なぎら健壱のレビュー一覧
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なぎら健壱が西岡たかしを「師」と仰いでいたのは知らなかった。追っかけをし、恰好をまね(髭を伸ばし、丸縁のサングラスをかけ)、話術をまねたのだという。そうか、飄々とした「芸風」は西岡ゆずりだったのか。
時代は1967年から72年。西岡たかし率いる五つの赤い風船とその周辺のフォークソング事情が、資料と西岡へのインタビューから再構成される。とくに、高校生のなぎらが初めて風船のコンサートに行って「目から鱗」になるあたりがおもしろい。
時代は学生運動全盛の頃と重なる。しかし、そうしたことはほとんど出てこない。出てくるとすれば、69年の山野楽器での風船のコンサートが学生のデモの余波で中止になった話(なぎら -
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「五つの赤い風船」という名前は知っているというか、僕ら世代では学校の合唱で歌ったので「遠い世界に」という曲を知っているという感じです。
そのリーダーの西岡たかしさんの目線からのフォーク黎明期の記録です。と言ってもその目線というのはなぎら健壱さんのペンによるものですが。
なぎらさんは日本フォークの語り部として貴重な人物で、僕ら後追いですらない世代にとっては、彼の書く文章でその時代の空気がほんの少し感じられます。
「五つの赤い風船」を軸にしていますが、そもそも楽器を手に入れる事すら覚束ない時代に、フォークの火が灯って次第に広がって、あっという間に下火になっていくところまで(メジャー、歌謡曲に取り込 -
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フォークソングという言葉を初めて聞いたのは、中学生の頃であった。私にとって、当時のフォークソングと言えば、吉田拓郎であった。吉田拓郎の前のフォークシンガーは名前は知っていたが、あまり曲を聴いたこともなく、吉田拓郎というのは、フォークソングを歌い始めた人くらいに思っていたが、この本を読んで、それは間違いであることを知った。日本のフォークソングには比較的長い歴史があり、また、関西、特に大阪・京都で活躍したフォークシンガーたちが、その普及に大きな役割を果たしたことを初めて知った。
本書に登場する、西岡たかし、五つの赤い風船、高田渡等は、名前は聞いたことがあるが、ほとんどなじみがない。なぎら健壱の書い -
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なぎら健壱の酒にまつわるエッセイである。なぎらのウンチクも楽しいし、起承転結が出来過ぎた、綺麗なオチがついた、早い話がだいぶ脚色してんじゃねぇのか、って思えちゃう酒の失敗談が楽しすぎる。クスクス笑いながら、どんどんページをめくってしまう。話が嘘かホントかなんかどうでもよくなってくる。
で、なぎら健壱の江戸っ子な語り口が心地よい。
「まだ陽がある内から、ちょいと様子のいい蕎麦屋の暖簾をくぐる。間髪入れず「冷やと天抜きをもらおうか」と店員に声をかける。天抜きが出て来るまでのつなぎに板わさか、あるいは焼き海苔なんぞで一杯飲(や)って待っている。その様子はなんともオツなものである。またそんな時の形( -
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朝から小そうじ。きょうで5日目。
大そうじでいっぺんにきれいにはできないから、
小分けにして週末、正月休みに少しずつ片付ける。
始めるまではおっくうだが、
ガラス磨きにせよ、部屋の整理にせよ、
目に見えて成果が出るのがうれしい。
日頃の仕事では、
そう簡単に目に見える収穫は得られないものだ。
日が暮れると、「ミニかんすけ」の出番が増えた。
錫のチロリで湯煎してやると、
燗酒が二割方うまくなった気がする。
居酒屋風にマカロニサラダ(自家製)、
丸干し、まぐろぶつで飲む。
こうしたひとときの供には肩のこらぬ本がよい。
なぎら健壱『酒(しゅ)にまじわれば』を読む。
飲兵衛の話を書かせたら、なぎら