柿崎一郎のレビュー一覧

  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    タイの歴史を通観できる書としては唯一とのこと。いろいろ聞いて知ってはいましたが、知識が整理されました。とても良い本だと思います。

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    2026年08月15日
  • 一冊でわかるタイ史

    Posted by ブクログ

    935円

    柿崎 一郎
    (かきざき いちろう、1971年 - )は、日本の東南アジア鉄道学者、横浜市立大学教授。1971年静岡県生まれ。1993年東京外国語大学外国語学部卒業。1999年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、「タイの鉄道とバンコク中心経済圏の形成 ―1897~1941年」で博士(学術)[1]。1999年横浜市立大学講師、2003年助教授、2007年准教授を経て、2015年国際総合科学部教授[2]。地域研究の手法でタイを中心とする東南アジアの交通に関する研究を行う[3]。

    「みなさんは、タイという国がどこにあるかご存知ですか?  タイは、ユーラシア大陸の南東に位置する東南アジアの国です。ユーラシア大陸の南東にインドシナ半島という大きな半島があり、そこからさらにマレー半島という細長い半島が突き出しています。インドシナ半島の真ん中からマレー半島の途中までがタイの領土となります。面積は約 51・ 3万平方キロメートルで、日本の約 1・ 4倍の広さです。  タイのかたちは、ゾウの顔の部分に似ていませんか?  マレー半島がゾウの鼻、その上に頭の部分が突き出し、その右は耳のようにみえます。タイの国土は、ちょうどゾウが左を向いているときの顔のかたちにそっくりなのです。このゾウの顔のかたちの国土ができたのは、約 110年前とそれほど昔ではありません。  タイは大きく4つの地域にわかれます。ゾウの鼻のつけ根が中部で、首都バンコクはここにあります。頭の部分からタイ湾に向かってチャオプラヤー川という大きな川が北から南へと流れ、中部はこの川の下流域にあたります。チャオプラヤー川が何本かにわかれて流れるデルタ地帯には、平らな低地が広がっています。低地の東西には山が連なり、東側の海沿いの地域は東部ともよばれ、臨海工業地帯として開発が進んできました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「アンコール・トムからは、四方八方に道が延びていました。その道沿いには、祠や宿泊と療養のための施設がつくられます。現在でも、カンボジアと国境を接する東北部の南側にこのようなクメール様式の建物が多く残っており、そのうち 11世紀から 12世紀にかけてつくられたピマーイの遺跡(プラーサートヒン・ピマーイ)がもっとも有名です。  ピマーイ遺跡は、アンコール・ワットを小さくしたようなかたちです。初めはヒンドゥー教の寺院として建立されましたが、のちに仏教寺院に変わりました。現在でも東北部を代表する観光地として多くの観光客を集めています。   12世紀前半にカンボジアでアンコール・ワットを建造したスールヤヴァルマン 2世の時代になると、アンコール帝国の勢力はチャオプラヤー川中流域やマレー半島北部まで拡大していきます。北部の山地と平原の境界に近いスコータイなどが、その最北端にあたり、クメール様式の建物が現在も残っています。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「現在、タイにはユネスコの世界遺産として 8カ所が指定されています。このうち文化遺産は、バーンチエンの古代遺跡、古代都市スコータイと周辺の古代都市群、古都アユタヤー、古代都市シーテープおよび関連するドヴァーラヴァティ史跡群、プープラバート歴史公園、自然遺産はトゥンヤイ・フアイカーケン野生生物保護区群、ドンパヤーイェン・カオヤイ森林群、ケーンクラチャーン国立公園となっています。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「  1703年、ペートラーチャーが死去すると、息子のスアが王位を継承し、第 31代目の王となりました。彼は、ナーラーイの隠し子であるともいわれています。  スアはタイ語で「トラ」を意味し、残忍な性格から「トラ王」とよばれました。一方でスアには庶民的な面もあり、頻繁に地方に出かけて釣りや狩りを楽しんだといわれます。  また、ムエタイ(キックボクシング)も得意で、みずから新しい技を考案していたそうです。交易にも熱心で、チャオプラヤー川とターチーン川を結ぶマハーチャイ運河をつくって、船の往来がしやすいようにしました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「ベトナムでは、ラーマ 1世の時代に阮福暎が全土を統一して阮朝を興しており、カンボジアへの圧力を強めていました。当時のタイはカンボジアを属国とみなしていたため、タイとベトナムの対立が激しくなります。  カンボジアの王アン・チャンは、宗主国(属国の支配権を持っている国)であるタイの圧力を避けるため、ベトナムに接近します。 1812年にラーマ 2世がカンボジアへ軍勢を派遣すると、アン・チャンはベトナムに亡命しました。のちに帰国すると、都をそれまでのウドンから、よりベトナムに近いプノンペンに移します。カンボジアがタイの干渉を避けるためにベトナムとの関係を強化すると、タイとベトナムの関係はさらに悪化していきました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「また、現在は涅槃仏(寝ている姿の仏像)とタイマッサージの講習所が有名なワット・ポーの修復と拡張も行い、境内はほぼこの時期までに完成しています。なお、ラーマ 3世の命令で、マッサージをふくむタイの伝統医療の知識が記録され、この寺院に収められたことで、のちにタイマッサージの拠点となるきっかけとなりました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著



    「タイの料理は、全体的に辛いのが特徴です。トウガラシをたくさん使うため、辛くなります。また、しょっぱさ、甘さ、さらに酸っぱさが加わった料理もあります。タイの人が辛さを好むのは、食べたあとに汗をかくと涼しさを感じられるためと考えられます。主食のコメのおかずとして食べるため、料理の味は濃くなっています。  タイ料理の代表といえば、トムヤムクンです。これはエビが入った辛いスープで、世界三大スープのひとつといわれています。ただし、もともとこれもご飯のおかずとして食べられていたものでした。そのため、白米の上にかけて食べると辛さも和らぎます。トムヤムは、酸味を効かせた煮込み料理のことで、エビ(クン)以外にも鶏肉(カイ)や魚(プラー)などでもつくられます。  もともとタイ料理は、煮る、焼くといった単純な調理法が中心でした。イサーンとよばれる東北部の料理にはソムタム(青パパイヤの和え物)、カイヤーン(焼鳥)などがあり、シンプルな調理法でつくられます。東北部と北部では、モチ米をよく食べるという特徴もあります。  また、中華料理の影響で、油で揚げたり炒めたりする料理や麺もあります。日本で流行っているガパオライス(パットカプラオ)は、バジルと豚肉や鶏肉を炒めたものをご飯にかけた料理です。  パッタイは、中国風焼きそばをタイ風にアレンジした、米粉でつくった麺の炒めものです。ベトナムのフォーのように汁に入れて食べるクイティオという麺料理も、タイの屋台では定番となっています。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著


    「 ラーマ 3世が死去すると、 1851年にラーマ 4世(モンクット王)が即位します。ラーマ 2世の正室(本妻)の子で、ラーマ 3世が即位する直前に出家していました。そのため、政治にはいっさいかかわらず、英語、仏教、占星術など多くの学問にひたすら励む日々を送ってきました。英語も得意で、バンコクにいた欧米人と交流し、シンガポールから入ってきた英語の雑誌を読むなどして、国際情勢にもくわしくなりました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著


    「また、モンクットは、自分の子どもに新しい学問を学ばせるために、王位に就いたあとでイギリス人女性のアンナ・レオノーウェンスを家庭教師に雇います。のちに彼女はこの経験を小説にまとめ、それを原作とした『王様と私』という映画もつくられました。映画ではラーマ 4世が聡明なイギリス人女性に啓発されるシーンが描かれ、あまり知識のないアジアの国の王とされますが、実際はタイでも有数の知識人でした。  ラーマ 4世は政治経験がまったくなかったため、アユタヤー時代からの名門貴族ブンナーク家の有力者をカラーホーム(兵部卿)とプラクラン(外務・財務卿)に任命します。さらに、政界で一定の権力を持っていた弟をピンクラオ副王として同時に即位させました。権力者の権威を利用することで、自分が政界で経験不足だった部分を補おうとしたのです。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著


    「タイには、イギリスの綿製品をはじめとしてさまざまな商品が流れこみます。イギリスの期待どおり、タイはイギリス製品の重要な市場となりました。  このような状況に対して、タイは失った収入を補おうとして、徴税請負制度を強化しました。しかし、このやり方では政府に納められるはずのお金が、徴税を請けおった中国人たちの懐に入るだけでした。  そのため、タイは農産物の輸出をすすめ、とくにコメの輸出を大幅に拡大させていきます。東南アジアの島嶼部(現在のマレーシア・インドネシアなど)の植民地化が進み、そこでコメの需要が高まっていました。このため、タイはコメの生産を増やして、これらの地域に輸出してお金を稼ごうとしたのです。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「政府や有力者たちはコメの生産を増やすために、それまで放置されていたチャオプラヤー・デルタの開拓を進めます。そして、水田に変わったデルタは輸出用のコメを生産する重要な拠点となりました。これをきっかけに、タイは世界有数のコメの輸出国となっていきます。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「ラーマ 4世の時代、タイにとって大きな脅威となったのはイギリスだけではありません。このころ、フランスもタイの東から植民地化をはじめていました。  当時、フランスは中国へ進出する際の中継点を確保するために、ベトナムをねらっていました。阮福暎がベトナムを統一したときにフランス人宣教師が協力していたことから、当初フランスとベトナムの関係は良好でした。しかし 19世紀半ば、阮朝がキリスト教を弾圧したことで、ベトナムとの対立が本格化します。   1861年、フランスはサイゴンを中心とするメコン・デルタを占領し、翌年ベトナム南部(コーチシナ)を手に入れました。これが、フランスにとって東南アジアにおける植民地政策の第一歩となります。  さらにフランスは、中国への進出ルートとしてメコン川をねらいました。コーチシナに河口があるこの川をさかのぼっていけば、やがて中国の雲南省にたどり着くためです。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「イギリスは、フランスがメコン川の左岸まで手に入れれば満足すると考え、パークナーム事件には介入しませんでした。しかし、フランスはさらにメコン川の右岸(西岸)にも植民地を拡大しようとしていました。  バウリング条約を結んでから、タイはイギリス製品の市場として役に立っていたため、タイがすべてフランスに奪われてしまうと、重要な市場をフランスに乗っとられることになります。このため、イギリスもこのままようすをみているわけにはいかなくなりました。   1896年、イギリスとフランスはタイに関する宣言をとりかわし、タイを「緩衝国」として残すことで合意しました。緩衝とはイギリスとフランスが直接ぶつからないように、間に挟まれるクッションの役割を意味します。イギリスとフランスはチャオプラヤー川流域を領土とするタイの独立を尊重し、植民地化することはないと宣言したのです。  ただし、この緩衝地帯にメコン川の右岸と、南部(マレー半島)はふくまれていませんでした。これは、フランスが東北部を、イギリスが南部を影響下に置いても、たがいに文句をいわないということでした。  イギリスとフランスがタイを緩衝国として残すと決めたことで、タイの植民地化の危機は去りました。しかし、ふたつの国が決めた緩衝国の範囲は、当時のタイが支配していた領土の半分ほどの細長いかたちで、東北部と南部についてはそれぞれフランスとイギリスに奪われかねない状況でした。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「 最初の官営鉄道はバンコクと東北部のコーラートを結ぶ区間で建設され、 1897年にまずバンコクとアユタヤーの間で開通します。この鉄道は、当時フランスの影響力が強まっていた東北部をバンコクに引き寄せる重要な役割を果たしました。  次に、北部のチエンマイにつながる鉄道とマレー半島を南下する鉄道が建設されました。これによって、それまで 1カ月以上かかっていたバンコクからチエンマイまでの移動が、わずか 1日足らずに短縮されたのです。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「このようなタイの近代化のためには、外国人の専門家に頼る必要がありました。明治時代の日本で多くの「お雇い外国人」が活躍したように、タイでも数多くの外国人を雇っていました。タイではアユタヤー朝のころから有能な外国人を利用する伝統がありましたが、ラーマ 5世の時期にその数はもっとも多くなっていました。  とくに、ラーマ 5世の総務顧問となったベルギー出身の法律家ギュスターヴ・ロラン・ジャックマンは、タイの近代法典を制定する際に活躍する重要な外国人顧問となります。  外国人顧問を雇う際、特定の国の顧問が増えすぎることに注意しなければなりませんでした。当時のタイはフランスによる植民地の拡大政策に悩まされており、ほかの大国との関係を築くことでフランスを牽制しようとしていました。  しかし、特定の国との関係が強くなると、今度はその国がタイに対して圧力をかけてくることもあるので、うまくバランスをとり、たがいを競いあわせようとします。たとえば、鉄道建設ではタイを植民地化する気がなかったドイツに頼って、ドイツ人技師をたくさん雇いました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「第一次世界大戦のあと、タイはアメリカやヨーロッパ諸国に対して不平等条約の撤廃をよびかけます。しかし、これにすぐ反応したのはアメリカだけでした。そのアメリカも、関税自主権の回復は認めたものの、治外法権についてはタイの近代法典が完成するまでは領事裁判権を一部残すという条件をつけます。  その後、タイはヨーロッパ諸国と個別に交渉を進めるために使節団を派遣し、フランスはアメリカとほぼ同じ条件での撤廃に応じました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「ピブーンは国民信条(ラッタニヨム)という指針を発表し、タイ人としてのあるべき姿を示そうとします。まず、 1939年6月にその第 1号を公布し、国名を「シャム」から「タイ」に変えました。「タイ」はタイ人が自分たちを表すよび名(自称)で、自由という意味であるといわれています。英語名は「タイランド」となり、「タイ人の土地」という意味が強調されました。  このタイ・ナショナリズムのなかで、中国系の人びとが攻撃の対象になります。ラーマ 6世と同じように、ピブーンは中国人を非難することでタイ人を奮い立たせようとしていました。このころになっても、中国人がタイの経済を動かしている状況は変わっていなかったのです。  ピブーンは多くの国営企業をつくり、それまで中国人が行っていた経済活動を代わりに担当させました。これらの会社の名前に「タイ」という単語がつけられることが増え、それまで「シャム」という語を使っていた民間企業も、「タイ」に変更しました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「タイ国内には中国系だけでなく、さまざな民族がいたことから、彼らを「タイ人」にまとめていくための同化政策にとり組む必要がありました。たとえば、政府は中国人の学校や中国語の新聞を廃止に追いこみます。また、中国の影響力を減らすため、パッタイ(タイ風焼きそば)のような新しいタイ文化も考案しました。毎日、朝と夕方に国歌を流し、国歌とともに国旗を掲げたり降ろしたりしている間、人びとが起立して敬意を表するようになったのも、この時期からです。  ただし、この「タイ人」への同化政策は、中国人に「タイ人」としての意識を持ってもらうことを重視しており、中国人を排除する目的はありませんでした。中国人であってもタイ国籍を得れば「タイ人」になることは可能だったため、タイ人と中国人の混血が進んでいくきっかけともなったのです。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著


    「同じころ、タイ軍の代表団はセイロン島(現在のスリランカ)のイギリス軍の東南アジア司令部を訪れました。そこで、イギリスからタイ軍の連合軍による管理や、コメを無償で提供することなどの条件を突きつけられます。  これは非常に厳しい内容でしたが、タイ側はアメリカにこれを伝え、イギリスを説得してもらう作戦を選びました。この結果、翌年にはイギリスと平和条約を結ぶことに成功します。コメを無償で 150万トン提供するという条件は残っていましたが、のちに代金を支払うことに変更されました。  タイは国際社会に復帰するうえで、フランスの態度を気にしていました。フランスは、タイが手に入れた「失地」を返すよう要求し、これが実現しないとタイが希望する国際連合への加盟を拒否するとおどします。タイは「失地」を得たのは戦争より前だとして、返還には応じない姿勢を示しました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「プリーディーがフランスに抵抗する組織への支援をはじめると、しばらく政権の座から離れていた陸軍は、プリーディーがタイを共産主義の国にしようとしているのではないかと警戒しはじめます。ついに 1947年 11月に陸軍はクーデターを起こし、ルアン・タムロン政権を倒しました。  陸軍はクアンをふたたび首相に任命し、戦争犯罪人として逮捕されたあと釈放されていたピブーンが、陸軍総司令官になりました。クアン内閣は順調に任務をこなして支持を集め、 1948年1月の総選挙でもクアン率いる民主党が第 1党となります。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「共産化していたベトナムやラオスは深刻な経済危機から逃れるために、ソ連のペレストロイカ(政治・経済体制の立て直し)をまねて市場経済(個人が自由にモノをつくって売ることができる経済)を導入します。カンボジアからのベトナム軍の撤退も進んだため、カンボジアの内戦にも終わりがみえてきました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「通貨危機は、経済ブームで成長を続けていたタイ経済に大きな打撃をあたえます。  プラザ合意以降、投資の拡大とアーナン政権以降の規制緩和と自由化政策によって、タイには外国からたくさんのお金が入ってきました。とくに、タイの通貨であるバーツの価値はアメリカのドルとほぼ一定に保たれていたので、外国のお金をバーツに換えて投資をしても、バーツの価値が下がって損をする可能性が少なかったのです。  このため、タイには必要以上のお金が入ってくることになり、それはやがて土地や不動産への投機に使われるようになります。こうして、日本と同じようにタイの経済もバブル経済となっていきました。  ところが、 1990年代なかばになると、タイの輸出が増えなくなり、タイの経済成長が終わりかけているのではないかと考えた外国人の投資家が、タイからお金を引きあげる動きが出てきます。この動きは 1997年になると急速に広がり、為替市場(通貨を売買する市場)ではバーツがたくさん売られるようになりました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「ムエタイ選手からボクサーに転向したカオサーイ・ギャラクシー(本名スラ・セーンカム)は北部ペッチャブーン県の出身で、 14歳から本格的にムエタイの練習をはじめます。 1984年に世界ボクシング協会( WBA)の世界スーパーフライ級のチャンピオンになりました。   1988年、双子の兄であるカオコー・ギャラクシーも世界バンタム級チャンピオンとなったため、史上初の双子の世界チャンピオンとして、世界中で有名になります。  カオサーイはサウスポーで、「タイのタイソン」ともよばれました。 19回連続でチャンピオンの座を守りましたが、 19回目の防衛を決めた 1991年の試合後に引退を表明しました。  引退したあともタレントとして活躍するなど人気が高く、現在でも映画やテレビドラマに出演するかたわら、ムエタイの教室も開いています。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「このように大きく変わりはじめたタイは、これからどうなっていくのでしょうか。  おそらく、 21世紀に入ってから激しくなった階層間の対立は、そう簡単には解消しないでしょう。  最初は都市中間層やエリート層からなる上層がタックシンを支持しない黄シャツ派、農民や農村から都市に出てきた下層がタックシンを支持する赤シャツ派でした。ところが、この対立の構図はラーマ 10世の時代に入ってより複雑となり、王党派と民主派の対立は変わらないものの、それぞれの支持層は入れ替わってきています。  経済面では、 1997年の通貨危機までは順調に経済成長を遂げ、東南アジアではシンガポールやマレーシアに次ぐ経済レベルに到達しました。経済成長は 21世紀に入ってからいったんは回復しましたが、国内での政治対立が激しくなった 2000年代後半以降は経済成長率も伸び悩んでおり、「中進国」のレベルで停滞しています。それでも、日系企業の生産拠点としてのタイは当面安泰でしょう。  タイはすでに工業国となっていますが、依然として農業で生計を立てている人も多く、かつて「世界の台所」というスローガンを掲げたように、食料の生産や加工の基地としても重要な役割を果たしています。「世界の台所」としてのタイの立ち位置は、世界の食料需要の高まりとともに今後より重要になっていくでしょう。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

    「首都バンコクの発展も留まるところを知りません。次から次へと高層ビルが建ち、大規模なショッピングモールが相次いで開業しています。市内や郊外を結ぶ電車もどんどん増えており、近代的な都市への脱却が急速に進んでいます。その一方で、昔ながらの市場や路地にならぶ屋台は減っているので、バンコクの魅力であった喧噪と活気にあふれた街並みは、だんだんみられなくなっていくと思われます。  また、タイは世界有数の観光大国でもあります。新型コロナウイルスが流行する前の 2019年には、年間約 4000万人もの外国人がタイに来ていました。タイはスコータイやアユタヤーの遺跡に代表される歴史遺産、北部の山地や南部の海岸などの自然景観、そしてショッピングやタイ料理などさまざまな観光資源をもっており、世界中から多くの観光客が集まってきていました。」

    —『一冊でわかるタイ史 世界と日本がわかる 国ぐにの歴史』柿崎一郎著

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    2026年03月08日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    匿名

    購入済み

    日本との関係も深く重要な東南アジア諸国。そのうち大陸部(インドシナ半島)の要であるタイの歴史を知るにはちょうど良い本だと思う。タイ族が中国南部から現在のタイへと移住してくる経過、第二次世界大戦時の危機などは知らないことも多く興味深く読むことができた。戦後は政治経済史偏重だが、クーデタが頻発し複雑なタイ政治についておおまかな知識をつけることができた。
    本書はタクシン首相がクーデタにより失脚した2006年までの通史だが、その後のタイは14年に再びクーデタが起こり、16年にはラーマ9世の崩御、そして20年以降は新未来党や前進党の台頭と解党などまだ政治的な安定性は確保できていないように見える。ここ20年ほどの歴史も含めた増補版を期待したいところだ。

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    2025年01月28日
  • 一冊でわかるタイ史

    Posted by ブクログ

    とてもわかりやすくタイのことが知れた。
    歴史音痴の私が読んでも、とにかくわかりやすかった。
    なんとなく疑問に思っていた、
    タイの多様性について、
    歴史をしることでとても納得したし、
    タイの柔軟さやしたたかさなど、見習うべきところが多々あると感じた。
    日本といざこざがあったにもかかわらず、
    柔軟さ、したたかさにプラスして、
    プミポン国王の尽力で、関係が保たれたことは
    知っておくべきことだと感じた。

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    2023年09月12日
  • 一冊でわかるタイ史

    Posted by ブクログ

    タイに深く関わってない自分には地名、歴史上の人物を読んでもピンとこなかったが、わかりやすく整理されていて読みやすい内容だった。

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    2023年02月18日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    タイの歴史を大まかに知るのに適した本。
    あとがきにもあるように、著者の得意分野である道や鉄道の話がいかされているのが理解を助けてくれて大変よかった。

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    2020年06月22日
  • タイ謎解き散歩

    Posted by ブクログ

    タイ全土、各地域の見どころを歴史的背景から解説する一冊です。一般的な観光は飽きたタイリピーター向けの散歩本です。

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    2016年10月16日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    タイの歴史を学ぶことはメコン流域の歴史を知ることだな、と思った。当該地域全般がよくわかる。特に、列強諸国の取扱い方(つまり外交)にたけた様子も理解した。
    鉄道等(国際)インフラについて記述も詳しい。

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    2014年12月21日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    そのなのとおり、タイの歴史を物語を読むが如くざっとしることができる。
    好きだけど殆ど知らなかったタイの歴史。
    スコータイ、アユタヤ、シャム。時代によってヒーローがいるところが気になった。
    近代ではあるが、外交が巧みであることに驚いた。大国とは呼べないかもしれないが、大国との付き合い方がうまい。
    また、温厚な国だと思っていたがしょっちゅうクーデーターが起きていてもはや笑える。

    うらやましいなと思ったのが下記の内容。

    農村地区は貧しいので都会や国外にでていった子供の仕送りに頼る。だけど、その子供が仕事に失敗してもそこに戻ればいい。なぜならば、米が豊かにできるので貧しいかもしれないが食べることには困らない。農村がセーフティネットになっている。

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    2013年03月12日
  • 一冊でわかるタイ史

    Posted by ブクログ

    2024年3月にタイ・バンコクへの出張が決まり、4日間という短い期間の滞在とはいえ、タイの歴史を学ばなければ!と手に取った本。著者はタイの研究者でありながら、本はとっても読みやすく3日漬け学習に便利。最後には年表もあって、日本人にとってわかりづらく覚えづらいタイの名前もなんとなく頭に入れる事ができた。一部漢字にフリガナが振ってあるところを見ると、子供向けといえる。それだけ分かり易く読みやすかった。

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    2024年02月07日
  • 一冊でわかるタイ史

    Posted by ブクログ

    今まで読んだタイの歴史に関する本の中で1番わかりやすかったと思います。機会があれば友人に進めたいと思います。

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    2023年11月28日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

     全くタイに触れたことのない人にはハードルが高いと思うが、一定タイに住んで、タイ人と触れ合った上で読むと、周辺国への意識の背景など気づくところが多いのでは。

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    2017年12月23日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    「微笑の国の真実」というサブタイトル。しかし、19世紀以降、西欧諸国が東南アジアに進出してきたあたりからの「世渡り上手な国」の実情を知ると、「ほくそ笑み」の国と呼ぶ方が相応しいように思えてくる。タイの歴史の主なポイントは次のとおり。
    1.中国の揚子江以南(四川から雲南)に出自を持つタイ族は11~12世紀頃、漢民族の居住域の拡大により南下・西進。チャオプラヤー川の流域に大ムアン(くに)を形成する。
    2.アンコール朝(クメール族)が支配していたヨム河畔のスコータイをタイ族が奪う。こうして生まれたスコータイ朝(1240年頃~1438年)は、初めて現在のタイ領をほぼ支配下に置いたマンダラ型国家となった。
    3.アユタヤ国(1351-1767年)は、アンコール国(クメール王朝)を滅ぼし(1431年)、スコータイ朝を服属させ(1438年)、アユタヤ朝(1438~1767年)となる。位階田制を整備し中央集権化に努める一方、ビルマとの間で熾烈な攻防を繰り返す。1569-84年、ビルマの属国となるが、ナレースワン王により独立を回復。
    アユタヤは港市としても繁栄し、日本人町も形成され、有能な外国人は官吏にも登用する。1612年に長崎商館を介して、朱印船で長崎から渡っ山田長政はその一人。アユタヤは1767年、コウバウン国(現ミャンマー)の攻撃を受け滅亡。
    4. コンバウン軍が退却した後タークシンは、アユタヤの再興を諦めトンブリーへ遷都。トンブリ―朝(1767~82年)を築く。バンコクを都とし、ベトナムと勢力争いを繰り返す。タークシンと同じ潮州(ちょうしゅう:広東省東部、多くの華僑を出す)系中国人商人の活動が活性化する。
    5.アユタヤ王家の血を引くラーマ1世は、アユタヤをバンコクの地に復活させようと、トンブリー朝の対岸に、現在のラッタナコーシン朝(別名チャクリー朝。1782~)を築く。
    6.19世紀には英仏による周辺諸国の植民地化という状況下で、モンクット王(ラーマ4世)は1855年にイギリスと不平等条約を強制され、王室独占貿易は崩壊。領土も「割譲」された(1909年に現在の領域が確定)。一方、タイの関税収入の増加のため代表的輸出品として位置づけたのがコメ。現在もコメの輸出量では、タイは世界1・2位である。
    7.インドシナ半島の東部(ベトナム)をフランスが、西部(ビルマ)をイギリスが植民地化。両国の衝突を避けるため1896年、両国はタイのチャオプラヤー川流域を「緩衝地帯」とした(英仏宣言)。タイは日本と並びアジアで唯一植民地にされなかった国となる。チュラロンコン王(ラーマ5世)は英仏の緩衝国として独立を維持するだけでなく、積極的に上からの近代化政策=チャクリー改革を推進し、鉄道による領域統合を進めた。
    8.第一次世界大戦が勃発すると、タイは洞ヶ峠を決め込む。戦勝国となって列強との不平等条約を改正するためである。1917年4月のアメリカ参戦により、連合国側での参戦を決める。
    9.1932年の絶対君主制から立憲君主制への革命が起きる。以後、頻繁に軍事クーデタが生じる。
    10.ピブーン首相が「大タイ主義」を掲げ、国名をシャムからタイに変更。第二次世界大戦も当初は中立を決め込み、日本と不即不離の関係を保ちながら失地回復を目論む。1942年1月に枢軸国側として連合国側に宣戦布告。しかし、宣戦布告に必要な3人の摂政の内1名が不在として、1945年8月16日に宣戦布告無効宣言を行う。
    11.米国との協調により国際社会に復帰し、米輸出により復興する。
    12.1949年の中華人民共和国の成立やベトナムの共産化の中で、反共を前面に出す。親米開発独裁政権(サリット・タノーム両政権)の下、外資導入型工業化を目指し、反共の地域協力機構ASEANを結成。これらは成功の一方で徐々に格差是正・民主化運動を活発化させてしまう。
    13.2005年の総選挙に圧勝したタックシンは、世界的なグローバル化に伴う自由化、規制緩和の潮流の中、「世界の台所」「アジアのデトロイト」などのキャッチフレーズを掲げ、国際競争力を高めようとする。しかし権威主義に起因する諸問題の発生と「売夢政策」に対する国民的不信から、2006年9月に軍によるクーデタが起き、政権が崩壊する。

    タイは「微笑の国」と呼ばれるが、東南アジアの社会では、笑いによって様々なコミュニケーションがとられている。人間関係が全てに優先するタイは、実は日本人と共通する点が多い(橘令「日本人」pp.18-32)。

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    2018年01月07日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

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    2016/10/13 かねてより高齢・体調不良で心配されていたプミポン国王が亡くなった。カリスマ的な国王が亡くなった事での政治的混乱が心配されていたが今のところ平静を保っている。しかし2013年から続く軍事政権の民政への移行の遅れも取りざたされている。

    というわけでタイと言えば、微笑みの国、ムエタイ、観光・遺跡、マッサージ、歓楽街、"親日"的、山田長政、日本への不法入国者などなど良くも悪くも色々なイメージが付きまとうが、ちゃんと歴史を勉強したことがなかったので、本書を手に取ってみた。

    列強の植民地時代・2回の世界大戦を乗り切った「世渡り上手」な外交は、一方的な「親日国」のイメージとは全く異なる。「失地」回復の野心(大タイ主義)と日本の野心とがあくまで合致した結果。

    またこの東南アジア地域で見るとタイは今も昔も大国・経済的先進国であり、周辺国との軋轢は日本と周辺アジアとの軋轢を想起させる。

    もう少しタイの近現代史や経済開発の歴史を読んでみたいと思った

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    2016年12月17日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

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    ネタバレ

    タイを含めインドシナの国々へ、いつか行ってみたくて、
    その成り立ちや構造の仕組みを理解する一助とすべく。

    外国との関わり合いのなかでうまく立ち回ってきた、アジアの優等生、という著者の評価は、
    たしかにあの笑顔のタイ人たちに、とてもよく当てはまる言葉だと感じさせます。
    カンボジアやミャンマー、ラオス、マレーシアとの違いはどこにあるのか、といえば
    それらの歴史に根ざしたアイデンティティにもないことはないのかも、と思いました。

    また、先進国の中に名を連ね、近隣諸国や西欧各国との関係性を見直すべき地点に立っている、という点で、
    日本との共通点が見出せます。

    0
    2016年01月07日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    タイの通史が分かりやすくまとめられており、世渡り上手に立ち回って独立を維持してきた歴史を描いている。高校の世界史だと東南アジア史はほとんどやらないから、ありがたい一冊。タクシン政権の崩壊までしかカバーしていないが、現在の情勢を理解する一助になる。

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    2014年06月03日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    タイの歴史を概観できる良書。登場人物の名前や地名がなかなか覚えられなくて読むのに苦労した。たびたびクーデターが起こり政情不安定な印象だが、それも民意の現れと見ることもできる。それぞれの国でそれぞれの歴史を踏まえてそれぞれの今がある。歴史を学ぶことは面白い。

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    2014年02月15日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    「物語~の歴史」シリーズ初の東南アジア本。

    何となく「西側諸国所属の東南アジアの優等生」のようなイメージがあったタイだったが、最近のタクシン・反タクシン派の争いや、クーデタのニュースを見るにつけ、実際のところどんな国何だろう、と興味を持って読んでみた。

    読んでみると、近代以降、想像していた以上に波乱万丈の歴史を持ちながら、大国間でのバランスを保ち、一方では国民国家の確立を目指しながら、他方では経済成長も目指すという要領の良い一面が垣間見えた気がする。

    その一方で、選挙の度に頻発するクーデタと、未だ憲法すら作っては捨ててを繰り返している(!)という、優等生とは到底言えない側面にも少なからず驚かされた。

    しかし、この波乱万丈の歴史を乗り越えながら、しっかりちゃっかり成長を遂げているこの国と国民のたくましさはなかなか学ぶところが多いなとも思わされた。

    そんな感じで学ぶところが多く、期待していた以上に面白い本だと思いました。

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    2012年08月19日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    夏休みのタイ旅行を楽しむために購読。タイの歴史がよくまとめられた良著。でもタイ人の名前が全然憶えられなくて僕の理解は今ひとつ。

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    2012年07月25日
  • 物語 タイの歴史 微笑みの国の真実

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    [ 内容 ]
    日本と同時期に近代化を歩みはじめ、東南アジアで唯一独立を守ったタイ。
    時代に翻弄されながら生き残ったタイ民族一〇〇〇年の興亡史。

    [ 目次 ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2011年04月02日