Posted by ブクログ
2015年01月23日
「本の雑誌」1月号恒例企画「わたしのベスト3」で、著者が恐縮しつつこの自著本を挙げていた。「『日本語誤用指摘本』と思われている誤解を解きたい」とあり、あらま、てっきりよくあるその手の本だと思っていたらそうじゃなかったの?と読む気になったのだが、いやいやこれは!予想を上回る面白さであった。
著者は、...続きを読む「本の雑誌」2013年9月号「いま校正・校閲はどうなっておるのか!」や、2011年6月号「新潮社に行こう!」にも登場していた、新潮社校閲部長。(どちらの企画もすこぶる面白く、特に出版社訪問シリーズは近年ではピカイチではなかろうか。) 新潮社校閲部は六十人をこえる大所帯で、装幀部とともに新潮社の屋台骨とも言われているそうな。本書は校閲部一筋で長いキャリアを持つ著者が、校閲の現場から見てきた日本語について語ったものなのだった。
なによりいいのは、「言葉に対して素人であることのプロ」に徹する著者の姿勢だ。日本語の研究者のように学究的立場から「これが正しい日本語だ」と指摘するのではなく(もちろんそうした研究が大事なのは言うまでもないが)、今の時代に生きている言葉として、出版物に使われる言葉が適切かどうかを考えるのが校閲者の役割だという。その具体例が非常に面白い。
たとえばルビの振り方、送り仮名の付け方、仮名遣い、どれ一つとっても一筋縄ではいかないなあと思わされる。とりわけ、漢字。「常用漢字」なぞというものがあるために、エラクややこしいことになっているというのはよく聞く。新聞なんかのヘンテコリンな交ぜ書きや、妙な字体はコイツのせいだが、じゃあどう使えばいいのか? これが難しい。正解がない中で、日々本や雑誌はどんどん出る。そして何より、校閲者は「作者」ではなく、あくまで黒子。いやもう、ご苦労お察しします。
第7章第8章には、期待通り(?)「その日本語ヨロシイですか?」と言いたくなるさまざまな例があげられているのだが、さすが、またその言葉?というのはほとんどなくて、言われてみればなるほどなあというものが多かった。わたしがドキッとしたのは「圧倒的」という言い方。「圧倒的な映像でお送りする…」などという使い方に、特に違和感を感じず、自分でも使ったりするが、確かにこれは「圧倒的な迫力の」を略したものだ。こういう略し方って嫌いなはずなのに。うーん。
もう一つ、確かに!と膝を打ったのが、鉄道会社による「名詞化」というやつ。「踏切への『人立ち入り』により停車します」などという言い方のことだが、「人が立ち入りましたので」と言わず名詞化することで、さもよくあることのような印象を与えようとしているのではないかと言う。専門用語にはこの手の名詞化が多く、いかにもそのことに慣れっこになった「通」の会話といった雰囲気をかもし出すという指摘は、まことにうなずける。鉄道会社がこれを多用するようになった意図は、はて?
最初は微妙なニュアンスを表す表現だったものが、じきに手垢にまみれて陳腐化し、気持ち悪ささえ帯びてくるのが流行語の宿命だとして、最近でのその代表例として「癒し」「想い」があげられている。ほんと、そうだよなあ。「気付き」とかも付け加えたい。実にキモチワルイ。「これらは大切な基礎語です。しばらく休ませてリハビリさせるしかないでしょう」同感同感。
最後にちょっと言いにくいことなんだけど…。この本について著者は「もう一つのライフワークであるマンガ・イラストと文章の融合表現の実験でもあります」と書いていて、各章の始めなど、随所にマンガが挿入されている。えーと、このマンガがですねえ、んー、なんというか昭和の香りたっぷりで、昔学習漫画にこういうのあったなあと言う感じでですねえ、あのー、いらないんじゃないでしょうか。