伊藤左千夫のレビュー一覧
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読むきっかけは、北村薫先生の円紫さんと私シリーズで、主人公とその友人たちが『野菊の墓』の聖地である千葉に遊びに行ったのを、なんとなく覚えてたからだと思う。
作品名も学生の頃教科書などで見かけた記憶がある。
表題作の「野菊の墓」は、仕事の昼休み中だったのに涙ぐみながら読み終えた。ストーリーはよくある展開のように思われるんだけど、主人公や民子の家族の悲しさや後悔が、何度も何度も感情に訴えてくるような簡素な文章で表されているから、その悲しみが心に迫ってくる…
昔の農村の爽やかで懐かしい風景の中で、美しく健康的な姿の民子と、政夫との仲を引き裂かれてしまった後のあわれな姿の対比も切ない。
解説によると、 -
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ネタバレ北村薫著、秋の花より。
再読するたびにいつか読もうと思っていたコチラをようやく手に取る。
普段あまり遣わない漢字や言葉が多くて、そういえば私、小説たくさん読んできたつもりだったけど、いわゆるクラッシックな名作っていうやつはあんまり読んできてなかったな、ということに思い至った。
と、いうことで読み慣れない古い言葉や漢字に悪戦苦闘…、
短編で良かった。
お話のスジは主人公政夫が、思春期の入口にいた頃、仲の良かった2つ年上の従姉妹とのその関係を周りにとやかく言われ始めたことから意識してしまい、お互いプラトニックな恋心を通わせたタイミングで親や親戚からその仲を引き裂かれ、従姉妹は望まぬ結婚をさせ -
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ネタバレ情景描写の美しさや、若い二人の初々しい恋愛がとても素敵だった。
ただ、政夫は恋に恋してるだけのような感じがしてしまった。本当に民子のことを思ってるんだったら会いに行ってやれよ!まあ、15歳だったらそんなもんかなとは思うけど。
あと、民子も最後に握るのは写真と手紙は違うだろ。自分の死後にそれをみた母親達がどんな気持ちになるのか想像できない子じゃないと思うから、もしかしたら無理矢理結婚させられた腹いせとして、自分の死後に傷つけてやろうという魂胆があったのかもだけど、もしそうじゃないんだったら竜胆を握っておけばよかったのに。せっかく政夫=竜胆という2人だけの約束事があったんだから。 -
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『野菊の墓』
過去に幾度となく映像化されたもののいくつかを見たことあれど原作は初めて。若すぎる2人の儚い恋心が美しく切なく表現されている。嫁いでもなお政夫への思いを持ち続けた民子の健気さもさることながら、悲しい結末に追い込んだ事を後悔し泣いて謝る大人に対し、悲しみを堪えて受け止める政夫の姿が、この物語を一層切なく美しいものにしている。
明治の時代はかくもこのように恋愛には閉鎖的だったのでしょうが、世間体を気にする大人の身勝手さや醜さと言ったものはいつの時代にも当てはまるからこそ時代を超えて読み継がれ映像化もされるのでしょう。
『浜菊』
以前文学の道を志したがその道を諦め家庭を持った者が、今も文 -
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伊藤左千夫の『野菊の墓』はタイトルとしては知っていたし、いろいろな映画になったのも知っていたけど、読んだことはなかった。明治時代の純愛文学の代表作とのことだが、時代の違いが物語のトーンを決定しており、結局純愛って何?という疑問が離れない。まあ時代背景を学ぶということなんだろうか。
親の決めた相手と結婚するという考え方が主流の時代で、好きな人と結婚できずに病に伏せって亡くなってしまう、そんなことなら好きな人と結婚させればよかったとやっぱり親が考えて慟哭する。であれば、やっぱり親達も好きな人どうしで結婚させるべきだという考えがあったということなのか。親が決めた先というのは家と家が結びつくというこ -
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こういう作品は、アラサーになってから読んじゃだめ、絶対(悲壮感)。
初恋は実らない。
なんて使い古されて手垢の付いた至言でしょうか。初恋は実らない。実を結ばないからこそ、いつまでも瑞々しく、甘酸っぱい思い出として記憶に留められる初恋………。私の初恋の木下くん、元気かな………←
ですが、古典文学の世界にあっては、初恋は悲劇と切っても切り離せるものではありません。
ロミオとジュリエットしかり、ツルゲーネフしかり。
実らないからこそ、
悲劇として幕を閉じるからこそ、
一瞬の強烈な輝きを永遠に留めることのできる初恋……………。
うーーーーーーーーーん。
可哀想だね?(@綿矢りさ)以上の感