あらすじ
各紙誌で絶賛! 村上作品の原風景がここにある
村上春樹が自らのルーツを綴ったノンフィクション。中国で戦争を経験した父親の記憶を引き継いだ作家が父子の歴史と向き合う。
父の記憶、父の体験、そこから受け継いでいくもの。村上文学のルーツ。
ある夏の午後、僕は父と一緒に自転車に乗り、猫を海岸に棄てに行った。家の玄関で先回りした猫に迎えられたときは、二人で呆然とした……。
寺の次男に生まれた父は文学を愛し、家には本が溢れていた。
中国で戦争体験がある父は、毎朝小さな菩薩に向かってお経を唱えていた。
子供のころ、一緒に映画を観に行ったり、甲子園に阪神タイガースの試合を見に行ったりした。
いつからか、父との関係はすっかり疎遠になってしまった――。
村上春樹が、語られることのなかった父の経験を引き継ぎ、たどり、
自らのルーツを初めて綴った、話題の書。
イラストレーションは、台湾出身で『緑の歌―収集群風―』が話題の高妍(ガオ イェン)氏。
※この電子書籍は2020年4月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを-息子である僕が部分的に継承したということになるのだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は〈引き継ぎ〉という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?【P63】
たとえば僕らはある夏の日、香櫨園の海岸まで一緒に自転車に乗って、一匹の縞柄の雌猫を棄てにいったのだ。そして僕らは共に、その猫にあっさりと出し抜かれてしまったのだ。何はともあれ、それはひとつの素晴らしい、そして謎めいた共有体験ではないか。そのときの海岸の海鳴りの音を、松の防風林を吹き抜ける風の香りを、僕は今でもはっきりと思い出せる。そんなひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。【P106】
村上春樹さんの物語で、私の物語だ。ささやかなものごとの集積。ストンと、納得できた。
Posted by ブクログ
捨てたと思ったことが戻ってくることに
それは猫だけではないことがうっすらテーマとしてある。
基本的には戦争の話だが、
いつの時代にもある「昔よりも今が良い環境で
なぜ今の若者は頑張らないんだ」という考え方もある。
一方で、経験したことのない戦争の話もあって
今と昔が繋がっていることが文字として違和感なく入ってくる構成だった。
おそらく、戦争だけではなくその時代背景も描写されていたからだと思われる。
戦争特有の被害者感があまりなく
私自身勉強になった一冊。
Posted by ブクログ
【歴史は現在に生きていると気づくこと】
村上春樹さんの本では、たくさんの史実的描写が出てきて、細かい描写に感心する。過去への好奇心と想像力は、どこから来るのかなと思ったりする。
この本では、村上春樹さんの父親の経てきた過去について、一緒に猫を捨てに行った、自身の記憶にある出来事から始まり、90歳になった父親、そして母親などに聞いた、自身がまだ生きていなかった、主に戦時経験についてつづられている。
「僕がこの文章で書きたかったことのひとつは、戦争というものが一人の人間ーごく当たり前の名もなき市民だーの生き方や精神をどれほど大きく深く変えてしまえるかということだ。そしてその結果、僕がこうしてここにいる。」
東日本大震災から13年。震災を経験していない子どもたちが、この経験を語りつぐ活動をしているというニュースを見た。
私は私のとても身近にいる人の経た体験も、その体験から今に続く世界の見方も、きちんと知らないなーと思った。
「・・・歴史は過去のものではない。それは意識の内側で、あるいはまた無意識の内側で、温もりを持つ生きた血となって流れ、次の世代へと否応なく持ち運ばれていくものなのだ。そういう意味合いにおいて、ここに書かれているのは個人的な物語であると同時に、僕らの暮らす世界全体を作り上げている大きな物語の一部でもある。ごく微少な一部だが、それでもひとつのかけらであるという事実に間違いはない。」
一般的な歴史を個人的な話として知ることで、歴史が生きた現実のものになる。
歴史と現在のつながりを作って行く作業って、他者への想像力を養うことでもあるんだなーと思ったり。
社会には、それぞれの現実が混在する。隣にいるひととさえもなかなかうまくやれないことも多い。生きてきた環境や時代が違うと、考え方や世界の見方は違うのは当たり前。摩擦を起こしながら人と関わり、ときに通じ合い、ときに自分の考えについて問い直し、相手について思考をめぐらす。他者との違いへの好奇心を持ち続けること、他者に影響され、出来事に影響され、自分の考え方が変わることを許すこと、それが世界への見方を豊かにし続けたいと思ったり。
Posted by ブクログ
村上春樹の父親のことをまとめた自叙伝ならぬ父叙伝?で、戦争の時代を生きた父親のことを、その息子である村上春樹が、あやふやな記憶とたくさんの文献から整理したもの、、という(どちらかというと)村上春樹にしては味気ない印象を受けた。
個人的には、村上春樹の本に対して自分は、彼の考えたこととか感性に触れる、ということを求めているのだな、と再確認できた。
ちょっと毛色の違うものを、、と思って手に取ってみたが、いささかばかり事実の整理という側面が強く、途中からは流し読みになってしまった。
(そのために書いた、と著者自身が言っている本なのだから、それを承知で読み始めた自分が悪いのだけれど)
いちばん印象に残ったのは、やはり最後の締めのところでの文章だった。
「...我々は、広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。」
なんでもない自分が、なんでもない平々凡々な人生を生き切ることの意味を、ここに見出せる気がしている。
記憶というのはとても曖昧であやふやなもの、、というのを、最近、読んだ本や自分の経験からひしひしと感じていた。
この本の中でも、そんな場面がいくつかあった。まとまった言葉や文章になっていれば、なんとなく確かなもののように感じるが、実際にはさまざまな文献を辿って、整理して、そこで初めて記憶という形になるものだと読んでみて思った。
Posted by ブクログ
村上春樹の父親についての話。どうも現実の話ように思えなかったが、後書を読んで本当なのだと実感した。
「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」この言葉は人生そのものを表していると思う。
一度足を滑らすと、止まることなく駆け落ちていくのは登ることとは全く怖さが違ってくる。
戦争が人々の生き方を大きく変えたと言うことは、当時を生きた人間全てに言えることだ。私の曽祖父も同じ時代に戦死している。家系の面影が残る遺影は、喋ったこともないし会ったこともないのになぜか親近感が湧く。
曽祖父が戦死していなければ私は生まれなかったのかもしれないと思うととても不思議な気持ちになる。
Posted by ブクログ
一言感想【まだ私が知らない時代にふれる】
内容としては、タイトルの通り、村上春樹さんの父親について書かれたエッセイ。
父が経験した戦争についての話題がメインに置かれているので、話としては少し難しく感じましたが、そこはさすが村上春樹さんの文章、という感じで読むことが出来ました。
一人の人生(半生?)を追っていくことで、その時代がどんな時代だったのかを部分的に、より近い感覚でふれることができました。
歴史とは過去のものではない…その中の個人の重さ…記憶を文章にしていくことには、透明になるような感覚がある…そんな表現の仕方が、とても村上春樹さんらしく感じたし、こんな私でも受け入れやすい文体で、素敵だと思いました。
また、高妍さんのイラストが、どこか寂しさがありつつ、可愛らしく素敵でした。