あらすじ
1960年代、商業主義的だったフォーク・ソングに強烈なNOを突きつけ、社会の理不尽に抗う歌を発表した「関西フォーク」。シーンを牽引した「五つの赤い風船」のリーダー・西岡たかしへのインタビューをもとに、関西フォークの歴史をたどる。高田渡、ザ・フォーク・クルセダーズ、吉田拓郎などとの接点を視野にいれ、大阪・京都で“1968年”に奇跡的な輝きを放ったアングラ・フォークの魅力を語る。
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なぎら健壱が西岡たかしを「師」と仰いでいたのは知らなかった。追っかけをし、恰好をまね(髭を伸ばし、丸縁のサングラスをかけ)、話術をまねたのだという。そうか、飄々とした「芸風」は西岡ゆずりだったのか。
時代は1967年から72年。西岡たかし率いる五つの赤い風船とその周辺のフォークソング事情が、資料と西岡へのインタビューから再構成される。とくに、高校生のなぎらが初めて風船のコンサートに行って「目から鱗」になるあたりがおもしろい。
時代は学生運動全盛の頃と重なる。しかし、そうしたことはほとんど出てこない。出てくるとすれば、69年の山野楽器での風船のコンサートが学生のデモの余波で中止になった話(なぎらはその開演を待っていた)や、71年の中津川のフォークジャンボリーが荒れまくった話(なぎらはその事件を目撃していた)ぐらいか。ただし、このジャンボリーに西岡は出演していない。
1972年8月、日比谷の野音での五つの赤い風船の解散コンサート。実は私も聞きに行ったひとりだった。午後の暑気のなか、風船の会場到着が遅れ、前座のステージが延々数時間続いた。そのなかで下駄をはいて登場したなぎらは印象的だった。なぎらはタイトルだけプロテストソングの「悲惨な戦い」を歌った。飄々としていて、とても20歳そこそこの若者には見えなかった。
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おそらく今までに一番多く歌った歌。「遠い世界に」。五つの赤い風船の歌。その風船の成り立ちから最後までを記している。でもたった5年しかない。もっと長いように思えるのだが。
「辛辣なプロテストと美しいメロディ」。なぎらが記すようにまさにその二つが風船の特徴だろう。もっと長くやっていたらどうなっていたのか
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「五つの赤い風船」という名前は知っているというか、僕ら世代では学校の合唱で歌ったので「遠い世界に」という曲を知っているという感じです。
そのリーダーの西岡たかしさんの目線からのフォーク黎明期の記録です。と言ってもその目線というのはなぎら健壱さんのペンによるものですが。
なぎらさんは日本フォークの語り部として貴重な人物で、僕ら後追いですらない世代にとっては、彼の書く文章でその時代の空気がほんの少し感じられます。
「五つの赤い風船」を軸にしていますが、そもそも楽器を手に入れる事すら覚束ない時代に、フォークの火が灯って次第に広がって、あっという間に下火になっていくところまで(メジャー、歌謡曲に取り込まれるまで)とても分かりやすく書かれていました。
当然フォークの基本的な登場人物を知っていた方が楽しめるけれど、これ読むようなお方は大体フォーク世代なんでしょうね。僕の時代の方が音楽的には恵まれているとは思いますが、60年代の空気感というのは体験してみたかったです。
Posted by ブクログ
フォークソングという言葉を初めて聞いたのは、中学生の頃であった。私にとって、当時のフォークソングと言えば、吉田拓郎であった。吉田拓郎の前のフォークシンガーは名前は知っていたが、あまり曲を聴いたこともなく、吉田拓郎というのは、フォークソングを歌い始めた人くらいに思っていたが、この本を読んで、それは間違いであることを知った。日本のフォークソングには比較的長い歴史があり、また、関西、特に大阪・京都で活躍したフォークシンガーたちが、その普及に大きな役割を果たしたことを初めて知った。
本書に登場する、西岡たかし、五つの赤い風船、高田渡等は、名前は聞いたことがあるが、ほとんどなじみがない。なぎら健壱の書いた本書は、日本のフォークソングの歴史を知るには良い本だと思うが、あまりにトリビア過ぎるし、まぁ、そもそも日本のフォークソングの歴史を知っても仕方がない部分もあり、読み飛ばしながらざっと話を拾った。よほど、当時のトリビアに興味のある人であれば楽しめるだろう、というのが感想だ。