佐々木健一のレビュー一覧
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藤田スケールとして知られる竜巻の強さを示すFスケール誕生の裏には、原子爆弾による被災地である長崎での調査から始まった。そのあと、航空機のダウンバーストによる墜落事故への調査が進み、下降気流によって生じる爆発的な突風のスケールを生み出す。
そして、竜巻がこのスケールに照らしてどれほどの破壊力を有しているかを、被害想定から分かりやすくしたのがFスケール。
竜巻は地震と違い、乱気流の生じた場所からある程度予測できると言え、建物は移動することができないため、被害は甚大になりがちである。そのため避難も遅れることがあり、それが竜巻の強さを示すスケールを開示したことで、人的被害は大きく減ったという。
なお、藤田氏は日本人とは言え、めちゃくちゃ勤勉で高校生の頃には小学校の先生をしていた秀才である。 -
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「面白いとは、差違と共感の両輪である」
アイデアは組み合わせによって出来上がる。組み合わせとは足し算や、掛け算のことだけを言うのではなくて、引き算も含まれる。たとえばツイッターは「従来のブログ機能」にあえて「文字数の制限」を組み合わせた結果成功した。
「合わせ鏡の法則」取材をする時、自分自身の姿勢が相手にも反映される。テンション高く聞けば相手も高く、抽象的に聞けば抽象的に、論理的り聞けば論理的に答えが得れる。相手の本音を引き出したければまず自分が本音を語ることが大切。
「わかりやすさ」=「面白さ」ではない。しかし、「わかりそうでわからない」というものは吸引力を持っており、興味を持続させる。「モナリザ」のように、わかりそうでわからないものは面白い。
あらゆるコンテンツは「構成」から逃げられない。ほぼ全てのコンテンツは「時間」という概念に縛られている。始まりがあって終わりがあるコンテンツはすべて「構成」が関わってくる。
構成する上で役に立つ手法がペタペタ、壁一面に場面を書いた付箋をはって、それを見て貼り替えて全体を構成する。この方法は全体を俯瞰できるので良い。プレゼン、本の内容など幅広く転用できる。
世の中の名作と言われている創作物に共通する構造として三幕構成がある。「問題提起」「問題の複雑化」「問題の解決」の順番に進む。25.50.25パーセントぐらいの割合である。前の幕が次の幕を押し進める形が理想である。問題提起(問い・謎)が一番大切であり、物語の芯になるのでしっかり考えるべきである。
世の中のコンテンツは「人間とは何か?」というテーマを大なり小なり内包している。
人間の視細胞は中心にあつまり、主観的な視点では中心のものは大きく見える。ジブリなどはその特性に合わせ主観的な世界を描いている。
単純作業では金、クリエイティブな作業では内発的動機がモチベーションになる。
「現場の人間が、前のめりで取り組む状況をいかに作れるか」これが本来あるべきプロデュースやマネジメントの肝であり、そうした中から革新的な作品も生まれる。
リモコンを押すだけで気楽に見られるテレビ番組をきっかけに、時に自分でも予測しなかった「新たな自分」が掘り起こされ、世界が広がる。そうした「偶然の出会い」を演出できるのがテレビの醍醐味である。負荷が少ないのも強み、自分から検索しなくても良い受動メディアのため楽である。
コンテンツが競い合う時代。テレビは大量生産・消費型のスタイル。ネットの動画配信サービスは、会員制で顧客を抱え込む方向。お客さんを逃さないために優れた作品を独占配信しようと動いている。長い間多くの人が好きな時に見ることが出来る。この流れが進むと、これからは個々の作品のクオリティーがより重視される時代が訪れる。その時問われるのは「作品を生み出す人=クリエイター」の存在価値。一つの作品と一つの人格は不可分。一方日本のテレビ業界は、分業制で署名性が乏しい。誰の作品か曖昧で矜持が失われる。
各媒体は今後、他と違う良質なコンテンツをどれだけ抱えているかが勝負になる。客を呼び込める魅力的な作品ラインナップをどれだけ揃えられるかによって視聴者数や契約者数も変動する。
世界ではコンテンツ優位な状況でクリエイターに還元されるようになっている。しかし、日本では「番組の著作権が放送局に帰属している」ためあまり還元されない。すると、手間をかけてクオリティーの高い番組を作っても、次々に新作を作らなければ収益が上がらない。利益を上げるために予算を切り詰めるという発想になり、演出も挑戦的なものを避けるようになる。その結果、現場は疲弊して、面白いコンテンツも生まれなくなる。いい作品を作り、ヒットした場合、制作した当事者に利益が還元されるなら、クリエイターは「より良いもの」を作ろうとするのは当然。良質なコンテンツができるとお互いに得をする。動画配信サービスはそのことについてわかっているのでそっちに流れてしまう。権利の問題は業界全体の問題、業界の活性化のためにも考えなければならない。 -
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項羽と劉邦、最澄と空海、信玄と謙信、エジソンとテスラ…そんな歴史上の大人物達で無くとも、同時代に並び立つ二人の天才のライバル関係を描いたストーリーというのは大抵の場合、すごく面白い。
しかもそれをNHKの番組制作ディレクターという圧倒的に取材力に長けた人がノンフィクション・エッセイとして書いたら。その時点で面白くなることは自明だ。筆者はこの本が初の著作らしいが信じられないくらい文章の構成が巧みに感じた。圧倒的な取材量に基づく事実の裏どり、肉付けがあることが文章から透けてくる。
『舟を編む』という辞書編纂者にスポットを当てた三浦しをん著の名作小説があるが、あんなドラマは小説の中だけだと思っていた。最近『三省堂国語辞典のひみつ(「三国」の現主幹編纂者である飯間氏が書いた国語辞典の面白さを描いた本)』を読んで自分の中で「三国」がホットになっていたけど、まさかその出自にこんなドラマがあったなんて。
本書に出てくる表現を借りれば正に“字引は小説より奇なり”だった。『博士と狂人』じゃないけど、映画化されてもいいのでは?
大部分、徹底した取材に裏打ちされた事実と推定によって成り立っているけど、終盤の一部分に関してはちょっと妄想や願望が入り混じった「創造的誤読」で筆が進んだように感じなくもなかった。(具体的にはケンボー先生と山田先生の内心を慮る箇所)
終章および「おわりに」の締め方が見事。
改めて新明解国語辞典と三省堂国語辞典が欲しくなった。 -
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『99.9刑事専門弁護士』。この数字はドラマ用にデフォルメされたものと思いきや、それが日本の現実で、覆すためのハードルがこんなに高いとは…。
今村核弁護士の弁護活動には頭が下がるし、希望にも思えるけど、それがひとりや少数派のままだと自分が冤罪事件の当事者になった時どうなるのかが簡単に想像できすぎて恐ろしい。
実社会には松本潤もいなければ、HEROの木村拓哉もイチケイのカラスの竹野内豊もいないので…もはやどこから手をつけたらいいのかわからないほど根が深いけれど、一歩ずつ進むしかないし、進んでいけると信じたい。そのためにも今村弁護士を追ったドキュメンタリー番組。再放送を強く希望します。 -
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twitterで流れてくるイラストには魅力を感じる。
それとは別に、フェルメールの絵には美しさを感じる。
そして、背伸びして出かけた美術館で目にする現代アートは訳が分からない。
この3種類の絵の違いがジャンルの違いを超えているのは明らかですが、何が違うのか分からないでいました。
自分の感性や教養が足りないから、現代アートは分からないのかとも考えていました。
本書の第7章・第8章は、何が芸術なのか、どのような態度で臨めば観賞できるのかという問いを通じて、私の長年の疑問に答えてくれました。
また、この美学という分かりそうで分からない学問が、なぜ哲学の一種であるのかにも。
ところで、第6章「芸術の身体性」で庭園を歩くときの体感が取り上げられます。
本書で取り上げられた場所には行ったことがないので、個人的に印象に残っている庭園をイメージしながら読んだところ、庭を訪れたときの感じを「身体性」という抽象的な一語に集約できたような気がします。
そういう無形の問いや感じを数多く言語化してくれた本でした。 -
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ネタバレ数々のドキュメンタリー制作で知られる佐々木健一氏の著書。
「面白い」という抽象的な感覚を言語化してくれている。ただ、あくまで映画やドキュメンタリーといった分野での「面白い」の印象。
英語でいうとfunnyよりinterestingに近い。
ただ、自分もテレビマンとしてのキャリアを積み上げていく予定なので、大変参考になった。
以下、勉強になったことを簡単にまとめます。
・面白いとは差異と共感の両輪。差異が関心を生む。意外性によって視聴者の心を揺さぶり、その上で人物に共感を覚えてもらう。
・新しいものを生むには過去を知る。「想像とは記憶である」(黒澤明)アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせでしかない。
・似たような意見や志向の人が集まると知的生産のクオリティは低下する
・徹底した取材と様々な制約が良いアイデアを生む
・「合わせ鏡の法則」で相手の本音を引き出すなら、自分が本音で語らなければならない。
・十分に事前リサーチをする。
・テーマより取材が先。事実を丹念に取材することで描くべきテーマは浮かび上がる。
・演出とは状況設定である。しっかりと狙い(意図、想定、仮説)を定め、様々な準備を怠らない。人の出入りの動線やカメポジなど空間の確認、レンズはノーマルかワイドか、などなど。
・過去の出来事も構成や見せ方の工夫で魅力的に描ける。
・仕事は前倒しでやる。ナレーションになりそうな文言やキーワードに出くわしたら、その都度書き留める。
・被写体と仲良くするだけでは、豊かに描けない。取材相手との関係性を示しながら見せる。
・ナレーションで前振りした内容がインタビューと被るのは、なんでも後付けにする制作スタイルが一因。分かりにくい=面白くないとは言い切れない。
・ドキュメンタリーを作るときは構成のことしか考えない。ちゃんと他の要素とつながっていくか。登場人物の構造に理由と帰結があるか。(ジェームズ・マーシュ監督)
・事前構成を積極的に作成する。ドキュメンタリーの物語は(制作中に)発見されるべきと思っている人もいる。作品を作りながら発見に対しても目を見開いておく。最初に組んだ構成を変えてしまう発見であっても。(ジェームズ・マーシュ監督)
・三幕構成が基本構造。1幕:2幕:3幕=1:2:1。1つの幕が次の幕に向かって物語を引っ張っていくから三幕構成と呼べる。
問題提起、問題の複雑化、問題の決着といつ3つのパートに別れる。つまり問いこそが視聴者を物語に引っ張る。
・問題提起は普遍的な問いになることが多い。
・作品のクオリティーは情報量で決まる。
・主観的に捉えている現実に近く、情報を受け取りやすいものを好む傾向にある。大量の情報も受け取ってもらえなければ意味がない。
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著者、佐々木健一氏は本書で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞されたそうです。
平成25年4月29日、NHK-BSプレミアムの特番。
「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男」という番組の取材内容に新たな証言や検証を加えて構成したものだそうです。
ケンボー先生というのは『三省堂国語辞典』を編纂した見坊豪紀(けんぼうひでとし)氏のことで、山田先生というのは、『新明解国語辞典』を編纂した山田忠雄氏のことです。
二人は東大の同級生で二人とも三省堂の社員でした。
最初はケンボー先生の助手として山田先生と二人で、『明解国語辞典』を作っていたそうです。それが途中から、簡単に言うと山田先生の反乱で袂を分かち、ケンボー先生は『三国』を、山田先生は『新明解』を別々に作るようになったそうです。
二人の辞書にはそれぞれ独自のカラーがあり、『三国』は用例採集を1日に15時間もしていたケンボー先生の「現代語事典として説明が平易でそれがよくこなれている」と、国語学者の大野晋氏にいわしめた、オーソドックスな辞典。
『新明解』は山田先生のカラーが強く出た辞書のことばの”堂々めぐり”を打ち破る辞書界への挑戦状。「ことば」の”表”と”裏”の意味を明らかにした画期的な辞書で悪く言えば、個人的すぎる内容の語釈があること。逆にその語釈が面白いということで日本で最も発行部数の多い辞書だそうです。
辞書と言えば『広辞苑』と多くの人が思っているのは誤りだそうです。
今持っている辞書の他に、どちらかを買うなら、一体どちらにしたらいいのか読みながらさんざん悩みました。
どちらも、欲しい気もしますし、私は辞書を読むほどのマニア(勉強家)ではないので今持っているもので十分な気もしました。
ただ、辞書を読むなら語釈が個性的な『新明解』が面白そうで、学生さんなら『三国』が基本かと思いました。
ケンボー先生と山田先生は、友情と引き換えに強烈な個性を辞書に輝かせました。 -
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凄まじい生き方をするすごい人がいた
NHKドキュメンタリー「ブレイブ 勇敢なる者」
を見終わった時に心が震えた!
冤罪弁護士・今村核さんに密着したドキュメンタリーだった。
これは、そのドキュメンタリーを撮ったディレクターが書いた本。
99.9%有罪
残り0.1%の無罪
無実の罪を認めてしまった「弱くさせられている人」
その無実を確実なものとするために真実をとことん追求していく
鮨店の放火事件では現場の模型を自ら作り燃焼実験をし、チカン事件の時は映像を何百回と自ら確認し、
さらには骨格のことや人間の皮膚神経についてまで調べる。
執拗ともいえるその姿勢は「変人」と揶揄されることも…
そこまでしても無罪が勝ち取れないこともある
それでも今村核さんは不屈の精神で立ち上がる
何がそこまで彼を駆り立てるのか?
その理由について彼はこう語る
「私が生きている理由」
司法は本当に正義なのか?
いや、まだ正義は日本の司法にあると言っていいのか?
裁判という得体のしれないものの恐ろしさ…
人は人を裁けるのか?
司法と正義とは?
それを追求するために今村核さんは戦っているのかもしれない。
ご本人が書いた著書もぜひ読みたいと思った。