伊藤左千夫のレビュー一覧
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読むきっかけは、北村薫先生の円紫さんと私シリーズで、主人公とその友人たちが『野菊の墓』の聖地である千葉に遊びに行ったのを、なんとなく覚えてたからだと思う。
作品名も学生の頃教科書などで見かけた記憶がある。
表題作の「野菊の墓」は、仕事の昼休み中だったのに涙ぐみながら読み終えた。ストーリーはよくある展開のように思われるんだけど、主人公や民子の家族の悲しさや後悔が、何度も何度も感情に訴えてくるような簡素な文章で表されているから、その悲しみが心に迫ってくる…
昔の農村の爽やかで懐かしい風景の中で、美しく健康的な姿の民子と、政夫との仲を引き裂かれてしまった後のあわれな姿の対比も切ない。
解説によると、伊藤左千夫はこの小説を読み上げながら何度もすすり泣いたそうだけど、これは自伝的な小説なんだろうか。冒頭で、今も民子とのことを思い出しては泣いている、と書いてあったけど、本当のことなんだろうなー。
「浜菊」は、かつての学友が田舎に引っ込み所帯を持ったことで向学心が失われてすっかり変わってしまい、それに落胆するという話だったけど、ちょっとこれは傲慢だよなあと思った。どっちが正しいかは誰にも判断できないし。
ただ昔から友人でも、環境や時代の変化で価値観が変わってしまい、かつてのような関係性でなくなってしまうのは、現代にも通ずることだし、悲しいけれど人生ってそういうものだよなあと思う。
近代化以降の日本でよくあることなのかと思ったけど、もっと昔はどうだったんだろう。例えば江戸時代に任地で田舎に行って戻ってきた人がすっかり人が変わってた、ということはありそう。環境が与える人間の性質への影響は大きいんだろうなあ。
「姪子」はよくわからず、最後の「守の家」は、「野菊の墓」に通ずるような、あの時代の女性の、他者に対する切なくまっすぐな思いが表されていて、印象的だった。 -
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ネタバレ北村薫著、秋の花より。
再読するたびにいつか読もうと思っていたコチラをようやく手に取る。
普段あまり遣わない漢字や言葉が多くて、そういえば私、小説たくさん読んできたつもりだったけど、いわゆるクラッシックな名作っていうやつはあんまり読んできてなかったな、ということに思い至った。
と、いうことで読み慣れない古い言葉や漢字に悪戦苦闘…、
短編で良かった。
お話のスジは主人公政夫が、思春期の入口にいた頃、仲の良かった2つ年上の従姉妹とのその関係を周りにとやかく言われ始めたことから意識してしまい、お互いプラトニックな恋心を通わせたタイミングで親や親戚からその仲を引き裂かれ、従姉妹は望まぬ結婚をさせられ、失意のうちに若くして亡くなり…という思い出を振り返って語る、というもの。
従姉妹…民子の亡くなった理由としては嫁に行き、身重になったものの、子どもはおりてしまい後の肥立ちの悪さゆえ、ということらしい。
縁談を断る民子に、政夫の母が言い放つ言葉がなかなか厳しく、また、嫌がる彼女に強引に縁談を勧めた家族の圧も結構しんどかったことだろう。
実際、民子の死に際して政夫の母も民子の家族も大きな責任を感じている。
物語は過去の政夫の視点で進む。
民子の死を伝えた時の、母の詫び言、
墓に参った政夫を出迎えた民子の家族の詫び様に、1番感情を動かされた。
政夫に民子との仲を引き裂いたことを涙ながらに詫びる。
さらに政夫に民子の死、その一部始終を涙ながらに聞かせる。
…いやいや、皆さん、
それでその罪悪感から逃れようとしていませんか?
…なんなんだ、この人たち、と。
秋の花の正ちゃんは、政夫に随分ご立腹でしたが、私は民子が亡くなった後の政夫の母や、民子の家族の詫びようになんだかとてもイライラしてしまった。
いやマジで、
民子の嫁行った先のお家の方にもめちゃくちゃ失礼だろうよ。
2人で茄子をもぐシーンや、綿の畑で過ごす時間、野菊と竜胆のやりとりなど、繊細で美しいところもあったけど、
実はイマイチ政夫や民子にも共感できなかったんだよな。
時代認識の差なのかなー…。
共感ではないが、同情するとしたら、民子の嫁ぎ先の旦那さんに1番同情した。
(おそらく待望のお子さんも亡くなってるわけだし)
とは言え、読み慣れない文体にも関わらず、なんだかんだで感情を動かされる。
美しい悲恋に感動で涙が流れる…という動かされ方ではないけど、集中が途切れず一気に読めたのも良かった。
あ、ほかの3編もじわじわ面白かったです。
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ネタバレ情景描写の美しさや、若い二人の初々しい恋愛がとても素敵だった。
ただ、政夫は恋に恋してるだけのような感じがしてしまった。本当に民子のことを思ってるんだったら会いに行ってやれよ!まあ、15歳だったらそんなもんかなとは思うけど。
あと、民子も最後に握るのは写真と手紙は違うだろ。自分の死後にそれをみた母親達がどんな気持ちになるのか想像できない子じゃないと思うから、もしかしたら無理矢理結婚させられた腹いせとして、自分の死後に傷つけてやろうという魂胆があったのかもだけど、もしそうじゃないんだったら竜胆を握っておけばよかったのに。せっかく政夫=竜胆という2人だけの約束事があったんだから。 -
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『野菊の墓』
過去に幾度となく映像化されたもののいくつかを見たことあれど原作は初めて。若すぎる2人の儚い恋心が美しく切なく表現されている。嫁いでもなお政夫への思いを持ち続けた民子の健気さもさることながら、悲しい結末に追い込んだ事を後悔し泣いて謝る大人に対し、悲しみを堪えて受け止める政夫の姿が、この物語を一層切なく美しいものにしている。
明治の時代はかくもこのように恋愛には閉鎖的だったのでしょうが、世間体を気にする大人の身勝手さや醜さと言ったものはいつの時代にも当てはまるからこそ時代を超えて読み継がれ映像化もされるのでしょう。
『浜菊』
以前文学の道を志したがその道を諦め家庭を持った者が、今も文学の道を生きるかつての同志の訪問に対し、冷たいもてなしをする言うだけの短い話だが、その邪険な扱い方がちょっと面白く、そんな事あるだろうな、と思ってしまったw
妹が年賀状で、また来てくださいと書いてくれたからと言ってのこのこ訪問してしまったが招かれざる客と悟った主人公。一つの時代が終わった、と感じる瞬間は誰しも経験する事だと思うし、夢を諦め堅実な生活を選んだ人にとって、今も自分の道を生きる友人にはやりきれない複雑な思いを抱く気持ちもわかる。
『守の家』
主人公が幼い時の、子守の娘との思い出。これまたとても短い話でしたがなかなか良かったです。 -
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伊藤左千夫の『野菊の墓』はタイトルとしては知っていたし、いろいろな映画になったのも知っていたけど、読んだことはなかった。明治時代の純愛文学の代表作とのことだが、時代の違いが物語のトーンを決定しており、結局純愛って何?という疑問が離れない。まあ時代背景を学ぶということなんだろうか。
親の決めた相手と結婚するという考え方が主流の時代で、好きな人と結婚できずに病に伏せって亡くなってしまう、そんなことなら好きな人と結婚させればよかったとやっぱり親が考えて慟哭する。であれば、やっぱり親達も好きな人どうしで結婚させるべきだという考えがあったということなのか。親が決めた先というのは家と家が結びつくということもあったとは思うが、そこには違う利害関係や、それは親が何かのために良かれと思ったことなんだろうとも思うが、それはやっぱり純愛と正反対に位置するものなのだろうか。
伊藤左千夫が表現したものは、自由な文体で恋愛を扱う、ということなのか、純愛という性愛などとはかなり遠い位置にある、恋愛経験の幼い段階のことを文学にしたことが珍しいことなのか。なんだか何度も読んだり他人の書評を読むにつけ、表現の世界にとどまってしまっていないか?そんなことを感じたりもしたわけです。