重弘忠晴のレビュー一覧

  • 日本の戦争の歴史 明治以降の日本と戦争

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    仮説実験授業の授業書
    「戦闘の経過」や「戦争の原因」にはふれず‹戦争の事実›だけを取り上げた本

    仮説実験授業とは、先生が一方的に教えるのではなく、生徒(読者)が問い(仮説)に対する答えを出し合い話し合いをしながら学んでいく。
    常識や思い込みを排して、事実を元に答えを類推する。

    この本ではないが、授業書シリーズのなかにあった「江戸時代、農民は米を食べていたか?」という問いは目から鱗だった。

    日本は明治以降、十年毎に戦争をした。
    日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、
    満洲事変から始まる中国との15年戦争、
    そして太平洋戦争。

    太平洋戦争以後、80年戦争をしていないということがどれ程大きなことか、再び戦争ができる国へ向かっているように思える今、考えなくてはいけない。

    戦場は不衛生な環境になりがちで、戦闘で死ぬ人よりも病気で死ぬ人の方が多かった。軍隊内で脚気が流行し、それが原因で死ぬ兵士がたくさんいた。
    (脚気の原因は不明だったが、経験的に麦飯や麦入り飯にすると改善することは分かっていた。しかし、欧州で学んだ軍のエリート医師たちが迷信として反対した)

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    2026年04月24日
  • 靖国神社 そこに祀られている人びと

    Posted by ブクログ

    靖國神社の基本中の基本が記されている。意外と知らないことが掲載。首相の参拝で揺れる日本だが、戦争責任がうやむやになったままでは、靖國神社の存在そのものも騒ぎ立てる割には、危ういのであろうと思う。
     また戦争責任を、個人の罪、集団としての責任、政府の責任、道徳的責務として、ドイツのヤスパースのように捉える必要もあるのだろう。そして論者が、どのような立場に立つのか、それが明らかにされる必要もあるのだろう、その上での憲法改正であってもらいたいものであるが、そんなこともお構い無しに国際関係は、深化と展開の渦中にある。米国と中国、ロシアの関係を軸に、イスラム諸国とイスラム教そのもの、また、キリスト教の分化、ユダヤ教の民族宗教の対立と抗争、その渦中に収斂していく・・・。
     そうした中にあって、靖國神社擁護は、靖國を全く無宗教な組織また団体として踏まえる「運動」へと転化しつつあり、公の道徳律として転化させようという勢力が台頭しているのが今日の右派の様だろうと推測される。
     確かに靖國あるいは護国神社には、経典宗教としての意義は無い。が、無宗教の組織あるいは、無信仰の団体と見ることは適当では無いと思う。護国で騒げば、騒ぐほど靖國が、英霊を「静かに」祀ることから遠ざかるように思える。靖國神社が、単に英霊を祭り、米国との戦いを日本を守るため戦い抜いたものたちを祀るとすれば、その趣旨を戦闘行為に殉じたもの達だけでなく、米国の空爆によって多くの日本人が殺戮された、そのものたちを祭る必要がある。しかもそこには、不戦の誓いが、尊厳を持って迎えられなければ、寛容性のある特異な宗教そしての意義は無いのである。
     右派の一部が主張するような宗教はない靖國神社なら、それこそ台湾人、韓国人、中国人を祭ることも、由としなければなら無いだろう。靖國の無宗教性あるいは、特異宗教性を説けば説くほど、そこには綻びが見えてくる。彼らの中に、不戦の誓いの下に、憲法の改正をし、軍備の準備と米国からの完全な独立、すなわち日米安全保障条約の齎す状態からの完全な脱却を目指す国家思想があるのだろうか?また、憲法を守るなどいう、空理空論を唱え完全に国家觀の欠落した左派?の連中が、「思考停止」に陥っていないなどといえるだろうか。憲法改正が、騒がしいが、その憲法構想に、共和制という国家構想を唱える「思想」があるだろうか。共和制もせんたくのひとつであり、この先たとえ「危険」ではあっても、その先を目指していくという国家目標無き改正は構想なき「思考」であり、既成事実の積み上げによって、だらだらと決着なき国になっていく危険さえ見いいだせる。

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    2009年10月04日