石光真人のレビュー一覧
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江戸から明治という、現代からすれば教科書の世界に生きた、しかも官軍側ではなく会津側の武士の子の記録。
涙なしに読めないと帯にあるが嘘はない。
通常薩長による明治維新から西南戦争までを英雄たちの話のように語るがそれは勝者の糊塗された歴史であり、その過程で敗者となり祖母、母、姉妹全て自刃しながらも、生き延びる姿が想像を超える苦難。
のちに義和団の乱の指揮をとり、陸軍大将にまで昇る柴五郎という人の内面がとても興味深い。
明治人の特性なのか、武士道の名残なのか、多くは語らず人の道を外れることはしない。
もちろん薩長への復讐たるはあるが、その恩讐を超えて生きる姿に感銘を受けた。 -
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明治維新前後からの、会津藩の辛苦を、被害者でありその場で遭遇・直面した柴五郎の経験から知る。
歴史は勝者のための、当時の今の政治体制のためのものだと改めて認識する。
藩の若輩の暴走によって起こった明治維新。旧藩主や重臣たちは、彼らを危惧し、漸進改革を考えていた。軽輩は、統治してきたものとは考え方が違うが、本人たちはそれに気付かず、自分たちが正義と思い込む。謙虚さや誠実さを感じない。
会津藩が藩として流刑のように下北半島に移封されてたことは初めて知ったことであり、その他にも薩長土肥藩の占有や立場の違いなど、直面した人の目と耳を通じて、初めて知ることばかり。
能力無き者が軍に多くなり、中国通 -
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幕末のことはほとんど知らないし、そこまで興味もない。なんのきっかけでこの本を知ったのかも忘れた。ただ、壮絶な環境を生き抜いた人の記録という点に興味を持った。
自分自身いろいろ辛いことがあるが、他の人に比べれば、自分はまだまだ甘いのだろうと思っていた。実際読んで、さぞ大変だったろうと想像する。そんな言葉さえぬるいかもしれないが。家族が自害する、飢えと寒さに耐え犬肉さえ食べる、武士の子でありながら様々な人に下僕同然に仕える。その屈辱感は、計り知れない。それでも懸命に生き抜く。いつかは春が来る、生きて薩長に一矢報いると言い聞かせて。
これだけの強さが自分にあるかどうか自信はない。振り返れば、自分 -
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ロシア革命後に陸軍嘱託としてブラゴヴェシチェンスクおよびアムール川を挟んだ対岸の黒河に特務機関を設置して情報収集に当たった時期について書いたもの(本文に特務機関という語はない)。
ボルシェビキの地域代表者や、反革命を謳う元の市長やコザック部隊、ドイツ=オーストリア(独墺)軍の捕虜から転じて赤軍に協力する部隊、独墺からの独立運動を行うチェコスロバキア兵、といった勢力が割拠するシベリアが描かれる。
長年にわたってブラゴヴェシチェンスクに在住していた日本人たちの自警団は陸軍から武器の援助を受けていたため、反革命勢力から自警の範囲を越えた協力を求められ、赤軍に包囲された戦闘で犠牲者を出す。
石光は -
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・東京に留まることを家族から望まれながら幾度も大陸へ「帰って」いく真清の姿を鏡として、自分は家族を幸せにできているのか自問せずにいられない。食べていくに困らない給料をもらい、平日は子供が寝る前に帰宅し、週末はどこか少し遠出をして好奇心を満たす、そんな平穏な日々を過ごせている幸せを自覚した。
・シベリア出兵の政策的欠陥についても考えさせられる。領土拡張を目的とする出兵であったなら戦線を広げすぎたし、戦力の逐次投入は避けるべきであった。連合国との国際協調及び革命思想の伝播阻止を目的とするなら、ロシア反革命勢力を一貫して支援し、連合国の不信を惹起する過剰戦力の投入は避けるべきだった。そもそも、英 -
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「名著、刷新!」ということで復刻されたものです。会津の柴五郎氏の遺書を第一部に、その後や解説を第二部にまとめています(第一部は文語体ですが、徐々に慣れて読みやすくなります)。
「西郷どん」に見られるようないわゆる薩長からの視点ではなく、反対側に立った会津の視点がよくわかります。かつては京都や幕府を守り、ロシアと事が起これば駆けつけながら、最後には朝敵・賊軍と呼ばれるようになった会津。そのため、塗炭の苦しみを味わった柴五郎氏(後に陸軍大将)の真情の吐露は、旧来の歴史観だけに固まってはいけないのだと思わせます。
西南戦争での政府軍の派遣にあたっては、「芋(薩摩)征伐仰せ出されたりと聞く、めでた -
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1971年の初版から改版も含めると60版になる、このようなロングセラーがあることを知らなかった。柴五郎は、会津藩士の子として生まれ、10歳の時に戊辰戦争が起こった。父や兄たちは戦場に向かった。そして祖母・母・姉妹(妹は7歳!)等は、会津の籠城戦前に自刃している。五郎は家系を残すため、それとは知らされず親戚に預けられていた。
戊辰戦争の終結後、会津藩のみ処罰的ともいえる現在の青森県への移封がなされる。実際は流刑ともいうべきもので、生活は辛酸を極めた。「野垂れ死に」を期待するかのように。しかし武士の意地で、薩長を見返すために生きた。犬の肉を無理やり飲み下すというくだりでは、望月三起也「ワイ -
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心に深くしみる名作。武士の誇り高さを感じるとともに、この精神性を失ってしまった日本を見て、果たして維新は本当に良い選択だったのかと、疑問に思う。
厳しさの中にも、深い愛情がある柴家。苦境の中でも家族や仲間を思いやる場面は、涙なくしては読めない。
歴史は常に勝者の側から書かれていることを思い知らされた。維新の歴史は、薩長の活躍ばかり描かれているため、会津藩は旧体制にしがみつく抵抗勢力だと誤解していた。
本作は、古い文体で書かれているが、文体に慣れていなくても、音読すると、読みやすい。
また、柴翁の幼少期の回顧録として書かれており、所々に、翁幼少期の可愛らしいエピソードが盛り込まれているため、 -
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ある明治人の記録と言うことだが無名な方ではなく会津藩出身の元陸軍大将、軍事参議官などを務めた方の物語である。ただしこの方の生き方や生き様、若い頃の苦労は涙なくしては語れないほどの刻苦精励さ、隠忍不抜、臥薪嘗胆といった内容が、その単語を使わずとも滲み出ている日記録である。若い頃のとてつもない苦労と誠実さが文面より溢れ出ている書籍であり、本来公にするものではない日記録であった。これは当時の柴五郎と言う方の直筆の記録であり江戸幕府から討幕、維新を迎える頃の会津藩出身の一武士の物語である。
最終的には日本にとって莫大な功績を残した人物と言えるのですがほぼ知られていないのが、悲しい所です。日本の歴史の中 -
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明治元年熊本に生まれ昭和17年に没した元陸軍軍人の残した手記。明治維新から敗戦までの期間の短さと明治人の気概が伝わってくる一冊は名著の予感。
全四巻中の一冊。あまり前知識なく読み始める。ロシア関係の諜報活動に従事した方らしい。
少年時代を故郷熊本で過ごし神風連の乱や西南戦争を体験、その後幼年学校から陸軍軍人となり日清戦争に従事、対露諜報活動の必要性を痛感しロシアに渡るまでが第一巻。
作家でない一般人の作品ではあるが文章に情緒が感じられる。個人の資質かはたまた漢文に精通した明治人ならではなのか。
日本の歴史の中で明治維新ほど日本人の生活もメンタリティも変えた事件はなかっただろう。激動の中 -
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日清戦争後にロシアに対する危機感を持った石光が対露諜報を志してシベリアに渡ってからの話。
義和団事件の余波からブラゴヴェシチェンスクでの清国人大虐殺(アムール川事件)を目撃し、満州への進出を本格化させたロシア軍を追うべく北満に侵入する。
あるときは馬賊の仲間になり、あるときはロシア軍の出入り業者になる。そして現地にいた日本人女性を助けたり、助けられたり。
すごい波乱万丈。あまりにも劇的なので実話なのか怪しく思わないでもない(本人の複数の手記で一貫していない部分もあるし)。本書の原型は戦中に公刊されているので、脚色が必要だったのかなと思ったりもする。
ともかく、ただただ圧倒される。
日露開戦で帰 -
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ネタバレ古い文体でだいぶ読みにくいが良書。下記に適宜、付箋を貼った個所を記そうと思う。
二部構成になっていたので、二部の感想をここで。柴翁に日記の原稿を見せてもらった本書の著者の記述。昭和の人らしく、先の大戦への自虐的反省が時代を感じた。付箋を貼るような箇所はなく、著者の思い出と歴史観の記述。
第一部は星五つ。感動もあった。第二部は星三つ。本書の-部分。
下記には付箋を貼った個所の要約:
26-27:柴五郎翁の晩年(先の大戦中の本書執筆のころ)には、すでに会津戦争の嘘がまかり通っていたらしく、心を痛めている。曰く、会津は武士階級のみの戦闘であったなどは事実とだいぶ違い、自由意志による農民町民 -
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本書は薩長藩閥政府が華やかに維新を飾り立てた歴史から、全く抹殺された暗黒の一節である。それは生き残った会津人柴五郎、上級武士の5男として生まれ、少年期から陸軍大将まで昇りつめた生涯の遺書となった。10歳の時、会津戦争で祖母、母、姉妹は会津城で自刃し、落城後に江戸に俘虜として収容され、その後2年間、氷点下20度を超える下北半島の火山灰地に移封、飢餓生活を余儀なくされ、脱走、下僕、流浪の果てに兄の伝で青森県庁で給仕、15歳から軍隊に、31歳で清国、42歳で北京駐在武官で総指揮官として活躍、陸軍大将、台湾軍司令官などを歴任、軍事参議官を最後に65歳で退役、87歳で没。新政府では薩長の「軽い者」が権力
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小学校高学年になって「日本史」を学び、その最後の方に「明治維新」や「尊皇攘夷」等を習う。そして、幕末の偉人達の話をあたかも物語のヒーローの話を聞くかのように学ぶ。あとは、NHKの大河ドラマが色合いを与え、そして「あなたの日本史の理解は正しいですよ」と太鼓判を押してくれる。これで、典型的な日本人が出来上がる。だが、本当にそうなのだろうか?
この本は、ある意味そんな典型的な日本人の曇った眼を覚まさせてくれる一冊である。
「明治維新」とは、兎に角よいイメージのワードであるが、実は立派なクーデターである。薩長土肥の田舎下級武士と農民上りの武士もどきが、それまで天下を収めていた江戸幕府を滅ぼしたクーデタ -
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いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢すでに八十路を越えたり。
柴五郎翁遺書冒頭の一文です
ハードSFの名作のあとにこれ、我ながら振り幅がエグいw
柴五郎とは
戊辰戦争で朝敵とされ新政府軍と戦い敗れた会津藩の生き残りであり、藩主松平容大と共に斗南藩(現在の青森県むつ市周辺)へと移住
寒冷地で極貧の生活を耐え抜き、陸軍大将にまで上り詰めた人物
清国駐留時の義和団の乱に於いて防衛戦の実質的な指揮をとり、その有能さと人柄から欧米各国からも尊敬された
そんな翁の戊辰戦争から士官学校までの半生を「遺書」という形で自ら綴ったものを編者が分かりやすく整えたのが本作