ユリイカ2022年7月号、「スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ」特集での、佐藤泉氏による寄稿、
「とばりの向こうの声を集める」のなかで、聞き書きの代表的書き手として、森崎和江氏が、そしてこの「まっくら」が紹介されており、読むに至った。
明治期後半から昭和初期の、女性坑夫からの聞き書きで構成されたこ
...続きを読むの本は、1961年に発行されている。その当時、まだかろうじて残っていた福岡県筑豊炭坑住宅に著書自らが暮らし、聞き取ったもの。
森崎は当時の女性としては最高とも言える教育を受けて育って、しかしその中で触れるたくさんの文字、書かれた言葉中の日本人は、「もう結構だった」と言う。
「文字に縁なく、そんなものを無視して暮らす人びとは、新しい泉に思えた。私は救われたかった。」と。
記された10人の、かつての女坑夫である老女の話す言葉は、訛りもそのままに生々しく、読み手をも焼き滅ぼすようにこちらに向かってまっすぐに向かってくる。
たいていの坑夫は、流れ着いてまた流れて、を繰り返すようで、戸籍のない人も多い。その日の炭の取れ高により、米や金券のようなもので交換される。そこから納屋代や道具代なども差し引かれると、手元には何も残らない。ほとんどの人がその日暮らしだ。夜暗いうちから地底に降りて、這うように炭を掘り、外へ出る頃にはもう真っ暗。
「黒雲天井たい。数えの十四たい。十四の歳から坑内にさがった。そして二十二の歳まで、わたしは青空天井とは縁が切れた。」
印象的だったのは、「生活のぜんぶが、人間的なものの抹殺であるようなぎりぎりの場」では、実体験として、信仰や信心は「ないがよか」と悟る坑夫の話。
赤不浄(生理中)は坑内に入るな、山の神さまは女だからとか、坑内での様々なタブー。
しかし、おがみやと呼ばれる年寄りに彼女の母親が無事かと聞いても、地下で働く者の安否は見えないのだという。
ならば、「ないがよか」と。
「神さんも地の下ににんげんが入ると、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。神さんにも。」
「信心は、これは地の上のことばい。神も仏も、これは地の上のことばい。」
生理中だろうと、出産したすぐ後だろうと、今働かなければ食べられないというギリギリの状態で、十七の歳に彼女はそうして信心を捨てる。切ないを超えている。
それを涙を流して話す姿から透けて見えるものを、今までずっと言葉にならなかった言葉を、引き出していく。
巻末の解説に書いてあるが、1928年には、国際労働条約の締結に伴い、女性の坑内労働は原則禁止になる。
「男は仕事、女は家事」という性分業の先駆けとも見えるが、女坑夫達の気持ちは違った。
もちろん辛い仕事だが、そこにはあまり男女の優劣が無かった。坑内では男女は対等であり、先山(先に掘り進める者。主に男)と後山(掘った炭を集めて函に入れ運ぶ。主に女。親子の場合先山が親)は、どちらが楽ということはなく、男も女も同じように働く。炭鉱によっては、男女差の無い賃金のところもあったようだ。
女はより能力の高い先山を求めて男を変えることもある。
そのような生き方の中にある「始点」というような得体の知れない感動。
しかし大きな物語の中でそれらの小さな感動は言葉をもたず封印され、(書かれた)当時の近代的価値観により、進化による性分業とみなされてしまったと森崎は訴える。
そのような森崎の視点は、インテリジェンス(しばしば大きな物語目線になりがちな)が無ければ得られないものだが、その側からは語られない。その場所に居る人に聞くことでしか封印は破られないし、それを公共の言説空間に現出させることは森崎側にしか出来ない。
だからこそ、森崎は
「心を無にして、相手の思いの核心に耳を澄ます」という方法で挑んだ。
私はそれを両側から受け取る。
西欧社会にはパロール(話し言葉)本意主義があり、パロールはエクリチュール(書き言葉)に先行するという哲学的思考がある。
デリダはこれに異を唱え、二項対立の脱構築を試みるのだが、
先に紹介した佐藤泉氏の寄稿には、
「ロゴスの世界にアクセスできるのは、話し言葉ではなく書き言葉のみだからだ。」
とある。
ならば聞き書きとは、より一層真理の方へ、下へ下へ、向かうのではないか。
両側から受け取った今、そう思う。
書かれた時代と現代で比べれば、森崎の考え方の遅れも感じる。女性が男性と同じように働くのが平等では必ずしもないし、家庭に収まる女性にどこか攻撃的な部分、冷ややかな書き方もチラと感じられるからまるごと共感は出来ないが、
「それは確かにあった」という前提で聞いた、その地の裂け目からの声を私もまた聞いたように読んだ。
それはかつての女坑夫達への何にも代え難い鎮魂になるのではないのか、と思う。
語ることもなく死んでいった彼女達への。