加藤節のレビュー一覧
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ナショナリズムの近代主義者三人のうちの一人、ゲルナーの本です。ゲルナーは、社会が前近代から近代に移行し、そこにおいて流動的な人々をまとめるために学校教育と識字率の向上を国家が主導的に行った事から民族(nation)が生じるとといています。
すなわち、ゲルナーはナショナリズムは、近代になって生じたものであるとみなしており、こうした見解を採用している研究者を近代主義者(modernist)といいます。
彼の本の展開は非常に説得的で、否定するのはなかなか難しいと思います。
訳も非常に読みやすいので、ぐんぐん引き込まれますし、気づいたら一日で読めてしまった、というぐらいです。
お勧めですよ。 -
Posted by ブクログ
「民族」「国家」そして「ナショナリズム」がいつの時代からどういった由来で出現したのかを、社会システムの観点から説明されている。
ナショナリズムとは、社会の構成員全体が、読み書き/四則演算を基礎とする高文化に参加し、文化文化レベルで同一化されている状態。その状態において、政治的/文化的境界が一致する範囲が国家であり、その領域内で生活する人々が民族である。
農耕社会(=封建制≠国家モデル)においては、「政治権力の集権化」と「文化/認知の集権化」の作用が独立的であるため、「支配/知識層」と「被支配農奴」はそれぞれの層において、再生産を繰り返す力学が働き、高文化の普遍化が進まない。(文化/階層の流動 -
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Posted by ブクログ
民族とナショナリズム
(和書)2011年02月13日 22:44
2000 岩波書店 アーネスト ゲルナー, Ernest Gellner, 加藤 節
佐藤優さんの選書であったので読んでみました。
僕にとっは難解な部分もあり分かり易いと思えた部分を引用させて貰います。
『・・・もしカントとナショナリズムとの間に何らかの関係があるとすれば、それは、ナショナリズムが彼に対する反動であって、彼から派生したものではないという関係なのである。・・・』
カントと柄谷さん、そして佐藤優さんの選書であるアーネスト・ゲルナー。ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」も良かった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する政治的原理である。(P1)」と定義し、ナショナリズムは極めて特殊な愛国主義の一形態であり、その特性は(1)同質性、(2)読み書き能力、(3)匿名性である、と説く。
ナショナリズムは国家のない社会には発生せず、また民族はナショナリズムから生み出される、という展開やナショナリズムは恣意的な選択によって文化を根本的に変造してしまうし、文化的多様性を説きながら同質性を強要するという説明に納得した。
「ナショナリズム」と「文化を愛し国を大事にする」ということを同一視しないようにすることは今の時代に重要だと思 -
Posted by ブクログ
アンダーソン、スミス と並び、ナショナリズム三大古典と言われる、ゲルナーの「民族とナショナリズム」
自分が専門でもなく、読み飛ばしたのもあるが用語が自分にとって難解な面があり、全てを理解したとは言い難い。でも、定義や結論(要約)があるので、比較的わかりやすい。佐藤優氏によると否定神学をもちいているのだとか?
私の理解では、時代が、農耕社会から産業社会に移るときに分業が必然となり、そのために必要とされることがある。それは、文化が国家を必要とするように、民族が高次元のコミュニケーションをすることが必然となるからである。そのためには、教育等の手段を共有財産としなければならない。
すなわち、ナシ -
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Posted by ブクログ
ナショナリズムに関する古典的著作の一つ。ナショナリズムについて、政治的な単位と民族的な単位が一致していなければならないとする政治原理と簡単に定義付け、ナショナリズムの第3世界におけるその野蛮性や暴力性、排他性が指摘される中で、むしろナショナリズムとは高度な文化、読み書き等の教育の普及と言語的統一、官僚制度や国家的枠組みの発展、そして共同体内部の同質性を持ってして初めて可能になる近代的な愛国主義であると述べる。
ゲルナーの議論は、文化本質主義者や民族等を所与のものと見なす論者への批判としては部分的に有用であるが、現代においてはその欠点をあげれば枚挙にいとまがない。第1に、ネーションと民族、あ