勝部真長のレビュー一覧
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目から鱗
日本が滅びつつある昨今、腐敗の極みの肥満格闘技が国技とか道とか自称して憚らぬのを残念に思い、日本に於ける道とは如何なるものであったかを追いかけてみると、陳腐ではあるが武士道に行き着く。では武士道とは何かというと、もはや完膚なきまでに失われていて学ぶ術はない。だが最後のサムライが資本主義に移行する時代に我々に遺したメッセージがあった。もう遅きに失したかもしれないが、滅びの旅路のよすがとしておすすめします。
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ネタバレ自分の勝海舟に関する知識は「咸臨丸でサンフランシスコに行った」,「西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城に合意」ぐらいしかなく,維新後の表舞台での活躍もないため,印象が薄かったのだが,すごい人だ,この人は.僕は自分の不明を恥じているところである.貧乏旗本に生まれたが幕府に登用され,何度も幕府を頸になりながらも,幕府が難局に陥れば何度でも呼び出され,上の西郷との会談では幕府の全権として新政府に対する.日本を内線の混乱から救い,維新後に旗本らが路頭に迷わなかったのは勝個人の功績であるが,維新では幕府側は敗者なので,こういった事実は表には出てきにくい.何せこの人が何かに勝ったわけではないから.勝はある段
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時事放談的なw
晩年の勝海舟=勝安芳伯爵による幕末明治維新の回顧や人物評。現代語訳されていて読みやすいです。
当時の政治、外交、社会を論じているのが、やはりさすが幕府の幕引きを取り仕切った人の言葉だけあってリアリティがあるのですが、雰囲気というかノリがほとんど時事放談というかジジイの自慢話的なところもあって、読み物として面白いです。
巻末の「勝海舟伝」もコンパクトにまとまっていてわかり易くグッドです。 -
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勝海舟の回顧談。
語りの内容はどれも生き生きとしており、参考になる。
やはり時代の転換点に生きた歴史証人の語りは面白い。
以下、面白かった点
・理屈と実際は別物である事(航海術を学んでいる際に危険な目に合った経験より)
・交渉は相手の人物を見て対応する事が重要である事。
・人生の上がり下がりは10年ある。それを我慢できるか否かが大事。
・横井小楠は状況に応じて物事を進めるのが上手かった。また、柔軟に物事を考えて、自分の意見に拘泥する事は無かった。
・島津斉彬から教えられた事
‐人を用いるのに際して急いではいけない事
‐一つの事業は10年経たねばとりとめもつかない事
・混乱した -
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山岡鉄舟晩年の口述を筆記した「山岡先生武士道講話記録」がもとになったとされる「武士道」それを再編し発行されたものに、さらに著者が解説をつける。
幕末の志士と言われる連中は剣の道で人間修行の第一歩をふみだす。鉄舟もその一人。剣で大悟を得る。数え年53歳で坐禅のまま大往生。
鉄舟の講話では、武士道の発覚所として「四恩」などを説明。(四恩とは、父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩)
そして勝海舟が山岡鉄舟を評論する。無血開城前の西郷隆盛とのやりとりは活き活きとしていて眼に浮かぶよう。
●人のこの世に処するには必ず大道を履行しなければならない。ゆえにその道の淵源を理解しなければならない。無我の境に -
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★★★★★★
基本、人にお勧めしたい本をレビューしているので、私のはどれもが★4つか5つなんだけど、これは5つどころじゃなく、10個でもつけたい気分。
勝海舟のエッセイ集(実際は周りにいた弟子筋の聞き書き)だが、日本人みんなが読めばいいのにと思う。少なくとも、政治家は全員読むように!
勝さんは話が面白い。口調が江戸のご隠居さんで、分かりやすくてけっこう過激。「理屈より体験」が基本なんだけど、「学者は実務にうとし」とか「知恵には尽きるときがある」とか「仕事をあせるな」とか、面白いですよ。
政治や外交を「正心誠意」とか、財政を「景気と不景気と人気」とか、なんかもう、これをマニフェストにして新党 -
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世の中は時々刻々と変化している。機が来たかと思えば、機は去っている。髪の毛1本を入れる隙間もない。常に変化する世の中で、すべてのことをつまらない理屈(小理屈)によって対応しようとしても上手くいかない。世間は生きている(動いている)。理屈は死んでいる(止まっている)。勝海舟『ひかわせいわ』1897
学者になる学問は容易だが、無学になる学問は難しい。『海舟全書』
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気節のみ高くて、現在に功能のない行為で一身を終るのは、感心が出来ない。成程潔よいといふ褒辞は下るであらうけれども、世の中に対して少しも利益がない。渋沢栄一『雨夜譚あまよがたり』1887
真似はその形で -
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明治維新時の幕臣、勝海舟の晩年の語録。
明治30~31年頃(勝海舟73~74歳頃)に赤坂氷川神社傍の勝邸において、弟子たちが聞いた回顧談をまとめたものと思われる。
「・・・人間に必要なのは平生の工夫で、精神の修養ということが何より大切だ。いわゆる心を明鏡止水のごとく磨き澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うてきても、それに処する方法は、自然と胸に浮かんでくる。・・・それゆえに人は、平生の修行さえ積んでおけば、事に臨んでけっして不覚を取るものではない」
「人には余裕というものがなくては、とても大事はできないよ。昔からともかくも一方の大将とか、一番槍の功名者とかいうものは、たとえどんなふう -
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当時のことを、当事者の言葉で読めるという時点で面白いのですが、
それもあの勝先生の言葉ですからひとしおです。
胆力だとかよく言いますけど、こういう人物は最近見かけませんね。
「大事に当たって国家の安危と、万民の休戚とを一身に引き受け、そして段々呼として、事を処理するような大人物は、今の世に何人あるか。」
と勝先生も嘆いておられましたが、現代ではこれが皆無な訳です。
僕は高校で世界史を選択してたので、けっこう知らない人名が出て来て、
その分面白さ半減だったんでしょうね。
日本人なのに、授業で選択してないからわからん…
なんて状況でいいんですか? -
Posted by ブクログ
ネタバレ勝海舟についての本。
坂本龍馬、西郷隆盛などの明治を切り開く時代が好きなら、勝海舟という人物も知っている人は多いだろう。
坂本龍馬と西郷隆盛を繋げた人物とも言われている海舟だが、その考えは「近代国家」をヨーロッパで実際に観た男のスケールの大きく、軸がしっかりした考えがあった。
この本を読み終えて感心したことの一つは、海舟は本当に知人が多かったということである。自分の人脈を上手く活用し、外国との交渉も他の人よりも信頼を得てやってのけた。
また、江戸城無血開城の裏には、様々な計画が考えられており、江戸の
街に火をつけた時に、如何に人民を逃がすかという案も準備していたことには驚いた。
勝海 -
Posted by ブクログ
ネタバレ維新後30年、赤坂氷川町の勝邸にて晩年の勝翁が語った談話録。
勝海舟といえば小学生の頃に伝記を読んだり、司馬遼太郎の龍馬伝などでまぁ、知識はあったと思っていたけれど。その器の大きさ、先を読む慧眼ぶり、そして死をも恐れない剛胆さ。あらためて天下の大事を成した人物というものの凄さを知りました。また人物評にも長じていて、明治人が小粒になってきたのを嘆きながらも、「だいたい人物というのはそうそう出るものではないよ。100年にいっぺんくらいなものさ」と飄然していたり。なんというか、爽やかなんですね。何事にも頓着しない。良寛さんの「死ぬる時節には死ぬがよく候」といった風情でしょうか。
外交の考え方な