あらすじ
戦略を研究し戦史を読むことは人間性を知ることにほかならない――。クラウゼヴィッツ『戦争論』を中核とした戦略論入門に始まり、山本五十六の真珠湾奇襲、チャーチルの情報戦、レーニンの革命とヒトラーの戦争など、〈愚行の葬列〉である戦史に「失敗の教訓」を探る。『現代と戦略』第二部「歴史と戦略」に自作解説インタビューを加えた新編集版。〈解説〉中本義彦
【目次】
戦略論入門――フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』を中心として
Ⅰ 奇 襲――「真珠湾」の意味するもの
Ⅱ 抑止と挑発――核脅威下の悪夢
Ⅲ 情報とタイミング――殺すより、騙すがよい
Ⅳ 戦争と革命――レーニンとヒトラー
Ⅴ 攻勢と防御――乃木将軍は愚将か
Ⅵ 目的と手段――戦史は「愚行の葬列」
インタビュー『現代と戦略』とクラウゼヴィッツ
解説 人間学としての戦略研究 中本義彦
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Posted by ブクログ
オリジナルは1985年の出版。クラウゼヴィッツの「戦争論」を下敷きに、真珠湾の奇襲攻撃、核の下での抑止と挑発、情報戦、レーニンとヒトラーの比較、戦争の目的と手段等々について、記述している。
印象的な具体例をあげると、以下のようなものがあった。
【太平洋戦争】
太平洋戦争に至る経済制裁という名の非軍事的報復が、抑止力として作用するよりも、むしろ日本軍の奇襲攻撃を挑発した原因の一つとして、日米の文化の差として、E・ホールの説を引用しているのが興味深い。
太平洋戦争に至る日米関係は、英米のような「文脈度の低い文化」と日本の「文脈度の高い文化」との外交交渉であった。つまり欧米流の「これでもか、これでもか、もっと押せ」という交渉術が日本側を深く傷つける。そして日本側はその心の傷を顔に出し、言葉に怒りをあらわすことを最後の最後まで自制する。そして日本側が真に怒りの反応を呈するときは、時すでに遅く、もはやひきかえし不能地点を越えてしまっていることが多いという説は面白かった。
また、太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃について、「合理的なギャンブラー」としての山本元帥を捉えていることも同様に面白かった。
【ベトナム戦争】
アメリカのケネディがベトナムに介入していく意思決定についての解釈も面白かった。
それについては、さらに最後の対談で、著者は「要するに戦略的判断というのは天才のみがこれをよくなしえるというところがある。秀才ではダメなんです。ベトナム戦争の際、バンディやマクナマラと言った秀才たちが、その戦略的判断において取り返しのつかない失敗を犯したのは周知の事実です・・・(略)・・それは何故かといえば、戦争の指揮とか企業経営といったものは、科学ではなくて、アートなんです」という言葉は印象的であった。
また視点を変えて当時の日本の雰囲気を現わしている箇所があった。
「ベトナム戦争やインドシナでの内戦では、およそソ連や共産主義の嫌いな平均的日本人が、アメリカを非難し、解放戦線と称する側に同情と支援を惜しまなかったのは、この内戦が本質的に民族解放を目指すもので、共産主義革命を目指すものではないと信じていたが、ひとたび革命権力が確立されれば、旧政府関係者や協力者は殺され、共産主義政権の誕生というかたちで終結する・・・そのあいだリベラル、平和主義者なるものは、レーニン以来の民族統一戦線なるものに徹底的に利用される。そして旧政府の関係者の運命がいかなるものか、あとになって気がついても遅い。だがもっと罪深いのは、マスメディアを通じて、素朴な人々を騙す側に立つ知識人である・・・われわれ大学人も、アメリカの悲劇が分かるまでずいぶん時間が掛かったのである」
これ以外にも目から鱗といった箇所が次々と出て来る。
久々に面白い古典(?)に出会った感じがした。
Posted by ブクログ
個人的には「失敗の本質」と双璧を成すと思う良書。
WWⅡにおけるヨーロッパでの戦いと太平洋での戦いを中心に各戦闘における特徴と共通点をあぶりだし、
それらがなぜ成功したのはもしくは長期的に見て敗北となったのかを考察している。
目次は
・奇襲
・抑止と挑発
・情報とタイミング
・戦争と革命
・攻勢と防御
・目的と手段
純軍事的な話も多く、はあ。。となって終わる部分も多いが
これは真理だと思う。
「戦略とは自己のもつ手段の限界に見あった次元に、政策目標の水準をさげる政治的英知である」
つまり、現実的にできなさそうにも関わらず
夢物語な目標を設定してしまうことが悲劇の始まりになる。
これはある意味、個人の生活にも言えるだろうし、
会社などの組織でもいえることだと思う。
大事なことはチャレンジと無謀を履き違えないことではないか。