【感想・ネタバレ】漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022のレビュー

あらすじ

労働運動の攻防、社会党の衰退、国鉄解体の衝撃。
左翼はもう存在感を取り戻せないのか?
左派の未来の可能性を問う、「左翼史」第三弾!


【本書の目次】

序章 左翼「漂流」のはじまり
第1章 「あさま山荘」以後(1972-)
第2章 「労働運動」の時代(1970年代1)
第3章 労働運動の退潮と社会党の凋落(1970年代2)
第4章 「国鉄解体」とソ連崩壊(1979-1992年)
終章 ポスト冷戦時代の左翼(1990年代-2022年)


【本書の内容】

・共産党で起きた「新日和見主義事件」
・内ゲバ「川口大三郎事件」の衝撃
・東アジア反日武装戦線と「三菱重工爆破事件」
・「日雇い労働者」をオルグする方法
・労働運動で「布団屋」が繁盛した?
・吉本隆明が左翼に与えた影響
・「郵便番号を書かない」反合理化闘争
・「革新自治体」「革新首長」のムーブメント
・上尾事件と首都圏国電暴動
・社会党の弱体化と「江田三郎の追放」
・「国鉄民営化」と中曽根康弘の戦略
・土井たか子という尊皇家
・衰退した社会党、生き残った共産党
・メディアが「エリート化」した弊害
・新しい左翼と「ヴィーガニズム」「アニマルライツ」
・「ウクライナ侵攻以後」の左翼とは ……ほか

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165P

日本共産党と創価学会ってマーケティング的には同じらしい。ルーツは同じなんだってほぼ

佐藤 優
一九六〇年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。一九八五年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務などを経て、本省国際情報局分析第一課に配属。主任分析官として対ロシア外交の分野で活躍した。二〇〇五年に著した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で鮮烈なデビューを飾り、翌二〇〇六年の『自壊する帝国』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。二〇二〇年、菊池寛賞を受賞。『牙を研げ―会社を生き抜くための教養』『佐藤優の挑戦状』(ともに講談社現代新書)、『人生のサバイバル力』(講談社)、『獄中記』(岩波現代文庫)、『私のマルクス』(文春文庫)、『十五の夏』(幻冬舎文庫)、『池田大作研究』(朝日新聞出版)ほか著書多数。

池上 彰
一九五〇年、長野県松本市生まれ。ジャーナリスト。慶應義塾大学卒業後、一九七三年にNHK入局。報道記者として、さまざまな事件、災害、消費者問題、教育問題などを担当する。一九八九年、記者キャスターに起用され、一九九四年からは一一年にわたり「週刊こどもニュース」のお父さん役として活躍。二〇〇五年よりフリーになり、執筆活動を続けながら、テレビ番組などでニュースをわかりやすく解説し、幅広い人気を得ている。また、九つの大学で教鞭をとる。著書に『相手に「伝わる」話し方』『わかりやすく〈伝える〉技術』(ともに講談社現代新書)、『伝える仕事』(講談社)、『なぜ、読解力が必要なのか?』(講談社+α新書)、『おとなの教養』(NHK出版新書)ほか著書多数。

漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022 (講談社現代新書)
by 池上彰、佐藤優
佐藤  序章で触れた「あさま山荘事件」と「テルアビブ空港乱射事件」はどちらも一九七二年の事件ですが、七二年というのは戦後日本左翼にとって重要な事件が他にも多数起きた年です。たとえば、日本共産党ではこの年の五月から九月にかけて「新日和見主義事件」が起きています。 池上  共産党史上最多の処分者が出たと言われる事件ですね。

池上  権力と物理的に衝突するような場にあまり出てこない革マルとは違って、中核派は実際に機動隊とぶつかる闘争的なセクトであることを売りにしていましたしね。それが、自分たちよりももっと過激なことをやる党派が登場して脚光を浴びたことに衝撃を受け、そちらに引っ張られてしまった。 佐藤  だから爆弾も作ろうとしました。一九七五年九月には、中核派がアジトにしていた神奈川県 横須賀市のアパート「緑荘」の一室で爆弾を密造しようとしていたところ誤爆させてしまい、中核派同盟員の男女三人が亡くなっただけでなく、彼らの真上の部屋に住んでいた、中核派とは無関係の母娘も死なせてしまう事故を起こしています。この事件により中核派は一時爆弾闘争を諦めざるを得なくなりました。

この「横須賀緑荘誤爆事件」が起きた当時は天皇の訪米が予定されており、中核派は天皇訪米を阻止しようとして皇室関連施設の爆破を計画していたと言われています。

佐藤  実はこれもそれまでになかったパターンですよね。逮捕後に法廷闘争などを通じて世間に自分の革命思想を訴えるわけでもなく、普段から青酸カリを肌身放さず持ち歩き、逮捕された時点で自決するというのは。それだけ覚悟してテロにすべてを懸けていたということですが、こうした態度は左翼よりも右翼テロリストやアナキストのそれに近いです。

佐藤  そもそも彼らの場合、警察からは「極左暴力集団」と位置づけられてはいるものの本当に左翼というカテゴリーに入れていいのかよくわかりません。  なにしろ彼らの場合、とにかく日本の帝国主義を打倒するという意味で「反日革命」を標榜してはいますが、新しい体制を打ち立てるという本来の意味での革命には何ら興味を持っていません。この徹底して破壊し尽くせばおのずから何かができてくる、なるようになるのだという考え方は、アナキズム(無政府主義) に典型的な発想です。

池上  なるほど。「政治」なるものの役割を全否定したがゆえに、君民統治論は右翼思想だけでなくアナキズムにも強い影響を与えることになったわけですね。

 というのは、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでもわかるように、マルクスが考える革命の担い手は、基本的に組織された労働者だけだからです。組織されていない、個人としてバラバラに生きている労働者のことを、マルクスは「ルンペンプロレタリアート」と呼んでバカにしていました。彼らは権力に買収されやすい 塵 や 芥 のような層であり、到底革命の担い手になりえないと考えていた。 池上  略してルンプロ。あの頃は中核派も革マル派も相手方の陣営にいる労働者たちのことをルンペンプロレタリアートと呼んで、お互いに罵りあっていましたね。

当時は左翼崩れが記者になるパターンはかなりあったので、「要注意」というお達しがあった記者に関してはそういうこともやっていたというんですね。

 ただそれでも太田竜が九〇年代以降に書いた本のいくつかは、陰謀論の愛好家には未だに基本書として読まれています。ある意味ではアメリカのトランプ現象などを先取りしていたのかもしれません。

 マルクス主義では政治体制のあり方(上部構造) は下部構造である経済体制に規定されるものと通常考えますが、吉本は戦前の日本が、天皇制のような宗教的なイデオロギーにあっさりと支配されてしまったことに強い疑問を持っていました。そして国家や法律、企業といった社会の公的な関係、つまりマルクス主義的な上部構造は詩や文学と同じく単なる虚構であり、共同の幻想であると考えた。その幻想の正体を『古事記』や『遠野物語』を紐解きながら考え、「国家とは何か」を本質的に探究することで、国家と個人の関係を見つめ直したのです。これが吉本の「共同幻想論」です。

吉本隆明は、左翼的な志向を持っているけれどマルクス主義につきまとう教条主義的なイメージを嫌う層、「型にはまりたくない」と考える当時の若者には圧倒的な人気がありましたね。

 こうしたなか、一九七〇年九月から一〇月にかけて空港公団が予定地に立ち入り測量調査を行うと、反対同盟は人糞を詰めたポリ袋を「糞尿弾」「黄金爆弾」と称して公団の測量班や機動隊に投げつける激しい抵抗戦を展開。この通称「三日間戦争」では五九人の逮捕者が出ました。

 また翌七一年二月から三月にかけては、千葉県が反対派の土地を強制収用し、団結小屋も撤去する第一次行政代執行がのべ約三万人の機動隊を動員したうえで実施されたのに対して、反対派ものべ約二万人で竹槍や投石、火炎瓶などで抵抗する大規模な衝突が一三日間にわたって発生し、機動隊や空港公団職員、県職員、作業員の側は合計一〇七一人が負傷。反対同盟側も六〇六人が負傷し、四六一人が逮捕されたと言われます。しかしこの時点でも警察側は反対派に対する同情的世論を考慮し、逮捕した同盟員の大半を起訴せず数日で釈放していました。

中核派じゃなくてもノンセクトの活動家でそのまま三里塚に居ついてしまった人は結構いますよね。  反対同盟が熱田派と北原派に分裂した時も、同志社大学三里塚共闘会議は熱田派として三里塚闘争に関わっていました。前巻で知人が中核派から「教育的措置」と称してバールで足を折られた話をちょっとしましたが、これは中核派から受けた暴力です。

そうです。私の友人でも中核派に襲われ負傷した人がいる。こういう個人的な経験もあって、私は中核派に対してよい感情を持っていません。もっとも本書ではそういう個人的感情はできるだけ抑えるようにしていますが。  日本共産党に対しても嫌な思い出がありますよ。京都は共産党が強い土地柄なんですが、同志社は大学当局も学友会(同志社ブント) 外部の政党やセクトによって自治が侵されるのを嫌っていたため、学内には民青がほとんどいませんでした。それに対して立命館の民青が同志社の学生を装って入り込み、攻撃を仕掛けてくることがありました。しかも「暴力反対!」と口では言いながら、自分たちは釘を打ったプラカードを武器にして襲いかかってくるんです。

第一章でも見てきたように、一九七〇年代の左翼史は、新左翼が最後のあがきのようないくつかの事件を起こし、世間との 乖離 をさらに深めた時代でした。  ただそれはあくまで新左翼の視点で見れば、ということであって、もっと大きな流れで見れば、 学生たちを主要な担い手とする政治闘争から、労働運動へ焦点が移っていった時代 でもありました。  この時代、日本の労働運動はかつてない高揚期を迎えました。これは戦後史において案外忘れられがちな事実ではないかと思います。

 だから「●日後に国労がストに突入」というニュースが流れると、翌朝の電車が動かなくなることを見越して、前の晩からみんなで会社に泊まり込むようなこともしていました。  今だったら「何もそこまでして会社に行かなくても」と言われてしまいそうな話ですが、当時の「企業戦士」の意識としては仕事を休むわけにはいかないし、かといって自宅から歩いて通勤するのも無理だということで、会社員たちは前の日から会社の床に布団を敷いて寝ていたわけです。そのための貸布団屋というのがあって、「明日の国電のストライキに伴い、オフィス街では貸布団屋が大繁盛」といったニュースも定番のネタでした。

だから、郵便番号を書かない運動なんてものもありましたね。かつて郵便物の仕分けは郵便局で職員たちが目で住所を確認し、手作業で分けることで行われていたのを、一九六八年に郵便制度の省力化のために郵便番号制度が導入され、そこから機械が郵便番号を読み取って自動的に仕分けするようになりました。これに郵政省の郵便事業職員の労働組合である全逓が反発し、国民に「手紙やはがきを書く時に郵便番号を書くのをやめましょう」と呼びかけた。

反合理化闘争は、産業革命期のイギリスで手工業者や家内制手工業の労働者たちが団結して機械の打ちこわしを行ったラッダイト運動のようなものとしてバカにする向きもありますが、資本主義社会においては仕事の効率化が必ずしも労働者のためにならないというのは普遍的な真実です。その意味で日本の反合理化闘争も非常に重要な問題を提起していたのは間違いありません。

剰余価値を増殖する、資本の自己運動の必然的帰結が合理化であるわけですからね。もっともこの反合理化闘争に対しても、総評=社会党の影響力が強い運動でしたので共産党は反発していました。「合理化にも良い合理化と悪い合理化がある」といういつもの理屈で運動の意義を曖昧にし、足を引っ張ろうとしました。

 今でこそ過労死や過労自殺に対しては労働者をそこまで追い込んだ企業側の責任が強く問われるようになりましたが、あの頃はまだ、労働運動全体を見てもその部分に対する批判が弱い面がありました。ややもすれば自殺した労働者本人が「階級的に弱かったのだ」と見る雰囲気さえありました。  しかし私が通っていた社青同の学習会では、実際に自殺した労働者の例を学びながら、仕事の中で自殺に追い込まれるというのはそれ自体が合理化の最大の問題であって、これは疎外の問題なのだ、個人の責任ではないのだと丁寧に、明確に教えていました。その点では二一世紀に猛威をふるうことになる自己責任論に対する反撃を、先取りするような学習をしていたと思います。

 だから一九七三年に入局した私も、新人の頃は日本放送労働組合員として、休みの日に上田哲のポスターを抱えて各家を訪ねて、「すいません、社会党のポスター張らせてもらえませんか?」と頼んで回っていました。  当時NHKには私の一年先輩に、 橋本龍太郎 の実弟で後に高知県知事になる橋本 大 二郎 さんもいたのですが、彼も在職中は日放労の組合員として社会党の支援活動をさせられていましたよ。

 もちろん共産党だって本音では共産党を支持しろと言いたかったはずだし言えばいいのだけど、総評における共産党系の影響力は社会党と比べれば微々たるものだったので言うに言えなかったんです。  このあたりから社会党と共産党の関係がねじれていきましたね。共産党という政党は社会党より右寄りなんじゃないかというイメージを持たれるようになっていった。

そうですね。なぜ総評の中で共産党の存在感がそれほどなかったのかについて一応説明しておくと、総評は第一巻(『真説』) でも話したように、もともとGHQが日本の労働運動から共産党を締め出し、労使協調路線に誘導する目的で財界に働きかけて作らせたナショナルセンター(労働組合の連合組織) でした。それが一九五〇年代に社会党が積極的に組織化に乗り出した結果、「ニワトリからアヒルへ」と当時言われたほどに急激な左傾化を遂げ、戦闘的な組合に性格を変えていった、という経緯があります。ニワトリつまり家畜として飼われているのではなく、自由に活動するアヒルだ、というわけです。

社会主義協会の革命論の基本は、ソ連の力を背景としつつ大衆運動も併せて展開し、議会で多数派を形成することで革命を実現しようというものですが、少なくともこの時点では、計画の要であるソ連の国力が弱まる気配はいっこうにありませんでした。

 ですから革命なるものの現実味が七三年以降に急激に色あせていったというのは、あくまで新左翼側の視点でそうだというだけで、社会主義協会から見ると、むしろこれまでになく革命は近づいているように見えていたはずです。

でも、実はこれも左翼運動の興隆と裏腹の現象です。左翼運動というのは基本的に組織された労働者と知識人の運動なので、本来ならば労働運動が組織すべき未組織労働者の中に左翼運動では救いきれない部分がどうしても出てくる。そうした層が創価学会に流れたわけです。だから共産党と創価学会はマーケティング的には一番ぶつかるわけですよね。

 今でこそ公明党は自民党と長いこと連立与党を組む間柄になっていますが、この頃は自民党こそが公明党と共産党にとって共通の敵でしたからね。

ここ一年ほどの「赤旗」を読んでいると、公明党と創価学会の政教一致状態に対する攻撃をかなり頻繁にするようになっているんですよ。  だからそれだけ今の共産党には、創価学会によって追い込まれているという焦りがあるのではないでしょうか。

この章で大いに関係のある話でもありますので、ここで右派系の労働組合の歴史についても簡単に触れておきましょう。  第一巻(『真説』) でも述べてきたように、総評はもともとGHQが日本の労働運動から共産党の影響力を排除するべく、財界に働きかけて一九五〇年に結成された「反共・労使協調」色の強いナショナルセンターでした。しかしレッドパージで共産党が労働運動への影響力を失うなかで戦闘的な労働運動の受け皿が総評以外にない状況となって、五〇年代初頭には早くも左傾化。そこからは社会党=社会主義協会中心に組織化が図られ、社会党を支持し、日米安保にも反対する左派的な組合となっていきました。

しかし総評に加盟するすべての単産(=産業別単一労働組合。同一産業で働く労働者が会社の垣根を越えて組織する労働組合のこと) が左派路線を支持していたわけではありませんでした。それが最初に表面化したのが、一九五二年一二月に繊維産業の産別組合である「全国繊維産業労働組合同盟」(全繊同盟、のちゼンセン同盟) など、四つの単産が総評指導部の左派路線を「世論の支持を失い、政府にスト制限の口実を与え、ひいては労働運動を後退させてしまう」と公然と批判したことでした。

私の場合は所属する日放労が総評の社会党系、民放の人たちが所属する「日本民間放送労働組合連合会」(民放労連) は共産党系だったので同盟系の労組とは接点がなく、彼らとの小競り合いも経験していないのですけど、こうやって意識的に総評を切り崩そうとする先鋭的な右派勢力は、六〇年代末から七〇年代にかけての時期にどんどん出てきましたよね。民社党だって社会党から分裂したばかりの頃はそれほどでもなかったのに、この頃から自民党以上に右寄りの政党になっていった。  それも結局は労働運動がかつてない盛り上がりを見せた結果、日本が本当に社会主義の国になってしまうのではないかという危機意識が政財界の中で強まったからでしょう。

労働運動が七〇年代後半から少しずつ衰退していった理由としては、この頃から日本社会が本格的な大量消費社会の時代に入っていったことの影響も大きいでしょうね。労働組合のリクリエーションや、それらを通じての組合組織化よりもシンプルに楽しいことが、ほかにたくさん出てきてしまった。それこそ組合主催のリクリエーションよりも家族や恋人と遊園地やリゾート地に行ったほうが楽しいわけですから。

そうですよね。企業の社員旅行や組合主催の慰安旅行のようなものが成立したのだって、昔は娯楽が少なかったからであって、今の時代の若手社員・組合員にとっては上司や組合の先輩と一緒に温泉に行くなんて苦痛でしかないでしょう。ましてや女子社員に浴衣を着ろだの、カラオケでデュエットしろだのなんて言い出せばハラスメントとして問題になってしまいます。

昔はあれだけ順法闘争で頑張っていた日教組でさえ、時代が下るごとに新卒の先生たちが組織に縛られるのを嫌がるようになり、組合に入らなくなっていきましたからね。教育現場にイデオロギーを持ち込むことを嫌って総評から分離した「全日本教職員連盟」(全日教連) や、同盟系の新教職員組合連合(新教組) など反総評系の教職員組合もあったけど、そちらも含めてどこも組織率を低下させていきました。  前章で紹介した教研集会にしても、日教組の組織力が落ちてきた結果、労働組合が独自に開くことができなくなってしまい、今では教育委員会なり学校から業務として命じられて研究した内容を、組合の教研集会で発表するような状態になっているようです。

社会党を除名された江田は七七年三月、やはり六〇年代に構造改革論を唱えて共産党を離党した 安東 仁 兵衛 や、婦人運動家・市川房枝 のもとでボランティアとして活動していた 菅直人 らと新政党「社会市民連合」(のちに社会民主連合に改組) を結成。同年六月の参院選出馬を目指しますね。しかし、江田自身はこの時点ですでに肺がんにかかっており、公示前の五月二二日に六九歳で亡くなってしまいました。代わりに出馬して当選したのが、当時判事補だった息子の江田 五月 です。五月は一九八五年に社民連の代表に就任するなど長く野党の大物の一人であり続け、非自民連立政権が発足した際には 細川 護 熙 内閣や菅直人内閣で何度か閣僚も務めました。

 要するに、理論的な活動にしてもオルグ活動にしても、いままでのようにはできないということがルールで決められてしまった結果、協会が主体的にできる活動といっても学習会くらいになってしまい、選挙などでもいまひとつ力が入らなくなってしまった。  この協会パージにより、社会党内における社会主義協会の影響力は年々低下していきました。

向坂逸郎がどうしてここまでソ連ベッタリになってしまったかというと、結局はソ連を後ろ盾とした形での革命が現実的だと考えるようになったからだと思います。  共産党の「敵の出方論」のような、武力行使も辞さない革命を標榜したところで権力側との現実の兵力差を考えればあっという間に鎮圧されてしまう以上、ソ連の軍事力を背景に日本の議会で多数派を形成し、無血で社会主義革命を実行するしかない。そこから逆算した親ソ路線だったのだと思います。もっともこれも、明確なシミュレーションを行ったのではなく無意識のうちにソ連や東ドイツを理想社会とみなすようになったのだと思います。

池上  あるいは、当初は革命を成し遂げるための「戦略」としての親ソ路線だったのが、時間が経つなかで自分たちが最初に考えていた以上のリアルな信念に変化していった面もあるのかもしれませんね。

だから社会主義協会の場合、ある意味では日本共産党よりも直線的に社会主義革命を目指していたわけですけれど、それはあくまでもソ連に依存したものであって、これは実は社会主義協会のルーツである労農派マルクス主義の本来のありかたとも違っていました。労農派マルクス主義の特徴のひとつは、もともとソ連に対して一線を画す、という点にもありましたから。  つまり社会主義協会の構想は本来の自分たちのアイデンティティとも異なるところに築かれたものであり、だからこそ最終的には破産してしまった。突き放してみるとそういうことになるのだと思います。

中曾根が目論んでいたのは、大きな意味では日本を社会主義革命から遠ざけるということですよね。そして、今から振り返れば実際に国労を切り崩した結果、社会党と日本の左翼は崩壊過程を辿っていった。あくまで右派の視点から見ればですが、要である国労から切り崩しを図った中曾根には先見の明と長期的な視点があった、ということになります。

 そもそも中曾根という人は右派的な意味での改革者であり、ある意味では「右翼革命」をやろうとしていた人でもあるわけですよね。そういう中曾根であればこそ、革命の怖さというものを自分自身よくわかっていたのではないかと思います。

池上  そして国鉄民営化後の一九八八年から一九九一年にかけて、ついにソビエト連邦の崩壊が始まります。 佐藤  一九八九年のベルリンの壁崩壊を経て一九九一年にソ連が崩壊したことにより、社会主義協会も社会党も結局バックボーンとなるものを失ってしまったわけであり、バックボーンをもたなくなった党がその後に低迷したのは、ある意味では必然でした。

池上  社会党に関して言えばソ連は間違いなくバックボーンでしたので、ソ連が消滅したのを境に衰退していったのは理にかなっているのですけど、一方で不思議なのは、日本の左翼にはソ連に対して批判的だった勢力が決して少なくなかったにもかかわらず、彼らまでがソ連が崩壊した途端になんとなく力を失っていったことです。  大学でも、ソ連崩壊前にはマルクス経済学が全国の相当に多くの大学の経済学部で教えられていたのが、少なくとも表面上は消えてしまいました。

 これは考えてみればかなり不可解なことですよ。「ソ連の体制はマルクス主義のそれではない」と言っていた人たちは新左翼でなくてもかなりいたはずなのに、実際にソ連が倒れるとなんとなく「社会主義なんてダメだ」「マルクスもダメだ」というようなムードがワーッと広がってしまった。その後、二一世紀に入って格差が広がったことによって再び資本論が再評価される時代も来るのだけど、一時は本当に、ものの見事に日本のアカデミズムからマルクスの影は消えてしまいました。

 スターリンは単に政治家だったというわけではなく、共産主義世界においては哲学者でも経済学者でもあり、言語学者でもあるなど、知の全体系に関してヘゲモニーを握っていた。しかし政治の面に限定された現在のスターリン批判はそこまで捉えきれていないゆえに、批判者もスターリニズムを継承してしまっている。だから脱構築しないといけないのだ、というのが黒田の思想の核心でした。黒田が率いた革マル派が現実の運動のなかでどれだけできているかは別にして、その問題設定自体は極めて正確でした。

私が学生だった一九八〇年前後だと朝鮮語、韓国語を大学の正規科目として学ぶことはまだほとんど不可能で、ようやく朝鮮総連系の民間講座が少しずつ出始めた頃なのですが、あの頃に在日朝鮮人たちからよく言われたのが、「日本人で朝鮮語を喋れるという人に会うとぞっとする」という話です。なぜかというと日本人の朝鮮語話者のほとんどが公安警察か公安調査庁の人だからだというんですね。  この二つの役所は、あの当時にしては朝鮮語を喋れる人をたくさん養成していたわけですが、今後はロシア語もそうなるのでしょうね。つまり公安警察や公安調査庁、あるいは内閣情報調査室などで、日本にとっての脅威だからという理由で職員たちにロシア語を勉強させる。しかし民間で学ぶ人はほとんどいないという時代になっていくのだと思います。

そうした苦しい状況で、先ほど佐藤さんが述べたように一九八六年七月の衆参同日選挙で社会党は惨敗しました。これで 石橋 政 嗣 16 委員長が引責辞任し、九月には 土井 たか子 17 さんが副委員長から昇格する形で委員長になりました。  当時は日本のメディアの一部に土井さんのことを「日本のサッチャー」と言う人たちがいて、「いや、新自由主義者のサッチャーと社会民主主義者の土井では百八十度違うだろ」と思ったものですが、とはいえ当時のジェンダー格差が凄まじかった日本にあって、野党第一党のリーダーに女性がついたことで、「これで日本の政治も少し変わるかもしれない」という期待を抱いた人が多かったのも事実でしょうね。

佐藤  ご存じのように土井さんという人はもともと憲法学者なのですけど、彼女の同志社大学法学部時代の指導教授だった 田畑 忍 と同じく、大変な尊皇家でもあるんですよね。土井さんの元政策秘書だった 五島 昌 子 さんから以前聞いたのですが、土井さんは衆議院議長を務めていた頃、議長として宮中行事に呼ばれるのが嬉しくて仕方ない様子だったそうです。あまりに嬉しそうなので周囲が咎めても、「だったら私、田畑先生に相談する」と電話をかけ、「田畑先生が全く問題ないとおっしゃっていたので行きます」と宣言し、いそいそと出かけていったといいます。

あと、「どうして政治家になったのか」と訊いたら、ジョン・フォード監督の『若き日のリンカン』を観て政治って素晴らしいと思ったからだと言っていました。

だから、 楢 崎 弥 之 助 や横路孝弘などの、社会党の中の言ってみれば反マルクス主義的な系譜に土井さんも実は属していたということなんです。ただ、そういう土井さんが当時の社会党でトップまで上りつめたのは、党内、あるいは党の周辺にあってそれだけ多くの人たちが労農派マルクス主義にうんざりしていたことの表れでもありました。

 だからその意味において日本共産党はカトリック的なんですよ。カトリックの場合、最後の審判の日にキリストが再臨して裁きと救済を与えてくれるという聖書の預言はみな信じているけれど、しかしいつ再臨するのかは誰にもわからない。だったら復活の時に備えてまず教会を強化しておかなければいけない、と考える。だからカトリックは組織が強いんです。他方プロテスタントの一部教派では信徒たちが「すぐにイエスに再臨してほしい」と考え再臨待望運動を起こした例もありますが、こうした運動の場合、期待どおり再臨してくれなかったということで信徒たちが失望して終わるのが常です。

でも、マルクス主義の影響の度合いという点ではもはや日本も似たようなものかもしれませんね。なにしろ選挙特番で池上さんに「『共産党宣言』を読んだことはありますか?」と質問された共産党の候補者が、「これから読みます」と答えてしまうくらいですから。ああ、 吉良 よし子 さんが初当選したときのインタビューですね(笑)。彼女は当時三一歳でしたので、『資本論』を読んでいないのは世代的に仕方ないかなと思って、せめて「『共産党宣言』読んでいますか?」と聞いてみたのですが、読んでいないということでしたね。

私の頃だと記者という仕事はそれこそ学生運動崩れがなるイメージでしたし、実際活動家崩れがたくさんいましたからね。だから世間的にはちょっとバカにされているというか、少なくともエリートがなるような仕事じゃありませんでした。それがバブルの頃に、急激にエリート化していきましたよね。女子アナブームが起きたり、主人公を新聞記者に設定した民放のトレンディドラマが放送されたり、朝日新聞の給料が高いと話題になって、あれよあれよという間に人気職種になっていった。

そういった社会の空気は「安倍政権」の七年八ヵ月で強まったとも言われますが、安倍政権といえば、この政権は本対談で私たちが何度も言及してきた「安保闘争」と「学生運動」を復活させたことも記憶に新しいですね。安倍政権は二〇一五年五月に自衛隊の集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案を国会に提出し、それに反対する若者たちが首相官邸前に集まり抗議行動を繰り広げました。なかでも学生グループ「SEALDs(シールズ)」(Students Emergency Action for Liberal Democracy-s=自由と民主主義のための学生緊急行動) の抗議運動はメディアに取り上げられ大いに話題になりました。

しかし私はSEALDsに関しては全く評価していませんし、彼らの運動は、結局のところ組織化されていない運動などほとんど意味がないことを示して終わったと思っています。  またあの運動に関わった若者たちがどの程度自覚していたのかは知りませんが、私は彼らの運動のあり方は非常に新自由主義的だったとさえ思っています。

 私があの運動を見ていてとりわけ嫌だったのは、たくさんの大人たちが子どもたちに 阿ったことですよ。そういった運動における嫌らしさや 狡 さのようなものについて、大人たちは嚙み砕いて教えなければいけなかったのにしなかった。だから私はああいう運動に対しては冷たいんです。  結局、思想がないんですよ。 左とか右とかは関係なくてすべて新自由主義なんです。 誰もが眼の前で繰り広げられている椅子取りゲームに勝つことしか興味がなくて、その場その場をどう振る舞えば自分にとって得になるかと考えている。そうした新自由主義的な振る舞いが学生運動にまで浸透しているということだと思います。

だから私は、実はヴィーガニズムという思想・運動について部分的には共感できると感じつつ、一方ではこの

思想が引き起こす社会との軋轢が、かつての新左翼に近いものになる可能性も十分あると思っているんです。これは環境問題でもそうですよね。  いずれにせよ、どのような運動をしていくのでも対話の力というのは本当に重要で、対立的な運動であれ、何らかのコンセンサスを見つけることを目指すのであれ、我々はそれを信じていかなければいけません。

 そして『構造と力』の刊行から四〇年経ってもうひとつはっきりしたのは、やはり人は「大きな物語」を必要とするということです。しかもその物語は、大きいものでありさえすれば、かなり乱暴な出来でも構わないということもわかった。

 だから「大きな物語」はその出来に関係なく、依然として人を動かす力を持ち続けていると思うんですよ。キリスト教がフラフラしながらも未だに生き残っているのだって、やはりこの教えには「大きな物語」があるからです。  いずれこの世の終わりが来て、その時にはイエスが再臨し最後の審判と救済が行われる。この「大きな物語」が維持されている以上はそう簡単には滅びません。

そういう意味では、 現在の左翼の元気のなさというか影響力の弱さは、もはや彼らが「大きな物語」を語り得なくなってきていることにあるかもしれませんね。「いずれ共産主義の理想社会が到来する」という、かつて語られていた「大きな物語」を語り続けるのが難しくなっている。

池上彰氏との共著『真説 日本左翼史』『激動 日本左翼史』『漂流 日本左翼史』が刊行されたことで、太平洋戦争後の日本左翼の歴史について検討するわれわれの共同作業は終了した。日本の左翼を日本共産党とそこから分裂した勢力と見る従来の見方に対して、私たちは別の切り口を提示した。わが国には日本共産党以外に戦前の合法マルクス主義者の流れ(労農派) を継承する日本社会党が存在した。この社会党のアンブレラの下で、新左翼が台頭した。共産党 社会党・新左翼という分節化に基づいて日本左翼史を論じた本は他にないと思っている。

 未来を切り開くためには、過去から学ばなくてはならない。日本左翼の歴史から、善きものを活かし、悪しきものを退けることの重要性が今後高まると私は考える。  キリスト教には左翼的な価値観も包摂されている。 〈そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の戒めである。  第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているのだ。」〉(「マタイによる福音書」 22 章 35 ~ 40 節)

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2024年07月03日

Posted by ブクログ

「郵便番号を書かない」反合理化闘争、異次元すぎる。今のAI時代でもそのような思想が残っているのだろうか?

昔の左翼や労働組合にとって作業の分業化や機械化によってもたらされる仕事の合理化は、人間から仕事を奪い、人間を本来あるべき労働から疎外させる絶対悪だったからです。

「メディアがエリート化しているから、彼らが世の中に異議申し立てしても、腹の底からの言葉でない、とってつけたような批判」に同意。

結局、思想がないんですよ。眼の前で繰り広げられる椅子取りゲームに勝つことしか興味がなくて、その場その場をどう振る舞えば自分にとって得になるかを考えている。

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2025年04月27日

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1970年代からの労働運動の盛り上がりと衰退、それと連動した社会党の盛り上がりと衰退、が主なテーマ。
お子様(リアルな意味で)だったので総評潰しとしての国鉄民営化という認識はなかったが、総括としては納得できる。
その後の郵政民営化や国立大学法人化と同様に、悪玉として取り扱う世論が作られていたのは覚えている。

労働運動の衰退(明記されていないが連合は御用組合っていう位置づけ)によって左翼は絶滅に近い状態になっているが、揺り戻しはあるというのが2人のスタンスなんだろう。
そのためには「大きな物語が必要」というのは、まあそうなのかもしれないが、いまいちリアリティが感じにくい。

なお、佐藤氏はヴィーガニズム、アニマルライツなどの議論が先鋭化するだろうと予測しており、かなり印象的。
「この思想が引き起こす社会との軋轢が、かつての新左翼に近いものになる可能性も十分あると思っているんです。これは環境問題でもそうですよね。」
ということで対話の重要性を唱える。対話を受け付けないことの末路が新左翼ということですね。

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2023年07月01日

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20世紀末頃、自分が少しの間通っていた都内の大学では革労協が自治会を牛耳っていた。あさま山荘事件で学生運動がその支持を失い、低迷が決定的になっていた時代だったが、校門の前には角ばった文字で政治的主張をする立て看板が置かれていたものだ。(遠い目)
当時革労協は狭間派と木元派に分裂、木元派が自治会を掌握していた。そんな中、学内から閉め出された狭間派がキャンパスに侵入し、旗竿持ってシュプレヒコールを上げたりしていた。安保闘争の頃ほどじゃないが、かなり不穏な時代だった。

当時は学園祭も自治会が管理していて、まあおそらく学生から集めた学園祭の費用は革労協にも流れていたのだろう、それを快く思わない大学当局は「資金を学園祭の開催前に半分、終了後に残り半分出す」と学園祭の実行委員会に通達してきた。期間中何か問題が起こればその残り半分はやりませんよと。
前年泥酔した学生が校舎から転落した事故を受けての通達ではあったが、お金が足りなくなったら君たちでなんとかしなさいとのたまう。
実行委員会には所謂「ノンポリ」の学生も混ざっていたが、かかる「姑息な不正義」に怒り、当局に対しデモを敢行、100名規模の学生が集った。
過激派の居る自治会など学生が支持するはずがないと高を括っていた当局は慌てて前言を翻し、全額が無事交付された。

それはそれで良かったのだが、その学園祭で弁論部が元国連事務次官の明石康氏を招き講演を依頼したことに対し自治会は難色を示した。理由はよくわからない。結局隣の寺院を会場に借り講演は行われることになったものの、学内に貼られた講演のポスターは自治会によって全て剥がされた。ここでも「不正義」が行われていた。

「…共産党は、…前衛思想と民主集中制の剄木から逃れられずに行き詰まっているというのが本書の分析だ」(p184)というのは、左翼全般に当てはまる気がする。

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2023年02月23日

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3部作シリーズ。全作品読んだ。ソ連崩壊後に生まれた世代としてはそれ以後の共産党、左翼についての知識を得る機会がなかったのでお勧め。

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2022年12月24日

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 このシリーズがこの本で完結するわけだが、現在行われているウクライナ戦争の位置付けが明確になった。読む価値のある本だと思います。

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2022年11月20日

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シリーズの3冊目。
このお二人の本の中で最も価値のある本だと個人的には思いました。特に最近の左派、共産党、学生運動的なものについての考察は今までになく感銘を受けました。
いわゆる革命に対する成就への時間的感覚の差については指摘をされる機会が少ないように思いますが、様々なところで当てはまる根本的な背景であると感じる。
左派的な活動に親和性があったからこそ内部の実情というか、見えるものがあるのだろうと率直に。
詳細の名前や出来事は覚えてないし覚えようとも思わなかったですが、家にこのシリーズは置いておこうと思えます。

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2022年11月19日

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なんと言っても、解説的立場を池上さんが務めるので、左翼思想、労働運動に疎い世代にも、わかりやすい。
また、佐藤さんの解釈・説明、博学さからの話題の広がりが、面白く、最後まで読み通せました。
左翼の将来像に薄暗くも灯りを照らして論じる最終章は好きです。
また、成田闘争の概説、土井元衆議院議長のエピソード、バブル前後でのマスコミ人の急速なエリート化など、興味深いエピソードが散りばめらており、飽きずに読み切ることができるのではないでしょうか。
組合活動の報告書などで目にしたことのある用語や活動。これらには何の意味があるのか全く理解できなかったのですが、労働運動の残滓であることも、本書で理解できました。

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2022年11月14日

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外山恒一による左翼史本を読んだ直後だったので理解しやすかった。
今の若者として、労働運動の盛り上がりってちょっと想像できず、上尾駅での暴動など当時の様子を興味深く思いながら読んだ。
共産党は、社会党の平和路線をうまく引き継ぐことでここまで生き残ってこられたということも理解できた。共産党は今苦しいだろう、ウクライナ戦争勃発の場面で「帝国主義のぶつかり合いだからどちらにも汲みさない。戦争反対」と日本で堂々と叫ぶことは可能だったのかと考えると…

あと少し思ったのが、マルクスは革命には組織された労働者が担い手になると考えていて、そうではない末端労働者は「ルンペンプロレタリアート」といって馬鹿にしていたとの記述について。
まず、私は自分が組織されたプロレタリアートであることに無力感を抱き辛い気持ちになっているが、これはマルクスから見るとプラスなんだと知って目から鱗な気分になった。
私は自分の力で生きているフリーランスの労働者=ルンプロに尊敬の念を抱いてるけど、これはマルクス的観点からしたらおかしいんだなと思うとウケた。
とはいえ、今の時代、組織化されたプロレタリアートから革命なんて絶対起きないと思う。
だってその立場にいたら社会を変革する必要ないもんね。
社会が変わる兆しはルンプロにあるのでは?と私は考えます。

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2022年08月08日

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ネタバレ

たしかに労働者が団結することを希薄化させた政府の計略は成功したのだろう。しかし、自民党が備えていた、社会民主主義的な性格も、どんどんと失われた。結果として、現在の日本が、ますます張りぼて化していることも明確だ。
 社会党の批判的な検証は、確かに必要だろう。
 しかし、正直言って、批判的な検証が必要な政党は、他にもありそうな気がする。

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2022年07月30日

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左翼の中の人ではなく、外から見た視点(正確には元中の人)。左翼活動への諦めからくる乾いた論調。
成田、テルアビブ、三菱重工など歴史の1ページから現在までを書いている。環境破壊、性的多様性、原発反対、九条だけでは政権取るの難しいと思う。

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2024年02月20日

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シリーズ最終巻。
この辺りから、だんだん知っている名前も増えてきて面白い。

本作では革マル派、中核派、民青などに加え、労働組合の物語が強くなってくる。
中でも国鉄時代の労働運動は大変に興味深い。
ただし、上尾事件や首都圏国電暴動などは1973年の事件ということで全く知らず。
こんな恐ろしい事件があったのかということにひどく驚いた。
スト権スト、だとか、半合理化闘争だとか、ちょっと私の世代では考えられないほどの無駄で生産性のない動き。
本当に時代というものは変わっていく。
また、メディアの考え方もこんなに今とは違うのか、と驚く。

左翼とはなんなのか。
今や「パヨク」などとあげつらわれ、一方でいまだに暴力革命を信じ、しかしながら存在感は逆張りでしか示せない。
人々は、労働組合を忌避し(労働法でいう労働者の権利保護につながらないから?)、環境問題やジェンダー問題を提起すると「ヒダリ」と馬鹿の一つ覚えが如く叩きまくる。
繰り返し問う。
左翼とは、なんだったのか?

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2023年10月01日

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1−2巻は熱く読めたけれど3巻目はゆるいというか薄いというか現在に近いから書きにくいところもあるのかな

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2023年01月14日

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ほとんどの国民が労働者であり、労働者の権利を守るためには労働組合やストが重要なはずなのに、その労働組合の意義が理解されていないの何故なのか、ずっと分からなかったが、この本で分かった気がした

また、ソ連崩壊の歴史的な意義についてはいろんな読み物を読んだつもりだったが、その影響の広さを理解できていなかったことも分かった気がする

著者らが共産党を嫌いなのは前々書、前書で分かっていたので、共産党の評価に関する記述は少し引いて読む。

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2022年11月27日

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このシリーズを読むのは初めてだけど左翼の歴史は割と血生臭い歴史なんだね。
今は昔に比べれば平和な時代で、何かに対して闘うなんてことは少ないので日本にもこんな時代があったと言う事実は、うっすらとは記憶してるけど改めて読むとちょっと衝撃。
機会があれば同シリーズの残り2冊も読んでみたい。

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2022年11月23日

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1.この本を一言で表すと?
現代の左翼がどうなってしまったのかを論じた本。

2.よかった点を3~5つ
・冷戦後も生き残った事実唯一の左翼政党である日本共産党が、ウクライナ戦争に対して「あらゆる戦争に反対する」と言う声明を出すことができず、逆にこのような祖国防衛戦争の論理を打ち出し始めたと言う事は、日本の左翼がもはや戦争の論理に完全に搦め捕られたと言うことを意味しています。(p177)
→これは今いる共産党の議員に聞いてみたい。志位委員長の発言はあなたの考えと矛盾していないのか?

・国労や動労の場合は自分たちの運動がひとつのきっかけになって流通革命を招き、それが組織力低下につながっていったと言うのはなんとも皮肉です。(p111)
→国鉄の労働運動と、ヤマト運輸の「宅急便」進出がちょうど重なっていたとは知らなかった。

・左翼ではなく「アナキスト」(p40)
→左翼とアナキストは似ているが、根本的には全く異なることはよく注意する必要がある。

・国鉄職員の場合、正確にはストではなく順法(遵法)闘争が基本的な闘争の仕方でした。(p64)
→スト権が無くてこのような手段で闘争していたのはり知らなかった。

・共産党vs社会党・新左翼という分節化に基づいて日本左翼史を論じた本は他にない。(p183)
→今まで共産党と社会党は同じ左翼との括りだったが、歴史的にも別物と考えた方が理解しやすいと思う。

3.参考にならなかった所(つっこみ所)
・左翼にとって価値判断の基準は「国家」でも「民族」でも「国民」でもない。基準は常に「階級」であり、戦争であろうと環境問題であろうと、「労働者階級にとってそれは何を意味するのか」と言う問題設定から全ては始まります。(p182)
→現代では、「労働者階級」と言う言葉自体が死語になってしまったのではないか?だからそのような問題設定が今の日本社会ではできないのではないか?
・創共協定(p90)
→共産党が公明党批判してたらしいが、池田大作と共産党は意気投合していたのでは?

4.議論したいこと
・左翼史を振り返って、今後に活かせる教訓は何か?
・今後の日本で左翼的価値観が見直される事はあるのだろうか?
・日本左翼史シリーズをお通してどのように感じたか?

5.全体の感想・その他
・左翼の終焉という言葉が出てきているが、それは日本共産党のは変節ぶりに現れていると感じた。
・日本の左翼は、少しでも考え方の違う人を受け入れなかったために自滅したのではないか、と自分なりに解釈した。
・中曽根首相がいかに重要な功績を残したかがわかった。

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2022年09月28日

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