渡邊十絲子のレビュー一覧
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人間が万能であったら、芸術はうまれないと思う。ひとは完璧をめざして達成できず、理想の道筋を思いえがいてそれを踏みはずす。その失敗のありさまや踏みはずし方が、すなわち芸術ということなのではないだろうか。
渡邊十絲子(わたなべ としこ)
1964年東京生まれ。早稲田大学文学部文芸科在学中、鈴木志郎康ゼミで詩を書きはじめる。卒業制作の詩集で小野梓記念芸術賞受賞。詩集『Fの残響』『千年の祈り』(以上、河出書房新社)、『真夏、まぼろしの日没』(書肆山田)。書評集『新書七十五番勝負』(本の雑誌社)。エッセイ集『兼業詩人ワタナベの腹黒志願』(ポプラ社)。ことばによる自己表現の入門書『ことばを深呼 -
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読みはじめる前、とても不安だった。
詩というものがわからない自分がここに書かれてあるものをちゃんと理解できるのか。
国語が嫌いだった自分に、ここから意味が見出せるのか。
最初の数十ページで、そんな不安に寄り添ってもらったような感覚になった。
自分の世界を広げる意味で普段手にとらないような本をたまに手にとって読んでみる。今回は大成功だった。自分の中にある詩の概念がまるっきり変わった。そもそも定義や概念自体曖昧なものだったことに気付かされた。単なる詩の解説本でも、紹介のたぐいでもない。深く思考して言葉を味わうスキルがなくても、ある程度のところまで連れていってくれる。詩はこんなにも自由で壮大だったの -
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何度か読み直しているのだが、とても素晴らしい名著。
以前読んだときはちょうど詩に興味を持ち始めた頃だったのだが、ある程度読んだ今読んでもやはりこの本は良いなあ、と思う。
詩に触れるときにその余白の広さや飛躍から、わけのわからないところに連れて行かれたような気持ちになって戸惑うことがある。その戸惑いを楽しめるか、わからないものとして拒絶するのか。その戸惑いや疑問もわからないものとして受け入れることが出来れば、詩をもっと楽しむことが出来る、自分が何に疑問を持つのか、それすらも発見になるというようなことが本著に書かれている。
自分は映画が好きで人の数倍も映画を観ているのだが、同じことを映画を観ていて -
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以前、Twitterでとある詩が話題になったことから影響を受け、何か詩に関する本を読んでみたいと思い手にとった。学校の授業ぐらいでしか詩に触れてこなかったがが、そんな詩に馴染みのない私でも読みやすい文章だった。
この前読んだ本にも出てきたキースのネガティヴ・ケイパビリティという言葉が出てきて少し嬉しかった。わからない部分はわからないままに素直に受け入れて、全てがわかるはずがないと謙虚にわからないことを楽しむ視点を大切にしたいと思った。
詩の読み方ではなく、自分なりの楽しみ方が書かれておりこのタイミングで読めてよかったと思う。これからは詩を楽しんでみたいと思った。
また、人間は変わりゆくものとい -
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渡邊十絲子. 2013. 今を生きるための現代詩. 講談社 / 講談社現代新書(2209).
www.kodansha.co.jp/book/product...
読んだ。
- 第3章の安東次男論を通じて、文字をひらいたり、あるいは漢字やカタカナにしたりといった技法が、日本語の「音声が〔書評者注:意味を特定するにあたって〕無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ちえない、という点」での特殊さ(※)と関連している、という指摘がなされており、この点は面白かった。スガシカオが歌詞を担当した「夜空ノムコウ」がなぜ「夜空の向こう」ではいけなかったか、みたいな話ができそうだ。
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荒木博之さんのブックカフェだったか、超相対性理論だったか、まあどちらかを聴いて興味を持った。
文章を読むのが人より少しだけ好きなことは自覚しているが、正直に言うと詩について興味関心を持ったことがこのかた一度もなかった。
短歌や俳句には、ちょっの面白そうだな、と思うぐらいの興味が湧いたこともあったが、散文…ましてや現代詩はどうも読む気にすらなったことがない。
Podcastでこの本が紹介された時に、その本自体への評判よりも、それが何故なのかなー…ということ、つまり自分自身に対しての長年の問いが先行して、読んでみようと思った。
そしてその問いの答えは、早々と第1章で明かされる。
谷川俊太郎さ -
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現代美術について考えていて
ちょっと外から客観的にみたくなり
詩についての本を読みました。
結論から言うと想像していたよりずっと面白く、
私の求めていることが多くあったように思います。
ぼんやりを、筆者の視点で言語化していて
とてもしっかり伝わってきます。
紹介されている詩を読んだときに、
頭の中に出てくる「?」やイメージは
アートを見ている時ととても、限りなく、近い。
自分の知らないけど知っているような
忘れているだけなような、ぼんやりとした記憶のような、、
に気づかせてくれる、呼び起こしてくれる。
そうそう、そういうこと!が多かった。
ので、
以外自分のための備忘。
未来を描 -
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詩歌は作者も全的にその内容を理解しているわけではなく、それを受け取るがわも意味や作者の意図を理解しようと読んでもしょうがないと説く。それよりもただ対峙して読み続けると、未来に、ハとその詩歌に書かれているような事が理解できる瞬間があるという。そのため(?)に読むものだというようなことが書いてある。日々情報を消費することに身をやつしている我々には非効率で、贅沢な営みに感じるけど、アンビエントミュージックを聞いたりする行為と似たところがあるのかな。一つ思ったのは、掲載されている詩を読んで、今の自分が共感できる内容だと”わかる”けどなんかわかったことが安っぽく感じてしまったりして。逆に”わからない”と
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谷川俊太郎、黒田喜夫、入沢康夫、安東次男、川田絢音、井坂洋子らの詩を取り上げながら、現代詩の愉しみ方を語った本です。難解とされる現代詩を、性急に「解釈」しようとするのではなく、著者自身がその「わからなさ」に寄り添い続けることを実践してみせることで、読者を詩の世界へと巧みに巻き込んでいきます。
著者は、安東次男の詩を「音読することができない」ことについて論じるに際して、中国文学者の高島俊男の議論を参照しながら、現代の日本語が文字の裏付けがどうしても必要なものとなってしまったと主張していることに触れています。この高島の議論は私も読んでおり、また石川九楊にも同様の主張があったことも承知していたので