あらすじ
死刑廃止の国際的な趨勢に反し,死刑を存置し続ける日本.支持する声も根強い.しかし,私たちは本当に被害者の複雑な悲しみに向き合っているだろうか.また,加害者への憎悪ばかりが煽られる社会は何かを失っていないだろうか.「生」と「死」をめぐり真摯に創作を続けてきた小説家が自身の体験を交え根源から問う.
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Posted by ブクログ
死刑制度については勉強不足で存置派とも廃止派とも言えない状態だったが、本書を読んでこれまでにない死刑制度に対する捉え方を知ることができた。テーマの割に薄いこの1冊で、世界の死刑制度の現状、事例、著者の考えが分かりやすくまとめられていること自体も凄い。
特に日本ではなぜ死刑が支持され続けるのかについて著者が考える要因が、どれも思いつかなかったもので印象的。
著者の実体験に基づく考えや、小説家としての発信について触れられていたのもよい。
本書ももう一度読み直しつつ死刑制度に関する他の書籍も読んで理解を深めたいし、著者の作品ももっと読みたい。
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何年か前、英検1級の二次面接のために勉強しているときに、頻出のトピックとして「死刑制度に賛成か反対か」があった。著者の挙げる反対理由のほとんどは賛成反対ディベート、スピーチでの反対派の模範解答のそれと重なる。しかし、憎しみをわれわれの社会の基とするのではなく、被害者家族に対するケアから加害者、被害者双方に対してやさしく、思いやりのある社会を形成していくべきだという主張は著者独自のものである。死刑廃止論だけではなく、著者の最近の著作の根底にある倫理観、社会思想を理解するうえでも読者の役に立つだろう。
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【目次】
死刑は必要だという心情
「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに向き合って
多面的で複雑な被害者の心に寄り添うとは
――「ゆるし」と「憎しみ」と
なぜ死刑が支持され続けるのか
「憎しみ」の共同体から「優しさ」の共同体へ
――死刑の撤廃に向けて
あとがき
付録:死刑に関する世界的な趨勢(すうせい)と日本
(1)死刑廃止国と存置国
(2)2020年に死刑を執行した国と件数
(3)日本の死刑執行者数と確定者総数の推移
(4)死刑をめぐる日本の世論
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この本は、死刑存置派も、死刑廃止派の両方が、読める本に仕上がっていると思いました。
ですが、私の態度は、両方の意見もわかるという立場になり、未だに死刑については、知れば知るほどわからないと、突き詰めることもなく、曖昧なままの姿勢に、自分で、自分が嫌になるばかりでいます。
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死刑存置派も一考する内容がある。
被害者への配慮は、存知派の方も根本では同じではないだろうか。
著者は自身の意見においての変遷を丁寧に書いており、賛成派も反対派も頷ける部分もあると思う。
結論や正しさを明確に述べている書ではなく、更に理解を深め、自身の意見を構築するために著者は投げかけているのではないだろうか。
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素晴らしい本だった。数十年来の考え方がガラッと変わった。
現在、日本人の8割が死刑制度継続を支持しており、年に数件執行されている。死刑制度が無い国が多数派を占めるなか、日本で依然として死刑が行われている文化的背景などが書かれてある。
本書を読むまで知らなかったのだが、死刑制度が無いことがEU(欧州連合)に加入する条件なのだそうだ。私が居住する国も死刑制度は何十年も前に廃止になっているが、その理由は冤罪が後を絶たないからということだった。
死刑制度が存続する理由は、被害者に対して責任を取る、自分がしたことに対して罰を受けるというものだ。こういう行動に対して、従来から日本では潔く良いこととされてきた。一方、被害者のケアや、犯罪が起こった背景の分析にはあまり力を入れてこなかった。死刑を執行することにより、その人物がいなかった(社会から抹消する)ことになる。
著者の平野啓一郎氏は、本当に優しい人なのだと感じた。著者と同様に、私も死刑を積極的に支持というよりは、被害者の心情を考えるとやむを得ないのではないか、というスタンスだった。「大切な人が殺されても許せるのか」と問われれば、許せないし、これは当然である。著者は小説家であるが法学部を卒業している。本書では彼が死刑について考えることや外国の例が理路整然と述べられている。私の知人2人も、この本を読んで死刑に対する考えが変わったと言っていた。ぜひ一読いただきたい一冊である。
Posted by ブクログ
高校生の頃、「決壊」を読んだ。
「加害者家族の問題はあまり考えたこと無かったな…あくまでも尊重されるべきは被害者や被害者遺族だけど、加害者家族も在り人間や生活が存在するのも事実だ。それでも何よりも被害者や遺族がもっとも尊重されるべきだし、被害者遺族大なり加害者家族だろうよ」と感想を抱いた…ような気がする。印象は強かった。
あれから10年経ち、この本で久しぶりに平野啓一郎の文章に触れた。10年も経てば人の考え方は別人のように変わる。社会や様々な環境に翻弄される生身の人間に触れた、私の道程を思い起こす本だった。
平野氏の伝えたいことにふれるほど、とても個人的な自分自身のあゆみについて考えてしまうのだ。
それは平野氏がこの本のあとがきで伝えたように、私にとって「決壊」が、受動的な変化を残す種そのものだったからだと思う。
どんな人間でも一人一人に人生や背景があることを最初に教えてくれた小説だった。
種はあの本だけではなく、たくさんの本が私にほかの種や水を与えて育ててくれたのだけれど、それでも間違いなく植えられた種の一つは決壊だった。
この本を読む前と読む後で自分の意見は少しも変わらないのは、決壊という種がわたしの人生を経て結実したもののひとつだからです。ありがとう。
また他の小説も読みます。
Posted by ブクログ
この様な重たいテーマを、この短い論考で述べられていることに、まず感嘆した。著者の誠実な考え方が短く凝縮された秀逸な書である。「死刑」という国家による暴力で、問題を解決する社会でいいのか。死刑問題を考えるにおいては、この社会のあり方も含めて、大きく捉えていることが必要と思う。著者は当初は死刑賛成論者であったが、小説を書く中で反対論になった。その理由として、冤罪の問題、加害者の生育環境の問題を挙げ、根本問題として、「人が人を殺していいのか」という根本問題まで至っている。被害者に対するケアが弱いという面もある。最後に、この問題は人権として考えてみるべきであると提起している。と同時に日本の人権教育が感情論に偏っているために、きちんとした議論ができにくいという指摘もされている。「すべての人間が、人権という権利主体であることを認めた上で議論していかなければ、人間による人間の選別が際限なく行われていくことになってしまいます」という著者の言葉で感想をしめたい。
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死刑制度には反対。
しかし昔は賛成だった。
海外の作家と交流したり、『決壊』を書く中で価値観が変わった。
なぜ死刑制度に賛成の人が多いのか→人権教育がなっていないからだ。
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日本が死刑を限りなく例外的なものとして捉えている限り、多数派の死刑存置論を変えることはできないと思う。逆に今以上に厳罰化が進んでいって、死刑選択基準が今より下がっていけば、どこかのタイミングで廃止論派の流れが来るのではないかと期待している。
Posted by ブクログ
死刑制度の存廃を筆者平野啓一郎の言葉から考える。この国の死生観や儀式、宗教、そしてムラ社会の因習などが背景となって、復讐心と人権の対峙は責任と優しさを天秤にかける。現状の看過は社会の荒廃へと連なっていく。そこに私たちは気付く、教育や情報リテラシーの大切さが問われている。謀(はかりごと)は便利アイテムやお得ポイント、そして怪しい "豊かさ" に包装されて見えにくくなっている。死刑制度も鵜呑みは危ない。被害者心情を名目とした "同情" や "憎悪" は "人間らしさ" と "尊厳の軽視" の表裏一体となり、その果てに戦争や紛争は起きる。国家や権力者の暴力はそこにあり死刑執行もその一形態に過ぎない。社会の中枢となる信頼を放棄して、瓦解する社会の苦痛が慢性化した日常は実に恐ろしい。
Posted by ブクログ
死刑制度について深く考えたことはありませんでしたが、何となくあった方が良いと考えていました。しかし、作者の考えに触れ、感情とは切り離して、国家が合法的に人を殺すことができる恐ろしさを理解しました。ただ、もし自分が被害者家族になってしまったら、やっぱり死刑をもとめるかもしれません。それくらい難しい問題ですね。
Posted by ブクログ
今まで深くは考えられておらず、更生の望みや意志がなく、社会に不安定を及ぼすこと、被害者救済の観点で、死刑があることはやむを得ない、という漠然とした立場だったが、様々な観点と、特に被害者への丁寧な取材をベースとした意見で、より多面的にこのテーマを捉えられるようになった。
・憎しみに対する報復は、必ずしも死を持って償うことだけではなく、最高刑である点も重要。死刑があるからこそ、死刑でないことの説明に苦しむ被害者がいることはとてもその通りだと思った。被害者と一括りにするのではなく、より解像度高く、そしてその人たちの支援をいかにしていくか、が重要
・基本的人権の内容については学校教育で触れてはいたものの、人類が獲得してきた歴史やその成り立ち、社会の基礎としてある考え方の大切さは、大人になって幸運にも学べたが、そうでないなら、他者への共感のみでの判断となり、感情的な意見になっていく構造はなるほど、確かに人権教育の失敗だ
・人を殺すことが、社会において何らかの判断で許される、相対的なものとした瞬間、失われるものがあり、そこに恣意性が生まれる(死刑執行のタイミングなどは典型例)社会として、殺人が例外なく絶対に許されない、と決め切ることのメリットは大きいように感じた
・死刑存置派の意見ももう少し丁寧に把握してみたいと思った、筆者の認識では被害者の処罰感情を一義的に捉え、被害者感情に寄り添うべし、という共感のみ、という論だが、果たしてそうなのか、は知りたい
Posted by ブクログ
本書は、タイトル通り、「死刑」について平野啓一郎さんが講演で語った内容をテキストにしたものです。
平野さんは死刑について、以前は存置派でしたが、いまは廃止派になったといいます。ヨーロッパの人々との出会いから変化していったのだそうです。
また、平野さんは小説家らしく、書くことで考えを深めて、存置派から廃止派になったとも語っています。犯罪被害者側の視点を究めた小説『決壊』を書く上での思索が、反対派になった理由でもあるそうです。
本書では、大きく三つの理由から反対を論じられています。ざっくりとご紹介すると、「冤罪の理由」「自己責任論の理由」「倫理上の理由」です。
ところで、一九九七年に、あるTV番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマが高校生から出たそうなのですが、その場の大人はそれにうまく答えることができなかったそうです。
平野さん曰く、殺してはいけない理由は憲法があるから(基本的人権の尊重)だと書かれていますが、なぜか会場の大人にはそれを言う人がいなかったと。
それを、日本の人権教育の失敗につなげて書かれているのですが、このあたりは私も失敗かもなと思いました。
何故なら私は、「相手の立場にたって考えよう」という教育は受けたように思っていて、<共感>についてかなり刷り込まれたものがあると自覚しています。ですが一方で、私は<人権>についてかなり後追いで理解したところがあるからです。
実際に、私が「健康で文化的な最低限度の生活を送ること」などの人権があることを理解できたのは、20代半ばの独学でした。
私的なハナシに逸れてしまいましたが、本書では他に論じられていることとして、<被害者ケアの欠如の問題>にも踏み込んで書かれていました。また<メディアが強める勧善懲悪への共感>という小見出しのところも大変興味深かったです。
絶対的なモンスターとしての人間なんて存在しない。多面的で複雑な人間の、部分部分が見た角度によってモンスターに見える、そういうことなのかな?と思いました。
それが善い方に動けば、有名な大リーガーや天下統一の政治指導者、悪い方に動けば、殺人事件の犯罪者のような。
他の平野さんの著書でも語られている”分人主義”がここでは私のアタマの中を駆け巡りました。
予備知識的ですが、死刑を廃止した国は、(EUもそうですが)イギリスやフランス、ドイツ、イタリアなど108ヵ国が「すべての犯罪に対して廃止」との資料があります。(本書付録「死刑に関する世界的な趨勢と日本」より。)
本書は私が、ある殺人事件のことを思っていた時に、本屋さんで見つけて購入したものです。100ページほどの講演本ですが、非常に多角的ですので、「死刑について」考えること以外にも、「人権について」「被害者ケアについて」「冤罪について」「勧善懲悪について」などの考えを深めるきっかけになると思います。
「深刻で難しい問題を、粘り強く冷静に話し合うことは、民主主義社会に生きている私たちに負わされた課題です。」(p93)
という平野さんの言葉が、強く残って響いています。
Posted by ブクログ
⚫︎受け取ったメッセージ
どちらかといえば死刑制度に賛成だった著者が
死刑制度反対に至るまで
⚫︎あらすじ(本概要より転載)
死刑廃止の国際的な趨勢に反し、死刑を存置し続ける日本。支持する声も根強い。しかし、私たちは本当に被害者の複雑な悲しみに向き合っているだろうか。また、加害者への憎悪ばかりが煽られる社会は何かを失っていないだろうか。「生」と「死」をめぐり真摯に創作を続けてきた小説家が自身の体験を交え根源から問う。
⚫︎感想
死刑制度に賛成・反対どちらかだとしても、どちらの意見も自分なりに吟味した上で立場を考えねばと思った。日本に終身刑という最高刑があるのならば、多くの日本人は死刑制度を廃止しても良いと思うかもしれない。
Posted by ブクログ
実際、あまり深く考えたことはない。死刑はニュースの中の話としてこれからもあまり考えたくない。でも平野さんの考えはものすごく納得できた。終身刑があれば廃止してもよいのではないかと思った。
Posted by ブクログ
私は死刑賛成派でした。揺らぎつつの賛成派で、本書を読んでからは揺らぎの振り幅が大きくなりました。
絶対支持ではないけど遺族がいる場合の感情を考えたら受刑者に死刑を望むのはやむを得ないのでは、とこれまで考えてきました。
ちょっと長いですが本書p37からの引用。
「劣悪な生育環境に置かれている場合だけでなく、加害者が精神面で問題を抱えている場合もあります。本来なら、そういう状況に置かれている人たちを、私たちは同じ共同体の一員として、法律や行政などを通して支えなければならないはずです。しかし支えられることなく放置されていることがあります。」
死刑についての話ではありますが、結局これは法で裁ききれないほかの犯罪についても当てはまる話でしょう。
例えば触法障害者の問題も上記引用と同じことが言える現状があります。不起訴になれば司法から離れます。福祉に持って行っても福祉でも対応できなかったり支えきれない場合、結局その家族が犠牲になります。
そして上記引用のさらに続きです。
「放置しておいて、重大な犯罪が起きたら死刑にして、存在自体を消してしまい、何もなかったように収めてしまうというのは国や政治の怠慢であり、そして私たちの社会そのものの怠慢ではないでしょうか」
本当にその通りと思いました。それはある意味思考停止の状態でしょう。
しかし犯罪と関わりなく暮らす世の中の大多数の人たちはそもそもそういうことを考えない人がほとんどなのではないでしょうか。
私もそれでいいとは全く思いませんが、まず日常の中で話題になること自体がほぼない気がします。こういうことに目を向けない人たちと議論を交わしたり問題意識を共有するというのは至難の業です。
p102にも似たようなことが書かれています。ヤングケアラーにはようやく目が向けられてきましたが、国はまだまだ生育環境に対するケアについて努力が足りないでしょう。一般の人の前に国がそういうところに目を向けきれていないと思います。
日本は死刑賛成派が多いというのは、まだ死刑というものについてたくさんの人によく考えられていない、議論が深まっていないからという点もあるように思います。
Posted by ブクログ
他の死刑に関する書籍と大きくはことらなかったが、死刑制度に対して多くの日本人賛成しているというアンケート結果は単に知識不足なのではないかと改めて思った。
一度じっくりと向き合って考えてみると考えが変わる人も出てくるような気がした。
Posted by ブクログ
正直に言えば、私は同じ死刑廃止論に賛成するものです。他者と議論が始まれば、必ず感情論になり、憂鬱になる話題でした。これまで、私は、自分の考えを、整理することもできず、対する相手に伝える言葉を探し得ないでいましたが、これを読んで、本当に整理された、まさに、そういうことだよ!と思うお話でした。この作家の見識、知識の豊富さ、理論的に展開できる力に感服しました。読んでよかったです。死刑制度に関心を持つ、すべての方にお勧めです。
Posted by ブクログ
著者の意見に概ね賛成。
死刑制度の何が一番問題かというと、被害者救済を何もしていないことの隠れ蓑になっているということ。
以前、報道で見たが、自宅で家族を殺された人が、その自宅に住むことはできず、しかし売れないので、ローンは払い続け、その上に賃貸で暮らす生活費がかかると嘆いていた。精神的にも経済的にも追い詰められ、立ち直れない状態だった。
心のケアはもちろん大切だが、ケアをしても傷ついた心がすぐに回復するわけではない。だが、経済的支援はすぐできること。犯人を殺しても負債が減るわけでもなければ、心が安らぐわけでもないのに放置されているというのは、被害者を再度鞭打つに等しい。
そこを放置して、殺人犯を死刑にした、と何の関係もない他人がスカッとしているなんてぞっとする。
もちろん本物の終身刑の導入、犯人に罪を自覚させるための教育も欠かせない。犯罪者の生育環境の調査と、同様の環境にある子どものケアも重要である。
しかし。本題からは外れるが。死刑制度を廃止した欧米の国々はキリスト教が根付いているので、人を裁くことのできるのは神のみで、人間同士はゆるし合うべきだという考えがある、というのは、どうなのか?
じゃあなぜキリスト教徒は戦争するのか?神が最後の審判を下すんだから、裁きはそれに任せてゆるし合えばよいではないか。「殺してはいけない」が絶対的禁止であるならば、戦争は死刑よりもっとダメではないか?死刑はダメだが戦争は国家として行うというのは矛盾では?
これは死刑制度に関する本なので、そういうことは書いてないけど。石川明人氏の本では、キリスト教と戦争は何ら矛盾しないとあり、私のような素人は混乱します。
平野さんには戦争についても書いてほしいと思います。
Posted by ブクログ
友人から薦められて。平野啓一郎の本だとしても自分では手に取らなかったかもしれません。自分からは積極的に関わりたくないテーマ。でも、それこそが本書で言う〈三人称の死〉としてでしか死刑を見ていないことなんだと思います。昨年11月に「法務大臣は死刑のはんこを押したときだけニュースになる地味な役職だ」と発言した大臣が辞職しました。この時も首相は、続投させる意向だったと言われ、本人の資質とか任命責任とか、そちらの方が報道の主であり、この発言の内容についての問題はまったく深掘りされませんでした。たぶん、社会全体が死刑という刑について触れちゃいけない、ということだけで思考停止しているのだと思います。たぶん、やったらやりかえす、ハムラビ法典みたいな気分が死刑制度だけでなく最近の敵基地攻撃能力保有のための防衛費増額にもつながっているのかもしれません。理解できないもの、自分とは違うものに対する猛々しい気分は21世紀になってどんどん高まっているようです。死刑廃止を考えることは、「憎しみ」の共同体から「優しさ」の共同体へ、変わることと言いますが、どんどん蓄積される「憎しみ」の中で、それはどうやって実現するのでしょうか?平野啓一郎という著名な作家がこういう本を出していること自体がその一歩なのかもしれません。貴重な本です。
Posted by ブクログ
難しいテーマかつ、難しい内容。死刑制度を賛成か反対かの択一では議論し尽くせないことがよく分かる。世界、取り分け欧州での考え方の中枢、巻末の一覧は日本の特異さの一端を表すよう。
Posted by ブクログ
死刑制度を取り巻く日本の現状と他国との比較をとてもわかりやすく書かれていた。
死刑を望むために犯罪をする者の存在や選挙などの政治による帳尻合わせとしての死刑を行うことなど、読んでいて死刑制度も意味、意義が一体何なのかよくわからなくなってきた。
私は日本の切腹という文化を持つ、罪を償うには死ぬことであるという認識がとても強くあった。
しかし、本書を読んで死刑制度とは問題をうやむやにさせようとする思考停止の一種なのではないかと考えた。
また、殺人等を犯す人間の環境や社会的背景はその人間個人と完全には引き離せないということも理解できた。
凶悪犯はすべて死刑にするだけでは何の解決にはならず、もしろその死刑制度があることで凶悪犯と自分を全く別の人種であると線引きをする意識がより強くなる。
この本を機にもっと死刑制度についての活発な議論が生まれることを願っている。
Posted by ブクログ
普段はあまり考えない、死刑に関する主張の本でした。元々死刑は必要だと考えていました。
読み終えて、共感する部分も多かったですが、やはり死刑は必要だという考えは消えませんでした。
しかし、残された被害者の感情を加害者への憎しみの一点と捉え、そこだけに第三者たちの感情が乗ってしまい、被害者のケアが疎かであることにはとても共感し、はっとさせられました。
考えるいい機会になりました。
Posted by ブクログ
ヨーロッパで取り入れられている修復的司法に関するニュースを見て、日本における死刑制度について考えを深めたいと思いこの本を手に取った。人権という視点から死刑について考えるという発想が全く無かったので、先ずは人権を理解するところから始めなくてはいけないと感じた。この本を読んだだけで自分はこう思うと決められる問題では無いと思うが、考えるきっかけとしてはとても良い一冊だと思う。またこの本の中で取り上げられていた幾つかの本を読んでみたいと感じた。
Posted by ブクログ
「決壊」、「ある男」の2作を読んだ後だったのでより、考えながら読めた。
自分の大切な人が殺された時、目を逸らしたくなるような事件を知った時、殺されたのが一人だった時、大量殺人だった時。
わたしはその犯人に対して「生きて償え」と思うのか「死んで償え」と思うのか。
考えさせられた。決して他人事ではない。