あらすじ
私は、なにをしているんだろう。どうしたら「私」でいられるんだろう? カトリック系女子高校に通う、三人の少女、那由多、淑子、翠。性格の異なる三人の「私」は、家族、学校、男たちの中にあって、それぞれが遠いはるかを、しずかに深くみつめている。「秘めごと」をかかえる彼女たちの微笑の裏側の自由。甘やかな痛みの底に眠る潔くも強靭な魂。自分を生き抜いていくために「私」が求めていたことは――。記念碑的青春小説。(解説・穂村弘)
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Posted by ブクログ
23年前の作品。しをんさんの明るく元気でユーモラスな作品を多く読んでいたので作風に驚いた。舞台は丘の上にあるミッション系の女子校。息が止まりそうな位繊細な日々を3人の視点で描いてる。女子校あるある、宗教の時間あるある、時が止まった様なセピア色の学生時代が懐かしい。
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スイの気持ちがなんとなく一番わかる気がした。
男女じゃないからこその愛はあると思う。何も生み出せない関係だからこそ、感覚とか勘で繋がったり、安心できる。もし那由多がいたら、憧れるだろうな。互いに適度な距離感、必要なときに求めて、踏み込んで良いものかしっかり図っているところがとても好き。
那由多の話で、言葉はときに無力だと痛感したし、家族を探せない父というのもわかるなと思った。希望は災厄の一つというのも印象的。最後に那由多がスイに話したのは良かったなと思う。スイならなんとなくわかってあげられたんだろうなって。
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女子校小説。
三人の少女の目線で語られるミッション系女子校の話。シスターフッドという言葉から想像するものとは少し違うかもしれないけれど、女子高校生たちの自他へ向ける眼差しが、緻密にリアルに描かれている。
年頃なので愛や性についても赤裸々に語られているんだけれど、三人ともけっこう独特で、感情移入がしづらい。特に淑子。
三浦しをん作品は、小説もエッセイもハイテンションな陽寄りのものばかり読んできたので、「どうした!三浦しをん!!」と言いたくなるくらい雰囲気が違ってタジタジ。
三浦さん、ミッション系女子校出身だもんね。なんかのエッセイで「カーストはなく、離小島がいくつか存在している感じ」と書いていたことを少しシリアスに描いた感じかな。確か幼稚園から大学までのお嬢様学校で、超絶お金持ちもいたとか書いていた気もする。そのエッセイで描かれる女子高生像との差がすごいな!
ネタバレすると、痴漢や性暴力をイメージさせる描写が出てきます。そして淑子の場合は教師との恋愛。私は高校生以下と教師の恋愛ってけっこう地雷なんですが、本作は教師が地雷を踏み抜くクズ男でして…。どんな理由があっても、未成年に手を出しちゃいかんぜよ!というイライラを腹に溜めながら読みました。
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3人の少女に焦点が当てられた
「色々なもの」に対する「恋心」の話。
全体的に暗い雰囲気の中話は進んでいくのですが、
どこか共感できるところが散りばめられてる。
亡き母へ、禁断の恋、生まれてこなかった兄へ…
青春はキラキラしてるだけじゃない。
Posted by ブクログ
女子校に通う3人の物語。タイトルから勝手に甘く危険なお話的な感じかと読み進めたら全然違った。特に那由多の痴漢のシーンは衝撃。読むのを戸惑ってしまった。
3人それぞれの思い、抱えたもの、交わりそうで交わらなくて。物語のラストがどうなるのか、気になりつつもふんわり余韻を残して終わる感じも好みです。あとがきになんだか救われました。
Posted by ブクログ
年頃の青年の世界と視野とはどうして、こんなに狭窄していんだろうか。カトリック系私学、しかも小学部から附属する女子校を舞台に描かれた本作を読む者は、性別問わず思春期の甘苦さを反芻せずにはいられない。
Posted by ブクログ
女子校に通う3人の主人公。男性を巡る女同士のぶっちゃけトークが強烈で、「うわっ、女子校トーク来たか」と序盤から面食らってしまった。
「私はなにをしているんだろう?」「どうしたら私でいられるんだろう」と、掴みどころが無く不安定な心境でありながら、思い詰めると180度逆の行動に出る。ここまでやるか!?というくらい、直球で衝動的で刺激的な展開が描かれている。本人や周囲の大人も気づかない、秘めた爆発力は恐ろしくもある。読者にとってはある意味暴力的とも受け取れる。
ただ、敏感で傷つきやすい生き物であることも確実。「美しさ、儚さ、脆さ」を描いた表紙カバーの絵も刺激的で、不気味ささえも感じられる。
感性が人一倍豊かであるため、彼女達は、大人(の男性)たち、同級生たちに傷つけられながら、拠り所を求めて彷徨う。淑子の気持ちは男性である私に取っても分かりやすかった。那由多と翠の二人が持つ感性は独特。お互いが惹きつけられ、不思議な絆が作り上げられていて、緊張感があった。
彼女たちは常に緊張した日々を過ごしていたのだろうか。作品全体を覆う鬱々とした空気が、余計に緊張感と美しさを読者に煽ってくる。そして、物語は暗い空気のまま突然終わる。
ここまで少女達の心の闇に入り込み、躊躇せずに描ききった三浦しをんさんには脱帽である。
Posted by ブクログ
淑子の話がとても刺さりました。
先生を好きになったことはないけれど、その人のために死んでもいいという気持ちは分かってしまうなと思いました。学生なら尚更そうだろうな、とも。
Posted by ブクログ
面白かったです。
女学園ものでしたが、どこか影があってヒリヒリする空気が好きです。
みんな秘密を抱えてて…那由多も淑子も翠も好き。司書教諭の笹塚も好き。
那由多と翠のふたりの間にある感情がとても好きです…翠の方がちょっと片想いが多いですが。恋慕でもないし、友情では足りないし…ただただ尊い。
那由多が抱えた秘密、これ気色悪いオヤジの自業自得なのであって、彼女が病む必要ないのに…那由多の取った行動、すごくスカッとしたので。高校生でこれが出来るって、強いな。。
Posted by ブクログ
大人になる前の未完成な、カトリックの女子校に通う3人の少女のお話。
大人によって傷つけられ、そしてそれが性に関することであることが3人の共通点であると思った。
自身の葛藤を他人に打ち明けることができず、1人で悩む少女たちはそれを乗り越えて大人に成長していくのだろう。
私は淑子の気持ちが痛いほど分かってしまう。
自分は誰かの1番、特別にはなれなくて、でも好きな人の特別になりたくてすべてを投げ出してもいいと思う。
だがそう思っているのは私だけで、先生は違う。
自分とか立場とかの方が大切でどれほど願ってもあの人の1番に今の私はなれない。
私じゃなくてもいいのではないかと思うから、いつか来るであろう終わりが怖い。
20歳になった私は少し遅れた思春期を迎えているようだ。
いつかあの人よりも好きな人ができるのだろうか。
Posted by ブクログ
バーネットの小説とも松田聖子の歌とも内容的に全く関係のない三浦しをんさんの初期青春小説ですが「舟を編む」とは完全に異質な世界の物語でしたね。遊び心を感じたのは、那由多と丈の姉弟の名が数量の単位である事、色を冠した名前、紺(幻)・翠・碧の兄姉弟でしたね。本書は相当に難解で特に哀しいのは、那由多・淑子・翠のヒロイン3人が自らの抱えた秘密と悩みを素直に打ち明ける勇気を最後まで持てない事、そして単純なハッピーエンドで安心させてはくれない事ですが、私は那由多が復帰した様に淑子も何時か必ず帰って来ると信じたいですね。
Posted by ブクログ
想像以上に湿っぽかったというか重かった。キャラ設定や人間関係は小説ならではって感じでそこまでリアルじゃなかったけど、トラウマとか被害妄想とか現実逃避とか、主人公の3人それぞれに感情移入できる部分があった。とりあえず最後どうなったのかが気になる…
Posted by ブクログ
本日のレビューは、こんなクイズからスタートしましょう。
『ここは変化を憎む牢獄のようなところだ。座っていれば飢えることもなく、最低限の教育は授けられる』。
さて、ここはどこでしょうか?いきなりの難問です。『牢獄』という恐ろしい表現に緊張が走りますが、『座っていれば飢えること』がないということですから地獄のような場所でもないのでしょう。そして、大きなヒントが『教育は授けられる』という言葉にありそうです。
はい、答えは学校です。そして、こんな思いを口にするのはその学校に通う一人の女子生徒なのです。まあ、学校には人それぞれの思いがあるでしょう。必ずしもそんな場が好きというわけでもないと思います。しかし、上記した思いはどこか尋常ではない思いを感じさせもします。この学校はどんな場所なのでしょうか?そして、そんな学校に通う生徒は何を思い毎日を送っているのでしょうか?
さてここに、”カトリック系女子高校”に通う3人の女子生徒に光を当てる物語があります。『ノアの箱舟』や『マタイの福音書』という言葉のいきなりの登場に驚くこの作品。3人の女子生徒それぞれの想いの繊細さに彼女たちの心を思うこの作品。そしてそれは、『秘密を知っている気心の知れた友人』との日常を生きる少女たちの青春の一ページを見る物語です。
『なゆちゃんとお父さんは、私がいないと本当に駄目なんだから』と『一時退院し』、『家の中の細々としたことを点検』する母親にそう言われたのは主人公の五十嵐那由多(いがらし なゆた)。『そうだね』と笑う那由多でしたが、『それは嘘』、『父と私は、母がいない生活にもそれなりに慣れ、居心地よく日々を送ってい』ました。『あら、電球切れてるの』と『目ざとく気がついて、ソファから立ち上がった』母親が『椅子を運ぼうとする』のを『慌てて止め』た那由多は、電球を取り出し『椅子に上ろうと』しますが、『落ちたら大変だから』と押しとどめられてしまいます。『なゆちゃんはお母さんがいないと駄目ね』と『もう一度そう言』う母親。
場面は変わり、『夕方というには遅い時間になって、前後するように兄と父が帰ってきた』という中に、『近所にある小さなレストランに行った』家族。『父は珍しく、兄につきあって少しアルコールに口をつけた』一方で、『最後まであまり料理に手をつけなかった』という母。『それが、家族が揃って食べた最後の夕食にな』りました。『翌日には病院に戻』った母は、『四十八日前に死』にました。そして、『明日は四十九日だ』という中、『夜は外で食事でもしようか』と誘う父は『なにか食べたいものはあるか』、『どこがいい。横浜でいいか』と誘ってきます。『横浜がいい。明日は翠(すい)の家に行こうと思ってるから』と返す那由多。『自室に引き上げた』那由多は、『携帯電話を取りだし』『翠の自宅』に電話します。『今日のデートはどうだった?』と訊く那由多に、『夏休み映画を観たわ』と答える翠は『主人公の筋肉ばっかり見てた』と言います。『だから生島君を選んだの?』と訊く那由多に『まあね。あの予備校で親しい男の子の中では一番ガタイが良かったし、彼なら適任だと思ったのよ』と返す翠は、しばらくの沈黙の後、『映画の後、薫の家に行ったんだ』、『薫ったら、今日は家に誰もいないから、って切り出すまでに二時間もかかってさ』と続ける翠。『それで?』、『それで…結局できないって言うの』、『あらあらあら』と会話する二人。『さんざん人の身体をいじくりまわしておいてさ、その…たたないって』と言うと爆笑する翠。『生島君って本当に健全な男子高校生なの?どっか悪いんじゃないの』、『それか私によっぽど魅力がないか、よ』、『そんなことはないでしょう。木の股を見ても発情するのが高校男子だと聞いてるけど』と会話する二人。『生島君も初めてだったんでしょう?緊張しちゃったんじゃない』、『いくらかガタイが良くても脳みそまで筋肉なのも困ると思って、少しは脳に襞のありそうな薫とつきあったんだけど』、『あんまりな言われようね』と会話を続ける二人は、『明日行くね。おやすみ』と言う那由多の言葉で電話を終えました。そして、『静けさと夜の風に誘われてベランダに出た』という那由多は『海を目指して流れている』鶴見川を見ます。『私は何も体験しない。私は何も希望しない。ただ、旧約聖書に出てくる大洪水みたいに、すべてを押し流してしまおうとする強い力が体内にあるのを感じる』那由多は、『人生をやり直せるとしたら、いつに戻りたいか、という意味のない仮定』を思います。『戻るのなら、十年前の兄の誕生日に』、と考える那由多は、『明日のことを伝えるために、一人暮らしの兄の部屋に電波をつな』ぎます。そんな那由多の『聖フランチェスカ二年』の日常が描かれていきます…という第一章〈洪水のあとに〉。3人の女子生徒の先頭を切って描かれていく物語の独特な雰囲気感に魅かれていく好編でした。
“私は、なにをしているんだろう。どうしたら「私」でいられるんだろう?カトリック系女子高校に通う、三人の少女、那由多、淑子、翠。性格の異なる三人の「私」は、家族、学校、男たちの中にあって、それぞれが遠いはるかを、しずかに深くみつめている。「秘めごと」をかかえる彼女たちの微笑の裏側の自由。甘やかな痛みの底に眠る潔くも強靭な魂。自分を生き抜いていくために「私」が求めていたことは ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。2002年3月1日に単行本として発表されたこの作品は、三浦しをんさんのご経歴の最初期に属する作品です。今やかっ飛んだ作風が魅力のしをんさんですが、昨今の文体に慣れた身にはこの作品は衝撃でしかありません。これって本当にしをんさんの作品なの?と問いかけたくもなる、ある意味でしをんさんらしくない表現に満ち溢れています。
『私を構成している小さな粒。その粒の微細な波動をなぞるようにして、母の乾いた声は私の膚の下にもぐりこんだ』。
作品冒頭、那由多が主人公となる章に登場するのがこの表現ですが、こんな比喩が登場するしをんさんの作品はないですよね。意味がわかるようなわからないような、なんだか難しいです…。
『白いレースのカーテンが船の帆みたいに膨らみ、わずかな時間そのまま静止し、急速にしぼんで網戸に張りついた』。
こちらは、『カーテン』の動きを比喩したものですが、今度はわかりやすいです。イメージが掴めます。でも、なんだか今のしをんさんの作品からすると、とってつけたような印象も抱きます。
『私は泣いている。この世のどんな生き物も聞くことのできない周波で泣き声をあげている。光が心臓を射し貫いた。この甘い痛みを私は知っている。脊髄が痺れて私は崩れ落ちた』。
これもすごい表現です。さまざまな要素が詰め込まれ、ドラマティックなまでにシーンを演出しています。インパクト絶大な表現ではあるのですが、表現が凄すぎてどこか取り残される気分にも陥ります。私はしをんさんの小説をコンプリートしていますが、この作品は今までに読んだことのない異色の作品であることに違いはありません。
さて、そんなこの作品の舞台となるのが”カトリック系女子高校”です。どんなところかをまとめておきましょう。
● 『聖フランチェスカ』ってどんな学校?
・『学校は丘の上にあり、窓からは濃い緑と白く霞んだような海が見える』。
・『聖フランチェスカには大学はなく、中高一貫教育をうたい文句にしていて、ほとんど生徒全員が受験して大学に進学する』。
・『中学から入ってきた人たちと、幼稚舎からフランチェスカにいた人間との間には、確実な違いが存在した。それは外の世界を知っているかいないかということと同時に、家庭の金銭的なレベルの問題でもあった』。
・『二期制で、他の大多数の学校と違った暦で運営されている』
・『丘のゆるやかな傾斜を利用して建てられた校舎』、『どの棟も三階建て』、『一本の桜の木がある中庭を、西洋の中世の館のような灰色の建物がロの字型に囲む』
いかがでしょうか?どことなく絵になる雰囲気が伝わってもきます。そして、この学校が『カトリック』だということがこんな表現でもわかります。
『夏は灰色、冬は黒のカトリックの法衣を頭から纏ったシスターたちは、毎朝修道院の扉を開けて校舎の廊下に静かにあふれ出す』
物語は、そんな『聖フランチェスカ』を舞台に、そこに通う3人の女子生徒たちに一章に一人ずつ光を当てながら展開していきます。章題とそれぞれの章で主人公を務める生徒をご紹介しておきましょう。
・〈洪水のあとに〉: 五十嵐那由多
・〈地下を照らす光〉: 坊家淑子
・〈廃園の花守りは唄う〉: 中谷翠
まず特徴的なのがその章題です。この作品は『カトリック』の中高一貫校を舞台としていますが、そこには唐突にこんな文章が織り込まれていくのです。
『洪水の後に、すべてが押し流された大地が現れたとき、ノアは、箱舟に乗った動物たちは、どんな思いでその新しい土地を眺めたのだろう』。
まさかの『ノアの箱舟』の登場です。私がここで改めて書くまでもなく、ノアは旧約聖書「創世記」に登場する、大洪水から家族や動物と共に箱舟で救われた人物のことです。第一章の〈洪水のあとに〉とは、まさしくそのノアのことを物語の背景に当て波めながら描いていきます。このような世界観が好きな方には非常に興味深く読めると思うのですが、どこかかしこまった文体含め、合わない人には全く合わないように思います。かく言う私もどうもピンとこず、なんなのだろうこの作品は…という思いがつきまとってしまいました。
一方で物語では、『聖フランチェスカ』を舞台に3人の生徒たちの青春と、それぞれの関係性が描かれていきます。3つの章にそれぞれが主人公となることから、それぞれの視点から見た他の2人の印象も描かれていきます。例えば那由多から見た翠の印象です。
『私は翠ほど美しい子を見たことがない。彼女は決して派手ではないが、昔の映画女優のように清楚で凜とした容姿をしている』。
一方の翠から見た那由多はどうでしょうか。
『那由多だけは特別だった…友情というにはいささか逸脱しているこの思い。でも恋とも少し違う。言葉にすることができない感情は、それでもたしかに胸の内にあって、そのことを考えるといつも少し泣きたくなる』。
えっ!というこの翠の思い。女子だけの中高一貫校には独特な雰囲気感があるように思いますが、彼女のそれぞれへの想い、内に秘めたる想いが物語では余すことなく描かれていきます。この辺りもかつて女子校に通われていらした方とそうでない方でずいぶんと印象が異なってくるように思います。物語は、定番とも言える教師との秘めた関係性、まさかの痴漢との対峙、そして親との関係性など少女たちが大人の階段を上っていく中で出会うさまざまな人たちとの関わり合いを織り交ぜながら、それでいて上記した『カトリック』的な重なりも背景に描いていきます。ちょっとしたことで崩れてしまいそうな少女たちの脆く儚い青春の日々が描かれていくこの作品には、作家として最初期のしをんさんだからこその静かな熱量をそこかしこに感じさせる独特なバランス感の上に展開する絶妙な塩梅の物語が描かれていました。
『ここは小さな廃園だ。恋から遠く離れ、さびしいけれど穏やかな眠りにまどろむ少女たちの園だ』。
そんな思いを個々に抱きながら、一見平穏な女子校の日常を生きていく3人の女子生徒の姿が描かれていくこの作品。そこには、舞台を『カトリック』の中高一貫校としたからこそ醸し出される独特な雰囲気感に満たされた物語が描かれていました。『「ヨハネによる福音書」で、イエスは病で死んだラザロを生き返らせていた』と唐突に登場する聖書の記述が物語をある意味で先導するこの作品。三者三様の青春を生きる3人の少女たちそれぞれの『生』と『性』との関わり合いを見るこの作品。
『教師も、生徒も。閉鎖空間に押しこめられて少しずつ狂っていく』と冷酷に綴られる文体と、少女たちのある意味での奔放さの不思議なギャップに新鮮な読書の時間を味わうことのできる、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
穂村弘さんの解説1行目の『「女子校もの」が好きだ。』私がこの本を手に取った理由はこれに尽きる。その中でも結構読みごたえがあって、好きだった。
パンドラの箱に入っていたのだから、希望も災厄のひとつなのではないかと主人公は語る。そうかもしれない。でも彼女たちの未来が幸せであってほしいなぁ。そんな単純なことではないかもしれないけれど、願わずにはいられない。
Posted by ブクログ
箱庭で暮らす少女たちの狂いを描いた小説。らしい。らしいと言ったわけは、後書きにそう書いてあったから。那由多が遭遇した痴漢や淑子の母親の狂いが強くてよくわからなかった。
おそらく、リアルを表現するため、あえて淑子の失踪のオチや脅迫文の真相を曖昧にしたのだろう。でも曖昧にしてるわりに狂いの表現も曖昧だから全体的にふんわりしてた。
読みやすさを重視するか、独特の世界観で読者を置いてけぼりにするか、どっちかに偏った方が良かったかもなぁ。
痴漢のアグレッシブさが1番面白かった。
少女たちの感覚の鋭さ(那由多の洪水が迫る感覚、淑子の誰にでも仲良くなれるため誰の1番にもなれないと思うところ、翠のまわりの変化を気にせず思考を巡らせたまに存在しない兄と対話するところ)が参考になった。
Posted by ブクログ
那由多、淑子、翠、みんなどこか狂っている。
でも心からおかしいわけじゃなくて、少女ならではの妄想に取り憑かれている感じ。
それが文から感じ取れて、読んでて面白かった。
解説もしっくりきてよかった。
私も「女子校もの」結構好きかも。
匿名
10代は凄く繊細で自分の事や友達の事を考え過ぎるぐらい考えてしまう。その時は自分だけが苦しんでると思っていたけど、他の子だって悩み苦しみいっぱいあったんだろうな、と、思いました。
淑子はどうなったのかそれだけが心配です。
Posted by ブクログ
『ののはな通信』を読んで、しをんさんの女子校ものが読みたくて積読の中から手に取りました。
女子高生の那由多→淑子→翠の視点で話が進んでいく。
それぞれ胸のうちに秘密を抱えながら多感な
時期を過ごしている。
難しかった…。
Posted by ブクログ
知り合いの女子校出身者曰く、
学校の中はガサツで下品で動物園だと言う。
本書は随所でたおやかで神秘的な品が感じられ、なんとなく「外から見た女子校」いう印象を受けてしまった。
女子同士なら、もっと陰湿でもっともっと意地悪なことをするのでは、と思ってしまった自分は、相当心が荒れているかもしれない。
Posted by ブクログ
えっ、ちょっと待って、、、終わるの、ここで?
それとも何か読みこぼしたのかな、、、
ラストの動揺はさて置き、
女子校に通う3人の女子高生をそれぞれの視点からみたお話。
あの頃特有の友情、恋と性、有り余る情熱、葛藤、家族、終わる=死、、、
稔子どうなったぁー
Posted by ブクログ
彼女たちの思いや考えに共感できるところもあれば理解できないところもある、といったところでしょうか。それは同質で閉鎖的なカトリック系女子校で青春時代を過ごした経験がないから、もう「少女」ではないからなのか。彼女たちの求めるものは人間の根源的な欲求のような気がしました。私たちが日常生活の中でそれとなく満たせるものの本質を、彼女たちはストレートに求める。だからこそ、理解が追いつかないのかもしれません。
Posted by ブクログ
女性作家ならではの視点で様々な葛藤を描いた作品という所なんだろうか。
前半は靄がかかっている感覚でしたが、徐々に晴れていく感じが面白かったです。
ですが、なかなか難しい作品でした。
Posted by ブクログ
女子高の悪い部分が凝縮されているような小説
”大人”でも”子供”でもなく”少女”と言う生々しい
感情を持っている年齢特有の不穏さ
那由多、淑子、翠3人の少女が見せる
脆い心、意地とプライド。
したたかさが無く、悪い意味で純粋過ぎる彼女たちの
危うさが本書の魅力だと思う。
那由多、淑子、翠と主に3人の少女たちの秘密が
各章で描かれているので
視点が変わっていくので、「こいつがそんな秘密を!?」
と言う、驚きもあった
Posted by ブクログ
積読から。
三浦さんは高校生の頃に出会ってからずっと好きなんだけど…
高校という狭い世界での危うい女子高生たちの内面をすごいきれいに描いている。
世界観がしっかりしてて、引き込まれる感じもある。
純文学ぽいというのか、、
わりと空気が重いので、
カラッと明るいのが読みたいときには合わないけど、
こういうのが読みたい気分のときもあるよね。
Posted by ブクログ
女子高生3人がそれぞれの目線からオムニバス形式で同時進行していく三つの小説。
それぞれの女子高生が独特の視線を持っており、女子高生ってこんな考えを持っていたりするのかと私のような年寄りには新鮮でした。
それぞれの目線でそれぞれを見つめるその展開も含めて読んでいて楽しめる一冊だと思います。
実際に読んだのはこちらの文庫本ではなく単行本でした。
Posted by ブクログ
オムニバス形式で主人公たちの本当の心理がわかっていく。キリスト教の女子校ってこんな感じなのかな?って思った。自分は共学しか行ったことないから新鮮に感じた。
この作品で卒論を書いた子に話を聞きたい!
Posted by ブクログ
カトリックの女子校へ通う少女たちの其々の秘密と葛藤が描かれている作品。
那由多、淑子、翠と主に3人の少女たちの秘密が各章で描かれているのですが、広い意味で其々が「性」に対してのコンプレックスを持ち、皮肉にも処女信仰であるカトリックの学校が舞台という設定は面白かったです。
作中で其々の少女をお姫様に例える描写に凄く納得してしまいました。
どんなに打ち解けた友人でも知らない秘密は誰だってあると思います。罪悪感や羞恥心から言葉に出来ないままに心の底に鬱々と育った秘密を、間接的な言葉でありながらも発することの出来た那由多に、この作品の救いを感じました。
Posted by ブクログ
女子高生3人の特別なような、普通なような日々。それぞれ性格も考え方も違うが、大人と子どもの端境期に見られる自己肥大と自己卑下、突発的衝動、残酷さなんかは共通している。淑子が一番子どもに見えて大人かもしれない。
どちらかといえば鬱々とした雰囲気が漂うが、なんとなくノスタルジー。
Posted by ブクログ
那由多、翠、淑子を中心に描かれる
カトリック系女子校を舞台にした物語。
少女性というくらいで
なぜかこの年頃の女の子にはなにかしらの神秘性がある。
実際は、恋と勉強と食欲と未来への希望と不安、てなとこだろうけど
小説の世界では、その日常の中のほんの少しの聖なる輝きを取り上げることが多く
そんな感覚は男目線独特なのかと思っていたけど
三浦しをんは同じ女性。
なんだろうこの人、不思議…
とはいえ、
社会を知る前の、大人になる前の、
女子特有の潔癖な感じとか孤高な感じとか凛とした思考回路とか
とうに過ぎ去った身にしてみれば
まぶしいかもしれない。
だってもう、私は自分の身を案じる男性教師側の思考になっちゃってるから。
自分だけが歳を取っていき、目の前に現れる生徒たちは永遠に若いままだと感じる老教師の側になっているから。