石光真人のレビュー一覧
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ノンフィクションならではの迫力。明治時代にロシアと満州で日本陸軍の諜報員として働いた石光真清氏の手記を息子が編集した4部作の第2巻。
日露戦争前の緊迫した時代である。クリーニング屋や写真屋などの仮面をかぶりながら、石光氏はロシアや満州の状況を探る任務を負った。
当時、満州やロシア東部にこんなにたくさんの日本人が暮らしていたというのが驚きである。通信手段も交通手段もほとんどない時代に、小さい町に住んでいたのだ。本書の描写を読むと、暮らし向きはとても劣悪で、過酷である。特に女性は苦しい環境にあったようだが、数か国語を話して陰でサポートしていた様子がうかがえる。
途中で病に倒れたり、捕虜になりかけた -
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この本を読みながら、次の二つのことを思い出した。1つは、国による暴力装置の独占。もう1つは、教育は社会移動の装置ということ。
国による暴力装置の独占は、近代国家のあり方の基本だか、明治維新の時代は、暴力階層が過剰だったのではないかということである。武士階級は、江戸時代には、朱子学によって、何とか抑えられていたが、そこから解放されてしまい、暴力過多の状態が生まれ、それが、この本で語られる会津撲滅、西南戦争にも繋がったのかもしれないということ(意図したかどうかは別にして)。
どん底に追いやられた柴五郎少年は、開設されたばかりの陸軍幼年学校に入り、そこから、立身出世を遂げる。まさに、恵まれない階 -
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日露戦争とその後の満州浪人時代について、これも率直に書いている。
開戦により召集されて臨んだ日露戦争については、戦記としては既知のことばかりだが、具体的な場面の記述については凄惨さ、苦戦ぶりを率直に書いている(公刊されたのは戦後、遺族によって)。
終戦後は除隊し、一般社会で生きていく道が探せずに満州浪人になった経緯をこれもあけすけに書いている。明治も末になって陸軍も規則づくめの組織になって、「何者だか不明な元軍人」が出入りするのは容易ではなくなったことで、満州浪人は文字どおりの浪人であった。
大した成果もなく帰国し、特定郵便局長の地位を得て生活し、明治天皇の崩御を迎えるまでが書かれている。
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ネタバレこの本は書評よりも実際に読んでほしい、そんな書です。書評として要約して描くには一貫して感情にあふれ、濃密です。
本書は2部で構成されており、第1部が柴五郎の遺書、第2部は本書の編者である石光氏による柴五郎と彼の生きた時代の概観となります。
第1部が本書の中心を成しますが、第2部も編者の目を通して柴五郎の人となりに触れられるのでとても興味深いです。
例えば柴五郎が編者に日記の整理をお願いするくだり
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翁(柴五郎のこと)はこれを私に貸与するにあたって、きわめて謙虚慇懃に添削、訂正を求められ、私は恐縮当惑するばかりであった。
「私は少年時代に戊辰戦争のため勉強する機会があり -
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この本の本編部分は著者の息子さんが遺稿を整理して世に出したものだが、巻末に「思い出の記」として著者オリジナルの原稿からの抜粋が収められている。これが興味深いもので、本編の内容がかなり脚色されていることが窺われる。そこから推測すると、おそらく西南戦争での薩軍との交流の記述あたりなども、編者がたいした悪気もなく「盛っている」のではなかろうか。
それはそれとして面白いし、明治という時代の息遣いを感じることができる。ほんとうに人が若くして病気で亡くなる。
ところで西南戦争のくだりで谷干城が「美髯の老人」として描写されるが、谷は当時40歳くらいである。当時は40歳だと立派に老人だったのだろうか、それ -
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明治時代に中堅武士の過程に生まれた石光真清の手記を息子の真人がまとめたもの。武士といっても、時代はすでに明治時代。真清の青年時代に西南戦争があり、彼の人生に大きな影響を与えたようだ。
歴史小説はたくさん読んできたが、この本がすごいのは、実際に明治・大正・昭和(1巻は明治のみ)の世の中を体験してきた本人が書いているところだ。つまり、リアルなのである。
昔は本当に優秀な人が多くいたのだな、と感じる。兄弟たちも立派だが、皆九州から上京して商社に勤めたり陸軍の学校に入ったりしている。
本書では、著者が日ロ戦争を前にロシア語にのめり込むようになったいきさつが書かれている。