【感想・ネタバレ】理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだのレビュー

あらすじ

生物種の99.9パーセントが絶滅する。生物の歴史はずいぶんと「理不尽」な遍歴をたどってきた。本書は、絶滅という観点から生物の歴史を眺め、俗説が人びとを魅了する構造を理解することで、進化論の本当のおもしろさを読者に差し出す。アートとサイエンスを全方位的に見渡し、かつ両者をあざやかにむすぶ、現代の名著がついに文庫化。

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吉川浩満著「理不尽な進化——遺伝子と運のあいだ」を読んだ。本書は進化論の本来の意義や面白さを改めて確認し、その上に進化論が含む矛盾とすら思える理不尽さ、そして一筋縄ではいかない生命、あるいは種の原理について冷静に指摘している。進化論の解説としてはもちろん、思想史、さらには哲学書としての役割すら果たす出来である。俺は進化論というある種中空的で、いかなる問題も巧みに包含してしまう学説について、とても不思議に、あるいは奇妙にすら思っていた。進化論の汎用性を理解したのは新型コロナウイルス感染症のワクチン接種の際、即製のワクチンを危険だと忌み嫌い、その間にも感染症を発症し倒れていく過激派たちを目撃した時だった。彼らの言い分は必ずしも否定できず、恐ろしいことに多くの真実も含んでいたことだろうと思うが、しかしその結果としてコロナウイルスに罹患し倒れたのでは本末転倒もいいところだろうと、深く思った。これを世間は適者生存だと嘲笑したが、今にして思えば、俺や世間は進化論を軽視し、適者生存という思考を過信していたと思われる。中国の武漢で初めて新型コロナウイルスが蔓延した際、その危険性をいち早く発見し、中国政府に報告した若い医師はコロナに罹患し死亡した。これは必ずしも自然な死ではなかったかもしれないが、適者生存というなら彼ほどの適者は存在しえない。世界各国や有識者やWHOですら見抜けなかった危険性を理解していた人物が、なぜ真っ先に死ななければならなかったのか。本書はその現象を「理不尽」と呼び、進化論を理解する上での要としている。著者は恐竜の絶滅は理不尽によるものだと解説している。巨大隕石の衝突までは地球の覇者として存在していた恐竜は、隕石の衝突による急激な環境変化に応じられず、そのまま絶滅した。この一連の現象は、恐竜の責任ではなく、また恐竜の遺伝子の責任でもない。だれ一人として想定しえない事態が起こり、誰もがそれに対処できず、生き残った種は偶然生存し、絶滅した種は偶然絶滅することになった。これは理不尽と呼ぶほかない。本書が哲学書と呼べる要素は、この論理にある。人生は理不尽の連続であり、科学的な答えや責任の所在を問うだけでは対処できない問題ばかりだ。これをウィトゲンシュタインは「たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう。」と言及している。人生のほとんどの疑問や問題は、いわば詮無き問いといえる。生まれる国も家庭も人種も言語も選択できず、時には社会の大勢に押し潰されることもある。ほとんどの問題は時間、つまり忘却が解決するが、それは詮無き解というほかない。著者は本書を「自分で掘った穴を自分でまた埋めているようなものだ」と謙遜する。しかし本書は進化論のみならず、すべての学問、さらには人生まで言及した良書だ。だれもが理不尽に身を委ね、活用できるものならどれほどに楽だろうか。人生とは実に栓のないものである。

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2024年11月27日

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ネタバレ

説明と理解、方法と真理、サイエンスとアートの両面および狭間から進化論を論じた本。進化論についての概要や議論はもちろん、社会での進化論の扱いやダーウィニズムの哲学思想への影響まで、多くの視点をもらえる本だった。

適応主義は、副次的な効果に過ぎない機能を目的に最適化された結果だとこじつけてなぜなぜ物語を作り出してしまいがちである。この線形的で短絡的な判断は、現在存在しているものが最適化されていて最善の状態だと結論づけてしまう。これは社会に現存する不条理から目を背ける思想たりうる。
グールドは以上の考えから、自然淘汰による適応のみではなくその最適化を妨げる制約にも目を向ける多元主義的なアプローチを取るべきだと提案した。ドーキンスは、適応主義を前提に最適化問題に対する制約条件を考えることでむしろ進化の実際を検証することができる、と適応主義の正当性を主張した。デネットは、この観点からすると適応主義は、世界が最善だと盲信するパングロス主義ではなく、進化の謎の解を見つけるための科学的な発見的手法(ヒューリスティクス)であると、その有効性を論じた。
適応主義の有効性は確固たるものだが、グールドの、現在的有用性と歴史的起源を区別してそのズレにこそ目を向けるべきだという反駁はもっともだ。目的に最適化された完全なデザインよりも、不完全で無用な痕跡こそが進化の歴史を手繰る有効な手掛かりとなる。進化論は歴史を語るという性質上、普遍的かつ抽象的な一般法則を扱う科学(説明)と個別的かつ具体的な案件を直接の対象とする科学(理解)を両端にもつ連続体の、中間に位置する学問である。ガダマーは、学問は方法にもとづき説明を行う知識の総体だとし、理解は非学問的だが真理の経験をもたらすとした。理解は本質的に追跡不可能なものであり、説明は方法に則り追跡できる公共的で確実な知識である。理解と説明の対立が、真理のなかに方法を適切に位置づけ運用するという課題に変換された。
ダーウィニズムは、目的論的・機能主義的にしか理解できない事象を自然淘汰により結果論的に説明する方法だという点で、革命的な発明である。だがこれは、目的論的思考を認知バイアスとして抱える人間には直感的には理解しづらい理論である。この理論は運(偶発性)を内包するが、人間は思考から外れた偶然の範疇は理不尽として、形而上的に感受する。この理不尽の感覚は、学問という方法的な説明を求めない、真理の経験に属する事柄である。実在は偶然のものだが、人は必然性を見出さずにはいられない。偶然性を受け入れられずあらゆる実在に理不尽さ(不条理)を感じ耐えられなくなったロカンタン(サルトル 嘔吐)は、ついに激しい吐き気に襲われる。グールドはこの偶発性に付随する無目的の不条理に耐えられず、偶発性を科学の方法のなかに織り込もうとした。しかし偶発性は学問の範疇に収まるものではなく、真理の経験や理解の範疇に所属する。そのため、正統のダーウィニズムは、偶発性を伴う理論だがその不条理それ自体を説明しようとはしない。
あらゆる学問が解き明かされたとして、理解の範疇の問題は依然として残り、我々の直感は理不尽(学問では蓋然性、経験的には不条理)、ウィトゲンシュタインの壁を感じ抱える。人から離れた客観的な視点と経験から得られる主観的な視点を往復することで、問題に誠実に向き合い説明と理解、方法と真理の両方を得る努力が必要である。

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2024年10月30日

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これを読んだあとは、日常に蔓延する進化論的コピーが気になってしまう。

社会でも、会社でも、個人でも、強いから/能力があるから生き残っていると思い込むのは間違った認識。実力勝負は確かに存在するが、実力勝負にいたる舞台の設定は運でしかない。たしかに。

適者生存というスローガンが指すのは、生存したものが結果的に環境に適応したに過ぎないということだけ。いま生き残っているのが優れていることを証明するわけではない。誤解して使い過ぎている。
言葉のお守り的用法、周りにたくさんありそう。

好きな言葉、
現実はもっと理不尽寄り。

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2023年04月04日

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科学史としての進化論も本書の視点で扱いつつ、でも進化論自体の本ではなく、進化論と非科学者である私たちの「進化論の理解」との関係を、進化論自体の本質的な面白さと絡めて語り尽くす。圧倒的に面白い。もともと進化論自体にそこまでの興味があった訳ではなかったはずなのに読む程にぐいぐいと引き込まれて進化論がいかに現代人の価値観に染みついて便利に使っているのか、しかもそれでいて実はそれは進化論自体ではないのでは、と。アート&サイエンスってビジネス書の流行りワードの一つみたいに使われること多いけど本来こうあるべきなのではと強く感じる楽しい読書でした

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2022年12月04日

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くどい文章ではあるが面白い視点をたくさん提供してくれる。なるほど絶滅に視点を置くとそうなるか、お守りとしての進化論、そして説明と理解の議論。経営学の世界でも進化論的な物言いを目にするし、現在の経営学は実証主義の説明の世界が主流ながらそれでいいのかという疑問があった。その解答を得たわけではないがさまざまなヒントはあったかな。一読して理解できたわけではないからもう一度読んでみようと思う。

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2022年09月18日

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ウィトゲンシュタインの壁。
生の問題(不条理性)から逃げないこと。

自分を棚に上げて科学を礼賛しないこと。

不条理にこそ価値がある。

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2021年09月10日

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 文庫本オビの名だたる評者のコメントに魅せられて手に取ってしまった一冊。  

 本書は科学としての進化論について論ずるものではないし、一般読者にも理解できるよう丁寧に論述されているが、内容を一言で説明することは難しいので、気になったところを、以下書き留めておく。

 「私たちは進化論が大好きである」(序論)との印象的な一文から本書は始まる。そもそも進化論は、生物の世界を説明する科学理論である。と同時にそれは、"新たなビジネス環境への適応"、"進化する天才"、"○○のDNAが流れている"といったワードを日々目にするように、物の見方やイメージを我々に喚起するものでもある。

 本書は先ず、「適者生存」として語られる進化論を、圧倒的多数の絶滅した種から見るとどうなるのか、という問いから思考を進めていく。遺伝子が悪かったのか、運が悪かったのか?それを説明するキーワードが"理不尽な"である。生存のためのルールが変更されてしまう、そして新しいルールはそれまで効力を持ってきたルールとは関係ない。こうして多くの種が絶滅し、代わってその空きに新たな種が登場する。

 第二章では、科学理論としてのダーウィニズムと、スペンサー流発展的進化論として私たちが抱いている進化論的世界像(との分業体制あるいは乖離的共存の状況について語られる。この辺りの論は非常に面白い。

 第三章は、適応主義を巡り、進化生物学者として有名なグールドとドーキンスの間で行われた論争を取り上げる。論争の判定としてはドーキンス側に軍配が上がったというのが今日的評価だが、著者は、なぜグールドは死ぬまで負けを認めようとしなかったのか、その点について終章で考えていく。
 
 ここでのキーワードは「歴史」である。グールドは、生物がもつ特徴が何の役に立っているのかという「現在的有用性」と、それがどのような経緯でそうなったのかという「歴史的起源」の区別を保持することが重要であると言う。ではなぜ歴史が必要とされるのか。進化の道筋はそのメカニズムとは外的な関係にある物理的諸条件に左右されるという事実は、進化の歴史が単なる発展や展開ではなく、ほかならぬ歴史であることと同義であるからである。
 そして、ダーウィニズムの心臓部には「説明と理解」、すなわち「自然の説明」と「歴史の理解」という哲学的問題がビルトインされている。


 本書はたしかに進化論に関する本である。そこで取り上げられている内容だけでもとても興味深い。同時にものの見方、考え方についての人文学的内容に溢れた本である。ニ読、三読することでそのつながりや著書が本書全体を通して言わんとしていること、面白さがより分かってくるのではないだろうか。
 
 

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2021年07月05日

Posted by ブクログ

「理不尽」という言葉がこんなにも進化論(ネオダーウィズム)を表現するのにピタッと合致するとは思わなかった。
ドーキンスとグールドの論争、そして実社会で言葉のお守りとして俗用(悪用⁉︎)される進化論について丁寧に解説されており、仕事も含めて今後の人生にプラスになる書籍であり、おすすめできる。
ただし、本書はサイエンス書ではなく哲学書であり、内容もボリュームがあるので、読破には時間を要した。
しばらく経ってから再読し、しっかり自分のものとしたいと思える一冊だった。

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2021年07月01日

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<あとがき>
私は自分で掘った穴を自分で埋めるようなやり方で本を書く。 はじめに躓きがある。原因を探るために地面を掘り返すが、掘り返したところで見つかるわけではない。躓いたのは地表においてなのだから。 今度は掘り返した土を埋め戻すことになる。 新たな目標は、もはや躓く余地がないほど地面を平坦にすることだ。その埋め戻し分が書き物になる。
当然ながら埋め戻す土は掘り返した土と同量なわけだから、地面の上になにかが積み上げられることはない。つまり誰の糧になるわけでもない、自分の納得のためにだけ本を書いている。

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2021年06月29日

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面白かった。アートとサイエンスの識別不能さという切り口は、自分がもやもや考えていたことをスッキリ説明してくれた。
少し長いですが、安易にとばしよみせずに前から順に読むことをオススメします。終章の部分が一番の読みどころです。

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2025年02月08日

Posted by ブクログ

認知バイアスが進化論という広範な影響力をもつ議論にどう影響してきたかをよく示している。少々書きぶりが冗長と感じるが、重要な点が分かりやすい。

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2024年07月29日

Posted by ブクログ

はじめて進化論がらみの本を読んだのがグールドの『ワンダフル・ライフ』だったと思う。20年以上まえ、グールドが亡くなる少し前のこと、たまたま本屋で平積みになっていたのを手に取った。読んでみていたく感心して、ほんの数冊だが他の著作も読んだ。その後、グールドが非主流派というかキワモノ的な立ち位置でドーキンスらとのあいだに論争があることを知り、ドーキンスも『利己的な遺伝子』は読んだがグールドとの違いは何もわからず、なにか引っかかるようなものを抱えながらも今日まで特に不都合もなく生きてきた。

この本のおかげですっきりしました。進化論にとっては重要な論争かもしれないが、あまりにも概念的で素人的には「まあまあ、どっちでもよくない?」みたいなところもあるので、これくらい噛み砕いてもらってはじめて理解できた(気がする)。

科学の方法論としてはドーキンスら主流派の唱えるとおりだが、一方でわれわれが歴史を語るときには、グールドが迷い込んでしまった難儀な領域にわれわれも否応なしに足を踏み入れざるを得ない、といったところか。

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2022年01月15日

Posted by ブクログ

進化論から始めて歴史と自己への認識に至るまでを深く広く熱く語られている。熱量が高すぎるが故に読むのに骨が折れるのも事実。特に一番長い終章は人文学的な専門用語、言い回しが多く、読み続けるのに難儀した。註の参考書籍紹介のコメントが何気に面白い。

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2021年05月04日

Posted by ブクログ

地球生物の99.9%以上は絶滅しており、生き残っているものが少ないということから絶滅種を基準に生物の進化を考えるという本。
この中で、種の絶滅は競争による優劣、弱肉強食といったものではなく、地球おける自然現象などの理不尽なものによって絶滅している、いわゆる運による生存、進化であるということを理解した
また、ダーウィンが説いたと認識していた進化論について、ここで述べている自然淘汰説、またスペンサーの適者生存説の理解と、一般的に理解されている、段階的前進的に進化していくような発展的進化論とは違うということ、これが社会通念的に誤解されている非ダーウィン的な考えであることも理解できた。

後半部分の細かい議論についてはあまり面白いと感じなかったため、また関心を持でたら読んでみたい。
生物種を見る視点として新しい視点を得られたこと、また、絶滅していった種がどのような運命によってそうなってしまったのかを考えるのに興味深いと感じる。

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2025年11月15日

Posted by ブクログ

第一章:理不尽な絶滅(ゲームのルール変更による絶滅)が絶滅理由のほとんど。
第二章:現代人はラマルク・スペンサー的進化(進化=進歩、改善)を進化としているが、ダーウィン的進化(生存者=適応者)は別物。
第三章:適応した機能は全て最善の機能であるため、なぜその機能を持っているのかを推測することには意味がある。しかしそれに反対する人(グールド)もいる。
終章:グールドの意見が通らなかったのは、運要素(ゲームのルール変更)の影響を織り込むべき、と言ったものの、その方法を提案できなかったから。

だいたいこんな内容を長々書いている感じ。タイトル、前書きでは絶滅した生物とその理由から進化を探る本かと思ったのだが、内容は進化学の歴史と言った方が近い。それならそうと最初に言ってくれ。

以下、私の意見
今残っている機能は最善の機能であるという仮定から生物機能の意味を推測するというのはなるほどなと思った。昔ドーキンスの本を読んだ時、各生物の機能の存在理由が想像されていたが、根拠がなく、こじつけでは?と思ったことを思い出した。これ以外やり方がないから、進化学の主流派は皆このやり方を使っているのね。
グールドの意見「生物進化に運要素を織り込むべき」は確かに可能ならその方が精度が高まりそう。しかしやる価値があるかは不明だ。
隕石墜落など、急激な環境変化(ゲームのルール変更)が絶滅理由のほとんどというが、5億年の歴史の中でこういうイベントはたかだか5回だ。過去1億年程度は大量絶滅イベントは発生しておらず、公正な進化が進んでいるっぽく見えるが、、。現代の生物の進化論で運要素を織り込む必要があるかどうかは、地球の安定状態でどれくらいの生物が理不尽な絶滅をしているのかによるだろうから、そこを論じて欲しかった。

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2022年01月03日

Posted by ブクログ

理不尽な絶滅
運で決まるルール、
適応したもの、たまたま適応していたものが生き残る


これは理不尽な絶滅と同じなのかもな、と思うことがたびたびある。

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2021年11月05日

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