白戸圭一のレビュー一覧
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アフリカに関する様々なトピックを扱った本で、アフリカと日本の関係に関するものが多くて参考になる。個人としては、広大なアフリカを一括りにして論じてしまうのは安易な発想であると思っているが、本書はタイトルに「アフリカ」が入っているものの論じられている内容は各国ベースなので、現実に沿っていると感じた。アフリカ各国の現状を知る入門書として良いと思う。日本には日本語でアフリカの実情を伝えるメディアは少なく、いかにアフリカは日本人にとって地理的にも精神的にもリモートな地域であるか実感する。
気になったトピックは以下の通り。
・サブサハラでの人口爆発とその食料・飲料水の確保の切迫さ。農業の非効率性。2050 -
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この本を読んだら、この豊かな日本で格差社会到来などと騒がれていることが戯言のように感じられてくる。
アフリカの大地における壮絶な現実。
著者は、南アのヨハネスブルク特派員として2004年から4年間を過ごした、毎日新聞社の現役記者。
1970年生まれということで、自分とほぼ同世代です。
南アといえば、来年のFIFAワールドカップ開催国。
先日も日本代表が訪れて、南ア代表とテストマッチを行いましたが、その治安の悪さについては、いろいろと噂に聞くところ。
第一章では、そんな南アの治安について、犯罪者・被害者双方へのインタビュー取材などを通じて生々しく伝えられます。
これだけでも想像を超えた悲惨な -
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毎日新聞の元ヨハネスブルク特派員による本なので、掲載当時の紙面で読んだことのある内容もあった。それだけ紙面でも印象的だったわけだが、ここでは記者の取材苦労話も含めて掘り下げられている。
統計面ではGDPが伸びていてもそれは資源輸出が伸びているだけで、その金は権力者の懐や軍事費に回ってしまい、足元のインフラや医療はグダグダの資源国(コンゴ、スーダンなど。ナイジェリアもそうか)。マクロ経済だけでは推し量れない、ガバナンスであるとか、国民の文化みたいなものの重要性を感じる。それを突き詰めると、ダルフールの虐殺、コンゴの内乱のようなことが何故起こるか、となる。原因は複合的なように見えるが、ひとたびタ -
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すごい記者もいたもんだ。04−08のヨハネスブルグ特派員時代に紛争地域に潜入している。
アフリカ50数カ国のうちサハラ以南の48カ国ということは地中海側以外ほぼ全てを一人でカバー丸々1年間は取材旅行である。
普通は経済が発展すると治安は良くなる。アフリカでは軍部、政府や外資と結びついたごく一部だけが裕福になり一般庶民は貧しいままで貧富の格差がそのまま犯罪や暴力につながっている。中国がアフリカの資源に手を伸ばしているがそうそう日本のサラリーマンが手を出せる世界とは思えない。筆者自身も娘が遊びに行った同級生宅で強盗に遭っている。
南アフリカ
アフリカで最も経済が発展しているが殺人事件は未遂を含 -
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資源価格の高騰に伴い今後の成長拠点として注目されるアフリカ。その一方、テロや暴力の渦巻く貧困大陸としてのアフリカ。本書は丹念な取材に基づき、アフリカの影の部分を明らかにした努力作。南ア、ナイジェリア、コンゴ民主共和国、スーダン、ソマリア、アフリカの抱える闇は限りなく深い。貧困削減がテロや暴力を失くす開発に伴い貧困は削減され、テロや暴力も減少すると信じるものの、現実はあまりに厳しい。ナイジェリアでは、石油の開発は地元住民に富をもたらすどころか、むしろ収奪が行われた。スーダンでも石油利権がダルフール紛争における人権侵害に結び付いているといわれている。しかし、テロや暴力の削減に結びついていないといっ
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著者は毎日新聞のヨハネスブルク特派員だった2000年代中盤の4年間ほどで、アフリカの暴力の根源に迫ろうとする。
ロバート・ゲストは「アフリカ 苦悩する大陸」で、「アフリカの苦悩は、環境や歴史に起源するものではなく、腐敗した「政府と行政」にある。」と書いたが、白戸のレポートは、根源のところは、というか始まりはやはり列強の植民地支配であり、いまだに先進国、あるいはすでに覇権国家となった中国の思惑こそが主たる要因であることを暴いていく。僕らの生活だって、それとは無縁ではないというか、石油や資源を通じて、コミットしているのである。
「暴力の洪水は、資源開発ブームに沸くアフリカの広い地域で顕在化 -
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著者は毎日新聞の記者で、2004年から2008年にかけて南アのヨハネスブルクに特派員として駐在していた。ヨハネスブルク特派員はサハラ砂漠以南の国を全て担当することになっていたらしく、南部アフリカ各国を精力的に取材してまわっていたようである。本書は、著者のヨハネスブルク時代の記者経験を基にした、南部アフリカ各国(南ア、モザンビーク、ナイジェリア、コンゴ民主共和国、スーダン、ソマリア)に関するレポである。題名の「ルポ資源大国アフリカ」、および、副題の「暴力が結ぶ貧困と繁栄」が示すとおり、問題意識は、これら各国は豊富な地下資源が眠る国であり、実際にそれら資源の開発も始まり、収入が入ってきているにも関
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悪評高い毎日新聞に、こんなに優秀なジャーナリストがいたのかと驚いた。(笑)(もちろん、ある程度はこういう記者がいるのだろうが)
アフリカの現状について、ここまで詳細な現地目線の情報を知ることができる本はあまりないので、アフリカの貧困について知るのにピッタリの本です。
資源大国アフリカという題名だが、副題にある通り、飽くまで資源についてではなく、資源がもたらした富による弊害が取り上げられているのだが、想像以上であった。
マクロ目線では、経済成長率や豊富な資源などポジティブな報道も増えてきてはいるが、富をもたらす筈であった資源は市民には配分されず、一部の富裕層が独占しているだけでなく、暴力を生みだ -
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記者経験者によるメディアリテラシーの入門本。一つ一つは事実でも全体として実態と異なる像を結ぶ伝え方があること、これが見破られた時の信用失墜などは自分自身にも関連することだな。記者経験(在外経験あり=国内で高い評価を得た)があるので、メディアの内側事情の紹介もあり。情報が多すぎると処理できない、少なすぎても処理できない。少な過ぎないようにメディアを守り育てる必要がある一方で、メディアからの情報を吟味する力(とりあえず、すぐに反応しない、くらいから)を持たないと不本意に誘導され、加害者や被害者になる可能性がある。情報処理のコストが高いので信頼を得るメディアをAIで作るといい気がする。失敗も全て公開
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ネタバレ誰でも情報発信できる時代の情報との付き合い方。
なぜフェイクニュースや陰謀論に振り回されてしまうのか。それはそのニュースが「事実」かどうかを評価するのがとても難しいことだからだ。著者は若い読者に対して情報との付き合い方を伝えようとしている。なるべく一次情報に近いものを得ること、発信元を確認すること、明らかになっていないことに注目すること、未確認情報を適切に扱うことである。
情報の信頼度を評価するには、発信元を意識し、明らかになっている発信元について調べてみる必要がある。匿名の情報は確認が取れないという面で信頼に欠ける。もちろんインターネットの発展が、自由な発信を保障し、それまで報道の自由が -
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ジャーナリストであり、アフリカの専門家でもある著者による、アフリカの話。アフリカでの出来事やアフリカ諸国の事情、考え方についての記述は精緻で、参考になった。日本のPKOの取り組みに対する指摘もそのとおりだと思う。
ただし、アフリカの状況についての記述は素晴らしいものの、著者の意見はあまりに視点が低く、全体が見えていないと思う。国際政治と経済の知識に欠けており、世界の動きのメカニズムと現在の覇権争い、資本主義を中心とした市場主義の中で、各国あるいは企業を含めた組織が何を考え動いているかを理解していない。日本政府に対する批判も、狭視的で参考になできない点が多く残念。日本もアフリカばかりを見ているわ -
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アフリカ、特にサブサハラ地域では、今後の人口増加に伴い経済の著しい成長が期待されています。2019年8月には横浜でTICAD7が開催され、日本政府や企業がアフリカでの存在感を拡大しようと、政治や経済のみならず文化面での交流の促進も図られていました。
かつて日本はアフリカへの援助で秀でていたのですが、現在では、アフリカへの直接投資において、欧米諸国は言うまでもなく、中国、シンガポール、香港やインドといったアジア諸国の後塵を拝し、実業界のアフリカへの投資への意欲も強いとは言い難い現状を、著者は日本企業経営層の内向きでリスクを回避する傾向が一因と分析しています。
一方、アフリカでは民主化の定着と -
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ネタバレ著者は「ルポ資源大国アフリカ」(東洋経済新報社)で、アフリカの苦悩は、根源のところは、というか始まりはやはり列強の植民地支配であり・・・・ということを暴いた。そしてこの本で明らかになるのは、ボコ・ハラムの出現までに至るまでのナイジェリアとその周辺の困難・苦悩は、やはりイギリスを始めとする列強の植民地支配から始まっているということである。
貧困や差別、格差などが社会変革の運動となっていくのは、いつもそうである。しかし、経済成長がテロの芽を積むことには決してならないことを著者は明らかにする。「テロを企てる際には、無辜の民を殺害する自らの行為を正当化する理論的・思想論的武装が重要である。その意