トウェインのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「いいや、おいら、地獄に行く」
注釈によると、物語の舞台は1830〜40年代のアメリカ南部
当時のアメリカには逃亡奴隷法という法律があり、逃亡奴隷を助けた者には重い罰則が課せられていました
犯罪だったんですね
罰則は最高で500ドルの罰金(後に最高6ヶ月の懲役刑も加えらます)
当時の500ドルは一般的な労働者の年収2〜4年分というのだから、大変な額です
加えて、罪を犯した者は神の教えに背いたものとして地獄に行くことになります
当時の宗教観では、地獄の存在は現在とは比べものにならないほど強く信じられていたと思いますので、十分に重い罰金刑よりもさらにさらに重い刑が死後に科されるということになります
逃亡奴隷ジムと旅するハックは、体をガタガタを震わせて、良心に背き”悪いこと”をする決意をします
「いいや、おいら、地獄に行く」 -
Posted by ブクログ
子どもの頃にトムソーヤーの冒険は読んだことがあったが、ハックルベリーフィンの冒険は読んだことがなく。本屋に平積みされていたハックルベリーフィンの冒険を読んでみたいと思い立ち、そのためにはトムソーヤーの冒険を読み返そう!と思って、手に取った。
子どもの頃に読んだときとは、受け取る情報量がまったく違った。いたずらばかりだけど根はやさしい、わんぱく小僧の冒険物語。トム筆頭とする子どもたちの想像力、主体性、行動力には、大人になった今読むからこそ感服する。と同時に、「嘘つかないニガーなんか見たことない」と言ったセリフや、トムが憧れる海賊や酋長や盗賊の物語を説明する中で、「男はこうで、女はこうなんだ」といった表現が出てくることから、当時のアメリカの価値観がナチュラルに子どもに受け継がれていく様子にはっとする。トムたちの村セントピーターズバーグは、子どもがいなくなったら村人総動員で探すような、人のつながりのある平和でやさしい村にも見えるけれど、マフ・ポッターの裁判や、インジャン・ジョーの最期での、村人たちの騒ぎようを見ると、殺人のような残酷な事件が、平和で退屈な村の娯楽になっているようにも見えて恐ろしくも思える。冒険を終えたトムのことを、ベッキー父が高く評価して、「将来偉大なる法律家あるいは偉大なる軍人になってほしいと考えた」というのも…小学生くらいの子どもに対して安易な判断すぎでは?と今の感覚では思うが…。きっと当時はそんな判断がされることがよくあったんだろうなと思う。
子どもの頃は、ある意味同じ目線で「トムすごいな」と思っていたのが、大人になってまた違った読み方ができて、個人的にはおもしろかった。
アメリカの歴史と照らし合わせてもう一度読みたいと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ一章ごとが短いのもあって読み進めやすい。ペンキ塗りの話はなんとなく知っていたが、ちゃんと読むのは大人になってからが初めて。
大人としてよんでしまったせいもあり、ポリーおばさんもベッキーのお母さんも振り回されて気の毒、トムはコロコロと気が変わりすぎ、少年たちが宝物にしているガラクタはちっとも魅力的じゃない、インディアンへのナチュラルな蔑視…といったところばかりが気になってしまった。
インディアン蔑視を含め当時のアメリカ白人の他人種に対する見方が伺える。解説を読むとトウェインは白人社会に向けた怒りを導入していることに意義があるのではとあり、作者の意図がどうなのかはともかくそれは本書の一つの価値かも。 -
Posted by ブクログ
誰もが一度は耳にしたことがあるであろう作品、「ハックルベリー・フィンの冒険」。これは同じトウェインの「トム・ソーヤーの冒険」の続きにあたる作品である。
自分は「トム」は読まずに本作を読んでしまったのだが、「ハック」だけでも十分読むに値する作品である。
時は19世紀半ば、アメリカ南部ではまだ奴隷制が普通に存在した時代。
主人公のハックルベリー・フィンは、父親の元からの逃避行の途上で、知り合いの黒人奴隷ジムと行動を共にするようになる。
ハックは、ジムを逃がそうとし、北部の奴隷制の無い自由州へ向かおうとする。
その道中の物語が本作の内容である。
今のアメリカで奴隷制を正しいと思っている人はいないだろうが、当時はごく当たり前のこととされていた。
当然ハックもその「常識」に捉われていたのだが、ジムとの個人的な交流をとおして、彼も自分も同じ人間であることを知らされ、奴隷として扱うことに躊躇いを見せるようになる。
作中、彼自身はそれを「地獄に行ってでも」というほどの覚悟で宗旨替えをすることになるのだ。
この作品を読んで強く感じたことは、「常識」が人を捉える力の強さと、その「常識」の相対性だ。
どんなに開明的で先入観のない人であっても、人間社会で過ごしている以上は、何かしらの常識の元で育ってきているわけで、そしてそれは自身と渾然一体となっていて、不可分のものとなっている。
だから、その常識から解き放たれるということは、文字通り自己の一部を喪失する体験に違いない。
それほど重く困難なことなのだ。
歴史上の人物のその時々の判断に対し、現代の視点から評価をしてしまいがちだが、その時代の常識の枠から超え出ることがどれほど困難なことか、それはよくよく差し引いて考えねばならないことだろう。
そして、どんなに堅固に見える常識であっても、絶対不変なものもない。
つまり、今正しいと思われていることも、数百年後の人々にはおかしな風俗の一つと見られるようになる時が来るということである。
だから、世の常識・良識や倫理観に抗う必要はないのだが、あまりにカチカチの原理主義に陥るのもどうだろう、
まあそういう考えもあるよね、とりあえずは妥当だよね、という程度の距離感で捉えておくのがよいのかもしれない。
そうでないと、それこそ世の「絆」に縛られて、身動きできなくなってしまうだろう。 -
Posted by ブクログ
読み始めたきっかけは特別覚えていないけど、読みながらディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」を思い出した。デイヴィッドの方は一人称の語りだったような気がするんだけど、もしかしたら違うかもしれない。こっちはハックの一人語りだけども。今と比べるといつの時代の昔も純粋だったし素直だったように見えるんだけど、やっぱりそれはそれでねじれてるしこんがらがっている。そんな時代に必死に明るく生きようとした少年の物語っていう、そういうのが僕は好きなのかもしれない。
時代は1830年ほどらしい。南北戦争前のアメリカ。直接的に間接的に、黒人奴隷の存在が物語の通奏低音になっている。しかしそれを良し悪しいう直接的な言説はない。ハックは白人でその時の見方で黒人を見下げてるし、黒人は黒人である意味での奴隷根性が染みついている。でもそれに染まりきっていない黒人もいて、それがハックの家のジムで、そのジムの逃亡を不可避的に助けながら冒険をするように話が進む。
大体こういう時代の話お決まりの、思い込みが激しいキャラの連発で、そんなキャラクターたちががやがやとやりながら話が進んでいく。結構悲惨な出来事も少なくないんだけど(親しくしていた人が死ぬなど)、そこに重力を与えない。
宗教的な道徳的な正しさを明るく信じているハックだが、不可避的に投げかけられる人間の生に対する問いかけに何度も立ち止まり、考え、時に答えを与えられ、時に悩むままでおわる。黒人奴隷のジムが自由州に到着しそうだと喜ぶ姿に良心がジクジクする。奴隷の逃亡は違法であるし、それを偶然にでも手伝ったのは紛れもなく自分であるし。それはただのコンプライアンスの問題ではなく、命に根差したハックの良心の問題として描かれている。
トウェインは物語以上の政治的、人格的なメッセージは一切ないし、それを読み取ろうとすることも望まない、と巻頭にわざわざ述べているが、それを読み取らずにおれようか、という感じである。下巻に続く
17.5.19 -
Posted by ブクログ
「トム・ソーヤ―の冒険」。マーク・トウェイン。光文社古典新訳文庫。
読んだつもりで読んでなかった一冊。
序盤、お話が暢気すぎて?やや乗りきれませんでしたが、トムとハックが殺人を目撃する辺りから面白くなりました。
ただ、トムって何歳なんだろう?
7歳~9歳くらいか? いや、9歳~10歳くらい?
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アメリカ合衆国の、ミズーリ州という田舎を舞台に、少年が大活躍をする物語。
大活躍と言っても、幻摩と大戦したりリングに賭けたり新型モビルスーツに乗りこんだりする訳ではなくて。
塀にペンキを塗ったり、女子とおしゃべりしたり、プチ家出して川で泳いだりするレベルです。
本が出版されたのは1878年。本の中で、ちょっと昔の、今の大人が子どもだった頃、と言及しています。
なので、トムが活躍しているのは恐らく1840~50年代くらいか。南北戦争の前。
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南北戦争というのは1861-1865、4年くらいアメリカが2つに分かれて戦いました。
大まかは
北部工業重視派=黒人は奴隷としてよりも、労働者及び消費者として必要
vs.
南部農業重視派=特に綿栽培。とにかく大勢の労働者が必要なので、安価な黒人奴隷が奴隷として居てくれないと困る
という対立、戦争でした。北部が勝ちます。奴隷解放。リンカーン。
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トムが活躍するミズーリ州セントピーターズという場所は、恐らく南北戦争で、「ちょうど中間」に居たゾーンですね。
どっちつかずだったはずです。
なので、トム・ソーヤ―の世界観は、そのつもりでみると「大プランテーション農業地域」でも無さそう。
でも、都会とはとても言えない、小さな村というか街。
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トムは弟のシッドとふたりで、「ポリーおばさん」の家で暮らす小学生。
(どうやら、実の両親は早世したようだ。ポリーさんは父母どちらかの姉妹だったということなのでしょう)
トムはいたずら好きで落着きが無くて、遊ぶのが大好きで勉強と教会が大嫌い。機転がきいて大胆不敵、そして根は優しい男の子。
戦争ごっこ、呪術ごっこ、けんかや生き物いじりに毎日夢中だ。
他愛も無い日常を描くやと思いきや。
やはり、ハックリベリー・フィンがこの物語に奥行きを出します。
トムの親友のハックルベリー・フィン。どうやらそうとうどうしようもない父親がいるようで、そして母親はいないようだ。
ハックは「少年ホームレス」とでも言う存在で、小さな街のあちこちで寝て起きて、学校も行かず、自由気ままに暮らしている。
一種、トムたち少年世界ではヒーローな存在だ。
このハックとトムが、「なんとかの呪いを実験する」みたいな他愛も無い用件で、深夜の墓地に忍び込む。
そこで、殺人を目撃してしまう。
殺されたのは町の医師。殺したのはインジャン・ジョーという町のならず者。
※これつまり、混血か純潔が判りませんが、インディアン=ネイティブアメリカン(アメリカ原住民)の人なんですね。
ところが悪賢いジョーは、その罪を、泥酔していた別の男のせいにしてしまう。
泥酔者は、自分が殺してしまった。と思いこむ。
そのすべてを、トムとハックは目撃してしまった。
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そう、この物語は、
アルフレッド・ヒッチコックの「裏窓」(1954)
ハリソン・フォード主演の「刑事ジョン・ブック~目撃者~」(1985)
ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」(1992)
スーザン・サランドン主演の「依頼人」(1994)
クリント・イーストウッド主演の「目撃」(1997)
などなど枚挙に暇がない、
「殺人事件を目撃しちゃった人が、さあそれからどうなるどうなる物語」。
その原初と言うべきか。
※僕は特に、「ジョン・ブック」大好きです。
「殺人の目撃」、「アーミッシュ(キリスト教中心主義の集団)」、「シングルマザーの恋」。と、いう三題噺に挑んだような映画なんですが、極上の出来栄え。
ハリソン・フォードとケリー・マクギリスがガレージで踊る場面とか。
映画至上最高のサム・クックではないかと思います。
ハリソン・フォードさんは間違いなくベスト映画でしょう。(まあ「SWシリーズ」は別格として...)
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トムとハックは、「どうしよう」と恐怖におびえて暮らします。
だけど、とうとう無実の泥酔者が裁判で死刑になりそうになる。
トムはとうとう、裁判で目撃を証言してしまう。
衆目の中で、脱走するインジャン・ジョー。
さあ、それからは「ジョーが復讐に来るかも」とおびえる日々…。
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そんなことがありながら、少年トムの中では
「ジョーの復讐の恐怖」と同じくらい大きく、
「ロビン・フッドごっこ」や「バッタをつかまえる」とか「角砂糖を盗む」などの問題も常駐しています。
そして実は最大の課題は「転校してきたベッキーちゃんが可愛いから婚約したいぜ問題」です。
ちなみに「婚約」というのは、一緒に歩いたり、たまにチューしたりすることらしい、という認識です。
ところが「ベッキー問題」は、トムがついうっかり、元カノの名前を出したことからこじれて、難航します。
でも最後には、ベッキーが教師の大事な本を破ってしまい、その罪をかぶることによって、なんとか交際の間柄になります。
(これはつまり、「弱みに付け込んだ」という構造だと思うのですけれど。
19世紀から既に「恋愛物語の転機の作り方」というのは難しかったのですね。21世紀の今でも、同じような苦労をしたドラマが毎週いっぱい放送されていますね)
そして、些細なことからトムはハックともう一人の友達と「家出して海賊になる計画」を実行。
ところが、初日の夜からもう、ホームシックにかかる有り様がなんともラブリー。
数日で帰宅します。
そしてハックと盛り上がったのが「宝を掘り当てよう作戦」。
とりあえず適当にそこらで穴を掘ったら宝が出てくるんぢゃないだろうかという物凄く杜撰な作戦ですが。
そしてその遊びの最中に、変装したインジャン・ジョーを更に目撃してしまいます。
(ここ、見つかるんぢゃないかというスリラーが秀逸です)
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そして最後は、ベッキーと訪れた洞穴探検で迷子になって死にかける。
その途中で洞窟内でジョーを目撃する。
同時並行で、ハックはジョーの犯罪を未然に防ぐ大活躍。
そして、ジョーは偶然から洞窟内で餓死してしまいます。
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終盤。なんといってもいちばん面白いのが大団円部分。
ハックは大活躍の結果、優しい未亡人さんの家に養子として迎えられます。
つまり、ホームレスから奇跡の市民階級復帰なんですが、
きちんとした服を着て、靴をはいて、学校に行って、黒人とも遊べず、こぼさずにご飯を食べる…という暮らしが、ハックは苦痛で苦痛でたまらず、脱走...。
(物語上はトムの説得で戻るような雰囲気でなんとなく終わります)
やはり、ハックの存在感そのものが強烈なタブーへの一撃であり、物語世界をロックンロールなワクワク感に持ち上げていることが良く判りました。
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そして、続いて「ハックルベリー・フィンの冒険」を手に取ろう、という目論み。
かなり、読書の快楽です。 -
Posted by ブクログ
続きましては〜
アメリカ文学の金字塔、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』ですよ!
飲んだくれの暴力親父から逃げ出したハックと逃亡の黒人奴隷ジムの二人が筏に乗ってミシシッピ川を下る物語
小さい頃読んでたはずなんだけどな〜
全く覚えてないや
そもそもハックの独白形式で書かれてたんやね
ちょっとびっくり
うん、そうやね〜
トゥエイン自身がどこまで意図してこの物語を書いたんだろうな?って思いました
そのへんは下巻の解説が楽しみ
普段はわい様に解説などいらんのじゃボケ〜とか強かっておりますが、今回は早くも解説プリーズ状態です
もちろん人種差別のこと、子どもは親の所有物なのかとか良い子ってどういうことや、家柄に固執す人々や、その他あれやこれやっていう社会問題を無垢な子どもの視点で、ちょっとユーモアも交えながら皮肉的に描いています
子どもたちよ!ここから無様な世界のあり様を感じとってほしい!そんなこと思いながら書いたのかな?それとも単なる愉快なホラ話として書いたのかな?
トゥエインおじさんよ!そこんとこどうなの?
そんなことを思った上巻でした