あらすじ
哲学、デザイン、アート、情報学と、自由に越境してきた気鋭の研究者が、娘の出産に立ち会った。そのとき自分の死が「予祝」された気がした。この感覚は一体何なのか。その瞬間、豊かな思索が広がっていく。わたしたちは生まれ落ちたあと、世界とどのように関係をむすぶのだろう――。東京発、フランスを経由してモンゴルへ、人工知能から糠床まで。未知なる土地を旅するように思考した軌跡。
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Posted by ブクログ
ユクスキュルの環世界論。暇と退屈の倫理学も同時に読んでいたので、この本でも出てきたことに運命を感じた。また、Spotifyの超相対性理論でも紹介されていたこともあり、即購入した。
内容は娘の誕生という、生と死の同時に感じた出来事から分かり合えなさについて、言葉について、自己を拡張することについて、学びについて述べられている。ドミニクチェンの人生から自分の人生について考えさせられる一冊。
印象に残った部分
学習行為とは個の中だけで行われるのではなく、他者との関係性の中で発達すると実感した。
学習を行う必然性が娘に生じる状況を、一種の場のデザインとして作り出した。
ひとつの能力が線形に上昇するプロセスではなく、複数の能力が増減や進退を繰り返す「変化」が学びにだともわかった。
共話という概念
梵我一如 密教
翻訳行為としての理解
フィルターバブル
私たちは自分たちが使う言葉によって、自身の認識論を変えられるからだ。
いずれの関係性においても、固有の分かり合えなさのパターンが生ずるが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。
じっと耳を傾け、眼差しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。私たちは目的の定まらない旅路を共に歩むために言語を紡いでいける。
始終美しい言葉で文体に惚れた。こんな上手く言葉を紡げるようになりたい。そして、日常生活は本当に分かり合えなさの連続。それはスタート地点であってその分かり合えなさこと、愛おしむべきことである。自分の娘と、職場のお姉さんと。完璧な翻訳は無理なのだから。そんなイメージで生きることができればいまのこの一瞬も、いろいろな学びに満ちている。言葉は偉大だ。だからこそ言葉をもっと磨いていかないといけない。逃げない。
Posted by ブクログ
「未知の領域へ向けて足を踏み出す動き以外に、新しい知識は獲得できないし、自らの立つ領土の輪郭を認識することもできない、ということだ。」という文章が強く心に残った。
SNSをしていると自分の好きなものに関しての意見がたくさん流れてくる。好きで大事なものだからこそか、自分とは反する意見に一次感情としてもの凄い不快感を覚えることが多くあった。しかしその意見を見たことで自分の中で相手の認識と自分の認識を整理し、最終的に同じ考えにならなくとも自分の考えを深めて確立できたことも多かった。
自分と違う考え・違う感覚を咀嚼するのは大事なものほど今の私には気力が要るが、そこに触れることで生まれる広がりもあるよなあ、と自分を重ねながらこの本を読み終えた。面白かった。