佐々木健一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ内容は哲学っぽい。確かに藝術、美学とは哲学に近いものがあるかも。しかしやはり、その定義を語る導入の1章が難しい。そこを乗り切れたら、その先は難しいところあり、なるほど!と思えるところありだったのですが。
読んで面白いと思ったところ。4章コピーの藝術。(p.77)コピー、複製品とオリジナルの差。ここは、前回の読書会「音楽の聴き方」でも興味を持った内容だし、普段からも考えていた部分。読書会でも感想を言った人が多かった。昔なら複製品が品質は下がるものでしたが、今の技術を利用したら個々の職人芸を再現したり、表面的な形だけでなく内部も成分も全く同じ複製品を作れそう。そうなると、オリジナルの強みは「美しさ」ではなく、希少性と背景、履歴などの付加価値となるのではないだろうか?。これは例えば、天然宝石と人工宝石にもいえることで、ガラスに色を付けたなんていうまがいものではなく、今は成分組成も全く同じ人工宝石ができているはず。すると、天然宝石を見分ける方法は、たとえば均一でないとか、中に微小な内包物や傷があるとか、反対に美を損なう点で見分けることになって、価値は希少性と、長期間時間をかけて生まれたとか、どこで産出されたか、どう伝わってきたか(先祖代々とか)になるのと同じではないかなと思う。
現代アートは、とてもメッセージ色が強いけれど、心地よくない=良くない=好きでないかもしれない。課題本でも、「アート」という言葉の幅広さに触れられていましたが、メッセージ性の高い現代アートは、メッセージを伝えたり、何かを表現する「面白さ」は感じるのですが、それは「美」ではなく別の表現をした方が、適切なようにも思います。昨年の名古屋トリエンナーレは、初めて観に行って、そのあまりの面白さに何度も繰り返し足を運ぶという初めての経験をしたのですが、「作品」は非常に興味深く、心に残るものがありましたが、それも私のイメージする「美」ではない。ただ「アート」というモノが、この本の示すようにここまで幅広いものを内包できるなら、「美」ももっと様々なものを含む言葉に変質していくのかも。
3章カタカナのなかの美学の(p.60)「タイトルとは、作品を〇〇とみよという命令。その世界の解釈を関係づけるもの」。これも音楽に置き換えると非常に納得。私の好きな曲は、タイトルに非常に影響されている。「新世界より」とか「悲愴」とか「運命」とか。タイトルがなくて好きというか心に強く残る曲は「第九」くらいかもしれない。一方、タイトルに引っ張られる点もある。たとえばわざと違うタイトルを掲示されていて、「ふむふむ、確かに~」と鑑賞していたら、実は違っていましたとか、実はこれとこれが反対でした、とかやられたら、すっごく恥ずかしい自信があります。
タイトルがどこまで作品い影響を及ぼすかについては、タイトルが作者の主張、作品の方向をどこまで規程するのか、という点で、作品はどこまで作者自身のものか、という、これも以前から思っていた疑問にもつながります。7章しなやかな応答の(p.152)「作者は自作を理解していない、誤解している。批評家や演出家の仕事は、規則の書換/読替」という部分もそう。作品は作者のものか?どこまで作者のものか、と。これは音楽でも同様に思います。
最後に、9章美学の現在の(p.246)AIと藝術も読んで興味深かった。AIの学習は学習でないのか 評価はできないのか?課題本では、たとえAIに機械学習をさせるとしても、良い悪いを先に人が評価してコンピュータに渡し、評価を学ばせる必要があるといった点から、AIは(p.249)「「よさ」の判断を学習できるか?」「「よさ」をプログラムすることは絶望的」「「よさ」を判断できるかとなると不可能だと考える」と結論していますが、ここは私は少し異論があります。なぜなら人もまた、0(無)から「よさ」を判断できるのではなく、これまでの経験、身近な第三者の志向やリアクションから学んだうえでの「よさ」の判断をしているのだと思うからです。人もまた、他の第三者の評価に知らず知らず触れた積み重ねのうえでの好き嫌い、評価をしていると私は考えます。 -
Posted by ブクログ
三省堂国辞典と新明解国語辞典、2つのベストセラー辞書をそれぞれ生みだした2人の辞書編纂者の人生と描く。大学の同級生であり共同して辞書づくりをしてきた2人が、何ときっかけに袂を分かち別々に歩むこととなったのか。2人の足跡をたどりながら、謎を解いていく。多くの証言をつなぎあわせ、あるいは2つの辞書の語釈や用例からヒントを見い出しながら核心に迫っていくさまは推理小説のようで一気に読んでしまう。
しかし、2人の人生を見るに、何かを成し遂げようとするならばその代償が必要となるんだということを痛いほど感じる。そして、その代償を代償とも思わない、あるいは代償があろうとなさずにはいられない、という、強迫観念じみたものを抱えて初めて何かが成し遂げられる。それが果たして、本人や周りの人間にとって幸せなことなのかはわからない。 -
Posted by ブクログ
藤田哲也氏という気象学者をご存知の方は少ないのではないでしょうか。アメリカで多発する竜巻のスケールを表す「Fスケール」という指標があり、そのFは藤田氏の頭文字なのです。竜巻研究で知られる藤田氏ですが、日本ではあまり知られていないもう一つの業績は「ダウンバースト」の解明でした。
1970年代、アメリカでは離発着時の航空機の墜落事故が平均18か月に1度の頻度で発生していました。その多くが「原因不明」とされたり「パイロットの過失」として処理されていました。当時アメリカで竜巻研究で実績のあった藤田氏が事故原因究明に取り組み、「ダウンバースト」という局所的な下降気流が原因であると突き止めたのです。その後、パイロットへの研修、ドップラーレーダーなどの設置により「ダウンバースト」による墜落事故はほとんど無くなりました。
ところが「飛行機による旅を安全にした」という巨大な功績を成し遂げているにも関わらず、アメリカの気象学会では当時は批判的な扱いを受けていました。新しい理論を公表し、それを認めてもらうには「査読」という他の研究者の厳しい目で検証されることが科学会のルールなのですが、藤田氏は「一刻も早く事故をなくさなければならない」との使命感から査読を経ることなく自説を広めようとしたために軋轢を生じていたのです。
そのあたりのプロセスに関わった人達へのインタビューや、なぜこれほどの功績のある日本人科学者が日本ではあまり知られていないのか、藤田氏の生涯を辿りつつ解き明かしてゆくノンフィクションです。
私自身もメソ(中小規模)スケールの気象に学生時代に関わっていたこともあり、身近なトピックスと感じて読んでみました。「予断をもって現象を観ない」、「研究に必要な装置は自ら設計する」など研究者として尊敬に値する数々のエピソード、「気象界のシャーロック・ホームズ」、「気象界のウォルト・ディズニー」、「視覚の科学者」等々の異名を持つ藤田氏の生涯を俯瞰できる1冊です。気象の知識が無くても全く問題なく読み通せます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレギャップや意外性におもしろさを感じるという話は納得いく。共感の話はまさにインサイトにつながる話という理解。
テーマは決めないが、絵は考える。このあたりのバランスは難しいようにも感じた。
一見、番組等コンテンツ制作文脈で語られているので、ちょっと縁遠く感じてしまうが、本質的なメッセージは他でも共通する部分ばかりで、それをよみとれるとおもしろい。仮説思考的な話しや、戦略ストーリー的な話などなど
メモ
・おもしろいとは差異と共感の両輪
いかに差異を設定するかが人の心を動かすコンテンツの鍵になる。
・安易な共感でなく、深い共感を。、
・黒澤明監督は創造とは記憶であると明言している。
・演出とは状況設定である。場面をどう切り取るか。どう設定するか
・質とは情報量に、関係する。 -
Posted by ブクログ
著者はテレビ番組制作会社のディレクターとして、これまで主にNHKの番組において綿密な取材に裏打ちされたドキュメンタリーを数多く手がけてきた。
代表作として、実在の国語辞書編纂者の秘話に迫った「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」等、その守備範囲は実に広く、「言葉」「哲学」「医学」「気象学」「司法」と…多岐に及ぶ。
また、肝心な表現方法も演劇的演出やアニメを使うなどユニークな手法を駆使し、視聴者を佐々木ワールドに引き込んでいく。昨今は手がけた作品の礎となった膨大な取材を元に執筆もこなし、現在ではノンフィクション作家としても活躍。
本書は、これまでの番組制作に関わる上で常に思索、追求してきた「いかにして面白いコンテンツを創る」かを語った技術論。
具体的には、発想・企画・取材・制作…それぞれのフェーズについての思索は深く、極めて実践的である。創作分野のみならず様々なビジネスシーンに置換できる普遍性に富んだ「仕事に対する哲学」を叙述。
そんな敏腕ディレクターが説く「はたして面白いとは何なのか?」。
「差異と共感」であると断言する。要するに、世間一般の常識や先入観とのズレ(差異)を視聴者に提示することで、新たな「気づき(発見)」を知る。その結果、モノの見方を広げ、これまで異質なものと見なしていたものを受け入れ、より深い共感へと導くことに至る。
【本書の中で最も突き刺さった言葉】
『妄執こそがクリエィティブの源泉』
視聴者の「心に刺さる作品とは、結局のところ作り手側の人生や妄執が反映された作品が大半。つまり、作り手が「本当に作りたいと思って作った作品を観た際に視聴者は心を揺さぶられる」。
ぶっちゃけて言えば「思い込み、思い入れ」が創作の牽引力となるということ。それに加え、著者は『アイデアとは「既存の要素の組み合わせ以外の何ものでもない』」とも語る。そのためには地道な取材や学びを徹底かつ執拗に行うことは不可欠で、古いものを知ってはじめて斬新なものが生まれる。型破りの第一歩は、まずは型を知ること。また、企画成立に立ちはだかる課題や悪条件が 「価値あるアイデア(打開策)」を生む。良いアイデアは「必然性」から生まれるんだと畳み込む。
逆説的に言えば、できない理由を列挙するという行為は何としても成し遂げるんだという思い入れが希薄であることの表れであるということですな。
企画、発想、アイデアはとかく「斬新さ」「ユニークさ」に目を奪われがちだけど、著者は世にはびこるそんな通念を一掃し、「ヒントはあなたの前にあるんだよ!」ってことを教示してくれる一冊でありました。 -
Posted by ブクログ
・「見るつもりはなかったのに、偶然見たら面白かった」
受動メディアとしてのテレビが生き残るには、
逆説的に、コンテンツの質を上げること。
そのために、事前の下調べをすること、制作主体を明らかにすること、
チームのモチベーションをコントロールすること。
・面白さは、共感×差異
・インタビューで問われているのは自分自身である。
自分が緊張していれば相手も緊張する。
・演出とは、状況設定である
・「ペタペタ」で構成を考える
・三幕構成。問題提起、問題の複雑化、問題の解決。
・作品のクオリティは、「観客が受け取る」情報量で決まる。ジブリなど。
記憶を引き出すとか、そういうのも主観情報。
・ -
Posted by ブクログ
昭和に誕生した2冊の国民的国語辞典「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」。この2冊の源流というか母胎は
昭和18年に出版された「明解国語辞典」。
この2冊「客観」と「主観」、「短文」と「長文」、
「現代的」と「規範的」、とにかく編集方針から
記述方式、辞書作りの哲学、それらすべてが性格が
異なり、似ても似つかぬ姉妹辞書が同じ親から誕生。
「辞書なんてどれも一緒である」は、この二冊限っては
小説同様「文は人なり」の言説が辞書にも通じること
なんだと教えてくれる。そこには編纂者の思いや性格が
ありありと滲み出ているからに他ならない。
本書は「明解国語辞典」を共に編纂してきた東大の
同級生であり、理想の国語辞典を目指し手を携えてきた
良き友であった見坊豪紀と山田忠雄がなぜ袂を分かち、
見坊(ケンボー)先生は「三省堂国語辞典」を、
山田先生は「新明解国語辞典」を作ったのか。
著者はわずかな手がかりを頼りに丹念に取材を進めるも
難航。ある日、思いもよらない証拠にぶち当たる。
それは、辞書に記載したある言葉の用例が昭和辞書史の
謎を解く鍵だった…
辞書界を揺るがせた最大の謎を上質なミステリーを
読んでいるかのような知的興奮を覚える一冊。
秋の夜長にどうぞ。 -
Posted by ブクログ
子どもの頃、他球団でも主力選手の背番号を
覚えていたのに、今やタイガースの選手でさえ
おぼつかず、僕の中では縦縞は6・22・25・28
31・44…、あたりで止まっている。
さて本書。日本プロ野球の80年の歴史を、
選手の「背番号」にフォーカスし、
そこにまつわる不思議な因縁・奇縁・魔力
奇譚・逸話を丹念な取材ですくい取った
スポーツ・ノンフィクション。
取り上げられている選手は、
江夏豊28・村山実11・鈴木啓示1・池山隆寛36
谷沢健一41…。
◉あの文藝春秋が企画運営した江夏豊の
東京多摩市一本杉球場での引退試合
◉球団合併で永久欠番1が消滅した鈴木啓示
◉年俸アップを勝ち取るために背番号1を付けたい
と直訴した池山隆寛
◉3割の壁を何としても超えたい一心で14から
41に変えた谷沢健一
◉タイガースでは不吉背番号11をあえて付け、
肩痛や怪我に見舞われながら投げ続けた
反骨の男 村山実
◉日本人が敬遠する「4」を背中に刻んだ巨人
と阪神のふたりの男」…。
言語明瞭・意味不明瞭な原辰徳が背番号を
評して言った「言葉に言霊があるように
数霊(かずだま)がある…」。分からなくはないが
冷静に考えれば「背番号に特別な意味や因縁が
ある」と考えるのは後付けの「こじつけ」の域を
出ない。ただ、ひとたび生身の人間が無味乾燥な
数字を背負うと、あたかも生命が宿ったように
思えてしまうから不思議だ。
とりわけ一流プレーヤーになればなるほど、
背負った番号に様々なエピソードや事実が加わり、
何かしらの「因縁」を見い出そうとしてしまう。
そう、それは我々の「思い込み」がそうさせている。
逆説的にいえば、この思い込みこそが時空を超えて、
たちまちにして往年の名選手のプレイが鮮やかに
甦り、ロマンを抱いてしまうのである。
これまで虫明亜呂無・近藤唯之・玉木正之・山際淳司
等、数多くの名うての書き手のプロ野球ノンフィク
ションを読んできたが、本書収録の逸話はすべて
初耳だった。
プロ野球ファンならずとも、よく知られた名選手の話
が横溢で一気読み必至。いずれも話も読み応えのある
人間臭いドラマが描かれ、鼻の奥がツーンと軽い痛み
を感じながら読み終えた好著。
-
Posted by ブクログ
プロ野球選手の背番号から生み出される数奇なドラマを描いた一冊。
プロ野球を観ている時に自分たちが何気なく目にする背番号にここまでのドラマがあることに感動するとともに選手の番号へのこだわりや数字の持つ魔力など本書でプロ野球の新たな一面を知ることができました。
永久欠番についても初めて知ったことや絶対数や語呂合わせで数字が意味あるものになっていたりなど本書を読んで知ることが多くありました。
また、各球団で数字の持つ意味が異なったり、不吉と言われた背番号を背負って発奮し活躍したものや名選手の後を継いで重圧に負けた者など能力以外の部分で成績に影響しているところがあるところも驚きでした。
本書のエピソードはどれも素晴らしかったですが、特に元ダイエーの藤井選手や元近鉄の鈴木選手の話は感動しました。
本書を読んで、記録やプレーなど華やかではないですが、プロ野球に潜む魔力の部分である背番号の魅力に触れることができ、プロ野球を観る楽しみが増えた一冊でした。