【感想・ネタバレ】シーシュポスの神話(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

神々がシーシュポスに科した刑罰は大岩を山頂に押しあげる仕事だった。だが、やっと難所を越したと思うと大岩は突然はね返り、まっさかさまに転がり落ちてしまう。――本書はこのギリシア神話に寓してその根本思想である“不条理の哲学”を理論的に展開追究したもので、カミュの他の作品ならびに彼の自由の証人としてのさまざまな発言を根底的に支えている立場が明らかにされている。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

む、難しい。

けれども、
彼の「不条理」「反抗」という姿勢は、
絶えず変化する、という信念は変化しない、
というわたしの考えに近くて、
なるほどと得心する部分が多々ある。

理性に依るのでもなく、
神性に依るのでもなく、
両者を相対峙させたままの状態(不条理)に置いておくこと。

ガリアニ神父がデピネ夫人に言った
「重要なのは病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ」
という言葉を引いているが、
おそらくそれが「反抗」なのだろう。

「確実なものはなにもない」という確実性。
その中に身を置くこと。

なんともしんどい生き方であるが、
わたしはこういう生き方を望んでいる。

本書で特筆すべきは、
たったの6ページしかない、
表題の「シーシュポスの神話」。

短い小論にもかかわらず、
表題になる理由も読めば納得である。

彼は神々がシーシュポスに課した刑罰から、
「不条理な人間」を説明している。

その刑罰とは、
休みなく岩を転がして、
ある山の頂まで運びあげるというもの。

けれど、
ひとたび山頂まで達すると、
岩はそれ自体の重さでいつも転げ落ちてしまう。
無益で希望のない労働を課したのである。

この話から、
「無益で希望のない労働」をする自分の悲惨な在り方を認め、
その上でまた労働を繰り返すシーシュポスは、
自らの運命をその手中に収めたということだと言っている。

つまり、
人生が無意味であることを意識し、
なおそれでも「すべてよし」と言える、
それが「不条理な人間」なのである。

賽の河原の石積みも同じことが言えるだろう。

「すべては等しく意味がない」

カミュの哲学はここから始まり、
意味がない故に何者にも縛られない「自由」が立ち上がる。

これはややもすると自殺へと行きかねないが、
彼は「反抗」という言葉でそれを退け、
多く生きることに重きを置いている(カミュの夭折は皮肉としか言いようがない)。

なんだかんだで、
けっこう実存主義的な感じがするので、
サルトルとの違いを確かめてみようかしら。

ちなみに、
「99.9%は仮説」という本に、
「科学はすべて仮説であるが、
科学はすべて仮説である、という説だけは仮説ではない」
というようなことが書いてあったけれど、
こういう科学的な態度もこれに近い気がする。

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2012年05月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

不条理について

メモ
・人生に意味などなければ、人生はずっと生きやすくなるだろう
・人生は無意味だし、不条理なものであるが、それを受け入れることでわれわれは自由に生きることができる
・重要なのはもっともよく生きることではなく、もっとも多くを生きることだ(※意識的に生きるということ)
・人間の心には、自分を圧しつぶすものだけを運命と呼ぼうとする困った傾向がある。だが、幸福もまた、人間にとっては自分のほうで避けるというわけにはいかないものである以上は、これはやはり理性の手に負えぬものなのだ。ところが、現代人は、いつでも幸福を勝ち得たのは自分の手柄なのだと考えるくせに、じつは自分の幸福に気づいてはいないことがときにあるのだ

・幸福と不条理とは同じひとつの大地から生れたふたりの息子である。このふたりは引きはなすことができぬ。幸福は不条理な発見から必然的に生れると言っては誤りであろう。幸福から不条理の感情が生れるということも、たしかにときにはある。

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2023年02月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

通勤の地下鉄でこの本を読んでいると、荒涼とした世界の無機質さや奇怪さが迫ってきて気持ち悪くなってくる。哲学が辿り着いた理性の限界という結論には同意しつつ、だから神を信じるというのは「飛躍」だとして、キルケゴールに代表される実存哲学を退けるカミュ。クリスチャンとしてはカミュの示す生き方を受け入れるのは難しいが、悲惨な戦争を経て生み出されたカミュの思想をクリスチャンも無視はできない(教会がその戦争を止められず、加担すらしたことも考えると尚更)。「飛躍」がないからなのか、より近い時代だからなのか、訳文のためなのか分からないが、キルケゴールよりは難解でない気がする(それでもかなり難解だが)。

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2017年03月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分なりにカミュの「不条理の哲学」を要約すると以下のようになる.人間はその理性から,世界の全て,万物の理を知ることを欲する.しかし,世界は自ら何も語らず,そこに存在する.人間の理性では,世界を理解することは到底敵わない.つまり,人間は世界に産み落とされた段階で,わかるはずのないものを知ろうとするという絶望を体験することになる.この二つに引き裂かれた状態を「不条理」と呼ぶ.この不条理な状態に対しては二種類の対応の仕方が思い浮かぶ.一つは,不条理を生きることであり,もう一つは,不条理な世の中から逃避する,即ち,自死である.究極の選択である自死に対して,生きることを選択するということはどういうことか.それこそがこの本の主題である.例えば,実存主義の哲学者キルケゴールは,その不可知であるという性質から,世界に神を見た.つまり,全能の神を用意し,それに跪くことで,不条理を克服した.しかし,カミュはこれを逃避だと断じた.では,シュストフはというと,彼は,世界をわからないものだと諦め,それによって不条理を懐柔する.しかし,カミュは,人間の理性を信頼しているため,この姿勢を受け入れない.カミュにとってこれらの思想は「哲学上の自殺」なのだ.そして,カミュは以下の三つのものを提示する.一つ目としては,意識的であり続け,反抗し続ける姿勢である.不条理を生きるためには,現在その一瞬において醒めており,自分の内面から世界を知り尽くそうという努力が求められる.それは安住とは対極の緊張感を孕む,反抗である.二つ目は,死の意識によってもたらされる自由である.死は絶対不変の帰結点として存在する.それを思えばこそ,人は生きているその瞬間に意識的であると言える.三つ目は,生きている現在時から得られる経験を多量に感じ取ろうとする情熱である.世界は同じ年数生きた人間に同等の経験を授ける.しかし,そこから何を得るかはその瞬間の生き方に依存する,と考える.これら三つがカミュの主張する,不条理から出発した,反抗,自由,そして熱情である.しかし,カミュの不条理の哲学は現在という一時点に重きを置きすぎていると考えられなくもない.この哲学には未来への希望や,過去の反省といったものの介在する余地がないのだ.

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2016年09月05日

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