【感想・ネタバレ】木(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

樹木を愛でるは心の養い、何よりの財産。父露伴のそんな思いから著者は樹木を感じる大人へと成長した。その木の来し方、行く末に思いを馳せる著者の透徹した眼は、木々の存在の向こうに、人間の業や生死の淵源まで見通す。倒木に着床発芽するえぞ松の倒木更新、娘に買ってやらなかった鉢植えの藤、様相を一変させる縄紋杉の風格……。北は北海道、南は屋久島まで、生命の手触りを写す名随筆。(解説・佐伯一麦)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

「紅葉黄葉ほど美しい別れ、あるいは終り、ほかにあるまい。いのちの退き際に、華やかに装いを改め、さりげなく、ためらいもなく、居場所をはなれてしまう。はなれて散り敷けば、どこに舞いおりようと、姿よく納まって美しい」

今年はどうしたことだろう。GWも過ぎてしまった五月の今日も、五月晴れという言葉があるにもかかわらず、まるで似つかわしくない天候だった。気持ちよく晴れ渡る青空など、今年の五月に限っては、とんとお目にかかれない。いつになっても春先のことわりの如く、夕刻から夜半にかけては気温が下がり、肌寒く、明け方の空が薄々と白んでくる時刻ばかりが日増しに早くなるばかりの季節感。夜更かしというものでもなく、どうしようもなく就寝時刻がずれ込むばかりで、雀が目を覚ます頃になって、ようやく布団に潜り込むという生活習慣。日々繰り返される僕の日常の異常さ。
穏やかな夕暮れには、エレクトリックギターの歪んだノイズと不明瞭な英詞、ゆったりとしたリズムで気を紛らわす。しかし、それだけでは、どうしようもない気持ちが溶け残り、翌日の忙しなさへの不安を募らせるばかりで、刻々と寂しさを増すばかりだった。

窓から見える隣家の柿の木の、梢が高くなっていたことに気づいた。すでに空き家となっており、庭木など手入れが行き届いていない。隣家の玄関口の、百日紅の木などは、今年はいまだに葉を吹かない。枯れたのだろうか、と安易な予想も、もはや疑いの余地がなくなりかけていた。人が手をかけないと“木”は調子を崩すものだ。
斜向かいの古く大きな二階建ての家屋も空き家となり、すでに解体され現在は空き地になったために、その奥の、幼馴染宅の庭木が見えていた。彼の桜の木は数年ごとに剪定されているのは知っていた。適切な管理のもとで、彼の木は、いま葉桜の盛りを迎えていた。来月には、空き地の新たな所有者が新居を構えるための工事が始まるらしい。建物が完成してしまうとなれば、おそらくあの葉桜も、この春で見納めだろう。
 
『木』とだけ表紙に記されている。
その一文字から、視界が広がる気がした。
僕は僕なりに“木”について思い入れがあるからだ。自然という言葉から連想するのは真っ先に木々の存在であり、写真を撮りに雑木林を巡り歩くことを長年の愉しみにしていた。僕の町の、山沿いにある神社の、奥の山道を登ると“禊殿”跡地にたどり着く。神秘的な空間であり、いつだったか、カモシカに遭遇したこともある。見上げた先が霞むほど大柄な針葉樹の木立に囲まれ、幾重にも、木々は深々と重なり重なりし、空気が冴え、遠くの音しか聞こえなかった。その場に立つと次第に心細くなり、写欲も霧消し、足速く山道を下ることなど、幾度もあった。肌で感じる畏れのような、気圧されるほどの迫力を、僕は“木”から感じていた。

“木”の存在感。著者自身が感じていたであろう感覚を、僕は自身の経験から理解できた気がする。“木”は愛でるものであり、畏れるものであり、憧れでもあるという実感。いま、このときを逃してしまうと取り返しがつかないという切実さは、自然を知ろう、関わろうと願うほどに強く感じるものです。
 
「こんなにきれいな老いの終りが、ほかにあろうかと、紅葉をうっとりと見るのである」
いずれ、そんな季節を迎えることは、なにも寂しいことじゃない。見た目の“きれい”ばかりではない、胸の奥に秘めてこそ、と思いました。

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2025年05月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

初読みの幸田文さん、文章が始終綺麗でテンポが良く、良い文章とはこういうののことをいうのだな。
面白いかというと、私にとってはそうではなかった。あまり興味が湧かず、読むのに骨が折れた。

全体を読んで感じたのが、作者の共感性の強さ。人よりも圧倒的に木が登場するのだが、人にも木にも、たちまち深く共感して、お節介という言葉が適切かはわからないけれど、その境地まで達する。その温かく何事にも突っ込んでいく作者の様子に温かさを感じ、ほっとさせらた。

解説は、佐伯一麦さん。とても読み応えがあった。

解説の中で、サマセット・モームの『要約すると』が引用されていた。
「良い文章と言うものは、育ちの良い人の座談似ているべきだと言われている」

はー、確かに。同時に読んでいた谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」も、この本も、正しくその通り。高貴な人が目の前で長々と話しているかのような印象を受ける。そして品が良い。
変にこねくり回した表現は使わないけれど、
(私にとっては)あまり聞き慣れないぴったりと当てはまる言葉も時には使いながら、
それでも主張がわかりやすくさっぱりしている。

特に好きだったのが、父親と藤の花を見に行った所。情景や、お二方の心待ちまでもが、空気や匂いまでも伴って伝わってくるようで、愛しい箇所だった。

また、作者の、「何事も、1年めぐらないと確かではない。せめて四季4回は見ておかないと話にならない」という態度が印象的だった。


心に残る文の数々

◯夏の檜は見るからに、その生きる騒音を、幹の中に内蔵していることが明らかだった。しかも、体内の音ばかりでなく、もっと伸びる、もっと太る、といった意思のようなものまでを示していた。こんな姿を秋の檜からは、どう想像できよう。 36

◯細根は、木という仕組みの末端だが、仕組みの末端が負っているその努力、その強さ。人に踏まれ、赤むけになって、黙って濡れている投網型の根を見ていると、木は一生、住居をかえない、ということへ思いがつながる。生まれたところで、死ぬまで生き続けようと、一番強く観念しているのは根に違いない。62

◯やはり1つの道を貫いてきた人の目はさわやかであり、目が確かだから、杉がどれほど大きかろうと、見たものはきちんと心に納められ、心に納まりがあるから、言葉も自然にいい言葉が出てくることになる。71

◯親切が染み込んでくる時、こちらは一つ覚えにおぼえ、以後ずっとそれを力にする。一歩先に立って歩きながら、淡々とそう教えてくれた山の人の、首から肩へかけてのむっくりと、頑丈な姿を忘れないのである。76

◯老樹と、中年壮年期の木と、青年少年の木と、そして幼い木と、すべての階層がこの林では揃って元気なのです。将来の希望を託せる、こういう林が私たちには1番、いい気持ちに眺められる林なんです。

最後、「ポプラは名残を惜しみにきた私へ、なんと愉快な踊りを贈ってくれたことか。」というところ、涙が出そうでした。

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2025年04月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

映画PERFECT DAYSの主人公平山さんが読んでた本を読んでみようと手に取った本。平山さんは木漏れ日が好きなんだけど、そんな人が読んでそうなエッセイだった。

いくつかの木にまつわるエッセイ集になっていて、難しいかなと思ってたら読みやすい文体。木の表情とか描写が細かくて、一瞬で目を離しそうな風景を1ページ余裕で書かれてる。
読んでるうちにぼーっと眠くなってしまったりして、何回も同じページを読んだりして全部ちゃんと読めてない気がするけど、半分くらいは読めたのかな。
木のことを犬猫とか人間とかと同じくらい好きで、感情持ってる人なんだなと思った。
今まで通りすがりにも気にしてなかった街路樹や遠くの山も、これから少し目に入った時に意識が変わりそう。

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2024年02月25日

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