林英一のレビュー一覧
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1945年のシンガポールにて、記録映画「デリーへの道」の撮影に来ていた報道部の小津安二郎が、戦局に話が及ぶと「"デリーよりの道"になってしまいましたね」と肩を落としたというエピソードが紹介してある。その懸念通り、戦局悪化で撮影は中止され、やることのなくなった小津は日本軍がイギリス軍から接収したアメリカ映画の鑑賞にふけっていたという。「デリーよりの道」のエピソードは、日本興業銀行から南方派遣を命じられた園部達郎の日記をまとめた『レンパンに生きて』(1979)より、アメリカ映画を観ていた話は西原大輔『日本人のシンガポール体験―幕末明治から日本占領下・戦後まで』(2017)より
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林禮二さんの手記が秀逸なので紹介する。
参謀とは、人柄を知らない時には、全く素晴らしく偉い人に思はれるのだが、近附けば近附くだけ嫌になるやうな人柄の人が多い。軍が国民と全く遊離してゐるといふ時の軍人の典型は参謀である。全くの利己主義、独善主義、そして傲慢、而も立身に対する極端なる希求。早く、こんな型の軍人の消去るべき日の来らんことを」(一九四五年七月六日)、「軍人の視界は前方にだけ向いてゐる。その癖何でも知っていると自信満々。危いことはこの上もない」
92ページの将校の人物描写もおもしろい。
今も昔もこういう人困った上官いるよねという秀逸な描写。
水木先生の「総員玉砕せよ!」で登場する人物が -
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残留日本兵というとまず思い出す,グアムの横井さんやルバング島の小野田さん。しかし彼らは一万人いた残留日本兵の中ではきわめて特殊な例で,決して残留日本兵を代表するものではない。
本書は,アジア各地で,現地人とつながり,現地に溶け込んでいった,一般の残留日本兵の歴史をまとめたもの。一万人のうち個人史の判明している百人の記録をもとに,階級や地域による類型化を試みている。残留の動機には様々なものがあり,残留後の行動・運命も様々だ。
例えば将校クラスでは,敗戦処理に奔走するうち,現地側に能力を買われ,それが本人のアジア解放という信念にもマッチして残留ということになった者が多い。憲兵では,戦犯として -
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戦争責任は当時の日本全体、それを代表していた軍部や政府、そして支持した国民全体にあると感じる。当時に生きた日本人にとって、言葉も理解できず意思も表明できないような赤子でもない限り、個人的には全体にあったと考える。勿論軍部や政府に反抗し、対抗する勇気ある国民も居ただろう。それはごく一部の人たちであり、開戦前、開戦後も一貫して態度を貫き通せた人でもなければ責任の一端はあると感じる。
中でも、戦後に戦犯として罪名を背負った人々については、開戦への責任、戦時中の暴力や民間人・捕虜に対する殺害などは明らかな犯罪=犯罪者と言える。また、広田弘毅の様な文官についても外交官としての失敗や内閣を統率できなかった -
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ネタバレ満州事変から太平洋戦争にかけての戦争責任を問われた戦犯たちの子孫や、戦犯そのものの人生などをまとめた一冊。
たくさんの書物と本人らへのインタビューを元に描かれていることからすごくしっかりとした学術書のような印象。
その点、無知なわたしにはなかなか難しく読むのに悪戦苦闘…。
それにしてもA級戦犯の中でも東條英機のお孫さんの話はかなり苦しい。学校の担任から担任を持つことを拒否されるなんて、どんな気持ちだったんだろうか。
土肥原賢二や広田弘毅もA級戦犯だということくらいしか知らずで。広田弘毅だけ文官でありながら靖国神社に祀られてるのも知らなかったくらい。
戦犯問題に関していろんな意見があるのは重