G・フローベールのレビュー一覧

  • 感情教育(下)

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    ネタバレ

    アルヌー夫人に冷たくされてはロザネット(高級娼婦マレシャル)の方へ、ロザネットに愛想をつかしてはダンブルーズ夫人の方へと、フレデリックはまるで「1848年のピンボール」のようだ。
    八方美人の高等遊民=フレデリックは二人の女を手玉に取って、いっぱしのドンファン気取りだ。/

    【ある日、たまたまフレデリックが自宅にいると、女ふたりがほとんど同時に訪ねてきた。母親が来ることになっているからと言って、マレシャルを外にだし、ダンブルーズ夫人には隠れてもらった。
    やがて、そうした嘘が愉しく思えてきた。いっぽうの女に誓ったばかりのことを、もういっぽうの女にくりかえす。双方におなじような花束を贈る。ふたりに同時に手紙を書く。で、ふたりの女をあれこれ比較してみる。─そうしたときでも、もうひとりの女性が脳裡から離れなかった。その女性を自分のものにできないことが、こうした不実な行為を正当化した。しかも、ふたりの女を交互にあざむいていることがいっそう快楽をかきたてる。どちらの女も、騙せば騙すほど、ますます自分を愛してくれる。あたかも、ふたりの女はたがいに愛を煽りたててはげしく張りあい、もういっぽうの女を恋人に忘れさせようとしているかのようだった。】(本書。【】内、以下同様。)/

    あくまでも、フレデリックにとってはマレシャルやダンブルーズ夫人はふたりの「女」であり、「女性」と呼べるのは風に靡かぬ花、アルヌー夫人だけなのである。/


    ◯繰り返される「頭髪」と「塵埃」のモチーフ:
    蓮實重彦が『『ボヴァリー夫人』論』で指摘していた「頭髪」と「塵埃」のモチーフが、なんと『感情教育』でも描かれていてびっくり!凄いな蓮實先生!
    ひるがえって、映画ではこの「頭髪」と「塵埃」のモチーフがどのように描かれているのかを、がぜん確認してみたくなって来た。/


    《ここでの「塵埃」と「頭髪」という主題が初期の習作から後期の傑作にいたるまで一貫して特権的な意味作用の磁場をかたちづくっており、作者も充分すぎるほど意識的にその語彙を選択しているという事態が存在するからである。さらにいうなら、(略)砂漠の隠者アントワーヌや『感情教育』の主人公にとどまらぬフローベールの多くの作中人物が、「塵埃」と「頭髪」という語彙とそれらが喚起するイメージに憑かれており、エンマやシャルルもそうした一人にほかならないからでもある。》(蓮實重彦『『ボヴァリー夫人』論』上 Ⅵ 「塵埃と頭髪」 /ちくま学芸文庫/2026年)/


    ◯「塵埃」のモチーフ:
    【たいてい、ふたりは屋外の階段のうえで語りあった。眼前には、秋のおとずれで黄色く色づいた木々の梢が、不揃いな突起となって蒼白い空のへりまでつづいている。並木道のはずれに離れ家があって、そこへいっしょに行くこともある。家具といえば灰色の布張りの長椅子が一脚あるばかり。鏡には点々と黒い斑点がつき、壁は黴くさかった。─ここで、ふたりは自分たちのことや他人のことを、そして、思いつくままにありとあらゆることを、時の経つのも忘れて語りあった。ときおり、鎧戸のすきまからさしこむ陽ざしが、さながら竪琴の弦のように天井から床の敷石にかけていく筋もの線をえがき、そうした光の縞のなかを埃がゆるやかに舞っている。夫人は手をのばし、その光の縞を切っておもしろがった。】/

    このくだりから、「後光」を想起した。

    ・「後光」:
    暗い環境、たとえば厩や納屋、森などで、木漏れ陽や戸の隙間から漏れ入る光などを背にした対象人物を、その人物と光の来る方向に向かって仰ぎ見れば、空気中に散乱する埃によるチンダル現象で、その人物に後光が出現するだろう。/

    これに対して、『ボヴァリー夫人』の「塵埃」のモチーフを描いた文章は次のとおりである。

    《エンマはまた腰をおろして縫い物をつづけた。白木綿の長靴下をつくろっているのだった。彼女はうつむいて針を運んだ。黙っていた。シャルルも黙っていた。ドアの下から吹き込む風が石畳の上にかすかなほこりを立てた。シャルルはそのほこりが床を走るのを見ていた。彼の耳には、こめかみが脈を打つ音と、遠くの庭先で卵を産む雌鶏の鳴き声しか聞こえなかった。エンマはときどき両方のてのひらを当てて頬を冷やし、それからこんどはそのてのひらを大きな薪掛けの鉄の頭で冷やすのだった。》(前出の蓮實『『ボヴァリー夫人』論』より。/フローベール『ボヴァリー夫人』(山田? 訳/河出文庫/2009年))/


    ◯「頭髪」のモチーフ:
    【夫人は母親のようにフレデリックの額に接吻した。
    それから、夫人はなにかを探しているようなそぶりを見せ、鋏を貸してほしいと言った。
    櫛をはずすと、白い髪がばさりと垂れた。
    夫人は荒あらしく鋏をいれ、長い髪のひと房を根もとから切りとった。】/

    次に『ボヴァリー夫人』の「頭髪」のモチーフを描いた部分を引用しよう。

    《翌日、シャルルは青葉棚の下のベンチへ行って腰をかけた。日の光が格子のあいだからふりそそぐ。ぶどうの葉は砂利の上に影を描き、素馨の花はかおり、空は青く、咲き乱れた百合のまわりに芫菁(はんみょう)が羽音をたてている。そしてシャルルは、そこはかとない恋の香に切ない胸をふくらませ、まるで青年のようにあえいだ。
    七時にベルトが夕飯に呼びに来た。昼過ぎから父親の顔を見ていない。
    父親はあおむけに頭を塀にもたせ、目を閉じ、口をあけて、長い黒髪のひと房を両手に持っていた。
    「おとうさま、いらっしゃいな!」
    そして父親がわざと聞こえないふりをしているのだと思って、ベルトはそっと突いた。
    彼は地面に倒れた。死んでいた。》(同前)/


    フレデリックはやっとのことでアルヌー夫人との逢引きの約束に漕ぎつけるも、
    アルヌー夫人は訪れず、なんと革命が勃発してしまう。/

    【突撃の太鼓が打ち鳴らされた。するどい叫びがあがり、勝利の歓声がわきおこる。群衆は波うつようにたえまなく揺れうごいている。びっしりとおし寄せる人の波にはさまれ、フレデリックは身動きできずにいたが、こうした光景にすっかり魅了され、われを忘れてうち興じていた。負傷して倒れる者がいても、死者がそこかしこに横たわっていても、ほんものの負傷者、ほんものの死者とは思えなかった。まるで芝居でも観ているような気がしていた。

    ─中略─

    歩兵部隊は姿を消していて、衛兵隊だけで詰所をまもっている。向こうみずな連中が玄関まえの石段にどっとおし寄せた。これらの人びとが倒れると、たちまちべつの一団がやってくる。

    ─中略─

    建物のいたるところから煙が噴きだした。(略)欄干の小柱のあいだから、するどい音をたてて大きな炎がたちのぼる。パレ=ロワイヤルの二階にはいまや国民衛兵があふれていた。広場に面した窓という窓から、銃が火を吹く。弾丸が空を切ってとびかい、壊れた噴水からながれだした水が血と入りまじって、地面に水たまりをつくっている。】/


    なにせフランス革命という圧倒的なスペクタクルがあるので、たしかに面白さでは断然『感情教育』の方かもしれないが、僕の心にいつまでも刺さって抜けないのはシャルル・ボヴァリーの「痛み」の方なのだ。

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    2026年09月08日
  • 紋切型辞典

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    私は大好きです。すごく面白かった。
    ひとつめの、アイスクリームからして面白くて皮肉に満ちていて楽しい。
    フランスロマン主義視点を思いっきり皮肉った言葉の数々が愉快すぎて読むのが止まらなくなった。
    アンブローズ・ビアスの悪魔の辞典も絶対読まないとな。

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    2026年08月12日
  • ボヴァリー夫人

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    長い旅に出ていました。
    この本を読んでいると没頭して、まるで広大無辺な暗い海を漂う小舟に乗ったようで、予測不能な感情の荒波が襲ってきては途端に凪になって。しかし、こうした経験は決して初めてだとは思えなかったのです。なぜならこの小説の限りなく不安な航海は、私がこうして過ごしている生活とさして変わらない状況であるからです。
    とどのつまり、この本の魅力をお伝えするのは難しいです。芸術作品であるために、安易に解釈や物語の内容を述べ立てて未だ読んでいない方の先入観の枠に嵌めてしまうことを恐れます。
    まずこの本は3章構成となっており、それぞれに異なる味があります。1章目は冗長な描写も多く、退屈に感じるかもしれません、しかし2章目は大天才フローベールの魔法によって、段落毎に加速度的に面白くなっていくのです。これは圧巻でした、170年間の時の洗礼を乗り越えてきたのにも納得します。そして3章目はどんな結末を迎えるのか、秘密です。一つだけ言えるのは、あの時私はどうすればよかったのか、どう捉えればこの苦しみから解放されるのか、そんな省察を読みながら行うのをおすすめします。

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    2026年05月19日
  • ボヴァリー夫人

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    ネタバレ

    小説自体は読むのは三度目(新潮文庫の生島訳と河出文庫の山田訳は既読)。この翻訳はとても読みやすかった。

    読み終えるのに1ヶ月ほどかかった。中盤の農業共進会までに5日くらい、その後しばらく放置してたまに少し読み、ロドルフと懇ろになって以降最後までを3日で。
    集中すればもっと早く読めただろうが結果的にはこのペースでよかった気がする。エマの死後、シャルルの回想に現れる、まだ結婚する前のエマを彼と同じように懐かしむことができたのは時間が空いたからこそ得られた効果だったと思うから。

    覚えているところと、すっかり忘れていたところがあった。
    中盤まではよく覚えていた。ロドルフの逃走やレオンの尻込みは、忘れていたけれどまあそうなるよな、と予想の範囲内。
    すっかり忘れていて度肝を抜かれたのが、服毒後のエマの様子。嘔吐、痙攣、せん妄。長々と続く苦悶の描写は鬼気迫る。軽くホラー入ってる。醜い盲人の歌を聞きながら事きれるのは残酷。エマと仲よくしていた女中が、死んだ彼女の衣装を盗んで男と駆け落ちするのにリアリズムを感じる。

    シャルルは死に、両親を失った娘は生活のため工場勤めに出る。寒々しい終わり方。一方で、ボヴァリー家以外の人たちの生活はエマの死に何の影響も受けず淡々と続いていく。シャルルの落胆と比較してロドルフは平然としているし、登場しないレオンも結婚でもしてうまくやっているのだろう。

    エマの死は悲劇だったけれど、世界に何の影響も及ぼさないし痕跡も残さない。彼女の死にも悲劇にも、意味なんてない。そういう冷徹さが、露悪的でなく、不快に転じず、現実的な説得力を持って描かれているところがこの小説のすごいところだと思う。

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    2026年04月15日
  • ボヴァリー夫人

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    読み終えるまで大分時間がかかったが、読み終えて読んで良かったと思える本だった。エマのシャルルに対する背信的な情事がいつ発覚し結末を迎えるのかと思いながら気の重さを感じながら読み進めるのだった。やはり読後はやるせない寂しさがどうしても残る。
    しかし多彩な描写や豊富な語彙に引き寄せられ読書本来の楽しさや学び、恩恵を感じ取る事が出来た。
    後書きで参考となる実話が存在した事を知り、この小説が発表された時、フランスの品位を貶めるのではないかと裁判沙汰になる程センセーショナルな存在になったと、それも理解出来そうである。
    フランスにはフローベールという偉大なというか特異なというか作家がいて、その代表作を読んだという満足感や達成感みたいなものを感じた次第である。

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    2026年04月07日
  • ボヴァリー夫人

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    やっと、『ボヴァリー夫人』にたどり着いた!
    これも、「『ボヴァリー夫人』のここが読みどころ! 訳者・太田浩一さんを迎えて」のイベントのおかげだ。/

    だいぶ前にサルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』の一、二巻を読んだが、実はそのときはフローベールの作品を一作も読んでいなかった。
    今思えば、なんてでたらめな読書をしていたのかと悔やまれるが、そんなわけで、今度『家の馬鹿息子』を最初から読み直すにあたっては、どうしても事前にフローベールの作品を読んでおきたかった。
    以前、『三つの物語』だけは読んでいたのだが、やはりそれだけではなんだか足りないような気がしていた。
    ちょうどそんなところへ、今回のイベントの情報を耳にしたので、渡りに船と飛び乗ったわけだ。/


    この圧倒的な読み心地の良さはいったいどこから来るのだろう?
    訳者:フローベールは、音読にたえるような文章を理想としたので、訳文もそれを心がけた。登場人物の性格を反映したセリフ。
    これぞ、ミシェル•ビュトールが『レペルトワール』で言っていた「それぞれの声が聞こえて来る文章」だ。/


    【シャルルとしては、なぜ自分がいそいそとレ・ベルトーへ通うのか、深く考えてもみなかった。

    ─中略─

    エマ嬢はいつも玄関の階段のいちばん下の段まで見送ってくれた。馬がまだ用意されていないときには、その場に立って待っていた。別れの挨拶を交わしてしまうと、たがいに話すことはなかった。戸外の空気が彼女をつつんで、うなじのほつれ毛を乱したり、腰の上でエプロンのひもをなびかせ、吹流しのようによじれさせたりした。あるとき、ちょうど雪解けのころで、庭の木々の樹皮は水を滴らせ、屋根の雪はとけだしていた。エマ嬢は戸口に立っていたが、日傘をとってきてそれを開いた。玉虫色の絹の日傘に陽光がさし込んで、顔の白い肌がゆらめく反映で染まっていた。暖かい陽気に、傘の下で娘はほほえみを浮かべている。日傘の、ぴんと張ったきらめく絹地の上に、ぽつりぽつりと滴の落ちる音が聞こえていた。】(本書。【】内、以下同様。)/


    ◯ロシア・フォルマリズム の異化と恋愛:

    《生の感覚を回復し、事物を意識せんがために、石を石らしくするために、芸術と名づけられるものが存在するのだ。知ることとしてではなしに見ることとして事物に感覚を与えることが芸術の目的であり、日常的に見慣れた事物を奇異なものとして表現する《非日常化》の方法が芸術の方法であり、》(ヴィクトル・シクロフスキー『散文の理論』)/

    上に引用したのは、ロシア•フォルマリズムのシクロフスキーの「異化」の方法だが、日常生活を「異化」して生の感覚を蘇らせるもう一つの方法がある。恋愛である。/

    【ロドルフは少し先にある小さな池のほとりにエマを連れていった。青浮草が池の面に緑の色をひろげていた。枯れた睡蓮が藺草のあいだにじっと動かずに浮いていた。(略)
    「ああ、ロドルフ!‥‥‥」男の肩に身をもたせかけて、若い女はかろうじてそう言った。
    ラシャのドレスが男のビロードの上着に絡まった。エマはため息を押しころして白い首筋を反らせた。そして意識が薄らぎ、泣きぬれて長ながと身を震わせながら、手で顔を覆って身をまかせた。
    宵闇が迫ってきた。枝のあいだからもれる沈みかけた夕陽がエマの目にまぶしかった。(略)あたりは静まりかえっていた。(略)エマは心臓がふたたび鼓動しはじめ、血があたかも乳の流れのように体内をめぐるのを感じた。】/


    エマはひたすら情人に愛を求め、着飾り、装飾品を買い集めては、ついに破滅に至り服毒する。
    もちろん、すべてエマが悪いのだ。
    だが、そんなことを言ってみたところでいったい何になるだろう?
    エマはこのように生きてしまったのだ。
    フローベールは、死にゆくエマの最後の瞬間を異様な熱心さで描写する。
    まるで、彼はこう言っているかのようだ。/


    《もちろん生涯はひとつの崩壊の過程である》(フィッツジェラルド「崩壊」/フィッツジェラルド作品集 (3)/渥美昭夫、井上謙治訳/荒地出版社/1981年)/


    【シャルルが入ってきたが、ふたりは目をさまさなかった。妻に最後の別れを告げにやって来たのだった。

    ─中略─

    月の光のように白い繻子のドレスの上で、きらめく波紋が震えていた。エマの姿はその下に隠れていた。シャルルには、エマが自身の外へ拡散していくように思われた。そして、周囲をとりまく事物のなかに、夜のしじまのなかに、吹きすぎる風のなかに、たちのぼるしっとりとした香気のなかに紛れ込んでいくような気がした。
    やがて、ふいにエマの姿が目に浮かんだ。トストの家の庭の、茨の生垣のそばのベンチに腰をおろしている。かと思うと、ルーアンの街なかに、いまの家の戸口に、レ・ベルトーの庭にその姿があった。(略)
    こうしてシャルルは、長いあいだ、過ぎ去ったすべての幸福を、エマのおりおりの物腰、しぐさ、声音を思いうかべていた。悲痛な思いは、あたかもおし寄せる上げ潮のように、次から次へと際限もなく胸につきあげた。】/


    おかしい。何か変だ。
    普通の恋愛小説なら、ヒロインの悲劇的な死で物語は終わるはずだ。
    フローベールは、なぜエマの死後のシャルルや人々の後日譚にページを割いたのだろうか?
    物語は、シャルルの死を待ってようやく終わりを告げる。/


    ゴキブリ亭主としては、悲劇のヒロイン:エマよりも、エマに裏切られても、そんなこととはつゆ知らずエマを愛し続けるシャルル•ボヴァリーの姿に、どうしても身につまされてしまうのだ。

    「シャルル•ボヴァリーは私だ」。/

    ここに至って、シャルル•ボヴァリーの姿は、奥様の娘ヴィルジニーを愛し、甥っ子のヴィクトールを愛し、おうむのルルを愛して死んでいった『三つの物語』の「純な心」の女中フェリシテの相貌に酷似してくる。/


    これでようやく、サルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』を読む資格を得たような気がする。

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    2026年04月07日
  • ボヴァリー夫人

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    前半でやめずに最後まで読んでとても良かったです。細波のような何事も起こらない前半が荒波のような後半を引き立てる。数多くの語彙と比喩と引用による圧倒的な表現力。風景から人の仕草にいたるまで細部に渡る細かな状況描写は、当時のフランスの田舎町の映像を脳裏に映します。そして、複雑な禁断の恋と破滅に向かう心理描写は、まさにフランス文学の傑作。とても読みやすい素晴らしい訳だと思いました。

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    2025年12月30日
  • ボヴァリー夫人

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    読み応え十分でした。翻訳者の方の描写力が素晴らしい。引き込まれます。またまた、すごい小説に出逢ってしまった。

    ボヴァリー夫人、彼女の名はエンマ。不倫街道まっしぐらに突き進む姿に、恐れおののき、「そのへんで、やめとけば!」と声をかけたくなるも、続きを知りたくなってしまう、悪魔的な面白さにハマります。相手の男性は2人。よくもまあ、人妻に手を出したなという感じ。この男性の描き方も悔しいぐらい上手いのです。

    エンマの内面の葛藤を、何も気づかない夫の存在が何とも、もどかしく、一人娘が不憫です。
    結婚というものに、同一歩調で歩んでいけない夫婦の末路はいかに.......

    結婚、嫁姑の関係、男女の気持ちの温度差などなど、19世紀の小説を現代の今読んでも、全く古さを感じません。

    ボヴァリー夫人(エンマ)、本の中だけでなく結婚前に、もっともっと実際に恋愛していればなあ....
    現実を知ることって大事!しかし、小説の世界なので、とーっても面白かったです。

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    2025年12月04日
  • 感情教育(下)

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    上巻の前書きに書かれていた通り、第三章はすごい勢いで進んだ!
    それまでゆるゆる読んでいたのに、最後の100ページは驚きの連続で、読むよりページを捲る指の方が早い!

    革命の中で女性たちの本性が表れて、今まで一番最低と思っていたフレデリックの方がまともに見えた。
    最後に宝物として残るのは友情ってことなんだろうか。

    フランス革命勃発から1830年の七月革命、1848年の二月革命までの、フランスの歴史の流れを何度勉強しても覚えられない。
    でも、ここを押さえておいた方が、もっとこの物語を味わうことができそう。

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    2025年11月26日
  • ボヴァリー夫人

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    ロマンスへの憧れから不倫・贅沢に溺れ、破滅へ。
    でも「形式」や「認識」に意識を向けると、“ただ面白い”では済まない深さがあった。

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    2025年04月23日
  • 三つの物語

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    書き手の存在が極限までに削ぎ落とされた結果生まれた、素朴でスマートな写実力が魅力のフローベール文体。個人的にはそこまで惹かれないが、公平性、主人公と作者の距離の絶妙な取り方という点に関して、とても勉強になる。
    書き手の感情はもちろんのこと、描かれた人物の内面をこと細かに書き連ねることはせず、分かりやすい行動や象徴的な動きにクローズアップし、それを丁寧に描写することで積み上げていく。
    ただ「〜した」等が執拗に連続するため、本国の言語だと魅力的に思えるとこが、日本語になった途端、自分の好みである流れるような読書感は感じられなくなった感じはある。
    正直好みではないかも。
    突如差し込まれる非現実的な描写に関しては上手いと思う。

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    2023年06月11日
  • ボヴァリー夫人

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    ネタバレ

    『ボヴァリー夫人』

    「そろそろやばいかな」とかこの若妻は思いません。
    元祖ゴーイングマイウェイな”ボヴァリー夫人”。

    若い時の夢見がちな空想って、
    いつしか現実と向き合う時間が増えるにつれ
    にこやかに送り出せるものだと思うのですが、
    (と言うかサヨナラせざるを得ない…?)

    この妻、諦めない。
    夢想で無双。

    ナボコフは『ナボコフの文学講』の中で、
    「俗物の中の俗物」みたいな勢いで彼女を評していましたが、今で言うと

    スイーツ大好きインスタ映え命の韓流ドラマ大ファン女子って感じでしょうか。
    (悪気はないです。例えね例え。)

    もうね、ここまで貫かれると賞賛しちゃう。
    あっぱれだよあっぱれ。
    最後のほうなんてむしろちゃんとやりきってくれよって若干思ってた。

    1857年の作品が、2023年に新訳で読めてるってもうやべーことだと思うのですが、
    何でそこまで語り継がれているかって言うと、
    当時のフランス文学をガッツリ変える革命を起こしているからなんですねぇ。

    起こっている事を何もかも知っている俯瞰の第三者に語らせるという物語進行をせず(神の視点の排除)、
    話者がかわるがわる交代することにより
    それぞれの主観を際立たせ、感情移入を容易にしている。

    つまり話者が、
    誰かがこちらへ向かっているけどそれが誰かは分からないという状況なら、
    我々読者も誰が来るのかわからない。

    こういったミステリアスな仕掛けが、個々の文章や小説全体から受ける印象を形作っており、
    まさにハラハラドキドキソワソワの追体験を読者に提供してくれています。

    そして当然ストーリーとしても面白い。
    これは当時のフランスで意欲作というか、
    最早喧嘩腰作ですね。やるやんフロベール。

    うまいなこの料理ってなって、
    複雑な調理法や意外な材料を考えながら食べることもできるし、
    「とりあえずうまい」とそのものの全体の味を楽しむこともできちゃう、と盛り沢山でありました。

    0
    2023年05月11日
  • ボヴァリー夫人

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    最初は冗長に感じたが、読み進むうちに繊細な情景描写や感情表現にぐいぐいと引き込まれた。文学史上に残る傑作だと思う。翻訳も丁寧で読みやすい。

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    2022年10月26日
  • ボヴァリー夫人

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    冷静で緻密な描写に終始圧巻される。
    ストーリー自体は現代ではありふれた転落劇だが、これでもかと積み重ねられた情景描写が雄弁で士気迫ってくるものがある。
    農業共進会でのロドルフとの逢引シーンが素晴らしい。
    役者あとがきまでボリューム満点で満足度が高かった。
    シャルルは何も悪いことはしていないし一貫してかわいそうではあるけど、エンマの嫌悪する気持ちもわかってしまう。

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    2020年11月19日
  • 感情教育(下)

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    ついに…読み終えてしまった…!めちゃくちゃにおもしろくて、素晴らしい作品…

    ①ダンブルーズ氏の葬式における描写。
    ・フローベールの死に対するあっけない滑稽な描きかた。『ボヴァリー夫人』でも死人の扱いはさっぱり、淡々と扱う。死にゆくまでの肉体的な苦しみは丁寧に描くものの、死そのものに対する厳かな目線はない。
    「小石まじりの土がかけられた。これでもう、だれひとりとしてこの男のことなど気にかけないのだろう。」
    という文章に見られるように、死んでしまえばおわり、という達観した死生観がみられる。⇔だからこそ、生きている間の滑稽なまでの生にしがみつく動き、がおもしろい
    ・葬式の「形式」を批判。参列した人はみな葬式のことなんてこれっぽっちもわかっておらず、口ぐちに俗物てきな話ばかりしている。
    ②フレデリックのアルヌー氏化
    フレデリックはアルヌー夫人に恋をし、はじめはそんなアルヌー夫人を妻としてもちながら外で遊び歩いているアルヌー氏を軽蔑している。しかし物語がすすみ、アルヌー夫人と思い通りの関係になれないと、むしゃくしゃして他の女性に手をだしてしまう。
    まずフレデリックが手を出すのが、ロザネットだ。ロザネットは、もともとアルヌー氏の愛人だった。フレデリックはアルヌー氏への当てつけの意味もあり、ロザネットと関係を持つ。
    その後も故郷のルイーズや、上流階級のダンブルーズ夫人など、さまざまにタイプのちがう女性にあっちへこっちへ気がおもむくままに手を出す。結局、四人の女性の間で身動きが取れなくなるが、フレデリックが最後に出会い、最後まで想いを寄せていた相手はアルヌー夫人であった。これはアルヌー氏も同じである。

    しかし決して、フローベールはそんなフレデリックやアルヌー氏を非難しているとは思えない。

    「どれほど心を開いたうちあけ話でも、相手にたいする気がね、思いやり、憐憫の情などから、かならず口にだせないことがあるものだ。相手の、もしくは自分の心のなかに懸崖や泥沼を見いだして、それ以上さきへ進むことができなくなる。話したところでとうてい理解してはもらえまいという気持ちになる。どのようなことであれ、それを的確に言いあらわすのは至難のわざだ。人と人との理想的な結びつきがめったに見られないのも、そのためである。」

    から見られるように、人と人が一対一で完璧につながり合うことなど不可能であるのだ。フレデリックも、アルヌー夫人に寄せた恋心は本物であるが、相手が既婚者なため理想的な関係にはなれない。ほかの女性でも、ここはよくてもあそこは欠点だというように、完璧に好きになることができない。それが人間関係の当たり前のことだと、フローベールは理解していたのだろう。
    それでも、最後にはアルヌー夫人と再度恋心を確認し合う、しかしその時にはアルヌー夫人の白髪をみて、フレデリックは一瞬幻滅してしまう。恋というもののもろさを暴き出し、そして最後にはデローリエとふたり、まだ恋というものを知らなかった、夢見ていたころ、友情こそが第一だったときを思い出して「あのときがいちばんよかった」と語り合うのだった。

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    2020年02月20日
  • ボヴァリー夫人

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    ネタバレ

    どうしようもない女性の話。真っ当で愛情深い夫を退屈で凡庸だと軽蔑。夫は安定した稼ぎがあるのに、この人でなければ自分はもっと裕福な暮らしができたはず、と自惚れ。そんな女性の話でも一応の格調を保っている。文章の美しさもさることながら、女性の一途さ故に。ただ物語のような恋愛をひたすら求める様は、哀れだけども純粋である。
    高評価にしたのは、主に話の筋から。予想はできながらも終結はやはり圧巻である。それと上記にみるような、低俗さと高貴さの絶妙なバランスから。
    しかし、男性には不評かもしれないと思う。この女性は完全に恋愛脳で、メンヘラだからだ。

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    2019年01月17日
  • ボヴァリー夫人

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    でたらめな父親と、気位の高い母親にふりまわされて
    シャルル・ボヴァリー氏は自分では何もできない男だった
    親の言うまま勉強して医者になり
    親の言うまま資産ある中年女を嫁にとった
    しかし患者の家で出会った若い娘と恋におち
    初めて自らの意思を持ったシャルルは
    熱愛のさなか妻が急死する幸運?にも恵まれ、これを成就させるのだった
    この第2の妻が、物語の中心人物エンマ・ボヴァリー夫人である

    シャルルは自分の意思を達成したことに満足していたが
    エンマはすぐに幻滅を味わった
    彼女をおそう退屈は、ただの退屈ではない
    娘だった時分、小説を読み過ぎた彼女にとってそれは
    自尊心を貶め、つまらない女であることを強要する暴力の日常であり
    そして彼女はその凡庸さに仕える自分を被害者と信じていた
    自分ではなにも決められないという部分で
    実はエンマもシャルルも似たものどうしだったが
    ただ曲がりなりにも巡ってきたチャンスを掴み
    自己実現を果たしたシャルルの余裕に対し
    エンマはわけもわからず焦れていた
    美しさは人並み以上だったので、不倫の相手に恵まれるが
    相手との温度差にも気づかず、真剣にのめり込んでいく始末
    悲しい人だった
    夫の凡庸さを軽蔑することで自意識を保ち
    また自分を高めようとショッピングにのめり込み、散財を重ねれば
    あとは破滅への道をまっしぐらに突き進むのみであった

    エンマのそういう有様は
    ひょっとするとあり得たかもしれない若き日のシャルルの
    人生の可能性でもあった
    その運命を分けたのは神のみわざか作者の意図か

    少なくとも語り手は、観察者の立場を逸脱しないよう配慮している

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    2017年10月15日
  • ボヴァリー夫人

    Posted by ブクログ

    古典なので当然ですが、話の筋は実に古典的な不倫モノです。しかし精緻で目の前に情景を広げさせ、人物を浮かび上がらせる描写が光ります。恋する乙女のまま妻となり、結婚の理想と現実の落差と凡庸な夫に苛立ちを覚え、背徳に身を崩す作中のエマが実に人として最低で、実体のある生々しい存在感を放ちます。今では凡庸といえる筋書きでも文章で読者を離さない作者(翻訳者も含めて)のテクニックに驚くばかり。好きか嫌いかではなく、凄いと感じる作品でした。趣味で小説を書く人はもちろん、読むだけの人でも一度触れておいて損はないと思います。

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    2012年11月16日
  • ボヴァリー夫人

    Posted by ブクログ

    よく思うのですが、女性が妻となり、家庭を守るという行為は、外に出て荒波にもまれながら、家庭を同じく守る夫とは対照的な苦痛があると思うのです。
    さまざまな変化を社会という人ごみの中で体験する変化への苦痛と戦う夫と。
    何も変化が無く、単調な家事を繰り返し、黙殺されそうになっている妻。
    対極に居るから「だから男は」「だから女は」と、口論が絶えないんだと思います。
    まあ、根本はそういう所が男女の相いれない原因の一つなのでしょうが、最終的には人間的な性格の問題ですよね。

    大げさにそんな事を言っておいてなんですが、エマは私と違って、外界からの刺激を好む女性で、生活に圧迫されて年をとっていくのが耐えきれない、旅人気質を持っていました。
    だからこその不倫と発狂、自己中心的な自分の理想とする世界を、現実に花開く事が出来ない事へのジレンマは、まるで子供がだだをこねているように見えました。
    時代が違うので、その時の時代の習慣や、当たり前の事を私はよく理解していないのですが、あまりにもシャルルがいい夫でいたので、エマのその自由奔放な生き方が更に浮き彫りになってしまっているように思えるのです。

    やっぱり、死んだ後に、残された人の気持ちを考えるっていうのは難しいんでしょうね。特にエマなんて、絶対にかんがえる暇も、機会も全て死ぬ直前に花火のように、気まぐれに光って後は消えてしまう。
    シャルルの魂を、エマが自ら滅ぼした手でつかんで、引きずり上げてしまい、娘一人が生きる事になりましたが…
    どうか頑張って生きて欲しいです。
    自分自身だけではなく、自分を大切に思っている人も不幸にしたエマ。
    誰かを思う事は、誰かの為に痛みを我慢し、耐える事が必要なんだと思いました。

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    2012年01月14日
  • ボヴァリー夫人

    Posted by ブクログ

    私ってなんであんな駄目な男と付き合ってしまったのかしら…
    そんな事を考えているそこの奥様!これを読めばエマを共感出来るはず!
    夢見がちなエマが一つの結婚の間違いから転落人生を追ってゆく
    妄想はいいけれどホドホドに。
    素敵なラブロマンスなんてないのさと乙女の夢をぶち壊す作品です
    原語は文章が綺麗で女の子ファンが多いです。
    きっと皆エマと同じ境遇に居たんだろうね

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    2009年10月04日