あらすじ
哲学、デザイン、アート、情報学と、自由に越境してきた気鋭の研究者が、娘の出産に立ち会った。そのとき自分の死が「予祝」された気がした。この感覚は一体何なのか。その瞬間、豊かな思索が広がっていく。わたしたちは生まれ落ちたあと、世界とどのように関係をむすぶのだろう――。東京発、フランスを経由してモンゴルへ、人工知能から糠床まで。未知なる土地を旅するように思考した軌跡。
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Posted by ブクログ
はじめてドミニク・チェンさんの本を読みました。
読み始めから、見識の深さと文体の美しさを感じ、クラシックを聴いてるかのような読書体験でした。
(特にクラシックを普段聴いているわけではないですが笑)
「わかりあえない他者と共に在るとはどういうことか」という普遍的なテーマについて、言葉の限界を考えながら、それでもあきらめず関係性をつむぐことの尊さを感じさせてくれます。
言葉は、個々の感覚の最大公約数でしかない。
言葉を最大公約数と表現するセンスが素晴らしい!
そういえば、RADWIMPSに「最大公約数」という曲があったなと思い出して歌詞を見てみました。
(歌詞から抜粋)
「何を与えるでもなく 無理に寄りそうわけでもなく
つまりは探しにいこう 二人の最大公約数を
声にならぬ想いは 無理に言葉にするでもなく
いつか僕も分かる時 まで…」
そうか、すでに野田洋次郎がこの世界観を言葉にしていたのか。。。
RADはやっぱすげーや。
Posted by ブクログ
言葉とはその人の考えの翻訳
相手の中の記憶を生きること=共にある感覚
分かり合えなさを理解しようとして生じる余白を埋める努力していく連続が未来につながる
世界をどう受容するか、
世界をどう生み出すか、
よりよくするために生み出すのではなく、
生み出されたものがすでに良い世界の破片
自分の成り立ちを知ることで異質な相手を知る、知ることは関係を結ぶと表現
非言語的な遺言
言葉が届くかどうかわからないけど残すことは祈ることに似ている、言葉だけではない、思い出や記憶も思いが伝わる表現の1つ、だから生きてる存在の記憶や思い出が誰かの中で自分が伝えたい自分であるように生きていく必要がある。
渡邊康太郎さんの解説もおしゃれすぎて、急にパリにでもふいっと飛んだような気分になれる本
Posted by ブクログ
コミュニケーションの「わかりえなさ」に焦点を当て、マル チリンガルで隠れ吃音を持つ著者の経験も踏まえつつの幅広 い考察が含まれています。
著者や引用されたベイトソンなどの考えに通底するものは、 「わかりえなさ」を治療し伝わるようにするのではなく、わ かりえなさを認め·分かち合い、不確定なコミュニケーショ ンの中での偶然の創発の価値に目を向けるという視点なよう に感じました。
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ユクスキュルの環世界論。暇と退屈の倫理学も同時に読んでいたので、この本でも出てきたことに運命を感じた。また、Spotifyの超相対性理論でも紹介されていたこともあり、即購入した。
内容は娘の誕生という、生と死の同時に感じた出来事から分かり合えなさについて、言葉について、自己を拡張することについて、学びについて述べられている。ドミニクチェンの人生から自分の人生について考えさせられる一冊。
印象に残った部分
学習行為とは個の中だけで行われるのではなく、他者との関係性の中で発達すると実感した。
学習を行う必然性が娘に生じる状況を、一種の場のデザインとして作り出した。
ひとつの能力が線形に上昇するプロセスではなく、複数の能力が増減や進退を繰り返す「変化」が学びにだともわかった。
共話という概念
梵我一如 密教
翻訳行為としての理解
フィルターバブル
私たちは自分たちが使う言葉によって、自身の認識論を変えられるからだ。
いずれの関係性においても、固有の分かり合えなさのパターンが生ずるが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。
じっと耳を傾け、眼差しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。私たちは目的の定まらない旅路を共に歩むために言語を紡いでいける。
始終美しい言葉で文体に惚れた。こんな上手く言葉を紡げるようになりたい。そして、日常生活は本当に分かり合えなさの連続。それはスタート地点であってその分かり合えなさこと、愛おしむべきことである。自分の娘と、職場のお姉さんと。完璧な翻訳は無理なのだから。そんなイメージで生きることができればいまのこの一瞬も、いろいろな学びに満ちている。言葉は偉大だ。だからこそ言葉をもっと磨いていかないといけない。逃げない。
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弱点を晒したことで多くの人とつながりが生まれて、そのことに驚き、喜ぶ。素敵な心の動き方だ。
わかりあえなさを受け入れ、それでも繋がろとする、そんな気持ちを忘れないでいたい。
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クロスボーダーという言葉が地域を指す言葉だけではないことを、文章という純粋なものだけで示した作品。本人がトリリンガルであること、リセに通っていた頃の語学がエキサイティングな自分の領域を拡張するものであったこと、さらに、ゲームはこうした意識、世界観をただスイッチを入れるだけで変えるツールであったこと、そして何より娘を授かったことによって自分の死を予報されたと感じたこと。生死を考えることと、意識を拡張していくこと、その二つが織りなす美しい体験ができる。
昔であれば筆跡から、その書いた人の息遣いを感じることができた。今は、タイピングであり、もはやデジタルである。しかし、そのタイピングそのものに息遣いを感じられるのではないかと捉えたのが、タイプトレーシング的な概念で、デジタルでありながらしかし、その打ち方に息遣いや感情を感じることができるという。
また、AIに関しては、人工知能と計算という本質的な能力を見つつ、人間とは何か、人間が進化することは何か、と思考を展開していく。自身で社会的関係の中で子供を産み育てるという社会的行為を伴う営みを生命とするとすれば、人工知能はそれに当たるのかどうか。
将来の子供達の世代を想像した時に、この親が子を産み、育て、子孫を残していくという脈々と培ってきた、人類の生き延びる術が、続いていくのかどうか。そして、アメリカでもっとも日本人が優れていると感じるポイントは、共話と書かれている部分だ。私は、ということを入れないで話を展開する日本人は多いが、これはある程度の親しい間柄であったり目的をいつにする仲間であったりする。明らかに感じ取れる場合は主語を抜いてしまうのだ。世界と自我が溶け込んで一体となるという考え方が根底にあるのは間違い無いだろう。一方で、この主語をとった会話はフランス語では通じない、アメリカで英語で主語をとれば大混乱だ。それは、同じサイドにいるということを暗に、前提にしている会話であり、人類を等しく同じサイドに置いた考え方だ。分かり合えないことを前提にする言語体型であるフランス語や英語は主語をおかないと展開していかない。これは対話という考え方だ。目から鱗というわけでないくらい日本にいると普通のことが、外国の人、とりわけ対話を前提にした人たちと会話する時には注意しないといけない。
生から死へ、思考の旅とはまさにこのことだ。アメリカという世界最大の人種ミックスの国の中心で感じている、分かり合えなさと、信頼できる関係との違い、話しやすい人と、意志が通じる人との違い、身近な人でさえ、本当に自分の言いたいことを正しく理解してもらえない悩み、逆にそれをすっと理解できない自分自身を鏡のようにして読み進められる、素晴らしい本書との出会いに感謝したい。
Posted by ブクログ
言葉は「わかりあう」ために用いられるだけでなく、「わかりあえないこと」をつなぐ力を持っていて、人は言葉によって未知の領域に踏み出し、新たな「世界」と「自分」を作り出していくことができる。そうした言葉の可能性を説く、希望の書です。
Posted by ブクログ
ドミニク・チェンさんの康太郎性を感じ、渡邉康太郎さんのドミニク性も感じた。
集合知?文脈の共有?おもしろ。
とても興味深く、多数の他分野・他書籍への好奇心が湧く素敵な本。
Posted by ブクログ
色とりどりの言葉で、自身の体験をもとに考えを深めながら、ひととひととの関係性とコミュニケーションが語られている素敵な本でした。
言語的相対論に基づいた、言葉が世界認識の多様性をもたらしているとする考えは、個人的に非常に納得します。
「こんな言葉があるんだ!」としった時に、世界の見え方が少し変わったり、世界が少し広がったように感じられるのが、読書の楽しみであり、学び全般に言える面白さだと思います。
Posted by ブクログ
安田登さんとの対談を読んで
著書に興味を持った
最初の文章が美しい
涙出そうになった
内容を頭で理解するというより
感覚的にストンと落ちて
理解出来る感じ
他の著書もいずれ読んでみたい
三省堂書店名古屋本店にて購入
Posted by ブクログ
コミュニケーションについて深く考えさせられます。自律した人の間で、分かり合えないままでも共にあり、伝えよう、理解しようとする中で生成発展するそんなイメージが浮かびました。
Posted by ブクログ
タイトルが、内容に比べて抽象度が高くなり過ぎてるというのが感想ですが、内容はとても面白かったです。
複数の人種をルーツに持ち、それ故に複数の言語を操り、複数の国の教育を受けてきた作者だからこその視点でコミュニケーションについて語られる言葉には説得力がありました。
話すことでは相手に伝わらないし、相手をすべて理解することもできない、という結論ではありますが、それ故に、このことを認識した上で相手に対峙し、理解しようと努めることが大事だという、もう1つの結論がとても大事になります。
Posted by ブクログ
おもろい。ドゥルーズの「脱・領土化」(書くことは既知と無知を橋渡しすること)や「環世界」(生物はそれぞれの感覚に基づいて世界を構築している)、ラカンの無意識と言葉等々、私の好きそうな概念がたくさん出てくる。
人間の表現、芸術表現だけでなく全ての出力は、その人が世界とどのように接合しているか、どうつながろうとしているか(野合という言い方は言い過ぎか)に触れることで、人間としてだけでなく、一人ひとりに環世界があるというのは、とても楽しい。
時にそれが軋轢になったりすることあるやろうけど、眩し過ぎたり色彩が爆破するよう感じでもある。
ある表現が互いに影響を与え合い、おわりがはじまりとなる。
言葉と言葉だけではない表現。
コミュニケーションとコミュニティ。
自分はあまりに言葉偏重だとも思うけど、だからこそ切り取られるものがあることを考える。
わかりあえなさと共に過ごす時間を大切に。
「不可能への接近」。
接触することは永遠にない中での志向。溶け合う言葉。共に紡ぐ言葉と時間と空間。常に開かれ円環する意識と混濁。
また一歩、あてのない旅路へ。
Posted by ブクログ
ドミニクさんの「環世界」のカバー範囲が広くそして明確で、よくこんな些細な感情の揺らぎを言語化できるなあ、と感動する。頭がいいなあと少し遠く感じることと、その感覚わかるなあ…と心がジーンとなる箇所もある。まさに「分かり合えなさをつなぐ感覚」を読みながら覚えることができる。感覚的な内容なので少し難しくはあるのだが、自分の世界も広がったような気になる素晴らしい一冊だった。
Posted by ブクログ
ドミニク・チェン氏の自伝的エッセイ。トランスレーションズ展のディレクターとして知っていたが詳しくは本書で初めて知りました。トリリンガルとして育った氏の言葉と世界の認識の仕方がどう培われてきたか、まったくのモノリンガルである自分とは異なる感覚や認識なんだろうなと思いながら読み進めたが、後半の人類学や文化、コミュニケーションについての思索と表現の話はなかなか興味深かった。ベイトソンのプロクロニズムというのも知らなかったのでもう少し深堀って学んでみたい。
Posted by ブクログ
「未知の領域へ向けて足を踏み出す動き以外に、新しい知識は獲得できないし、自らの立つ領土の輪郭を認識することもできない、ということだ。」という文章が強く心に残った。
SNSをしていると自分の好きなものに関しての意見がたくさん流れてくる。好きで大事なものだからこそか、自分とは反する意見に一次感情としてもの凄い不快感を覚えることが多くあった。しかしその意見を見たことで自分の中で相手の認識と自分の認識を整理し、最終的に同じ考えにならなくとも自分の考えを深めて確立できたことも多かった。
自分と違う考え・違う感覚を咀嚼するのは大事なものほど今の私には気力が要るが、そこに触れることで生まれる広がりもあるよなあ、と自分を重ねながらこの本を読み終えた。面白かった。
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薄い本でとても興味深いのだが、サクサクとは読み進められなかった。哲学、言語学、文化人類学などといった分野や、それらを超えた広がりがある。
日本語の共話という会話様式が特徴的とあったところが印象的だった。
Posted by ブクログ
人間関係で悩んでいる方、コミュニケーションが苦手な方、新しい考え方が見つかるかもしれません。
人は一人ひとり違うのは尊くて。でも違いが争いのもとにもなる悲しい現実。
一読すると、苦手な私でもコミュニケーションって素敵だなと思いました。
コミュニケーションに新たな意味や価値を見出せます。また一つ学びました。
Posted by ブクログ
大切に読み進めて、読み終わった後にすぐに再読しようと思った。読むタイミングが重要な本というのは各個人にあると思うけど、本書は自分にとってまさにそれであった。そしてそんな本は特別なものになりうる。これは今年ベスト本になっちゃうかもしれない。
哲学に(改めて)興味を持ってみたり、ユクスキュルを読んだり、(ゆる言語学ラジオの影響で)言語学に興味を持ってみたりtakramcastを聴いてたりとか。娘がいたりもするというタイミングが良かった。
対話と共話については、特に今考えていることに当てはめることができると思った。
Posted by ブクログ
子どもが生まれて自分の死が予祝された、という表現でようやく四半世紀前の自分の気持ちが言葉で表現された気がする。こういう話をうまく扱えるのは文の構造も語彙も違う言葉を両方丁寧に使える人ならでは。
Posted by ブクログ
またしても超相対性理論を聴いてたら、
なんだか妙に気になってしまったのでポチった本。
娘の出産に立ち会った際の鮮明な感情をきっかけとして、言葉や表現について、言語やコミュニケーションの歴史や変遷を織り込みながら、自身の半生を振り返りつつまた自身の未来を繋いでいくことに対する想いについて語る、という内容…かな。
まとめるのめちゃくちゃ難しい。
とにかく誰かに自分の中にあるナニカを表現するのは難しいね。
それが読んだ本の、単なる内容であっても!
さて、さらに難易度が上がってしまう
この本を読んだ感想なんだけど、
日本国籍の母親と、台湾出身でベトナムとのハーフで日本に留学しフランス国籍をもつ父親との間に東京で生まれた著者(うまく纏められなかったのでwikiを引っ張ってきた)の半自伝的に語られるエピソードがとても興味深かった。
生まれも経歴も装備が凄すぎる、さまざまな言語を操ることができる著者をただただ羨ましく感じると同時に、吃音からくるままならなさを乗りこえるその努力、表現することに対する好奇心や向上心に尊敬の念を抱く。
良いなーと思ったのは8章9章。
実はそこに行き着くまでに出てくるたくさんの哲学者や研究者の名前、現象や専門分野で使われる単語の横文字名称なんかを覚えるのが大変で、途中は、
…なんか難しい…わからない…難しい…
とか思いながら読んでたんだけど、
とにかく8、9章が最高に良かった。
もっと理解できてたらもっと感じ取れるものも多かったかもしれないけど、初読である今のところでも充分に満喫できたように思う。
何より間の章でよくわかんないなーと思いながら遠くに行ってしまってた感じが、8章9章でくるりと戻ってきて、
それこそ大きな環を描かれたように自分の中で腑に落ちたのが幸せな体験だった。
具体的な感想はめちゃくちゃ長くなるので(いや、ますます長くなるので)やめとくけど、コレは読んだ人と感想を語り合いたくなりますね。
もう一回超相対性理論聴こうかな笑
面白かったです。
Posted by ブクログ
差異が明確になっていく「対話」と、主体がコミュニケーションの場に融け込んでいく「共話」についてのお話が印象に残りました。
難しく感じる話題も多かったので、また時を置いて、読み返していこうと思います。
Posted by ブクログ
共話というアイディア
「今日の天気さあ」「うん、気持ちいいね」
全部言わなくていい
ぬくぬくとこたつでくつろぐようなコミュニケーション
対話(ダイアローグ)と異なる概念。そこに優劣はないが、日本語のコミュニケーションの特徴の1つを成すアイディアらしい。
Posted by ブクログ
言葉が難解過ぎたが、それでも不思議と読み進んだ。しかも、久しぶりの高熱で寝込んでいるときに。ゆっくり噛み締めながら読むのが良いかと。
私は主題は「言葉」よりコミュニケーションと理解した。
「そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け入れるための技法である」(220ページ)
Posted by ブクログ
うーん、私にはかなり難しくて、
「何がわからないのかわからない状態」で読み進めた本となりました。
ただ、内容をしっかり理解して自分に落とし込めるというより、感覚的に理解をして自分の中にじんわりと温かさが拡散していくような印象を受けました。
筆者がこの本を執筆するにあたっての
人生をまとめることなく、流れるように書かれている作風だったので、読んでいるはずなのに読み飛ばしていることが多くなってしまって、
私には不得意な作風でした。
Posted by ブクログ
会話に関する哲学の本を読んでいるので、いま自分の意見を述べるのは控えたい。いろんな本を読んで、書いてあることの共通項を見つけ出したいので。
ひとつ言えるのは、著者がトリリンガルで、そこから得た自分の経験を元に述べている。その為、エッセイっぽい感じだった。