【感想・ネタバレ】理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだのレビュー

あらすじ

生物種の99.9パーセントが絶滅する。生物の歴史はずいぶんと「理不尽」な遍歴をたどってきた。本書は、絶滅という観点から生物の歴史を眺め、俗説が人びとを魅了する構造を理解することで、進化論の本当のおもしろさを読者に差し出す。アートとサイエンスを全方位的に見渡し、かつ両者をあざやかにむすぶ、現代の名著がついに文庫化。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

説明と理解、方法と真理、サイエンスとアートの両面および狭間から進化論を論じた本。進化論についての概要や議論はもちろん、社会での進化論の扱いやダーウィニズムの哲学思想への影響まで、多くの視点をもらえる本だった。

適応主義は、副次的な効果に過ぎない機能を目的に最適化された結果だとこじつけてなぜなぜ物語を作り出してしまいがちである。この線形的で短絡的な判断は、現在存在しているものが最適化されていて最善の状態だと結論づけてしまう。これは社会に現存する不条理から目を背ける思想たりうる。
グールドは以上の考えから、自然淘汰による適応のみではなくその最適化を妨げる制約にも目を向ける多元主義的なアプローチを取るべきだと提案した。ドーキンスは、適応主義を前提に最適化問題に対する制約条件を考えることでむしろ進化の実際を検証することができる、と適応主義の正当性を主張した。デネットは、この観点からすると適応主義は、世界が最善だと盲信するパングロス主義ではなく、進化の謎の解を見つけるための科学的な発見的手法(ヒューリスティクス)であると、その有効性を論じた。
適応主義の有効性は確固たるものだが、グールドの、現在的有用性と歴史的起源を区別してそのズレにこそ目を向けるべきだという反駁はもっともだ。目的に最適化された完全なデザインよりも、不完全で無用な痕跡こそが進化の歴史を手繰る有効な手掛かりとなる。進化論は歴史を語るという性質上、普遍的かつ抽象的な一般法則を扱う科学(説明)と個別的かつ具体的な案件を直接の対象とする科学(理解)を両端にもつ連続体の、中間に位置する学問である。ガダマーは、学問は方法にもとづき説明を行う知識の総体だとし、理解は非学問的だが真理の経験をもたらすとした。理解は本質的に追跡不可能なものであり、説明は方法に則り追跡できる公共的で確実な知識である。理解と説明の対立が、真理のなかに方法を適切に位置づけ運用するという課題に変換された。
ダーウィニズムは、目的論的・機能主義的にしか理解できない事象を自然淘汰により結果論的に説明する方法だという点で、革命的な発明である。だがこれは、目的論的思考を認知バイアスとして抱える人間には直感的には理解しづらい理論である。この理論は運(偶発性)を内包するが、人間は思考から外れた偶然の範疇は理不尽として、形而上的に感受する。この理不尽の感覚は、学問という方法的な説明を求めない、真理の経験に属する事柄である。実在は偶然のものだが、人は必然性を見出さずにはいられない。偶然性を受け入れられずあらゆる実在に理不尽さ(不条理)を感じ耐えられなくなったロカンタン(サルトル 嘔吐)は、ついに激しい吐き気に襲われる。グールドはこの偶発性に付随する無目的の不条理に耐えられず、偶発性を科学の方法のなかに織り込もうとした。しかし偶発性は学問の範疇に収まるものではなく、真理の経験や理解の範疇に所属する。そのため、正統のダーウィニズムは、偶発性を伴う理論だがその不条理それ自体を説明しようとはしない。
あらゆる学問が解き明かされたとして、理解の範疇の問題は依然として残り、我々の直感は理不尽(学問では蓋然性、経験的には不条理)、ウィトゲンシュタインの壁を感じ抱える。人から離れた客観的な視点と経験から得られる主観的な視点を往復することで、問題に誠実に向き合い説明と理解、方法と真理の両方を得る努力が必要である。

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2024年10月30日

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