あらすじ
「村上春樹」は小説家としてどう歩んで来たか――作家デビューから現在までの軌跡、長編小説の書き方や文章を書き続ける姿勢などを、著者自身が豊富な具体例とエピソードを交えて語り尽くす。文学賞について、オリジナリティーとは何か、学校について、海外で翻訳されること、河合隼雄氏との出会い……読者の心の壁に新しい窓を開け、新鮮な空気を吹き込んできた作家の稀有な一冊。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
7年振りに再読(25年11月末)。名言が多いが特に感じた点は①観察者としての小説家②ロジカルよりもフィジカルの2点。以下の引用箇所にも記載の通りだが、いかに著者が細かく人や事象を観察し、その断片的な記憶を蓄積しているかが分かる。それは半ば無意識的な行為であり、小説家ではない我々も日常的に行っていることではあるが、面白い/異常な行為はそれを知覚/解釈する負荷の高い作業も包含しているように感じられ、中々それらの間に共通したテーマ等を見出すのは難しい。著者は小説家としてアウトプットを出すために日常的に運動を行い、体力を維持しているとのことだが、確かにこれらのあくまで断片的なものを収集/再解釈し、それらに一本の筋を通すストーリーを紡ぐというのは、相当に体力の要ることなのだろうと思う。また、今回は「実感」「個人的な思い」等の言葉が印象的であった。ロジカルに考えれば真っ先に捨て去られてしまうような考え(自分の場合だと文系博士課程留学)であっても、そこに何かしらの実感や欲求があるのであれば、それを育てていくのも一つの手であるということ。もちろん、いばらの道であり、自分の中の種を育てていくことは必須条件となるが、その自分の中にある一種の才能?の可能性を強く信じること。どこまでも個人的な営みとはなるが、その負荷を受け入れ、フィジカルな実感を感じ続けること。ある意味では小説家の仕事とも共通する部分があるのかなと思い、励まされたような気がした。
特に印象に残った箇所は以下
・自分のオリジナルの文体なり語法なりを見つけ出すためには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです(p.107-108)
・多くの場合、僕が進んで記憶に留めるのは、ある事実の(ある人物の、ある事象の)興味深いいくつかの細部です。全体をそっくりそのまま記憶するのはむずかしいから(というか、記憶したところでたぶんすぐに忘れてしまうから)、そこにある個別の具体的なディテールをいくつか抜き出し、それを思い出しやすいかたちで頭に保管しておくように心がけます(p.125)
・ジェームズ・ジョイスは「イマジネーションとは記憶のことだ」と実に簡潔に言い切っています。そしてそのとおりだろうと僕も思います。ジェームズ・ジョイスは実に正しい。イマジネーションというのはまさに、脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。あるいは語義的に矛盾した表現に聞こえるかもしれませんが、「有効に組み合わされた脈絡のない記憶」は、それ自体の直感を持ち、予見性を持つようになります。そしてそれこそが正しい物語の動力となるべきものです(p.128)
・人の営みというのは、一見してどんなにつまらないものに見えようと、そういう興味深いものをあとから自然に生み出していくものなのです。そこでいちばん大事なことは、繰り返すようですが、「健全な野心を失わない」ということです。それがキーポイントです(p.140)
・自分の「実感」を何よりも信じましょう。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。書き手にとっても、また読み手にとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありません(p.175)
・僕は思うのですが、人は本来、誰かに頼まれて小説を書くわけではありません。「小説を書きたい」という強い個人的な思いがあるからこそ、そういう内なる力をひしひしと感じるからこそ、それなりに苦労してがんばって小説を書くのです(p.181)
・僕が言いたいのは、ある意味においては、小説家は小説を創作しているのと同時に、小説によって自らをある部分、創作されているのだということです(p.259)
・全員を喜ばせようとしたって、そんなことは現実的に不可能ですし、こっちが空回りして消耗するだけです。それなら開き直って、自分がいちばん楽しめることを、自分が「こうしたい」と思うことを、自分がやりたいようにやっていればいいわけです(中略)もちろん自分が楽しめれば、結果的にそれが芸術作品として優れているということにはなりません。言うまでもなく、そこには峻烈な自己相対化作業が必要とされます。最低限の支持者を獲得することも、プロとしての必須条件になります(p.278-279)
・日本という土壌から、その固い枠組みから逃れたくて、いわば「国外流出者」として外国にやってきたのに、その結果、元ある土壌との関係性に戻っていかざるを得ないわけですから(p.324)
・そのフロンティアがうまく有効に切り拓けるかどうか、それは僕にもわかりません。しかし繰り返すようですが、何かしらの旗印を目標として掲げられるというのは素晴らしいことです。たとえ何歳になろうが、たとえどんなところにいようが(p.325)