桜井啓子のレビュー一覧
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桜井啓子
1959年東京生まれ。1991年上智大学外国語学研究科国際関係論専攻博士課程修了。博士(国際関係論)。現在、早稲田大学国際学術院教授。専門は比較社会学、地域研究(イラン)
イスラーム世界への憧れは、高校世界史の資料集に載っていたモスクの美しさに惹 かれて以来。大学では史学を専攻し、イランがご専門の先生のゼミに入りました。さ らに夏休みにトルコを旅行して、イスラーム文化を肌で体験したことで、ますます虜 に。とうとう在学中一年間休学し、モロッコ、シリア、レバノン、ヨルダン、トル コ、エジプトなど地中海から中東を放浪する学生バックパッカーになりました。就職 先も自然とその流れで -
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[他者としての参画]北アフリカから東南アジアまで広がるイスラーム圏で仕事をしている/してきた方々の生の声を収録した作品。人口及び経済規模が次第に大きくなると予想されるこの地域に、非ムスリムの日本人として暮らすということがどういったことなのかがぼんやりと浮かび上がってくる一冊です。編者は、著名な中東の地域研究者である桜井啓子。
イスラームを共有しながらも、同時に国や言語、そして民族などを理由として、イスラーム圏において明確に差異が存在することを認識できるかと。それにしても、断食月の「ラマダーン」と、文脈によって意味が異なってくる「イン・シャー・アッラー」という言葉に関する言及が多いのを見るに -
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ネタバレ[ 内容 ]
イスラーム教の二大宗派の一つだが、信者は全体の一割に過ぎないシーア派。
しかし、イラン、イラク、レバノンなどでは多数を占め、挑発的な指導層や武装組織が力を誇示し、テロリズムの温床とさえ見られている。
政教一致や民兵勢力といった特異な面が注目されるが、その実態とはいかなるものなのか。
彼らの起源から、多数派のスンナ派と異なり、政治志向の強い宗教指導者が君臨するシステムを解明し、その実像を伝える。
[ 目次 ]
序章 台頭するシーア派
第1章 シーア派の成立
第2章 政治権力とシーア派
第3章 近代国家の成立とシーア派―20世紀~
第4章 イラン・イスラーム革命と「革命の輸出」
第 -
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★少数派を軸にイラン・イラクを解剖★イスラム主流派のスンニ派に対し、シーア派は少数派の代表として知られる。イスラム諸国でシーア派が大勢を占める主な国はイランとイラク。アラブでもなく(ペルシャ)、カリスマ宗教指導者がそのまま政治も支配する独自の形態を遂げた(かつ限界も生み出した)イランと、シーア派が多数にもかかわらず対イランとの関係で「シーア派=アラブでない」という構図が生まれてフセインを代表とするスンニ派が実権を握ったイラク。シーア派の成り立ちとともに、この2国を分かりやすく説明してくれる。イランもイラクも原油をきっかけとした日本企業の進出が動き出すだけに、その背景を理解するのに役立った。
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シーア派を扱った概説書だが、後半よりイラン革命とシーア派ネットワークの関係性、革命の波及的効果、イランとシーア派の関係変化などの分析に重点が置かれる。非常におもしろかった。特におもしろかったのは以下の点。
1)実はシーア派は後継者を巡りスンナ派から分派したが、血統に拘っていたのはシーア派だった。スンナ派ワッハービズムが原理主義思想を持っているにも関わらず、後継者の血統を重視していなかったのは意外!2)イスラム教の影響力拡大と言えば、イラン革命やホメイニをイメージし、彼らが原理主義のような影響を受けるが、現在イスラム教の内部抗争の被害者はシーア派。3)シーア派は全体の3割にしか及ばず、実は -
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中東、特にイランへの興味が止まらない。
後半部分、近現代のイランにおける宗教観について書かれた章を中心に読んだ。特に興味深かったのが、2003年にイラン在住の若者(15-29歳)に対し行われた意識調査の結果。それによると、彼らが金曜礼拝に行くことは滅多になく、それどころか死者の追悼行事以外でモスクを訪れること自体、ほとんどなくなっている。さらに、礼拝をしなくてもこよい心でいれば敬虔なイスラム教徒だと言えると思うと答えた者が4割以上、政教分離主義者にも政府のポストを与えて良いと答えた者が5割以上に上った。イラン共和国はかつてより政教一致を推し進めてきたが、若者の現状はそれに反したものになって -
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イスラーム圏では働かないけど、引っかかっていたことや中途半端な知識やイメージを少しでも明らかにしていきたい気持ちが働いている。
以前読んだ『パリのすてきなおじさん』にてアルジェリアとかクルド人とか程良く予習できたから少しは内容についていけたと思う。
大好きなインド映画にもたびたび登場するイスラム教。イスラーム圏とはいえ国ごとにルールやマナーが違いすぎて、その程度の差も激しいもんだから聞いているだけで気が狂いそうになった。
ネットも存在しない時代にイスラーム圏に身を投じた方々もおり、不安を感じる暇もないまま相当苦労された様子が伺えた。
情報も乏しいなか、「対面ファースト」が基本の現地のビ -
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イスラーム圏の国々や、日本国内でイスラーム向けの仕事をされている方々13名による、イスラーム圏での仕事経験の解説。
筆者はイスラーム圏を中心とした比較社会学の研究者だそうだけれど、よく知人などから
「来月からサウジアラビアに転勤になったんだけど、現地での生活上の注意とか知るために読んでおくといい本って無い?」
という相談を受けたらしい。そのたびに答えに困っていたらしく、そういう人たちに読んでもらうことも本書を書いた目的の一つだったようだ。
経験に基づく話なので、とても実際的。
・イスラーム教徒の女性と握手してはいけない(ていうか体にさわってはいけない)
・子供のあたまを撫でてはいけない
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ネタバレ【180冊目】シーア派研究の入門書。記述は2006年で止まっているので、アフマドメジャニ大統領の登場や、核合意、シリア・イラクにおけるISISの台頭とそれへのイランによる対処については書かれていない。また、長引く内戦とそれへの台頭、ロシアへの接近等によって国際社会からの注目を浴びることになったシリアのアサド大統領はアラウィー派とされ、これはシーア派の一派だとされている。何より、今やアラブ世界は2011年の「アラブの春」を抜きにしては語れない。そういう意味で、せっかくの2016年再版なので、この点についてアップデートしてほしかったなぁ……
とはいえ、とても勉強になった。特に勉強になった点を簡単 -
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イスラム世界で少数派シーア派についての概説書。
シーア派の基礎知識をまず提供。
1) シーア派はムハンマドの従兄弟のアリーの子孫しか指導者(イマーム)として認めない。
2) 12代目のイマーム(868年生まれ)11代目のイマームの葬儀に現れて以来姿を消し、お隠れになっている。
3) 3代目イマームのフサインはカルバラの戦いでウマイヤ朝との戦いに破れ、殺害された。カルバラに墓はあり、聖地となる。
4) アリーの墓はナジャフにあり、やはり聖地。ナジャフはシーア派の教育都市だった。
そして、中近東諸国におけるシーア派の状況について解説。
イランが詳しい。下記のことが意外だった。
1)イランの宗 -
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時系列でシーア派の歴史が概括されている。視点はイラン/イラクのシーア派中心地にほぼ絞られている。植民地時代や冷戦期など、欧米諸国の影響とのかかわりについてはほとんど触れられていない。
紙幅の関係上駆け足になるのは仕方がないが、第1章「シーア派成立の歴史」は、名前の羅列と王朝の変遷を追うばかりで、読み続けるのが困難。
第2章「政治権力とシーア派」は、宗教学院に足を運んで研究した著者の面目躍如か、説明は分かりやすかった。第3章「近代国家の成立とシーア派」第5章「ポスト・ホメイニーと多極化」は、国別に歴史的出来事が紹介されているので、どの話だったのか、用語の意味はなんだったかなど、思い出すのがやっと