あらすじ
剣の道はかほどに奥深く、玄妙なものであったのか――柳生の里をおとずれた神陰流の流祖上泉伊勢守秀綱と立ち合ったとき、柳生宗厳は己れを愧じた。慢心、うぬぼれ、未熟さ……目からうろこが落ちる思いでそれに気づいた宗厳は即刻秀綱に入門、切磋琢磨を誓う。無刀取り柳生新陰流の開祖石舟斎の半生。
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歴史小説というより哲学書の趣きがありました。文才のない大学の先生が翻訳したド直訳哲学書なんかよりよほど真理や思索にあふれた一冊でした。自分が何に傷ついたかをひたすらアピールして他人に押しつけてくる人間で溢れてしまった現代に疲れている自分には、男として人として生まれたならかくあるべし、という上泉信綱や柳生石舟斎と柳生宗矩の生き様は心に沁みました。後半は若干展開が駆け足で読み足りない感はあったものの、著者による柳生宗矩全4巻へと期待したいと思います。
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この年齢になったからこそ味わえる小説。
身を捨ててこそ、浮かぶ背もあれ。
無刀取りの極意、戦わずして勝つために。
P41
人間本来の姿は無心。敵意は利害の念の生じたとこrにさsh8いhかけてゆく陰、この陰を取り除いて無心に返すのが新陰流のめざすところ。
P73
一方が死に一方が勝つ。さなくば双方が傷つき倒れる。
まことの武は、その文字の作りを見ても戈を止めると書かれている。せめて素手で白刃を取ってやれたら、取られた方も取った方も無事ですもう。
双方無事、これがぶどうのめざす境地となれば、兵法家も当然その工夫に苦心を積まねばならぬ
P191
常に正しいものには好意を感じ、不正なものには嫌悪をおぼえる。どらわれ過ぎなければそれでよいのじゃ。
P365
小才は縁を求めて縁に気づかず、中才は縁に気づいて縁を投げうち、大才は縁に気づいて縁を活かす
P451
天下というものは、盗もうなどと考えて盗めるほど手軽なものではない。いちばん天の心にかのうたものに、天がおあずけなさるものじゃ。それゆえ人間は、油断のう、何が天意かを見極めて、正しいことに励めばそれでよい。
P453
嬉しい時には言葉を慎み、悲しい時には涙を慎め。人間は何事によらず天をおそれる慎みが第一。
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柳生があまりいままで詳しくなかったので、読む事に。
この本は柳生石舟斎の一生ではなく半生が描かれてます。ただ間違いなくターニングポイントになった上泉秀綱との出会い及び弟子入りの部分がしっかりと描かれています。これがあったからこそ後々代々まで続く、柳生家の道が切り開けたのでしょう。
後半は息子宗矩が描かれており、柳生のこれからの繁栄が想像できるような形で終わりを迎えてます。
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柳生宗矩の父、宗厳の一生を描いた本。
一生と言っても、幼少期は飛ばしてあります。半生と言った方が正しいですね。
本題は、上泉伊勢守に出会ってその剣に触れたときから始まります。
己の未熟とうぬぼれに気が付いた若き日の石舟斎は、伊勢守に師事し、そして「無刀取り」を開眼してゆくが・・・
個人的に、一生を描いてくれたらもっとよかったなぁと。
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柳生石舟斎の物語だけでなく、その師である上泉信綱と息子の柳生宗矩についてもかなりページが割かれていた。あと戦国時代の足利将軍家ー織田ー豊臣ー徳川辺りの歴史の流れがなんとなく掴めるようになった。
Posted by ブクログ
不殺(ころさず)の剣。それは神仏の尊い化身である人の命を守り、そして天下に平安をもたらすもの。
大和の名の知られた剣客というだけであった彼が、剣聖伊勢和泉守との出会いにより、道を究め、無刀取りを編み出すまでの前半と柳生が一族として世に出、将軍家指南役として天下を導く剣を目指す後半部とが、過剰な描写を廃し淡々と語られています。
師匠の死ですらこの作品の中では静かに描かれ、梅花がつつましく桜に主役を引き継いだかのような、爽やかな香気を感じる。
いずれにせよ、時代劇や歴史小説では悪役になることの多い柳生但馬守ですら、人格者に描かれているのが楽しかったです。