あらすじ
高名な作家で、自分の仕事に没頭している父、悪意はないが冷たい継母、夫婦仲もよくはなく、経済状態もよくない。そんな家庭の中で十七歳のげんは三つ違いの弟に、母親のようないたわりをしめしているが、弟はまもなくくずれた毎日をおくるようになり、結核にかかってしまう。事実をふまえて、不良少年とよばれ若くして亡くなった弟への深い愛惜の情をこめた看病と終焉の記録。(解説・篠田一士)
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Posted by ブクログ
読みおえたばかりで、もう悲しさにじわじわと打ちのめされてます。人は皆いつか死ぬもので、家族とも永遠に別れる日が来るなんてことは、頭では納得していても、実際に迎えるそれは果てしなくしんどいものだというのを強制擬似体験させられてしまったような気分です。文章の密度が尋常じゃないレベルです。幸田文おそるべし。
『みそっかす』ではシモヤケとおねしょでベソをかいていた碧郎さん(一郎ちゃん)がこんなふうに青春を生きて、いっぱしの口を聞いて、ボートやビリヤードなんか嗜んだりして、若いまま最後を迎えたんだろうかと思うと、なおさらしみじみ悲しくなります。
『みそっかす』には登場する長女も子供のうちに亡くなったのを考えると、これも持って生まれた虚弱体質と巡り合わせの結果だとは思うのですが、やはり、継子ゆえの不幸という気がどうしてもしてしまいます。
いくらリューマチ病みの晩婚後妻だったとしても、義母は家庭を放置しすぎです。せっかくの信仰も現実逃避の手段にしかなってないし、長女に家事だけでなく弟の世話まで丸投げとは何なんですか。主人公げんは今で言うヤングケアラーじゃないですか。この奥様の大人としての責任はどこに行ったんでしょうか。
そもそも父親も父親です。息子が結核で倒れてからは湯水のごとくお金を投入してましたけど、その前に女中さんを雇うなり何なりできなかったのか、本気出すのが遅すぎると、他人の家なのに不思議なほど文句が出てきます。
ただ、碧郎本人は、悪戯っ子精神のままに人生を冒険し、楽しんでもいたように読めました。たくさんの人たちと交流して、最後の最後まで人に囲まれ、美味いものを食べ、家庭は機能不全だったとしても、皆から愛情こめて面倒を見てもらえて、一度も他人からこき使われる事もなく好きな事を好きなだけやれた人生だから、ぜんぜん不幸ではないと思います。どこまでがフィクションで、どこまでが思い出なのかは不明ですが、きっと幸田文さんが書くように精いっぱい生きた人だったんでしょう。
変な男につきまとわれていた姉を、弟がご近所パワーでもって守ろうとするあたりがとても微笑ましかったなぁ。ほろり。
今もまだ、げんと共に、真っ赤な扇子を握りしめたまま呆然と立ちすくんでるような気分です。
なんというか、あまりにも描写力が高すぎるせいで、読み手を客観的なスタンスではいられなくさせられるくらいすごい作家なんだと改めて思いましたし、結核は本当にヤバかったんだなと実感を持てました。ちょっと無理な姿勢をしたり、笛をふくだけで肺が崩れるなど、想像するだけで気分が悪くなりそうです。
Posted by ブクログ
主人公げんの責任感の強さと愛情深さ、人それぞれがおかれた立場を汲み取る理解力に感心させられる。小説執筆に没頭し、常日頃家族を親身に顧みない父、形ばかりで母親らしい愛情を注げない継母、そして自分の居場所を探し、自由奔放に振る舞うおとうと。げんは、若さゆえになぜ自分を二の次におかねばならぬのか、不満に思いながらも、父、継母、おとうとのおかれた立場や性格を思い、自分しかいないと奮起し、家事や継母の使い、おとうとの面倒を見続ける。読んでいるこちらが焦ったくなるほどの責任感だ。なかでもときに本音を唯一ぶつけられる3つ違いのおとうと・碧郎の不安定さを危惧し、目をかける。碧郎の危なっかしさに、冒頭から不穏な気配を感じざるを得ない。主人公はげんだが、ときに碧郎目線で語られることで、碧郎の危なっかしさが引き立つ。そんな人間模様が展開される景色の描写は、どこか世の厳しさや物悲しさを感じさせる。しかし、これだけの悲壮感を漂わせる要素がありながら、なぜかその先に希望があるのではないかと思わせてくれるから不思議だ。読んでいても悲劇物語だとは思わない。そこには、げんの強さ、さらなる成長、碧郎の持ち合わせた楽観さ、さらには充分な愛着をそそげていないように見える父や継母なりの愛情や気持ちを、げんが汲み取れていることにある。それが滅入るような話に落ち込まないよう、思いやりと強さに引っ張られているからなのだと気づく。その心情をみごとなまでに言語化していて、共感したり、そういう考え方があるのかと教えられたりした。
Posted by ブクログ
姉は弟を想い、弟は姉を想う。
それは偏った愛情ではなく、読んでいてとても美しいと思えるものでした。
学生時代のやんちゃな弟は、迷惑ばかりかけては姉や親を困らせているけれど、どこか憎めない青年。
姉は家族を支える縁の下の力持ち。縁の下というより、一家が生きていくためになくてはならない存在。
弟が結核を患い、姉は身を粉にして看病をする。その献身も虚しく、弟の病状は一進一退を繰り返しつつも悪化していく。ゆっくりとだが確実に最期へと近づいていくある日、弟が姉の島田髷を見てみたいと言い出す。島田髷は当時花嫁がするもの。結核の弟をもち、嫁に行きそびれつつある姉がそれをするのは勇気のいることだけれど、弟のために晴れ姿を見せてあげる描写に心打たれました。ねえさんと、鍋焼きうどんをつつきたいとか、十二時にちゃんと起きれるように手首にピンクのリボンで結んで繋いでおくとか、これほど以上に率直で深い愛などあるのでしょうか。
愛には色んな形があると言いますが、夫婦愛でさえも、到達しがたい域ではないかと思いました。
最期のことばは、ねえさんがいる。ずっと見守ってくれたねえさんに見守られながら、眠っていった物語の中の弟は、きっと天国へ行けたと思います。
題名の「おとうと」。おなじ言葉でもひらがなで記すと、より温かみのある言葉になりますね、日本語って不思議です。
Posted by ブクログ
姉と名のつくものは共感して止まない話ではないだろうか。しかも、ちょっと生きるのが下手な弟を持つ身には特に。冒頭の、雨の中傘をささずにぐんぐん歩いて行ってしまう弟の描写からもう引き込まれていった。
ゲンが碧郎を思うときの、可哀想と可愛いが絡み合って、胸がぐっとつまる感じ。いたたまれない。
可哀想に思ってしまうことをどうにかしたくて、母にも父にも友達にもなってやりたいと頑張ってしまう。姉にしかなれないことに結局は気づくのだけれど…。ゲンはよく頑張っていた。懸命な姿にもぐっと来てしまった。
碧郎のした丘の話が印象的だった。身に染みついてしまったうっすらとした哀しみを、拭わないまま死んでしまうことを思うとたまらない気持ちになる。
Posted by ブクログ
最初は独特な文体に戸惑ったものの、すいすい読み進めることができ、すぐに読み終わった。ただ、ところどころに日本語の破綻がみられる上に、最後の締め方がやや強引だったので素直に素晴らしいとは言い難い。しかし文章はきれいだし、女性らしい細やかな感性が感じられてよかった。主人公のげんは作者と重ね合わせて描かれているようだが、自伝的小説というにはうまくいきすぎている部分が多い気がする。物語の大きな転換点は碧郎が童貞を喪失するところだが、そこからいきなり2年とんだのには驚いた。遊びがなくなって性欲が抑制できなくなったのだと思う。それについてはちょこっと本文で触れられていた。それからの2年間は書くにも値しないということだろうか。平凡な2年間が過ぎた後にいきなり碧郎が結核になっているのだから読者は驚いてしまう。また、父親(幸田露伴)の影の薄さも印象に残った。
だらだら書いたけれど、全体としてこの本は面白かったと思う。