【感想・ネタバレ】リーマン・ショック・コンフィデンシャル下 倒れゆくウォール街の巨人のレビュー

あらすじ

目前に迫ったリーマンの破綻。救済なくば、他の巨大金融機関、さらには世界経済の破綻も避けられない。だが、ポールソン財務長官はウォール街の全CEOを招集して、こう告げた。「政府は公的資金を注入しない。身内で救済案をまとめよ」ライバルを助けろという異例の命令に、CEOたちはしぶしぶと資金供出を決めるのだが。《フィナンシャル・タイムズ》紙の年間ベスト・ビジネスブックに選出。金融ノンフィクションの傑作

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ウォール街の緊迫を描いたドキュメンタリー小説のような金融ノンフィクション

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル(原題:Too Big to Fail)』は、2008年の世界金融危機、いわゆるリーマン・ショックに至る過程とその最中に繰り広げられた米国金融界と政界の舞台裏を克明に描いた一冊である。著者であるアンドリュー・ロス・ソーキンは、ニューヨーク・タイムズの記者として長年ウォール街を取材してきた経歴を持ち、膨大なインタビューと文書をもとに、この未曾有の金融危機の内幕を驚くほど生々しく描写している。

この本は上巻・下巻の2冊構成となっており、上巻では危機の兆候が徐々に現れ、ベア・スターンズやリーマン・ブラザーズといった名門投資銀行が追い詰められていく過程が綴られている。一方、下巻ではリーマン破綻後のパニックの広がりと、その後の公的資金注入、いわゆるTARP(不良資産救済プログラム)をめぐる政治と金融の交錯が描かれている。


リーマン・ブラザーズ崩壊の瞬間と政府の動き

この作品の中心にあるのは、2008年9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻である。誰もが救済されると信じていたこの巨大投資銀行が破綻したことで、世界の金融市場は混乱に陥った。ソーキンは、当時の米財務長官ヘンリー・ポールソンやFRB議長ベン・バーナンキ、ニューヨーク連銀総裁ティモシー・ガイトナーらの緊迫したやりとりを臨場感たっぷりに描いている。

彼らがどのような思惑と制約の中で動いていたのか、そしてなぜリーマンだけが見捨てられたのかという問いに対し、詳細な証言と再構成によって読者に考察の材料を提供している。

政治的な圧力、制度的な限界、そして人間関係の綾など、複雑な要素が絡み合い、歴史的な判断ミスとも言える決断がなされたことが理解できる。


モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスの危機管理

リーマンが破綻した後、市場の信用収縮は急激に進み、次に破綻すると目されたのがモルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスであった。本書では、これらの企業がどのようにして生き残りを図ったのか、その危機対応の詳細も描かれている。

特に、ゴールドマン・サックスのCEOロイド・ブランクファインやモルガン・スタンレーのジョン・マックらが、政府関係者と連携しながら資金繰りを維持し、銀行持株会社への転換という大胆な手段に出るまでの過程は、まるでサスペンス映画のような緊迫感がある。

また、日本を含む海外の金融機関や政府も巻き込まれたグローバルな危機対応が、どれほど即興的かつ未経験的であったかも本書を通じて痛感することができる。


金融の仕組みと倫理を問う作品

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』は単なる事件簿ではなく、現代金融資本主義の構造的欠陥と、それに対峙する人間たちの姿を描いた物語でもある。サブプライムローン問題、デリバティブの過剰利用、格付け機関の形骸化などがいかにして危機を引き起こしたのか、またその仕組みを理解していなかった者たちがいかにしてその代償を払わされたのかが描かれている。

登場人物たちの言動からは、金融業界における倫理観の欠如や、自己利益を最優先する姿勢が浮き彫りになっており、読者に対して「この仕組みをこのまま維持して良いのか」という根源的な問いを投げかけてくる。


映画版との比較:文章ならではの深み

本書は2011年にHBOによりテレビ映画化されているが、原作を読んで感じるのは、やはり文字情報ならではの緻密さと詳細さである。映画では時間の制約上、省略される多くのディテールや、関係者の内心描写は、書籍を読むことで初めて理解できる部分が多い。

何百ページにもわたって構築された人間関係のダイナミズムや、金融用語・制度の説明は、映画よりも書籍の方が圧倒的に丁寧であり、読者が「なぜこの決断に至ったのか」を理解するうえで大きな助けとなる。


本書を読む意義と現代への示唆

2025年の現在においても、金融市場にはさまざまなリスクが存在しており、AIによる取引、気候変動に伴う金融不安、地政学リスクなど新たな脅威が登場している。こうしたなかで本書を読むことは、単なる過去の事件の追体験ではなく、現在と未来の金融リスクを洞察するための貴重な教訓を得る行為である。


日本においても金融リテラシーが重要性を増している中で、本書は「金融を知らないことがいかに危険か」をリアルに示しており、資産運用や投資を行う者にとっては必読書の一つと言えるだろう。


まとめ

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』は、2008年の金融危機という一大事件の内幕を描いたノンフィクション作品であると同時に、金融という複雑で時に非情な世界の縮図でもある。著者アンドリュー・ロス・ソーキンは、膨大な情報と証言を駆使して、関係者の心理や政治的駆け引きを精緻に描き出しており、読み応えは抜群である。

現在の金融環境を理解する上でも、過去の危機の詳細を知ることは不可欠であり、本書はそのための格好のテキストである。リーマン・ショックの記憶が風化しつつある今だからこそ、多くの人に本書を手に取ってほしい。

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2025年05月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 最初にエピローグを読めばよかった。登場人物が多いので、全体像把握してから読むべきであった。それにしても、リーマンショックと言えば、日本でも仕事面・生活面でも身の回りで影響があったように記憶しているが、アメリカ本土ではリーマンだけでなく大手金融機関が軒並み大変になっていたことは恥ずかしながら知らなかった。エピローグに簡潔にまとめられている。


「わからない、まったく」ポールソンは疲れた声で言った。頭のなかはまだリーマン・ブラザーズとメリルリンチの運命のことでいっぱいだというのに、AIGのための解決策も考えなければならないのか?

 ミラーは一刻も早く会社を売却する方法を探っていた。この業界は取引先の信頼や信用で成り立っている。リーマンは単独で運営されている時間が長引くほど価値を失っていく。
 
 マックは言った。「わが社はクリーンだ。利益も出ている。過去八日間でさえ大幅な利益をあげている。しかし、そんなことはなんの慰めにもならない。今日の市場では、実際の業績よりも財務に関するデマ、噂、中傷のほうがはるかに影響力を持つ」

 ペック判事は、一世紀以上の歴史を持つ企業に残されたものを救うことの重大さに心を震わせながら、バークレイズとの取引を承認した。
「ミスター・ミラーに圧力をかけられたから、承認したのではありません」判事は説明した。
「これが考えられるなかで最適な取引だとわかっているから、承認するのでもありません。私がこの取引を認めなければならないのは、これが唯一残されている取引だからです」

以下、エピローグより
 たった数カ月のあいだに、ウォール街とグローバル金融システムは、すっかり様変わりした。かつての五大投資銀行は、それぞれ破産したり、身売りしたり、銀行持株会社に変わったりした。住宅ローン二大企業と、世界最大の保険会社が政府の管理下に置かれた。そして10月初めには、大統領のペンが動き、財務省―ひいてはアメリカの納税者が―かつて国の誇りだった金融機関の一部を所有することになった。ほんの数カ月前には、想定することすらむずかしかった救済策だった。

 ゴールドマンの成功に関する真の疑問は―ほかの会社にも言えるが―次のようなことだ。政府と納税者が、少なくとも暗黙のうちに彼らのビジネスを保証している場合、莫大な利益を生み出すリスク負担に規制当局はどう対応すべきか。実際、2009年下半期におけるゴールドマンの想定最大損失額は、どの日をとっても史上最高の2億4500万ドルに達していた(前年の数字は1億8400万ドル)。ゴールドマンのビジネスはこれまでのところ好調だが、これがまちがった方向へ進んでいたら、どうなっていたのか。好むと好まざるとにかかわらず、ゴールドマンは、国内最大級のほかの金融機関と同様、大きすぎてつぶせないまま残っている。

 たしかに、もし政府が何もせず、破産申請をする金融の巨人たちのパレードを眺めていたとしたら、実際よりはるかにひどい市場の大変動が起きたことだろう。一方で、連邦政府の官僚―ポールソンやバーナンキやガイトナーたち―の一貫性のない決断が、市場の混乱になったことは否めない。ベア・スターンズにはセイフティネットを提供し、ファニーとフレディも救い、リーマンは破産させておいて、結局あとでAIGを救済した。定型はあるのだろうか。規則は何なのか。何かあるようには思えず、投資家が混乱したとき―この会社は救済されるのか、そのまま破綻させられるのか、それとも国有化されるのか―当然ながらパニックが生じた。

 救済措置の後、まださまざまな議論が噴出していたころに、ジェイミー・ダイモンがヘンリー・ポールソンに短い手紙を送った。セオドア・ルーズベルト大統領が、1910年4月にソルボンヌ大学でおこなった”共和国における市民権について”という演説を引用したもので、次のような内容だった。
 
 重要なのは批評家ではない―力ある者がどうつまずいたか、偉業をなしとげた人間がどこでもっとうまくやれたかを指摘する人間ではない。名声は、現に競技場に立つ男のものだ。果敢に闘い、判断を誤って、何度も何度もあと一歩という結末に終わり―なぜなら、まちがいも欠点もない努力など存在しないから―顔はほこりと汗と血にまみれている。しかしその男は、真の熱意、真の献身を知っており、価値ある理念のために全力を尽くす。結果、うまくいえば優れた業績という勝利を得る。しかし、万一失敗に終わっても、それは少なくとも雄々しく挑戦したうえでの失敗である。だから彼の立場が、薄情で臆病な、勝利も敗北も知らない者たちと同じになることはありえない。

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2018年10月13日

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