あらすじ
僕等はツバぜり合ひの刀の下で、永久に黙笑し合つてる仇敵である――北原白秋主宰の雑誌への投稿で知り合い、近代詩を牽引する良きライバルとなった二人。交流を描いたエッセイから互いの詩集に寄せた序文までを集成する。それぞれが語る生涯にわたった友情。
文庫オリジナル
巻末対談 萩原葉子×室生朝子
目次から
Ⅰ さびしき友・室生犀星(萩原朔太郎)
室生犀星の印象/さびしき友/田端に居た頃 /移住日記/室生犀星君の心境的推移に就て/室生犀星に与う/室生犀星君の飛躍/室生犀星に就いて/室生犀星君の人物について/室生犀星の小曲詩/詩壇に出た頃/所得人/犀星氏の詩/小説家の俳句/孝子実伝/別れ/室生犀星に
Ⅱ 砂丘を登る人・萩原朔太郎(室生犀星)
赤倉温泉/萩原と私/芥川龍之介と萩原朔太郎/萩原朔太郎論のその断片/萩原朔太郎/萩原朔太郎を哭す/『卓上噴水』の頃/萩原葉子 著『父・萩原朔太郎』あとがき/詩人・萩原朔太郎/萩原に與へたる詩/供物
Ⅲ詩集に寄せて
室生犀星『叙情小曲集』序(萩原朔太郎)/健康の都市 詩集『月に吠える』(室生犀星跋)/愛の詩集の終りに(萩原朔太郎)/室生犀星『新らしい詩とその作り方』序に代えて(萩原朔太郎)/珍らしいものをかくしている人への序文(萩原朔太郎『純情小曲集』序 室生犀星)/『室生犀星詩選』推薦文(萩原朔太郎)/『青き魚を釣る人』序(萩原朔太郎)/『青き魚を釣る人』小言(室生犀星)/室生犀星詩集の編選について(萩原朔太郎)/野性の叫び(『室生犀星全集』萩原朔太郎推薦文)
Ⅳ詩への告別
詩よきみとお別れする/詩に告別した室生犀星君へ/悲しき決闘/詩への告別に就て萩原君に答う/犀星氏の詩
巻末附録
萩原葉子/室生朝子対談「わたしの朔太郎、わたしの犀星」
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Posted by ブクログ
萩原朔太郎と室生犀星という二人の巨匠がそれぞれについて書いた文章のまとめ本。今となっては二人とも近代詩の伝説のような存在だが、当時の文章を読むと一人の人間として生き生きと見えてくるから不思議だ。パンチのあるエピソードをそれぞれが面白く書き記しており、共著のフィクションを読んでいるような気分にもなる。全部実話なのだけれど。
詩作品だけを見てきたので、朔太郎という人間はもっと孤独で異様な雰囲気のある人なのかと思っていたが、本人の書くエッセイは意外と明るく軽妙な語り口でびっくりした。「室生のことは自分がいちばんよくわかっているから」と自信満々に語るさまには(犀星曰く「決めつけてかかるところがある」「思い込み屋さん」な部分もあるものの)詩作品だけでは見えてこなかった朔太郎の人間性のかわいげが読み取れて新鮮だった。それでいてやはりどこか寂しさや物憂さを孕んだ不思議な文体で、縋り付くような感じも見受けられる。しかも本当に縋り付くことはできないで、心の奥底では完全に相手と自分とを壁で仕切ってしまっている。
犀星の文章には朔太郎が書いたような「野生児」感はあまりなく、優しく人の良さそうな書き口の文章である。でも端々に見える金沢の言葉にはなんとなくその面影がある。朔太郎といると国の言葉が出てしまう、という記述もあったが、それだけ安心できる間柄だったのだろう。朔太郎が犀星を野生児と称するのも、その本質(純粋さやたおやかさ)に触れたように感じたのも、この二人の関係だったからこその視点かもしれない。趣味もスタンスも全く正反対の二人なのに、なぜかその奥底にあるものを理解し合っている。
しかし、その決定的な相違がしばしば彼らの間に影響していたのも事実である。奥底にどんなものがあるのか理解できても、賛同することはできないからだ。犀星が書いた『健康の都市』を読みながらその思いを深くした。朔太郎が苦しんでいるのをわかっていながら、犀星にはただ健康を願うことしかできない。一緒に堕ちてくれる種の友ではないのだ。そうした相違は巻末に収録されている娘同士の対談でも見て取れる。葉子の苦しみを本当に小説に描き出せたのはきっと、犀星ではなく朔太郎だったのだろう。わたしはそう思った。
ただ、一緒に堕ちてくれない友だったからこそ、彼らは無二の友だったのだ。その寂しさはいくらでも嘆けるけれど、嘆いたとてこれ以上望むべきものもないのである。彼らがお互いを指して「幸福者だ」と言い合うように、わたしも彼らを指して「幸福者たちだ」と呼びたい。これ以上ないほどの素晴らしい友人関係なのだから。
Posted by ブクログ
内容が濃い!
萩原朔太郎と室生犀星の共著である本書は、互いへの思いをそれぞれに語った記事を纏めた興味深い1冊で、めちゃくちゃ面白かった!
犀星の幾つかの詩に朔太郎が解釈をつけていたり、互いへ向けた詩を詠んでいたり。
二人が互いに向けた思いをぶちまける。
無花果さん、勧めて下さって有難う御座います♪
本書はまず萩原朔太郎の目線で犀星が語られる。
どうやら彼と犀星は性格も好みも真逆だったよう。
犀星の誘いで移り住んだ田端も朔太郎に言わせれば、「妙にじめじめして、お寺臭く、陰気で、俳人や茶人の住みそうな所」だそうで、「第一始めから印象が嫌いであった。」とバッサリ 笑
芥川龍之介にまで飛び火して、彼が紹介してくれた料亭の茶席も「栄養不良の青っぽい感じ」とまで言ってのける 笑笑
とにかく「田端的風物の一切が嫌い」なのだとか。
う~ん、逆に田端からも嫌われそうだ。
またお互いの性格についても、
「二人の気質や趣味や性情が、全然正反対にできているので、逢えば必ず意見がちがい、それでいてどっちが居なくも寂しくなる友情」
と述べている。
けれど朔太郎は、
「今では同士の関係でなく、肉親の関係に進んでいるのが、ふしぎに直感されるのである。ー愛は、理由なく愛する故に愛である。ー」
とまで言う。
喧嘩別れした後、反対側の駅のホームで佇む犀星の姿に、朔太郎が思わず涙ぐむエピソードまであるから驚き。
こんなにも二人の絆が強かっただなんて、全く知らなかった!
散々に言いながらも犀星を評価し、朔太郎の目線には確かに愛を感じる。
「彼の「作品」にはいつもいみじきユーモアがある。或る馬鹿正直の人間がもつような、真面目すぎて可笑しくなるユーモアである。その笑の底にしおらしい純情の心がすすり泣いている。知れば知るほど、犀星は人の愛情をひきつける徳をもっている。」
犀星自身と犀星作品の、一番の理解者ではないだろうか。
犀星に対して「いじらしい」という言葉を何回使っただろう。
「いじらしい」なんて、相手に対して深い情がなければなかなか使わない。
もはや母性さえ感じてしまう。
朔太郎は彼の心境を「老人心境」「風流心境」、もっと正しくは「冬日返り花的心境」「冬日蜆貝的心境」(笑)などと手厳しく称しているけれど、
それも犀星が我が子を亡くしたことが切っ掛けであったときちんと理解している。
犀星の『忘春詩集』は実にその愛児に捧げたものだとも。(読み直さなきゃ!)
朔太郎は犀星を、
「風流韻事のあらゆる世界が、宿命的の果敢なさと寂しさとに充ちて、世にも悲しく影深いものに見えた。その苔むした庭石や前栽の葉陰を通じて、ずっと人間生活の内部に触れ、宇宙の実在性に通ずる秘密の道を、彼は本能によって直覚した」
とまで言う。
そして、自分は犀星とはあらゆる点において反対に位置するものだが、
「室生君を日本一の詩人と呼ぶにはばからない」
と。
朔太郎は犀星を、ときに敵対し、ときに鼓舞し、才能を認め、共に詩壇で戦っていこうと友情を見せる。
「室生犀星君の作った小曲風の抒情詩だけが、不思議に僕の心を強く惹き付け、………心を溺れさせた。」
また、自身に真理を教えてくれる存在であり、「昔ながらに僕の「善き良心」である」という。
続いては犀星目線の朔太郎。
二人での旅行。
「萩原、ちょいとベルを押せ。」
「おれはお前の家来ではない。お前押せ。」
と早速小競合いの様が書かれていて笑う。
互いに才能豊かであるのに、二人揃うと子供のようだ。
それでも、
「わけてもあたりの静かな高原の湿った光景が、つい絡みついて、黙って向い合うことがあった。」
との詩的な表現がぐっとくる。
また別れ際、先に電車を降りる朔太郎に対して、降りるときは起こしてくれるなという犀星。
朔太郎は言われた通りにするのだけれど、実は犀星は起きている。
「約束どおり黙って出てゆく萩原の靴音を聞き、そっと寝がえりを打ち、心の美しい友だちとこういう風に別れるのを却って寂しく感じた。」
なるほど、朔太郎の言う「いじらしい」ってこういうところかしら。
朔太郎はかなりの熱量をもって犀星を語っていたけれど、犀星の方はいくぶん冷静なのだろうか。
冷静というよりマイペースで、照れ臭いのかな。
犀星は朔太郎を、ドストエフスキーでもニーチェでも自分の一歩先を読んでいたと言うが、
「そのくせ一歩ずつあともどりしている。議論をもった人である。わたしは議論が嫌いなのでわたしの方で控えていると、たまに食ってかかる。妙に哲学者肌である。」
などと言う。
二人の文章には芥川龍之介もよく登場する。
犀星が彼と軽井沢に出掛けた時のこと。
高原の日光は強烈だから帽子を被った方が良いと勧めたにもかかわらず、彼は、「紫外線はからだにいいんだよ」といって聞かない。
が、帰り道、「眼がふらふらする……。」といって木陰に寄ることとなった 笑
だから言ったじゃないかと迫る犀星に、「あやまる、あやまる。」と言う芥川。
そんなエピソードを振り返り、犀星は、
「芥川君くらいぬけたところのある人はないと思った。よくつき合うと味のあるぬけ方をした。」
「俗人にさえ和することのできる人がらを持っていると思った。」
と評し、
「ときとすると文学者らしい垢をも持っていないところを人は知らず私は床しく感じた。」
と結ぶ。
マイペースな犀星だけれど、朔太郎とはまた違った静かな眼差しで、人をよく見ているように感じた。
朔太郎の人柄については意外だった。
容姿からはハイカラな印象を受けていたのだけれど、犀星に言わせれば「ハイカラのような想像を人々に起こさせるが」そうではないらしい。
「彼は物ぐさい男であるということを自分で知っているけれど、その物ぐささから脱けようとする気持のない人間である。」
「外套のボタンが五つあればその中の四つまで外れている男である。」
「彼と一緒に食事をしていても彼は御馳走をそこらじゅうに取り散らかし………」
え~! 笑
「彼のハイカラは彼の精神のなかにのみ蔵われていて、決して実際に生活的に実行されていない。」
それでも「彼は何かハイカラらしいものを感じさせるから不思議である。」
とのこと。
それなら、浅い知識で朔太郎からハイカラな印象を受けていた私も、あながち間違ってはいないのかな。
犀星はこのことを「ハイカラの風格を持っている」「ハイカラ的余韻がそう見せる」と表現して、「田舎者であることに疑いはない」と結んでいる 笑笑
この、くどくどとしつこく言い回すあたり。
これが犀星なんだなぁ 笑
そんな犀星に対し朔太郎は、
俺はお前を根本から理解しているが、お前は俺をどれほど理解しているんだ?俺の作品は読んでいるのか?親友として俺の作品に向き直ったことがないだろ?
と、原稿用紙10枚にも及ぶ手紙をよこしたり…。
犀星は言う。
「僕は彼のこういう意気込みや十枚の原稿紙に力一杯やっつけようとする彼の根気にホトホト参ってしまう、彼は筆をとると一気に書けるひとであり、書いてしまってから打倒れても途中で倒れるような弱い男ではない。」
こう言ってはなんだが、この二人は微笑ましい 笑
滑稽な水と油のようでもありながら、やっぱり互いを意識し、尊敬し、心を許しあっている。
言いたい放題に言いながらも、互いに好いている。
ここまでの仲って、そうそう無いのでは?
ちょっぴり羨ましくもある二人だ。
そしてやってくる朔太郎の死。
「友人には誰一人知らさずに独身者のように彼は死んで行った。おそらく萩原は最後まで友人というものに会いたくなかったのであろう。私はそこに口にいえない萩原の心の深さを知るものである。」
その朔太郎の死後、1954年6月の『新潮』に寄せたという犀星の「詩人・萩原朔太郎」は感慨深かった。
巻末には二人の娘である、萩原葉子さんと室生朝子さんの対談あり。
◎萩原朔太郎
1886年(明治19年)11月1日~1942年(昭和17年)5月11日
◎室生犀星
1889年(明治22年)8月1日~1962年(昭和37年)3月26日
☆笑止(しょうし)
・ばかばかしいこと。おかしいこと。また、そのさま。
・気の毒に思うこと。また、そのさま。
・困っていること。また、そのさま。
・恥ずかしく思うこと。また、そのさま。
☆冬日返り花的心境
返り花というと二度咲きの花のことだと思うのだけど、この場合、
「春の盛りにうまく育たなかった花芽が、冬の小春のあたたかさに乗じて咲くことがある」等の狂い咲きの意味かしら。
☆冬日蜆貝的心境
どういう意味だろうと思ったけれど、「内に蜆のような厭世観を持っている」と後述しているところから、
"蜆のように固く綴じ込もって世の中を悲観している"と解釈した。
Posted by ブクログ
萩原朔太郎、室生犀星いずれも昭和前半期のビッグネームだが、これほどまでに深い友情で結ばれていたとは知らなかった。詩はほとんど読まないので、室生犀星が詩人として出発したことすら知らなかったし、『抒情小曲集』としてまとめられる詩を読んで朔太郎が感動し、ファンレター的な手紙を出して交わりを求めたことなど、本書で初めて知った。
本書では、犀星との交流や犀星論を語る朔太郎の文章と、犀星が朔太郎との交流や朔太郎の性格などについて語った文章、それぞれの詩集に寄せた序文などが収録されているが、お互いの性格が文章から窺われるところが読み比べていて愉しい。殊に朔太郎の犀星に寄せる文章が実に熱いのに対して、犀星の朔太郎に関する文章が比較的冷静なところが対照的で、ちょっとおかしかった。
ちなみにタイトルの「二魂一体の友」というのは、犀星が1954年に発表した「萩原に与えたる詩」から取ったもの。
君だけは知つてくれる/ほんとの私の愛と芸術を/求めて得られないシンセリティを知つてくれる/君のいふように二魂一体だ/君の苦しんでゐるものは/又私にも分たれる/私の苦しみをも/又君に分たれる
今の時代がどんななのかは知らないが、文学者の間にこれほどまでに濃密な交わりがあり、切磋琢磨しつつ火花を散らしていたことに感心した。
巻末にそれぞの娘である萩原洋子と室生朝子の対談があり、子どもから見た父親の姿が垣間見えるのも面白い。