井上孝夫のレビュー一覧
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会社勤めをしている著者が、100以上の言語をどのように学んだかについての体験、学習法や読者へのアドバイスが書かれている。専門的な知識はないが、これから多くの言語を学びたいと考えている私にとってはためになり、淡々と、でも愛情を持って言語を学び続けてきた著者の姿勢に感銘を受ける本であった。
著者が人生のそのときどきでどのように学習時間を作り出していったか、ときに作り出せなかったかという体験談は、それが言語でなくとも、趣味として何かを続けていこうとしている者にとっては励まされる部分であると思う。
どの言語から学び始めたらよいかというアイデアは、言語同士の関係性を踏まえて書かれており、どこから手をつけようか迷っている私のような者にとっては大変参考になったし、文法ノートの作り方なども、大学で言語学を専攻し、多くの言語を学んだ著者の知識が生かされている。具体的な書名を挙げて、入門書などを推薦しているのもありがたい。
文法書と辞書の選び方のところで、「初学者に対する愛情を欠いた本は、入門書の名に値しません」と言い切っているあたり、著者の言語学習に対する思い入れが感じられる。22の言語を取り上げたコラム「心にかかる言語たち」も楽しめる。 -
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「本の雑誌」1月号恒例企画「わたしのベスト3」で、著者が恐縮しつつこの自著本を挙げていた。「『日本語誤用指摘本』と思われている誤解を解きたい」とあり、あらま、てっきりよくあるその手の本だと思っていたらそうじゃなかったの?と読む気になったのだが、いやいやこれは!予想を上回る面白さであった。
著者は、「本の雑誌」2013年9月号「いま校正・校閲はどうなっておるのか!」や、2011年6月号「新潮社に行こう!」にも登場していた、新潮社校閲部長。(どちらの企画もすこぶる面白く、特に出版社訪問シリーズは近年ではピカイチではなかろうか。) 新潮社校閲部は六十人をこえる大所帯で、装幀部とともに新潮社の屋台骨とも言われているそうな。本書は校閲部一筋で長いキャリアを持つ著者が、校閲の現場から見てきた日本語について語ったものなのだった。
なによりいいのは、「言葉に対して素人であることのプロ」に徹する著者の姿勢だ。日本語の研究者のように学究的立場から「これが正しい日本語だ」と指摘するのではなく(もちろんそうした研究が大事なのは言うまでもないが)、今の時代に生きている言葉として、出版物に使われる言葉が適切かどうかを考えるのが校閲者の役割だという。その具体例が非常に面白い。
たとえばルビの振り方、送り仮名の付け方、仮名遣い、どれ一つとっても一筋縄ではいかないなあと思わされる。とりわけ、漢字。「常用漢字」なぞというものがあるために、エラクややこしいことになっているというのはよく聞く。新聞なんかのヘンテコリンな交ぜ書きや、妙な字体はコイツのせいだが、じゃあどう使えばいいのか? これが難しい。正解がない中で、日々本や雑誌はどんどん出る。そして何より、校閲者は「作者」ではなく、あくまで黒子。いやもう、ご苦労お察しします。
第7章第8章には、期待通り(?)「その日本語ヨロシイですか?」と言いたくなるさまざまな例があげられているのだが、さすが、またその言葉?というのはほとんどなくて、言われてみればなるほどなあというものが多かった。わたしがドキッとしたのは「圧倒的」という言い方。「圧倒的な映像でお送りする…」などという使い方に、特に違和感を感じず、自分でも使ったりするが、確かにこれは「圧倒的な迫力の」を略したものだ。こういう略し方って嫌いなはずなのに。うーん。
もう一つ、確かに!と膝を打ったのが、鉄道会社による「名詞化」というやつ。「踏切への『人立ち入り』により停車します」などという言い方のことだが、「人が立ち入りましたので」と言わず名詞化することで、さもよくあることのような印象を与えようとしているのではないかと言う。専門用語にはこの手の名詞化が多く、いかにもそのことに慣れっこになった「通」の会話といった雰囲気をかもし出すという指摘は、まことにうなずける。鉄道会社がこれを多用するようになった意図は、はて?
最初は微妙なニュアンスを表す表現だったものが、じきに手垢にまみれて陳腐化し、気持ち悪ささえ帯びてくるのが流行語の宿命だとして、最近でのその代表例として「癒し」「想い」があげられている。ほんと、そうだよなあ。「気付き」とかも付け加えたい。実にキモチワルイ。「これらは大切な基礎語です。しばらく休ませてリハビリさせるしかないでしょう」同感同感。
最後にちょっと言いにくいことなんだけど…。この本について著者は「もう一つのライフワークであるマンガ・イラストと文章の融合表現の実験でもあります」と書いていて、各章の始めなど、随所にマンガが挿入されている。えーと、このマンガがですねえ、んー、なんというか昭和の香りたっぷりで、昔学習漫画にこういうのあったなあと言う感じでですねえ、あのー、いらないんじゃないでしょうか。 -
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新潮社の校閲部長による日本語についての本。言葉を扱う最後の砦的な仕事をされているからこそ、言葉を大切に、そして生き物のように扱っているという印象。単純に間違えやすい言葉だけでなく、ルビをふるということや、校閲の仕事とは、といったことまで披露してくれている。特に、校閲の実例は面白い。おおよその検討はつく、は「見当」だったり、ご存知とご存じは統一するとか、基本的な内容デアはあるが、意識しないと間違える。神は細部に宿るとすれば、ここで勝負がついてしまうことだってあり得るだろう。そんな緊張感を感じるからこそ、引き込まれるんだろうなと思う。日本語の将来はどうなるんだろうか、電子化の波、ツイッターなどの新たなメディアの存在が、こうした言葉一つ一つの意味を深く問うことなく、誤った言葉さえも肯定し、拡散する。本当の意味など、それこそ意味がない時代が来るとすれば校閲という仕事はなくなっているかもしれない。
これはビジネスにも非常に大きく関係するところだ。校閲ではないが、文章をつむぎ、関係者へ説明することは、すなわち言葉を大事にしながら正しい言葉で正しいニュアンスをしっかり伝えるということ。プライドを持って、言葉で人を説得する仕事がビジネスだから。 -
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重版出来6巻のあとがきで紹介されてたので読んでみました。
校閲って仕事についてその道のベテランが紹介する本。
ネットが発達する前は資料が少なくて校閲といえども専門的な内容にはあまり手を出せなかったとか、
校正から校閲になったのがここ30年ほどのことで、校正の頃はとにかく原稿と同じに印刷されたかチェックする仕事だったとか、
ルビの振り方や旧仮名遣いについての出版側の苦悩とか、いろいろ面白い出版裏話が聞けます。
なんと文中のマンガも著者によるもの。多才だ。
校閲は「国語学者」ではなくて「国語の素人のプロ」だそうです。
正解を判断するのではなくて、世間ではどう使われている言葉なのか、それを調べる仕事。
そうか、そうだったのか。
「舟を編む」で辞書作成について読んだけど(あっちはフィクションですが)、こっちはまた別の仕事の紹介でした。 -
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ネタバレ「校閲とはそんなもんだろうなぁ」という内容で特別大きな驚きや感動は無かった。2時間程度で軽く読めた。
ひとつ途中で気づいて驚いたのは、2割程度のページが割かれている漫画もこの著者自身が描いたもの、ということ。まったく素人ぽくなく、こなれた絵に感心。
結局の所、送り仮名、ふりがな、英語表記、および二重表現などは「絶対これが正しい」と言い切れるものではない場合が多々ある、ということ。また時代によってその可否が変化するので、常に校閲者は「時代の空気」を読んで「これが一般的に受けが一番良かろう」という判断で著者にお伺いをしている、ということ。著者の意図によって変わりもする。
今後、電子書籍を著者自身が校閲を経ないで直接、容易に出版する時代になってくることは間違いない。編集者と編集社・出版社を経ない分、格段に安く流通することになる。しかし、校閲を希望する著者もある程度の割合でいるはずで、電子書籍原稿の校閲のプロセスだけを単独で請け負う仕事が流行るのではないかと思う。
日本は欧米に較べ出版社が強いために、電子書籍の普及が大幅に遅れているが、欧米の英語圏では、この「電子書籍の校閲の請負」が仕事としてなりたっているのではないだろうか? -
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不惑を過ぎると、人生の残り時間を意識するようになる。地球上に存在する数千の言語の一つ一つがそれぞれ固有の宇宙を持っているわけであり、ただ一つの言語でさえ、人生の全てを賭しても汲みきれないほどの広大さを有している。とすれば、世界中の言語をくまなく学んでみたいと思ったところで、その果てしなさに眩暈を覚える。
筆者は100以上の言語を学んだというから、筋金入りの言語マニアであることは確かだ。でも、言語によって学んだ深さはまちまちだろうから、それがどの程度凄いことなのかは分からない。実際、いくつもの言語を学ぶと、未知の言語に出会ったときでも、文法の概略を知ることは容易である。人類の言語には、どれもある程度の類似性があるからだ。しかし、語彙が壁となって立ちふさがり、結局、喋ることはできない。
筆者の言うように、日本人は多言語を学習するにあたってアドバンテージがある。日本語は英語から著しくかけ離れた言語であるから、英語さえ修得してしまえば、第3の言語に挑むときのハードルはぐっと低くなる。それに、日本語を超える複雑な表記体系をもつ言語は、世の中に存在しない。
筆者は、文学作品を鑑賞することに甘んじていて、ほとんど会話の実践をしていないようである。驚くべきことに、ヨーロッパには一度も行ったことがないという。実に勿体ないことだ。私はやはり、語学は喋ってナンボだと思う。私は、日英韓に加えて、少なくともスペイン語・フランス語・ロシア語を使い物になるレベルにまで持っていくことを夢見ている。(とはいえ、第3言語で既に息切れしている状態なので、かなり道は険しそうだが・・・。)
語族・語派の代表を1個ずつ学んでいくというやり方は、まさに私が実践しようと思っていたことだ。不幸にして、アクセスしやすいメジャーな大言語は、地球上の言語の著しく偏ったサンプリングになっている。そういう似た言語をいくら学んでみたところで、言語の多様性を理解したことにはならない。よって、第一段階として、インドネシア語・フィンランド語・トルコ語・アラビア語を学び、しかる後に、ベトナム語・タイ語・モンゴル語・グルジア語・スワヒリ語・ナバホ語・ケチュア語・エスキモー語あたりを学んでみたいと思っている。しかしその前に、音声学を一度きちんと学んでおくべきかもしれない。 -
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言語学の専門家ではないが、東大の言語学科を卒業して、学生のころから30年くらい(?)で100を超える言語を学習するという、まさに外国語学習を愛する著者による体験談、アドバイス。
様々な言語を学ぶために、学生時代はバイト代を外国語学習のための本や辞書につぎ込んで、社会人になってからも電車の通勤時間を、確立されたスタイルで語学学習の時間を有効活用し、そして何よりも、様々な言語の学習を楽しんでいる姿勢が、とても羨ましいと共に、自分が恥ずかしくなった。というのもおれ自身は、一応言語学をかじり、とりわけ様々な言語にアクセスできる状況にあるのにもかかわらず、すぐに訳本に頼ろうとする、活用の多さに挫折…など。個人的に著者の姿勢から学ぶことはたくさんあり、こういう人こそ言語学の専門家になれば良いのに、という余計なことまで思ってしまった。
さすが多言語学習愛好家だけあって、外国語学習のコツや要領はなるほどと思わされる。「無駄のない学習(「習うべきところは習い、慣れるべきところは慣れよ」)」「耳通し」、「共通文法カテゴリーの作成」…などなど、決して語学の天才しかできない離れ業ではなく、外国語に興味のある誰しもが楽しんでできることを紹介してくれている、非常に読みやすい本。