山田純大のレビュー一覧
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ネタバレ小辻節三の波乱万丈の人生をここまで調べつくしてまとめられた作者の熱い思いが伝わり息つくまもなく読み通した
ヘブライ文化・ユダヤ教の学者であった小辻は 日本での理解者は少なかった というより関心を持つ人はほとんどいなかった 太平洋戦争の開戦直前 6000人ものユダヤの難民をドイツナチスの追っ手から救い 安全な国に送り出すために 船の手配 そのためのビザの延長 などなど すでに日本で反ユダヤの活動をひそかに始めているナチス憲兵に悟られぬよう成し遂げた 今なら大変なニュースになるところだが当然おおやけにはできない
晩年は より共感してくれる人の多いアメリカで活動していた 後年 自叙伝をまとめ -
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[命の査証、その繋ぎ手]リトアニアのカウナスにおいてユダヤ人難民たちに査証を発給し、その命を救った杉原千畝のエピソードに心惹かれた著者は、「では日本において彼等を迎えたのは誰だったのか」という疑問を抱く。残された情報が乏しい中、彼は小辻節三というユダヤ教学者に行き当たるのであるが、さらに調査を進めていくと、実は小辻は難民の生死をも左右する決定的な役割を果たしていたことが明らかになり......。歴史に埋もれていた日本史と世界史の隣接点を明らかにした作品です。著者は、俳優として活躍し、『水戸黄門』や『男たちの大和』などに出演されている山田純大。
小辻節三氏については本書を読むまで、恥ずかしな -
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6,000人の「命のビザ」を手にして日本に逃げ延びてきたユダヤ人たちを助けてあげた人がいることを知りました。
小辻節三さんというヘブライ語学者です。
彼は1899年に京都の神主の家で生まれ、クリスチャンになって牧師になります。旭川の教会で牧師をしている時、結婚した奥さんが着物を売って作ったお金でアメリカに留学、ニューヨークの神学校を卒業した後車で大陸を横断してカリフォルニアへ行きヘブライ語を勉強します。
帰国後は満州鉄道の仕事で、退職後豊かな暮らしをしていたにもかかわらず、ユダヤ人を助けるために警察を買収したり、投稿警察に拷問を受けたりしながら命がけで奔走、無事にアメリカとの開戦までに神戸に滞 -
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日本のシンドラー・杉原千畝が発行したビザでナチスから日本へ逃げてきたユダヤ人たち。ビザで許された日本の滞在期間はわずか10日で、その間に行き先の国の手配ができなければ強制送還となってしまう。そこで彼らに手を差し伸べたのが、ヘブライ語学者・小辻節三だった‥
著者は小辻節三の生き様に惹かれて、彼の家族や知人にインタビューし、イスラエルにまで取材に行ってこの本を書き上げた。俳優である著者がこのような本を書いていたのも驚いたが、身の危険も顧みず真摯にユダヤ人と向き合った小辻節三という人物に感銘を受け、ちょっと泣けた。
著者が言うように、彼の功績はもっと知られるべきだと思う。 -
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杉原千畝によりヨーロッパから日本に逃げてきたユダヤ人を、日本出国まで面倒を見たのが一介の市民であった主人公の小辻節三である。官憲にいじめられながら、ビザ延長など親身に世話をした。小辻氏がいなければ、杉原ストーリーも成立しなかっただけに重要な人物である。信念に基づき行動する真の勇者であるこの人を探し出し、この本で作家としてデビューした著者は、実は俳優である。自らの関心、疑問をもとに調査した著者も立派である。もう少し行動が遅かったら、僅かに残っていた主人公を直に知る人々に出会えなかっただろう。それらを思えば、本章構成とか感情のこもった文章などが気になったという印象は些細なことだ。本書の関係者と一緒
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俳優の山田純大によってまとめられている小辻節三は、有名な杉原千畝が許可した日本へのユダヤ人渡航を受け、日本側で受け入れるために奔走した人物。
何故受け入れに奔走が必要なのか?
当時日本はドイツと同盟してアメリカと戦っていた。ユダヤ人はアメリカで大きな影響力を持っていた。だから、特高もドイツもスパイ容疑やユダヤ国民全体の陰謀を疑って、日本でもユダヤ人を虐殺しようとしていたのだ。
後から小辻の生きざまを追ったので、そのあたりの事情は淡々と描かれている。しかし、杉原、小辻といった人たちが居なければ、日本はホロコーストに加担していたかも知れなかったのだ。
今ではそんな事情は忘れられてしまったけれど。