んだ大河ロマン小説。
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通俗小説、もう昼ドラ。大正09年の連載と言うから100年以上前の昼ドラ。純文学の菊池寛の方がいい作品たなあとは思うものの、こっちは一気読みできる面白さがある。瑠璃子、ちゃんと読んでもどうしても好きになれない。これは人によって感想が違うのかなあ。
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芥川賞と直木賞の創設者であり、文藝春秋社の創始者である菊池寛の長篇小説。
園遊会に招かれた華族に生まれた若い恋人達が、拝金主義の主催者の男と口論になり、お金こそ全てと信じて疑わないその男は、侮辱された恨みを晴らすため、女性の父が金策に窮することにつけ込んで罠に嵌めます。
追い詰められた女性は、恋人と引き裂かれて、憎むべき男と愛の無い結婚を選ぶことに。体を許さぬうちに、その男も亡くなりますが、美貌の未亡人を世の男性たちが放っておくはずも無く、サロンと化した自宅に集う男たちを翻弄することが常態化していきます。そのような様子から、しだいに妖婦と言われるようになりますが、はたして彼女の本当の心の内は…。
この小説は、新聞に連載されていたこともあり、それぞれの章が短くて読みやすかったです。しかし、短いが故に主人公と父が、拝金主義者に追い詰められていく過程の中で、若い恋人とのやり取りや葛藤などが、もう少し書かれていたらなとは思いました。とはいえ、小説全体からすると些細なことで、話しはとても面白かったです。
この『真珠夫人』というタイトル、愛する人のために守るものを守った女性の真の強さをよく表していると思います。ただ、これが小説だから心情を解することができますが、リアルの世界では、彼女はかなり嫌われるでしょうね。通俗小説として割り切って読むことが肝要です。
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長さを感じず、あっと言う間に読める。面白い。
人間の表裏一体な感情が見事に描写されているように思う。特に女性の揺れ動く様々な感情が、さらけ出したくないのだが良くわかる。菊池寛、男なのに恐るべし。
人の感情は常に揺れ動く。しかし信念、信条をもって覚悟を決めれば揺るぎない人になれる。瑠璃子しかり、信一郎しかり...
この時代ならではの事情で、自分の思い通りにいかない結婚になった瑠璃子だが、揺るぎない覚悟は相当だったのではないか。自分の信念を貫くのか、人としてどうかという道徳。相反するときにとる行動は?
人としてを選んでいる私。そして常に不満を抱いている私。
瑠璃子は、芯があり、最高の美貌をもってしても、あのような生き方しか出来なかったのか…?時代のせいなのかも知れないが、初恋は拗らせたら駄目なのね。
最後は報いを受けるが、一番解放された瞬間だったのだろう。胸が痛くなる。
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「瑠璃子」さんにどんどん魅かれて、読むスピードも早くなってあっという間に読みきってしまった作品でした。本当に男性が書いたのかと思うような女性目線の作品です。時代設定もあるからか、男性と女性の価値観に関して、当時の社会や文化を知ることもできる。男性優位の社会のなかで、このような強い女性を描かれているので、時間が経っても色あせないので、今でも読まれている作品なんだと思いました。
最後のほうの主人公が瀕死状態のときに現れた昔の恋人とのシーンが忘れられません。唯一本当の主人公の姿を知っている昔の恋人への最後の笑顔を塑像すると、彼との約束を守ったことを無言で伝えたのではないだろうかと思えてきました。
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ストーリーの展開を含めて、ぐいぐいと惹きこまれていく。
大正時代の小説、古臭い小説、との先入観を持つ必要は全くない。いや、大正時代だからこそ、新たな価値観の萌芽の時代だからこそ、男女の価値観において、このような興味深い小説が書けるのかもしれない。
女性の生き方、フェミニズムをテーマにしているのだが、今でも色褪せないテーマであるし、考えさせられることも多々ある。
***
「男性は女性を弄んでよいもの、女性は男性を弄んで悪いもの、そんな間違った男性本位の道徳に、私は一身を賭しても、反抗したいと思っていますの。今の世の中では、国家までもが、国家の法律までが、社会のいろいろな組織までが、そうした間違った考え方を、助けているのでございますもの。」
「そうそう、ワイルドの警句に『結婚の適当なる基礎は双方の誤解なり』という皮肉な言葉がありますが、貴君の私に対する、結婚申し込みなんか、本当に貴君の誤解から出ているのです。」
しかし、白蓮さんを重ねて読むのでなく、これはこれで小説として読むと、本の厚みの割りに、ドンドン読み進められ、先の気になる内容で、本当に面白く読んで良かった1冊です。
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これは面白かった!
信一郎屋敷に乗り込むシーンは、瑠璃子の悪女っぷりが憎たらしくて、信一郎も惑わされてるんじゃないわよ!? と、夢中になってしまった。後半の展開も意外で、非常に楽しませてもらいました。
Posted by ブクログ
近代文学なのに、このストーリー。
ちょっと刺激的すぎるところが、ドラマ化した理由なのかしら~。
まさに、昼ドラの内容。
でもね~、この菊池寛の描写がきれい分かりやすいので
自分の身において考えられるのが嬉しかったのよね。
読んでて
「ああ、この気持ちよくわかる~」
って思うところがいっぱいあったのよ。
ストーリーの背景は、ずーっと前のことなのにね
何か通じるものがあるってことは
時代は移り変わっても人の心持ちは進化しないのかな~って思ったわ。
この小説の中に『処女』っていう言葉が何回も出てくるのよ。
今の世の中に、こんな清い言葉が小説の中に入ってるのが驚いた。
今の時代、簡単に『処女』を捨て簡単に男に弄ばれようとする女が多い中で
表面的には男を弄んでた真珠夫人こと瑠璃子にしろ、美奈子にしろ
処女を守りきるこういう女性がいるのはとっても美しいな~って思ってしまったのよ。
日本古来の本当の女性像。
こういう人、いまじゃ~いないだろうな~。
長編小説だけど、話にすごい入っていけて面白かったわ。
Posted by ブクログ
瑠璃子の心の奥に秘められた思いの強さ、その苦しみからの行動、なんというか非常に切なかった。最初の可憐な瑠璃子が本当に愛していた人と引き裂かれて不本意な結婚を強いられてしまう。借金と名誉のために、ほぼ身売りのような形で。ただ、それは勝ち気な瑠璃子にとっての「負け」ではすまされなかったのだろう。負けてなるものか、見返してみせるっていう強い気持ちで戦いに立ち向かったのだと思う。彼女は「妖婦」となって、社会を敵に回してでも戦おうとしたのだ。
この時代設定からしても、こんな女性は当時実際に居なかったのではないだろうか。「男性が女性を弄んでも誰もとがめない、国も認めている。でも女性が男性を弄ぶことは許されない」という社会に対して、一人の女性が一身を賭けて反発して戦う。瑠璃子がどんな決意と覚悟でそんな生き方を選んだのか、読み手にはそれがわかるから。そして、本当に愛する人、直也と美奈子を愛し抜く。瑠璃子が美奈子の気持ちを汲みして話す最後あたりのシーンは本当にじーんと来た。孔雀のように男性たちを弄ぶ瑠璃子の姿ではなく、本来の瑠璃子の心がこれなのだ。一人の女性のすべてを賭けた戦いの人生の物語だ。
ストーリーもわかりやすく、どんどん読み進めていける(というか、読む手が止まらないほど)面白かった。昔の小説だけど、本当にドラマチックで衝撃的でドキドキしながら読めた。
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ワタクシこれで卒論書いております。
瑠璃子の人物像、多少不完全なところもあるけれども、大正時代からすればすっごい新しかったんだろうな、と思います。自分を恨んで死んだ男が書いた恨み節をよんでも、「自惚れが強いのね☆」と一蹴してしまうところなんかはかなりカッコヨイ。
ただし、フェミニストとしてのやり方は褒められたものではなく、それによって悲劇的な結末へと導かれていくのではないかと思われます。たわしコロッケはないけどね(笑)
Posted by ブクログ
菊池寛二冊目。貞操問答よりも、こっちの方が気に入った。ミステリアスな出だしと、主人公の心理描写が絶品で、(当時としては非常にセンセーショナルであったであろう)社会風刺も効いている。なるほど、これは面白い。
Posted by ブクログ
菊池寛、寛忌。
大正9年「大阪毎日新聞」「東京日々新聞」連載。
大正華族の没落「通俗小説」
20年前の文庫帯が残っていて、
日本小説史上の大傑作、復刊‼︎
美しき男爵令嬢を襲った残酷な運命
当時、テレビドラマ化されているらしい。
だって、昼メロの匂いがする。
そして、菊池寛文学全集からとなるが、解説が川端康成。菊池寛について、他の作品にも触れて語っている。
まず、プロローグ部分が惹きつける。
たまたま、当時はまだ贅沢なタクシーに同乗した美しい青年の事故死。彼の残した大学ノート。
遺言は、ノートは、海へ捨ててください。
腕時計を“るりこ”に返してください。
同じタクシーに乗り看取った男は、その遺言を叶えようと動き出す。
圧倒的な美貌を持つ気高い未亡人、るりこが、主人公。彼女は、正義感の強い男爵の元、大切に育てられていた。この男爵は、人望も厚く政界で活躍するが、生真面目さと面倒見の良さで家計は逼迫している。
そんな時、るりこは恋人と共にあるパーティに出席して、正田という男の反感を買ってしまい、金を使った罠に嵌められていく。
身動きできないところまで追い詰められ、るりこは、正田と結婚する決意をする。
そこから、るりこの反撃が始まる。るりこの思惑通り、彼女の美貌と行動力で、正田家は、るりこの思惑通りに崩れていく。
しかし、彼女の心の傷は癒えない。彼女は、その美貌と英智から男たちを虜にしていく。
それは、別れることになってしまった恋人への想いを忘れるため。
最期の時、彼女は、遂に初恋の恋人に会うことができる。哀しい別れとなるが、彼女の気持ちは、報われたのか。
さすが、小説の神様。
Posted by ブクログ
ドラマチックな冒頭の話は、裏カバーのあらすじとはまったく合っていないので、最初のところは戸惑ったが、読み進めていきながらなんとなく、あらすじを読まなかったほうが、面白いかもしれないと思いはじめました。先入観を持たずに信一郎とともに「瑠璃子」の謎を解いていくことができるかもしれません。
でも、あらすじを読むと面白さが減るというわけではありません。「それからどうなるか」「信一郎は夫人に魅惑されるか」「夫人は果たして何のつもりなのか」「痛ましい美奈子の初恋の行方は?」「夫人の運命は?」等々、予想しやすい部分もありますが、引き込まれてその先を知りたくてたまりません。読み始めたら止まらないくらい。ベストセラーになったわけもなんとなくわかってきたのです。
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リズム良く、グイグイと引き込まれるストーリー。キャラ設定が萌える。父を踏襲した、瑠璃子。母であり、姉であり、最後には夫をも彷彿とさせる、美奈子への愛。名前のように、色々な青を着こなすファッションセンス。瑠璃子がただただ美しい。
Posted by ブクログ
運命に翻弄され周囲を翻弄した一人の女性の人生を描いた良作。昼ドラ的なドロドロした愛憎劇を想像していたが全くそんなことはなかった。妖婦と呼ばれ男を誑かす瑠璃子は、実際のところ初恋の男への操を守り養女に対し惜しみない愛を注ぐ一人の女性であった。その功罪を周囲の視点を交えながら上手く描いている。
Posted by ブクログ
当時の新聞連載だけあって、とにかく引き込まれる展開、そして速度(勢い)。
明治の煌びやかな雰囲気と、そして真珠夫人の影と孤独が対比してとても美しい作品だと思った。
一つの事実をどう捉えるか、誰が見るのか、その視点によってこんなにも印象が変わるのか、と気付かされる作品。
個人的には「ドガ」と「ゴヤ」のミスも、当時ならではと思って楽しくなった。
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2002年の昼ドラの時に、興味は持ったもののドラマを観ていなかったので、せめてと買った小説が積読でした。
北村薫の『円紫さんシリーズ』で、芥川をめぐる文壇の謎解きから、この作品に言及され、引っ張り出して読みました。
凄いですね、メロドラマの元祖?
何が凄いって、男性の筆によるメロドラマだから。
女性の怖さ、男の愚かさが余すことなく書かれているから。
そして、文庫版の解説が川端康成だから(!)
川端先生の解説の結びでは、通俗小説ながら家庭の読み物としての健康を保ったのは、瑠璃子の悲劇と処女性に同情があったからのように、瑠璃子が美化されているけれど、この時代ではそうだったのでしょうか?
この悲劇の一番の戦犯は、瑠璃子のお父様ですよね~
時代が変わったのを御存じない。
家計の「収」「支」というものをご存じない。
高い志のためなら、借りた金を返さなくてもいいと思っている。
それを取り締まる法律を、「悪い奴に味方している」と、父娘そろって罵倒するという勘違いぶり。
そして、鑑定のために預かった書画を勝手に…
結局、この時代錯誤没落華族は、金で娘を売ったのだ。
そして、瑠璃子様ですが…
この時代では、操を守り通したところが美点だったらしいですが、むしろ、世の中そんなに甘くないよと思ってしまう。
群がり寄る浮ついた男たちはともかく、知的障害のある義理の息子をして、その障害ゆえの一途な思い込みをあおり、利用し、ついには成り行きとはいえ父殺しまでさせた罪は重いと思う。
どんなに美化されようと、この結末しかあり得ない。
しかし、そんな所が王道メロドラマとして非常に面白かったです。
成金の娘でも美奈子さんは天使。
そして、A級戦犯、瑠璃子父は、金で娘を売って、自分はまだ貴族院議員として生きながらえているのでした。
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ドロドロの昼ドラでやっていたという真珠夫人。すごく刺激的な内容なのかしらとドキドキしながら手に取ったが、大正時代の作品ということもあり、とても美しい印象を受けた。
まず、文章の美しさ。椎名林檎の歌詞カードを読んでいるような仮名遣いの数々。日本語ってこんなに美しい言葉だったんだと、今改めて思い出す。
そして、主人公瑠璃子の心の清さ。悪女といっても、今の時代の悪女とは全く違う、品のある心は真珠のような悪女。
物語も、現代小説を読んでいる時のあの残酷な刺激はなく、最後にはホロホロと涙が流れてしまう程度の心地よい読み終わり。
昼ドラではかなりストーリーが変わって毒々しかったらしいので、是非原作を読んでいただきたい。
Posted by ブクログ
古い作品を引き合いに出しますが「ダークなはいからさんが通る」という印象が残りました。主人公・瑠璃子には大正デモクラシー的思想を感じます。作品が世に出た大正9~10年において、俗ではあるけど下衆ではないこの物語は、当時の文学と大衆、双方の歩み寄りに一役買ったのではないでしょうか。
正直なところ作中の瑠璃子はかなりやりすぎてしまったように思うのですが「はいからさん~」のアニメ主題歌の2番にある『大正時代のショッキング・レディ』という歌詞がピッタリはまるキャラクターだったので、私の中では前述の読後感となりました。
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☆あらすじ☆
真珠のように美しく気高い、男爵の娘・瑠璃子は、子爵の息子・直也と潔い交際をしていた。が、家の借金と名誉のため、成金である勝平の妻に。体を許さぬうちに勝平も死に、未亡人となった瑠璃子。サロンに集う男たちを弄び、孔雀のように嫣然と微笑む妖婦と化した彼女の心の内とは。話題騒然のTVドラマの原作。
500ページ以上もあるかなりの長編だったけど
すらすら読み進められました。
大正、昭和の時代の女性は初恋を大切にしていたのだと
しみじみ思いました。
当時は初恋の人と結ばれて一生添い遂げることが
一番の幸せだったんですね。
面白かったので、再読したいです。
Posted by ブクログ
恥ずかしながら菊池寛初体験。
菊池寛といえば「文芸春秋」創設者で、芥川賞・直木賞を設立した人。
また「父帰る」や「藤十郎の恋」等の純文学を生み出してもいる。
大正九年に「真珠夫人」を新聞小説として発表して爆発的ヒットを生んで以来、いわゆる通俗小説を手がけるようにもなった。
「真珠夫人」ってなんだか淫靡な響きじゃありませんか。
林真理子の「白蓮れんれん」を読まなければここにたどり着かなかったと思う。
年下の恋人と駆け落ちした大正の美しき歌人、柳原白蓮を描いた小説だけど、その中に彼女をモデルにして菊池寛が「真珠夫人」を書いたというくだりが出てくるのだ。・・・・でも柳原白蓮と荘田瑠璃子では設定がまるっきり違う・・・当時はそれとわからないように書いたのかしらね。
新聞小説だからかしら、テンポが速くて読みやすい・・・っていうか長い小説なのに次が気になってしょうがない。
きっとこむずかしい純文学に飽きた人やついていけない人たちにはとっても新鮮だったんでしょうね。
小娘のような妻を相手に手出しができない夫も変だし、処女のまま初恋の人を思い続けて死んでいくのもありえない設定だけど、
大正という時代を考えれば相当進んだ小説だったのでは、と思われる。
Posted by ブクログ
「処女は何事にもかえがたい宝なのです!」
みたいな力強い記述が随所に見受けられ、
汚れた現代人にはゴリゴリの違和感です。
おおげさかつクソ真面目な文体が
笑いを誘いますね。
一昔前のノエビアのCMみたいな表紙の絵がこわいや。
Posted by ブクログ
当時の女性観からいえば、かなり新しかったろうと思う。今、読んでもおもしろいし、確かにと思わせるのは、未だ男女平等ではない部分があるからだろうか。特に、恋愛面から言えば、平等になることなんて永遠ないような気がしないでもないけれど。
Posted by ブクログ
物語の中でハラハラドキドキさせる展開は良かったと思いますが、作者が意図して通俗小説として書いている事が分かるぐらいに文章は淡々としています。少し物足りないぐらいです。それは多分、昼ドラが流行った時代に私が昼ドラを見過ぎていたので、物語としては慣れてしまっていたからじゃないでしょうか。
語り手の渥美氏が青木稔の殺人を促してしまう様な構成だとは思わなかったので、そこは意外でしたが冷静に考えると悲劇的な要素はそこで埋まったという感じです。上品に語句や話し手の言葉を使える作者だと思いました。
Posted by ブクログ
自分と恋人がある成金男性を侮辱したことで生活をめちゃくちゃにされ、その男性ひいては社会に対して復讐をする話。
法に背かない範囲で父までも追い詰めた相手に敢えて嫁ぐことにより精神的な苦痛を与え復讐をしようと考えるが、相手はあっけなく死んでしまう。
いつのまにか矛先は、男は女を弄んでも良いけど逆はダメ、な社会に対して、自分が男を弄ぶことによって意見するようになるのだが、最終的には恨みを買って悲劇が起こる。
それぞれがなんだか幼く、意地にこだわってみたり我を押し通してみたりが絡まり合って最後はひどい結末。