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Posted by ブクログ
解説によると、底本の初版は1961年。
筑豊の石炭鉱山で働いた女性からの聞き書き。方言を使って生き生きと語る様子が書かれる。苦労したんだろうが、当時は楽しかったと思い出を語っている。
1920年代から女性労働者の環境改善という世界情勢から子供や女性の入坑禁止となった炭鉱で、男性に負けず働いた女性がいた。男とも対等に働いたという。
かつては、大学卒業生の就職先第一志望先だった時代もあるという炭鉱だが、その最前線の現場で働いた女性坑夫(歴史から消えた女性労働者)の存在に焦点を当てる。
鉱山の中という暗闇の中で働き、夜明け前から夜中まで働き続けて鉱山の外に出ても、まっくら。坑夫の仕事が終わっても、女性には炊事や子育てなどが待ち構える。そんな環境で女性が元気に働いていた時代があった。
先山(さきやま),後山(あとやま)、スラ、セナなど、炭鉱作業の用語が出てくる。説明を忘れたら、解説文の初めのほうを読めば思い出せた。
九州の方言で語る言葉も、関西弁で育った私にはほとんどが理解できた。
宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだ時のように、こんな日本もあったのか・・・と。
Posted by ブクログ
読む前は、たぶん内容は書名どおりとても暗いんだろうな、と思っていた。だから、気になりつつ、手に取るまでだいぶ時間がかかった。ところが読み出してみたら、なんとも元気の出てくる本であり、しかも仕事頑張るぞーと思える本でもあった。ただし、著者から聞き書きをされている十一人の女性たちの語る仕事・労働や家事や性や、つまり生きることに対しての態度は、現代の我々とはかなり違う。彼女たちにとって、働かない人生など人生ではないのであり、週に一日休むなんて、とんでもないことであり、最近の若い者はなっとらん、なのである。炭鉱にもぐっていくことは怖いし、男たちに対しては、なんだ、偉そうに、という思いもあると同時に、炭鉱の中で男とこっそりセックスすることも、仕事中にしっかり楽しんでいるし、その結果として子どもが産まれる。だから、全面的に共感しながら読んだ、というわけではないのだが、とても勇気づけられたのであった。その時代その場所で、生きることに対しての態度は異なるのであり、わたしは、今この時代この場所から、国内のだいぶ遠い場所にかつて生きていた彼女たちに、生きることそのものの根っこのところで共感し、勇気づけられたのだ。
Posted by ブクログ
すごくいい本だと思う
日本の歴史のことが書かれてて
でも残念なことに、昔の言葉と九州の方言で
意味が分からないことも多々…
現代風に書き換えてくれたら、もっと見やすいのに…
炭鉱で、採炭作業がまだ機械化される前の大正期頃の話
スラ(そり状の木箱)やセナ(竹の籠)に石炭を入れて地上へ運ぶ
これを、ほぼ女の人がやってて
夫婦で炭鉱で働いて、採炭作業が終われば家事
その頃、旦那さんは飲みに行く…
夜中に子どもを保育園に預け、また夜の寝てる頃に迎えに行く…
子供の顔は寝顔しか分からない
今じゃ考えられない
でも、それが当時は普通
14歳で炭鉱で働いたり
学校は行かなかったり
戸籍はなかったり
何者か分からないものが働いてたり
すごい世界と感じた
坑内で、亡くなる人の亡くなり方が
スラに轢かれたり…
人がやっと1人通れるような暗い道を1人通る怖さは想像を絶する…
Posted by ブクログ
衝撃の一冊。
おばあさんたちによって、炭鉱での仕事と生活が平易な言葉で語られるけれど、人間とは、歴史とは、労働とは、女性とは、産業とは、と色々な観点で考えさせられる。後を引くおもしろさ。かつ、私の人生を変える予感。
祖母と同じ語り口。祖母から話を聞いているような、あたたかい気持ちになる。
○まず、女性がこんなにワイルドで強かったということに驚愕。これが私にとって一番力になる。私の中にもこれくらいの強さがあるのかもしれない、と思えることがこの本の希望。
・偉そうなむかつく男を女子グループで手足を縛って袋叩きにして暗闇に放置してあやまらせる。
・先山となってマイトをうまくしかけて石炭を掘り男たちからも尊敬される。
・神を信じず、迷信に囚われず、自分の意思で物事を決める。
・月のさわりでも休めず、草履でも新聞紙でも突っ込んで仕事。
○彼女たちの恋愛事情もシンプル
・いい仕事ができる、いい先山に惚れる。そうせな生きていけん。組んで仕事しよったら情が移る。
・(坑内で)やらんではおれん
・子持ちでも若い男とけつわれ
○不条理や恐怖に耐え抜く
・親の借金のかたに突然結婚
・貧しくて教育を受けられない
・事故死
・極貧、そのひぐらし
・制圧
・競争
・女性の入山禁止
・男より安い賃金
Posted by ブクログ
ユリイカ2022年7月号、「スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ」特集での、佐藤泉氏による寄稿、
「とばりの向こうの声を集める」のなかで、聞き書きの代表的書き手として、森崎和江氏が、そしてこの「まっくら」が紹介されており、読むに至った。
明治期後半から昭和初期の、女性坑夫からの聞き書きで構成されたこの本は、1961年に発行されている。その当時、まだかろうじて残っていた福岡県筑豊炭坑住宅に著書自らが暮らし、聞き取ったもの。
森崎は当時の女性としては最高とも言える教育を受けて育って、しかしその中で触れるたくさんの文字、書かれた言葉中の日本人は、「もう結構だった」と言う。
「文字に縁なく、そんなものを無視して暮らす人びとは、新しい泉に思えた。私は救われたかった。」と。
記された10人の、かつての女坑夫である老女の話す言葉は、訛りもそのままに生々しく、読み手をも焼き滅ぼすようにこちらに向かってまっすぐに向かってくる。
たいていの坑夫は、流れ着いてまた流れて、を繰り返すようで、戸籍のない人も多い。その日の炭の取れ高により、米や金券のようなもので交換される。そこから納屋代や道具代なども差し引かれると、手元には何も残らない。ほとんどの人がその日暮らしだ。夜暗いうちから地底に降りて、這うように炭を掘り、外へ出る頃にはもう真っ暗。
「黒雲天井たい。数えの十四たい。十四の歳から坑内にさがった。そして二十二の歳まで、わたしは青空天井とは縁が切れた。」
印象的だったのは、「生活のぜんぶが、人間的なものの抹殺であるようなぎりぎりの場」では、実体験として、信仰や信心は「ないがよか」と悟る坑夫の話。
赤不浄(生理中)は坑内に入るな、山の神さまは女だからとか、坑内での様々なタブー。
しかし、おがみやと呼ばれる年寄りに彼女の母親が無事かと聞いても、地下で働く者の安否は見えないのだという。
ならば、「ないがよか」と。
「神さんも地の下ににんげんが入ると、生きとっても生きとらんのと同じことげなばい。神さんにも。」
「信心は、これは地の上のことばい。神も仏も、これは地の上のことばい。」
生理中だろうと、出産したすぐ後だろうと、今働かなければ食べられないというギリギリの状態で、十七の歳に彼女はそうして信心を捨てる。切ないを超えている。
それを涙を流して話す姿から透けて見えるものを、今までずっと言葉にならなかった言葉を、引き出していく。
巻末の解説に書いてあるが、1928年には、国際労働条約の締結に伴い、女性の坑内労働は原則禁止になる。
「男は仕事、女は家事」という性分業の先駆けとも見えるが、女坑夫達の気持ちは違った。
もちろん辛い仕事だが、そこにはあまり男女の優劣が無かった。坑内では男女は対等であり、先山(先に掘り進める者。主に男)と後山(掘った炭を集めて函に入れ運ぶ。主に女。親子の場合先山が親)は、どちらが楽ということはなく、男も女も同じように働く。炭鉱によっては、男女差の無い賃金のところもあったようだ。
女はより能力の高い先山を求めて男を変えることもある。
そのような生き方の中にある「始点」というような得体の知れない感動。
しかし大きな物語の中でそれらの小さな感動は言葉をもたず封印され、(書かれた)当時の近代的価値観により、進化による性分業とみなされてしまったと森崎は訴える。
そのような森崎の視点は、インテリジェンス(しばしば大きな物語目線になりがちな)が無ければ得られないものだが、その側からは語られない。その場所に居る人に聞くことでしか封印は破られないし、それを公共の言説空間に現出させることは森崎側にしか出来ない。
だからこそ、森崎は
「心を無にして、相手の思いの核心に耳を澄ます」という方法で挑んだ。
私はそれを両側から受け取る。
西欧社会にはパロール(話し言葉)本意主義があり、パロールはエクリチュール(書き言葉)に先行するという哲学的思考がある。
デリダはこれに異を唱え、二項対立の脱構築を試みるのだが、
先に紹介した佐藤泉氏の寄稿には、
「ロゴスの世界にアクセスできるのは、話し言葉ではなく書き言葉のみだからだ。」
とある。
ならば聞き書きとは、より一層真理の方へ、下へ下へ、向かうのではないか。
両側から受け取った今、そう思う。
書かれた時代と現代で比べれば、森崎の考え方の遅れも感じる。女性が男性と同じように働くのが平等では必ずしもないし、家庭に収まる女性にどこか攻撃的な部分、冷ややかな書き方もチラと感じられるからまるごと共感は出来ないが、
「それは確かにあった」という前提で聞いた、その地の裂け目からの声を私もまた聞いたように読んだ。
それはかつての女坑夫達への何にも代え難い鎮魂になるのではないのか、と思う。
語ることもなく死んでいった彼女達への。
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