【感想・ネタバレ】自己啓発をやめて哲学をはじめようのレビュー

あらすじ

■衰退する日本社会に自己啓発が罠を仕掛ける!?

そもそも自己啓発ビジネスは、
自尊心が満たされていない人をターゲットにしているため、
コミュニティーの中で、それが満たされる仕組みを作り上げます。
そうして囲い込まれた人たちは、お金を失うだけで、
儲かるのは自己啓発ビジネス側だけというのが仕組みです。

■答えをあなたの外側に求めることが哲学
自己啓発と哲学の決定的な違いは、その答えを自分の内側に求めるか、
自分の外側に求めるかということです。

自分の内側に答えを求めるというのは、
努力すれば成功できる、自分の可能性を信じるというもので、
それを信じれば信じるほど、
薄っぺらな自己啓発ビジネスの罠にはまってしまいます。

いっぽう哲学は、自分の内側にひそんでいる可能性を
あきらめることから出発します。
言い換えれば、自分への執着を捨て去ることの必要性を
説いた学問なのです。

その姿勢は、世の中の絶望と向き合い、
外側の世界に見えるわずかな真実とともに生きることです。

■本書は、自己啓発を捨てて哲学に生きることを提唱しています。
ソクラテス、プロタゴラス、デカルト、
ヒューム、カント、サルトルら哲学者が考えてきた哲学にそって、
哲学が自己啓発を否定する流れを解説していきます。

「自分こそが正しい」という、人間に不幸をもたらすであろう絶望から、
その興味を自分の外側に向けていく哲学にこそ、私たちが救われる道が見いだされ、
そこに救済の可能性があるのです。

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Posted by ブクログ

タイトルに惹かれて読んでみました。自己啓発と哲学の対比がうまく表現されていて、とても説得力があります。後半は哲学を深掘りしており、色々と興味深い内容が書かれています。私が気になったのは『成人発達理論』です。縮約するとこんな感じです。
 
ハーバード大学のロバート・キーガン博士らは、大人の成長を五つの段階に分けて考える『成人発達理論』を提唱しています。
 
①具体的思考段階・・・言葉の獲得と、それによる基本的な思考段階
②利己的段階・・・自分以外の他者を、自分の欲求を満たすための道具として考える段階
③他者依存段階・・・自らの選択を、社会や組織の常識にゆだねようとする傾向を持つ段階(成人の70%が、この段階からの脱出に苦労している)
④自己主導型段階・・・自分の価値観に従って、自律した人生を送ることができる状態
⑤自己変容段階・・・自分の成長に対する興味を失っている特徴があり、より哲学的。自分の価値観を越えており、自分自身を他者と同じように観察できる状態(到達できている人は1%以下)
 
③と⑤は似て非なるものです。自覚症状は明らかに異なりますが、外見で見分けるのはなかなか難しそう...。少なくとも目指すべきは⑤ですね。そして「役に立たないことこそ、私たちにとって唯一の希望なのです」の一文、我が意を得たりです!最近、役に立たない事ばかりやっているのですが、どうやら正しい道のようでした(^^;

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2020年01月26日

Posted by ブクログ

まず自己啓発の「啓」という文字は漢文由来の言葉で、「開く」という意味があります。
また「発」は、「弓を射ること」で、当たって何がか生まれるという意味です。
なので、「啓発」とは、「開いて、わかった」、もっと意訳すると、
「すぐに、わかる」という意味です。
つまり、自己啓発とは、「自分ですぐにわかること」のことです。

本書には、もちろん、以上の説明はされていません。
「自己啓発」という定義が、そもそも書かれていません。
これは、おそらく、意図的にやっていると思います。

「自己啓発」という言葉の意味は、
たぶん、多くの日本人はわからないだろうという前提で、
説明せずに、論を進めるのは、哲学的には「あり」です。

自己啓発をせずに、哲学しましょうというのが、
本書の中核となる主張ですが、自己啓発がすぐにわかることなら、
その対比としている哲学は、すぐにわからないということになります。

これは、「自分の頭で考えられるようになる」ということは、
どういうことかにもつながる話しですが、自分が何を必要しているのか、
自分で探り当てられるようになる手段として、哲学の必要性が実感できるように本書は、
「自分ですぐにわかる」ように構成されています。
もちろん、これは、著者の皮肉です。

個人的には、日本で出回っている自己啓発(書籍やセミナーやプログラム)は、
その機能と役割でいうのなら非常に宗教に近いと思います。

宗教とはなんぞやと話しになると、これまた厳密に定義することは、
非常に難しいことですが、マックス・ウェバーの説を採れば、宗教とは、
エトスのことです。つまり、行動様式のことであり、そのパターンです。

なんで、自己啓発が上記の意味でいう宗教に近いかというと、
自己啓発(書籍、セミナー、プログラム)は、宗教社会学でいう所の啓典宗教ではなく(絶対となる行動指針を書いた教典がない、○○が言いましたと、適当な引用で何とも言える)があり、個人救済を主に考えていて、
それは、因果律(こうすれば、こうなると、わかりやすくのべられている)で構成されているからです。

多くの日本人は、宗教としての信仰心は持っていません。
何が良いのか、悪いのか、その時の状況や空気で変わることを、
良く知っています。明確な行動基準も、倫理観もないので、
ある一定の状況下になると、平気で自殺します。

こういう状況下に、ビジネスとして、うまいことやっているのが、
自己啓発だと思います。ビジネスとして成立しているということは、
そこに市場があり、需要があるということです。

自己啓発の教えは、
○○すると、△△になる。という、
信じられないぐらい、わかりやすく、論理が構成されています。
この論理は、「あっ、わかる、わかる、そうだよな」と、
思いやすい。この状態の時、実は、脳は、ほとんど、活動していないみたいです。

この論理に付随する奇跡、つまり業績を上げただの、
同僚との関係が上手くなっただの、営業NO1になれただの、
それらを提示すれば、なるほど!なと、すぐに思ってしまいます。
もちろん、現在、より、巧妙になっています。最近は、科学的根拠(引用論文)など、
わけのわらない「わかりやすさ」で、多くの日本人を魅了しています。

多くの大卒の日本人は、大学時代ほとんど勉強という勉強はしてませんし、
もちろん専門知識(専門とする学問の論理体系の中核となる理論と
論理構成の知識)など皆無ですから、
「わかりやすいもの」に非常に魅力的に感じるようになっています。

一説には、自己啓発の実践プログラムは、
侵略した国の奴隷や自国の軍隊の兵士を要請するプログラムとして開発されたものと
指摘する人もいます。よって、プログラム開発者は、元軍人が非常に多い。
あと、意外かもしれませんが、バリバリの体育会系で育った人達です。

そのプログラムは、優秀な市民や考える兵士を養成するのではなく、
いつでも積極的に喜んで死んでくれるように、また、
どこから弾がとんでくる状況においても「突撃せよ!」と言われたら、何も考えずに、
突撃するような兵士を養成するプログラムです。
この極端な例が、自爆テロを起こす、テロリストです。

こういうプログラムは、一言でいうと、洗脳ですが、
その方法論は、信仰宗教の布教活動で行われているものと、
ほとんど変わりません。
もちろん、「怪しさ」を消して、より、カジュアルにファッショナブルになっています。

自分がやっている読書は、以上の意味でいう自己啓発なのか?
自分のやっている英語の勉強は、自己啓発のなのか?
自分のやっている経営の勉強や、プログラミングの勉強、
マーケティング、自信をつけるセミナー、投資セミナーは、
自己啓発なのか?一度、じっくり考えてみるのが良いかもしれません。

すくなくとも、○○すると、○○になりますよ、とわかり易い論理で、
書かれていたり、話すものは、限りなく自己啓発に近いものです。
だって、この世に役に立つことで、すぐに、わかって、使えるものなど、
ありません。いや!あるよ!という人は、突撃せよ!で、突撃する兵士なのかもしれません。
そういうノウハウを、ブラック企業と呼ばれる、職員を企業の利益を追求することを目的に、
過労死寸前まで、働かそうとしている状況(労働者が自ら、その状況を作り出すように
できるノウハウを持っている)を見れば、自分で、自分を守るための論理(これが役に立つ知識です)、
それが、著者がいう現代的な意味での哲学なのかもしれません。

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2019年12月02日

Posted by ブクログ

現代の人間の問題は無気力にある。それは、自分にばかり意識を向けているから。そうではなく、自分以外の外のものに意識を向けること、そうすることで、興味を持ち、活き活きとした人生を送れる。
この本の著者も言っている、「自分の内側に求める人が稾を掴み、答えを自分の外側に求める人には、哲学と言う救済の可能性がある」は、まさにこのことである。この著書の言っている哲学とは、自分以外の外側のもの、文化や趣味などに興味を持つこと。それは、今自分の現実に役立つものではなく役立たないものである。だから、この人の言う哲学は、役立つものを勉強しようと言うことではなく、役立たないものに自ら興味を持ち、役立たないこと(今の自分には)を学んでいこうということである。学問でも、社会に出てすぐ役立つことは、今大学でも多く取り入れ始めている。しかし、社会に出てもすぐ役立たないものは、大学から取り払われる傾向に少しずつなってきている。その学問は、文学や自然科学のものである。こういったものに興味を持ち、これから学んで行きたい。

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2025年07月10日

Posted by ブクログ

自己啓発が貧困ビジネスであるということは全くその通りだと思うし、こうして否定すると余計躍起になるところが厄介だなあと思う。可能性を広げるのも大事だけどこうした本当のことを述べるのは重要だと思う。

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2019年05月07日

Posted by ブクログ

自己啓発と哲学は表裏の関係にあり、自己啓発は歴史のある貧困ビジネスという視点に惹かれ読んだ。本来の意味がある自己啓発はちゃんとあるはず。自分の自己啓発が作者の言うような、溺れている者に対して藁を売る貧相なものでないと思いたい。

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2022年06月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「自分こそが正しいという人間を確実に不幸にする態度を哲学はかなりの程度まで減らすことができる。自分より重要ななにかを発見するための手段であり、自分自身よりも重要なもののために生きるという救済の道」
「自分というつまらないものを探求することをやめにして、この世界という素晴らしいとものを探求しよう」
唆に富んだ表現が多く、知的態度を見つめ直すきっかけになる。
ただ、著者が自己啓発を憎みすぎている(笑)ことがややノイジーである。自己啓発の定義もやや曖昧で切れ味が悪い。イメージとして共有はできるがそんなに言わなくてもいいと思うのだが。

「自分の中にある「うまく言葉にならないけど、なんだか知っている気がする」というきづきを、簡単には疑えない言葉にする試みが哲学」
という言葉にとても感銘を受けた。「なんだか知っている」を放置せずに向き合っていきたい。

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2019年08月27日

Posted by ブクログ

自己啓発という言葉のせいで著者の意見にかなり偏りが出てしまうようにみえるのが勿体無いなと思ったがそれこそが狙いなのか?
本書の最初と最後では人の人生の大きな流れは変えることができないという主張の上でそれでも自己の外側の理解を深めるために哲学を学ぼうというように受け止めた。

中盤は自己啓発というよりオカルトや引き寄せの法則など科学的根拠のないものへの批判に思え、そのすべてを自己啓発として括ってしまっているので偏りを感じてしまった。

とはいえ著者の主張は面白いし、哲学を扱っている本にしてはかなり楽に読めた。

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2019年07月10日

Posted by ブクログ

「自分というつまらないものを探求するのをやめて、この世界という素晴らしいものを探求しよう」という考えから、
自己啓発=自分探しをやめて、哲学=世界の真理探究を勧める本。

著者の見識が紹介されており興味深い部分もある。

一方、自己啓発=悪、のように決めつけているところには違和感もある。

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2019年04月19日

Posted by ブクログ

前半は著者の自己啓発に対するアンチな感じがリズミカルだった。自分自身を変えられるというのは嘘。変えられる可能性があるとすれば他者の環境になっている場合のみというのは結構本質的。頑張れば自分は変えられるっていう意識の隙を突くのが悪徳啓発ビジネスだから。
後半はサクッとした哲学史とキーガンの成人発達理論など急にリズム感無くなる。

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2019年04月11日

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